1月1日(火)
マヤ暦6月20日
      「人生競馬」

丸い蹄の音 青空に響く
緑の草原には トナカイの群
 夢ん中では 会えるのに
 目覚めれば あなたはいない
はあーポックリ ポックリ死んでゆく
人生競馬

丸いワンカップ手に 黒い活字追う
赤鉛筆を耳に 天皇カップ
 女房を質に入れてまで
 男には賭ける夢がある
はあーカッポレ カッポレ大当たり
人生競馬

丸い地球は今日も 太陽をまわる
暗い宇宙の大穴 ブラックホール
 夢ん中では 勝てたのに
 目覚めれば 馬券宙に舞う
はあーアッパレ アッパレ生きてゆく
人生競馬
はあーポックリ カッポレ アッパレ やっぱり
人生競馬


 銀河新年、生きまして御目出度う。
 今年も生き永らえて来年の星をながめたいもんだ。
 今年はうま年ということで、上の写真は香港の馬券からとりました。むっちゃ画像悪いけど、まっいいか。
 昔は「正月なんて、カレンダーが一日進むだけだ」とか「めでてえ、めでてえと世間様はおっしゃるが、こちとらちっともめでたくねえ」などと反抗していたが、こんな御時世、生きてるだけでももうけもんじゃありやせんか。(なんか落語家みたいな口調になってきたな)
 それじゃあみなさん、世俗の垢を流すために温泉にいってきやす。

1月2日(水)
マヤ暦6月21日


 酔っぱらって、ヨレヨレ。
 それでも必死に日記を書くオレはなんなんだー!
 みなさん、元旦そうそうオレをあんまり遠隔操作しないでね。
 生後六カ月からの親友「ヒコピータッターデベソ」と昼間から飲んだ。オレたちは幼稚園時代から悪ガキの王道をともに歩んできた。そのころの話はいずれ書くとして、今日いちばん大笑いした「LSD事件」を書いてみよう。
 きっかけは「アヤワスカ!」の冒頭に書かれている「LSDの百倍の強さ」という一行だった。
「そんなに強いの?」
「ああ、知ってるだろう?」
 十八年前のことだけど、時効になるのかな?
 それともいまだに逮捕の対象になるのかな?
(※誰か法律にくわしい友人がいたら、教えてください。オレの家の目の前にある警察署のみなさん、オレは帰国してからドラッグはやってませんからね)
 危ない話だが、酔った勢いで書いてしまおう。
 オレがニューヨークでサイケデリック・ドラッグにはまっていた八三、四年ごろ、極上のLSDを送った。
 大みそかの夜、四人の友人たちは色鉛筆の芯みたいな五ミリほどの錠剤をまえに思案していた。
 飲むべきか、飲まぬべきか。
「どうせアー坊のいたずらに決まってる。こんなの効くわけないよ」
 ヒコピータッターデベソがポンッと口に放り込んだ。残りの二人も飲み、ひとりは飲んだふりをした。夜中の十二時に飲んで二時に解散するときにはなにも起こらなかった。
「またアー坊にだまされたな」といって帰路についた。
 それからが大変。壁が溶けだすわ、絨毯がはいのぼってくるわ、べつの星に言っちゃうわ。
 美容師のヒコピータッターデベソは正月の朝六時から仕事がはいってる。あと三時間しかないので必死に眠ろうとするが、無理な話だ。
 突飛な想像がつぎつぎに浮かんでくる。
 むふ、むふふふ。
 奥さんにベッドからけ落とされても、笑いつづけている。
 そのまんま、朝を迎える。
 お客さんがくる。
 むふ、むふふふ。
 熟練したカットは失敗しないものの、不気味に笑いつづける美容師に客はたずねる。
「なにか、いいことでもあったんですか」
 あわてて真顔にもどす。やばい、このままでは常連客を失う! 「笑う美容マン」のなかでは嵐のような葛藤が渦巻いているのだ。顔を洗っても、ミントガムを噛んでもだめだった。
 数分後、鏡に映る自分に気づけば、
 むふ、むふふふ。
「正月は一年でいちばんめでたい日ですから、つい笑ってしまうんです」
 むふ、むふふふ。
 むふふふ。
 ふふう。

「生涯最悪で最高の正月だったね」
 昼間から一升半をあけたヒコピータッターデベソが笑う。

※念のため、やつはそれ以来ドラッグはやってないし、美容室もつぶれていない。

1月3日(木)
マヤ暦6月22日

 純白の雪が街をおおいつくしている。
 人間たちの罪業を清めてくれる雪には悪いが、アメリカなどから船で輸入される小麦や大豆、その他の食品には「雪のように」農薬がおおっているという。
 納豆とかで「国内大豆使用」とか表示している意味がやっとわかった。自分が生まれ育った「風土」が、自分に適した「フード」を生む。「本物のアヤワスカを知りたいのなら、アマゾンへ行け」というのと同じことだ。
 「もとジャンキーが健康食品なんぞ食うようになったら終わりだ」と、いまだにオレは迷っている。オレは安い野菜しか買えないし、ラーメンもジャンクフードも好きだし、ヴェジタリアンになる気もない。だって友だちの家に招待されて、一生懸命つくってくれた御馳走を菜食主義うんぬん、農薬うんぬんで断るなんていやだ。健康指向は、排他主義、環境ファシズムを生む恐れがある。でも調べれば調べるほど背筋が寒くなってきた。
 一九六五年から一九八五年のあいだに作物に対する化学薬品の使用は三倍に増え、先進国では五〇パーセント精子の製造が減退しているという。農薬は発癌性も高く、乳癌、前立腺癌、健康児出生率の低下、遺伝子の突然変異などにも影響を及ぼす。
 四十歳をすぎまで好き放題やってきたオレなんか、いつ死んでもいい。二十歳をすぎた君だってジャンクフードはやめられないだろう。ただ最後の物質文明を享受したオレたちが流れを変えないと、犠牲になるのはいつも子どもたちだ。
 同じ量の毒物を取り込んでも、大人の体と比較して体の小さな子どもほど危険度は高まる。五歳以下の子は大人の三、四倍、ひどいものでは、ナシは大人の十五倍、リンゴひとつを丸かじりすると、三十四種類の化学薬品の残留物が体にはいるんだって。
 駆除剤たっぷりの公園の芝生、ペットのノミとりスプレー、農薬の空中散布、界面活性剤たっぷりついた皿、子どもはスポンジのように吸収してしまう。一九七三年から、子供の脳ガンや白血病の増加率は三〇〇パーセントというから驚きだ。
 四十年前のほうれん草一束と同じ栄養をとるには、現代では八束も食わねばならない。それほど農薬で枯れた土地からとれる農作物は衰えている。ここ数年、たくさんの農家が有機栽培に踏み切ったのは、消費者のためというより生産者の健康がまず害されてきたからだ。
 自然農法の革命児、福岡正信さんについては去年の八月七日の日記で紹介したが、もうひとりの野人、川口由一さんにもふれておこう。彼には二年前の「命の祭り」で実地指導を受けた。白髪交じりの長髪、やせぎすで飄々とした面持ちは、仙人の風格さえある。
 「耕さず、肥料や農薬をやらず、雑草を生かし、虫を殺さない」川口農法は、彼の苦い経験から生まれた。
 川口由一は一九三九年、奈良県桜井市に専業農家の長男として生まれた。
 小学六年で父と死別し、中学卒業後定時制高校で三年、天王寺美術研究所で六年間 学びつつ、農家の長男として、当時はごく当たり前の農薬を使った農業を営むが、三十九歳のとき農薬で体をこわしたのをきっかけに、自然農法を模索しはじめる。
 一九九一年、三重県の赤目で月一回の自然農法を実践指導する赤目塾をはじめる。現在、実践指導の場は全国十数カ所にふえ、漢方学習会も全国五カ所で定期的に行われている。
 著書には、「妙なる畑に立ちて」(野草社)、「自然農より農を超えて」(カタツムリ社)、「いのちのいとなみ」、「真の治療優れた治療を」など。 長編記録映画映 「川口由一の世界 1995年の記録」(鳥山敏子・グループ現代)作品がある。

 Yahooで「無農薬野菜」を検索すると、何千件もでてきた。
 こんなにたくさんの農家が自家製の無農薬野菜を宅配してくれんだなあ。みかん箱いっぱい(十キロ以下)にさまざまな野菜をつめて三千円から三千五百円で送ってくれる。しかも送料込みだ。しかしさらにその上をいく過激なものを見つけてしまった。
「野菜のお代はいただきません。配送料のみご負担ください」というのだ。
我が家のはたけ」というホームページで、アクセスが120くらいしかないから、まだはじめたばかりなのだろう。
 岐阜県羽島市で三百坪ほどの畑をもつふじこさんは、「都会に住む息子に健康的で安全な野菜を食べさせよう」という動機から無農薬野菜をつくりはじめた。農業は趣味で、営利目的ではないという。
 四十五種類もの野菜が、種まき時期、収穫時期、投与肥料などのデータから写真までついて紹介されている。
 なんか我が子のように野菜を育てる母親の愛情を感じるなあ。
 掲示板に書き込んだのもオレがはじめてみたいし、思い切ってメールしてみることにした。

「ためしに注文させてください。
ふじこさんの方で適当にみつくろっていただけるとありがたいです。
好き嫌いがないのでなんでも食べられます。
父親と二人暮らしなのであまりたくさんは食べられませんので、少なめにお願いします。
活力鍋が届くのが15日くらいなので、それ以降にお願いします。
もちろんカンパもさせていただきます。
こういうのははじめてなんで、なんだかドキドキします。 」

 今日岐阜県では多いところで四十センチ近い雪がつもったと報道されている。雪かきに忙しいせいか、ふじこさんからの返事はない。

1月4日(金)
マヤ暦6月23日

 壁打ちテニスの「マイコート」とジョギング用の「マイロード」を雪かきした。
 「マイコート」はテニスコートの半分、「マイロード」は一キロちょっとかな。それでも三時間以上かかって全身汗びっしょりだ。あらゆる運動のなかで雪かきほど脳内麻薬の出るものはない。単純な反復運動に頭がキーンと痺れて止まらなくなってくる。
 ひげ面の男がTシャツ一枚でシャベルをふるう姿は異様かもしれないが、通りがかりの人々は「ご苦労様」と声をかけてくれる。
 小学生の女の子を連れたお母さんが微笑みかけてくる。
「ここはうちの子の通学路なの。靴下が濡れないで助かるわ」
 凍った部分はシャベルを逆にしてガリガリひっかく。ふと人の気配にふりむけば、おじいさんが手を合わせてるじゃないか!
 おい、やめてくれよ。縁起でもない。(そういえば、こんなこと「アジアに落ちる」でもあったな)
「市役所の方ですか」おじいさんが訊く。
 んな、あほな。市役所がドレッド野郎を雇ってくれるわけないだろ。
「い、いえ、そのうボランティアというか、いい運動になりますからね」
 脳内麻薬が気持ちいいんで。などと言ってもわからないだろう。おじいさんは深々と頭を下げると、オレがつくった道を歩いていった。
 テニスとジョギングと脳内麻薬という私利私欲でやっているのに、感謝されるのは申し訳ない。これが賃金労働や地域住民と環境のためとかだったら、ぜんぜんやる気出ないだろうな。
 やっぱ「エゴこそ力」だ。
 オレが好き勝手でやってることを、みんなが喜んでくれる。これぞ「循環型エゴ」「持続可能なエゴ」とでも呼ぶべきか。
 たとえばオオカミは自分の食欲を満たすために鹿を食べる。それが個体数を安定させ、食物連鎖を循環させる。もともと地球はそれぞれのエゴによって育まれるシステムをもっていた。
 そうだ、これを「エゴロジー」と呼ぼう。
 「エコロジー」だと、なんか我慢我慢のしみったれた印象がある。
 もっと明るく大らかに、みんなが自由に振る舞うことが共存につながる「エゴロジー社会」を目指そうではないか。

「なに? ただのおやじギャグじゃないかって」
 てやんでえ、おめえの家の玄関に雪を積み上げてやる!

1月5日(土)
マヤ暦6月24日


 科学誌「ネイチャー」三日号によると、「うそをつくと目の周りの血流が増えて、その部分の体温が上がり、敏感な熱画像処理装置で見破れることがわかった」という。
 従来のポリグラフ(ウソ発見器)は、血圧、呼吸速度、発汗などの専門的データ解釈が必要だったが、熱画像法ならかんたんにウソを見破れる。
 空港でハイジャックや運び屋を見つけるのにも一役買いそうだ。
 きっと将来的には熱画像による「ウソ発見メガネ」とか発売されて、ナンパとか浮気とか万引き防止など使われるんじゃないか。
 世の中に「ゆらぎ」をもたらすウソが消えるのは淋しい。

 小説家というウソつきを本業としたせいか、眼球にガンのできた凛太郎の物語を文学メルマに連載するせいか、オレの左目のまぶたに腫瘍ができた。
 一カ月ほどまえは「おおっ、少女漫画みたいな二重になってきたな」と喜んでいたが、微妙に大きくなってくる。正面や上をむいているぶんにはわからないが、下を見ると小粒納豆ほどに盛り上がっている。
 まさに「目の上のたんこぶ」だ。
 はた目には気づかれなくても、0,0何ミリずつ視界がせばまってくる違和感がある。
 やっぱ中田って偉いよなあ。あんなせまい視界で司令塔やってんだもの。右目があんま見えない甥の凛太郎も、全盲のファンキーな友人サトル君も偉い。
 早く病院にいかなくちゃと思いつつも、ビビッてる。
 やっぱオレって弱虫だなあ。
 母親や凛太郎のガンを医者が「たんなる腫瘍ですよ」と言ったのを知ってるから、「たんなる物貰いですよ」と言われても信用できない。
 「ウソ発見メガネ
」は、自分に都合のいいときだけ必要なのかな?

1月6日(日)
マヤ暦6月25日


 「めざせ粗食!」とか言いながら、今日もラーメン屋に行ってしまった。
 今年のオレの目標は「ザ・ベスト・オブ・ラーメン 栃木」という本に選ばれた四十五軒すべてを制覇することだ。早くも十軒を塗りつぶした。
 JR宇都宮の一個手前にある鶴田という駅で降り、「北海道ラーメン紅蘭」を目指す。
 なんかこの風景見たことあるぞ。デジャヴじゃねえか。
 独特の味噌ラーメンで満腹し、東武線の江曽島駅をめざすと、交差点で大きな標識が目に飛び込んできた。
 「県立がんセンター」
 記憶の奔流がどっと流れ込んでくる。九年前の夏、大粒の汗を流しながら同じ道を歩いていた。ババチョフ(母)を見舞うためだ。
 ベージュ色のレンガでできた六階建ての病院が遠くに見えてきた。なんだかババチョフがラーメンをエサにオレを連れてきたんじゃないかと疑いたくなる。
 ババチョフは、ガンに侵された胃袋を切り取り、脳に転移したのをレーザーで焼き払い、再度肺にガンが転移して、ここに入院していた。
 当時、家族の中で唯一無職だったオレは最後の二週間を病院に泊まり込み、つきっきりで介護した。
 短い期間とはいえ、オレはこの町に住んでいたのだ。いつのまにこんな開けちまったんだろう。APITAという巨大ショッピングモールができていた。あのころは伸び放題の草におおわれた空き地だったのになあ。車でこみあう交差点をわたると、なつかしい喫茶店がそのままある。亜珈里、そうこんな名前だった。かき氷百円、クレープ二百円、九年前と同じ値段にひとりでほくそ笑む。韓国ラーメンの肝心屋、もんじゃ焼きじゃなくて「もんじ焼き」のつくしもある。
 保険証ももってこなかったけど、受付で訊いてみるか。でも左まぶたにできた小さな物貰いで、たまたま来たがんセンターにいくのも不吉だなあ。入り口は真っ暗だった。だって日曜だもん。なんでも深読みしてしまうオレは、ちょっと安心した。「目の上のたんこぶはガンじゃない」って。
 オレが小学校のころ、ババチョフはトトチョフ(父)の暴力に耐えきれず、妹を連れて別居した。オレは「母に捨てられた」と思った。ババチョフを思い出すとき、愛情と憎しみが複雑にからみあう気持ちになる。
 あとで叔母さんから聞いた話だが、ババチョフは見舞いに来る親戚にこう言っていたという。
「明だけは好きにさせてやって」
 この遺言めいたひと言によって、オレは今でも口うるさい親戚の批判から守られている。
 入院末期のババチョフは、痛み止めのモルフィネで通常の会話はできなくなっていた。ヘロインと同じオピノイドがもたらす多幸感にババチョフは一日中微笑んでいた。手足をこすってやると、さらにうれしそうな顔をするので、一日に何度もこすってやる。それがオレにできる唯一の介護だった。
 外で昼飯を食っていると、声にならない声が聞えてくる。
「明、どこに行ったの!」
 植物人間のはずなのに、病室のドアを開けたとたん、必ず目が合う。ババチョフは首だけ起こしてこっちを見ているんだ。
 ったく、どっちが子どもだかわかんねえじゃないか。
 すぐさま手足をこすってやると、ゆったりと目を閉じて安堵の笑みを浮かべる。まるでわがままな赤ちゃんみたいだ。オレが赤ちゃんのときしてもらったことを、そのままお返ししている。今から思えば、ババチョフはカムイモシリ(神様の国)に帰るために、少しずつ心を純粋にもどしていってたんだなあと思う。
 七月十四日、六十二歳でババチョフはこの世を去る。
 オレは一滴の涙もこぼさなかった。それどころかババチョフの生涯でもっとも美しい死顔に見とれ、必死にデッサンしていた。

 「DEAD MOTHER」
 「死んだ母」

 SHE TAKES MY HAND IT'S ALWAYS COLD
 彼女はぼくの手をとる いつでも冷たい
 WE'RE CROSSING A MORNING FIELD
 ぼくたちは朝の草原を横切っていく
 GRASS IS WET HAZE AND SWEAT
 濡れた草 霞 汗
 I FIND A PRETTY FLOWER
 可憐な花を見つけた
 WHEN I PICK IT UP AND TURN AROUND
 摘みとってふりかえると
 SHE IS GONE
 彼女はいない
 BUT IT'S OK WITH HER
 でも いいんだ
 BECAUSE SHE ALWAYS LEAVES ME ALONE
 置いてかれんのは慣れてるもん

 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい母
 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい いちばん美しい母

 SHE CALLS MY NAME IT'S ALWAYS CALM
 彼女はぼくの名を呼ぶ いつでも静かに
 WE PLAYING AT DISNEYLAND
 ぼくたちはディズニーランドで遊んでいる
 PETER PAN IS NEAT AND CAPTAIN HOOK IS MAD
 ピーターパンはイケてるし キャプテンフックはイカれてる
 I CAN'T HOLD MY PEE
 オシッコがもれそう
 WHEN MY PANTS GET WET AND I CALL AROUND
 ズボンを濡らして呼ぶけど
 SHE IS GONE
 彼女はいない
 BUT IT'S OK WITH HER
 でも いいんだ
 BECAUSE SHE ALWAYS LEAVES ME ALONE
 置いてかれんのは慣れてるもん

 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい母
 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい いちばん美しい母

 SHE LOOKS INTO MY EYES THEY'RE ALWAYS SAD
 彼女はぼくの目をのぞきこむ いつでも哀しげだ
 WE'RE STAYING IN ABONDONED HOSPITAL
 ぼくたちは打ち捨てられた病院に泊まっている
 THE BED IS DUSTY AND THE NEEDLE IS RUSTY
 ベッドは埃っぽく 注射器は錆びついている
 I BRING IN DOCTOR CALIGARI
 カリガリ博士を呼んでくる
 WHEN I SET THE MORPHINE AND LOOK AROUND
 モルフィネをセットして見まわすと
 SHE IS GONE
 彼女はいない
 BUT IT'S OK WITH HER
 でも、いいんだ
 BECAUSE SHE ALWAYS LEAVES ME ALONE
 置いてかれんのは慣れてるもん

 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい母
 DEAD MOTHER IS THE MOST BEAUTIFUL MOST BEAUTIFUL MOTHER
 死んだ母 それはいちばん美しい いちばん美しい母

1月7日(月)
マヤ暦6月26日


 熊本に住む50代の主婦、須藤さんから年賀メールが届いた。

 今年もいいことがたくさんありますように。
 やさしいつながりが出来ることの喜びを感じています。
 これも川辺川の清流のお陰と感謝しつつ。

 鮎トラスト運動というのがありまして、川辺川の漁師さんの生計を守り、川を売らなくても生計の一部でも保証し、多くの方に川辺川を知ってもらおうという運動です。立ち木トラストの鮎版です。
 で、年末の歳暮で実家(大分)へ贈り、正月に老親や親戚と食することができました。
 「こげんおおきな鮎はみたことねえなあ」と77歳の父。
 「近所ん養殖モンと味がちがうなあ、おいしいなあ」と78歳の母。
 その大きさ、味の良さで圧倒されました。本当に本当に美味しかった。
 鮎はその味と姿で川辺川を私たちに教えてくれ、その生を全うします。川辺川の清冽な姿が目に浮かぶのです。こんな鮎の住む川を土砂で埋め、コンクリートで固め、山と川を、そして子々孫々、営々として築いて来た文化、歴史・・・を殺してしまうことは、許されないことだと思うのです。岩肌を剥き出して、土の色を剥き出しにされた山や川原・・の悲鳴が聞こえてきそう。

 多くの方に川辺川(勿論日本各地の乱開発や公共の名をかりた事業もそうですが)のことを 知ってほしいです。いい加減にもうやめようよ。右肩上がりのあの幻想が壊れてしまっている日本の新しい進路をそろそろ目指しましょう。と新年にあたって改めて感じています。
 今年もよろしくお願いします。
 優しさと感謝の気持ちを今年一年失わないで過ごしたいと思う須藤でした。

              ※

 須藤さんは、苓北と言う町の火力発電所の反対運動で日本山妙法寺の大津さんと知り合い、「日本山妙法寺」を検索した。半ちゃんのレポートした成田道場仏舎利党落成式ライブを見つけ、掲示板にダムのことを書き込んだのがきっかけだ。


 掲示板でちょっと書いたが、知らない人の為にもまとめてみる。
 川辺川は環境基準満足度上位水域ベスト1に選ばれた日本一の清流だ。
 須藤さんが書かれたように、30センチをこす大物のアユを求めて日本中から釣り人が訪れる。絶滅危惧種のクマタカが舞い、洞窟にはコウモリや固有種(世界中でここだけにしか生息しないツヅラセメクラチビゴミムシ、イツキメナシナミハグモ)や希少種が多く住み、植物種847種、鳥類84種など2711種の生物種が確認される自然の宝庫だ。
 流域の野原遺跡には縄文時代の竪穴住居跡があり、瀬戸内地方の土器や、漁網の重りに使った石錘(せきすい)、木の実をすりつぶす石皿など数百点の遺物も見つかっている。縄文早期から江戸時代にかけての遺跡は10数カ所ある。
 「おどま盆ぎり、盆ぎり……」ではじまる五木の子守唄は有名だが、泣く子も眠らす癒し系のメロディーは、清流のせせらぎを連想させる。
 ダムの計画は高度成長期にはいる35年前に発表され、96年に着工された。
 当初350億円と見積もられた事業費は、2650億円にふくれあがり、ダム関連事業の総額はなんと4100億円にもなる。県負担は900億円にのぼり、県民1人あたり5万円というとんでもない事態になっている。熊日新聞の県民へのアンケートは、ダム反対が54%、賛成は19%なのに、利権で甘い汁を吸う一部の者たちだけのために12月から強制収用がはじまった。
 調べると、笑っちゃうほど無茶苦茶である。
 工事事務所所長と球磨川漁協組合長はサウナで補償金16億5千万円を決めちゃうし(証拠のカセットテープまである)、去年の二月に漁業協同組合が補償交渉を否決したのもかかわらず、ダム推進派の球磨川漁協執行部11名と国土交通省7名がもと旅館だった空き家に隠れて補償交渉を闇取引する。
 ねえねえ、小学生の基地ごっこじゃないんだからさあ。
 ダム推進派は「強制収容されると補償金が3分の1になる」というデマを漁協広報誌に掲載し、「ダム反対派です」と偽って戸別訪問し、「事業中止の捺印です」とか、「ダムに反対すると国に裁判で訴えられる」などとうそ八百をならべて委任状を巻き上げる。自筆じゃない署名をでっちあげたり、なんと死んでいる72名の故人の署名捺印があったのが裁判でバレてしまった。
 あっはっは、すごい心霊現象だな。お役所やめてシャーマンになってほしい。
 いい年こいてイジメもすごい。反対した漁師は漁具を盗まれたり、船を流されたりしちゃうんだって。
 扇国土交通大臣は「洪水で54人も死んだんだからダムをつくろう」と熱弁しているが、52人は戦後復興のために禿山になっていた支流での崖崩れや山津波で死んだんだって。
 水害での死者は2人。しかもダムの放水で死んだ。
 「30分ほどで一気に2メートルも水位が上がった」という数々の証言がある。家のなかに2メートルもの水が押し寄せてきたら、天井に頭をぶつけてしまう。
「市房ダムが完成するまでは膝までぐらいだった洪水が、完成後いきなり腰より上に水が上がるようになった」
 「その3倍の大きさの川辺川ダムが造られる」と、下流の住民はおびえている。
 「農業用水の確保」とかいいながら、当の農民たちの半分以上が反対している。ダム計画がたてられた食料増産の時代はともかく、現在では国の減反政策で、水田面積は当時の半分以下になっている。農作物も長い間の工夫の末、土地に適した作物を選んで栽培、水も十分に足りているという。
 ダムに堆積する土砂は、一日で10トントラック100台分以上になる。河口の不知火海や干潟への膨大な被害は専門家じゃなくても予測できる。
 併設される水力発電所では、「新しく1万6500kwの電力が生まれる」と宣伝されているが、ダムによって現在1万5900kwを供給している3つの発電所が沈められる。子どもでもわかる引き算だろ、たった600kwしか増えねえじゃねえか。おいおい、たった4%の電力増加に4000億円払うのか。

 オレは須藤さんの書き込みにこたえて、「風の子レラ」の抜粋を熊本県知事に送った。

「世界的な視野に立っても、日本のダム行政は時代おくれです。アメリカでもすでにダム政策の転換を打ちだしています。アメリカ内務省開発局総裁ダニエル・P・ビアード氏の発言を引用してみましょう。
 1 ダム建設の費用に比べ、農業用水や電力などの受益は少ない。
 2 農業用水の利益にかたより、都市住民の要求に応えていない。
 3 土壌の塩化、漁業の衰退、湿地の消滅、先住民文化の破壊、農業による汚染、貯水施設に砂が堆積し、ダムの安全性などに問題がある。
 4 川の生態系、文化的価値の環境破壊。
 5 代替手段の存在があり、ダム行政は、計画中のものについては中止、既存ダムについては開門、そして場合によっては破壊されなければならない。」
 川辺川ダムでさえ、計画を再検討する勇気が必要なのです。

 熊本知事から返事があった。

メールありがとうございました。
今後とも、県政に対するご提言等をいただきますようお願いします。
                    熊本県知事 潮谷義子

 オレのラブレターに対するすげない返事。「なんだよこれ」と思いつつも、こんなことからやっていくしかないのかなあ。
 今年の夏の源流キャンプは釣り人の聖地川辺川へいこうと、タケ隊長に提案するつもりだ。

 熊本県知事「ようこそ知事室 〜提言の送付〜」
http://www.pref.kumamoto.jp/governor/links/mail/meil.html
 小泉首相の首相官邸
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
 国土交通省河川局
http://www.mlit.go.jp/river/question/index.html

※くわしくは「清流川辺川を守る県民の会」のホームページをぜひ見てください。

1月8日(火)
マヤ暦6月27日

 毎日たくさんのメールをもらう。
 一人ひとりの声に自分は支えられていると思う。
 今回は「ママさん特集」
 
 昨日の日記で紹介した川辺川の須藤さんがさっそく日記を読んでくれた。

 光栄です。とてもわかりやすく、丁寧な説明です。サウナでの密談とかは知りませんでした。
 魑魅魍魎の世界です。
 一つだけ訂正を。総代会は昨年の二月で、総会は昨年の11月でした。年と変わり目はよくやりますが・・・
 わたしのお願いです。akiraさんのHPを川辺川のMLに載せていいでしょうか?
 恐いもの知らずで、あちこちに書き込みしています。
 川辺川にかぎらず、こんな風に誠意ある対応をしてくださることはとてもうれしいです。ありがとうございました。

 三日に紹介した「我が家のはたけ」で無農薬野菜を無料で届けてくれる大地の母ふじこさん。

 こんにちは。メール有難うございます。
 お正月2日に大雪が降りまだ、野菜は半分ほど雪の下です。菜っ葉物がどうなっているか心配です。
 ほうれん草、小松菜は、回復するのに時間がかかるかもしれません。
 大根、白菜、ネギ、里芋、秋ジャガイモ、ニンジン、などは大丈夫ですから送れます。
 ご都合のいい日時、時間などお知らせ下さい。

 オフ会に歌舞伎町のホストも真っ青なドラ(ム)息子を連れてきてくれた矢口ママ。

 あの日不思議な体験をしました。
 アキラさんがクリスマスソングを歌うのを聞いているうちに私の中からシアワセと喜びのエネルギーがむくむくと湧いてきて体中にいっぱいになりました。
 心が勝手に喜んでいる。
 どうしちゃったの?と驚いて聞くもう一人の自分がいました。
 私のハートにアキラさんの歌は、
 手放すんだ!
 捨て去るんだ!
 と迫ってきました。(なんかクリスマスソングに関係ないメッセージだったなあ)
 歌をこんな喜びの感覚で体感したのは生まれてはじめてでした。
 今日、アキラさんの6日の日記を読んで、
「置き去りにされることになれてるもん」
 アキラさんのちょっとヒビの入ったハートを思うと涙が出ました。
 生後10ヶ月の時に、私の母は私より箪笥を持って家を出ることを選んだ。
 私が涙するということは、もうなくなったと思っていてもまだまだ心の中にホコリくずや小さなゴミが残っているということです。
 もっと手放して、もっともっと今の自分を愛せるようになりたい。
 アキラさんがあの日くれたメッセージはそれだったかも知れません。

1月9日(水)
マヤ暦6月28日

 ニューヨークから従弟が来た。
 9月11日に貿易センターで被爆したトシだ。
 オレより一歳年下のトシとは兄弟のように悪ガキ街道をばく進した。やつに押されたレッテルは、「問題児」「反逆児」「落ちこぼれ」、学校の成績も最低だった。
 親や学校や同級生に反抗しつづけたトシなのに、なぜかオレにだけ心を開いた。父親に包丁を振り上げたり、河原のススキに放火して大火事にしたときも、必ずオレが呼ばれて調停した。
 トシはオレがアメリカにいく1年前に移住し、20年以上もアメリカに住んでいる。紺色のアメリカンパスポートを見せてもらったが、今では日本とアメリカのダブル国籍をもっている。
 オレがニューヨークに移住して、西海岸に住むトシを呼んだ。やつをコカイン中毒にさせたのもオレだ。立派に社会復帰したトシは、コンピューター分野で天才的な能力を発揮し、ニューヨークに支店をもつ大手日本商社や銀行などでコンピューター管理を任される。年収2500万円というから、一年でオレの30年分の収入を得ていたことになる。
 今回のテロでトシは職を失う。
 長い間とぎれていた連絡は911テロの翌日、急につながった。やつがメールで送ってきたレポートのみごとな文章に驚いた。
 もちろん卓越した頭脳と技術で、再就職はいくらでも可能なのだが、911テロ(貿易センターで)のトラウマが彼を引きこもらせる。
 トシのなかでなにかが変わった。
 資本主義の中心で自分が謳歌してきた生活、
 アメリカンドリームの終焉、
 未来なき絶望。
 いきなりトシは小説を書きはじめた。
 コンピューターの学術書しか読んだことのない男が、不眠不休の4カ月で300ページもの処女大作を書きあげてしまったのだ。
 その名もなんと「ファイナル・テロル」(仮題)。
 異常な集中力にびっくりしたが、半分同じ遺伝子をもっているんだからしかたがない。
 今回のテロがなかったらトシも小説など書いていないだろう。コンピューター技師から小説家へ。911事件はたくさんの人の人生を一変させたが、トラウマをバネにして成長していくしかない。

1月10日(木)
マヤ暦7月1日

 貿易センターで被爆する10日ほど前、トシが見た予知夢とそのスケッチを本人から紹介してもらおう。

 奇妙な夢を見た。
 とても苦しい目覚めを迎えたのは、昨年8月末のことだ。
 何時頃に見た夢なのかはわからないが、強烈な記憶は脳裏に染みついてはなれなかった。
 ふつう夢なんて、通勤の地下鉄はおろか、シャワーのまえにきっぱり忘れている。なのに、この夢だけはいつまでたっても消えない。
「出ていけ、出ていけ。消えてしまえ」
 なにを言ってもむだだった。
 朝10時、2ワールドトレードセンターの上層階で仕事をしていた僕は、ほとんど無意識のうちにこのスケッチを業務用のノートパッドに残した。あの痛ましい事件が起こる10日ほど前のことだ。

 ※スケッチを見る。

 スケッチは、仕事の合間に走り書きをした物だ。3枚だが基本的には1つのイメージの全体像と、部分を拡大したものだ。
 全体像は、木々に囲まれた公園のような場所の中に巨大なオフィスビルが立っている。たぶん1ワールドトレードセンターだ。
 そのすそに広がる広場には、人の背より低い家屋が百件ほど並んでいる。薄汚い建物は、コンクリート製で角が風化している。表面には、こけが生えたり酸化して変色したりしていた。
 広場より一段高くなった場所には、たくさんのテントが張られていた。テントは、棺桶の形をしている。そこで暮らす人々の生活用品が埋葬品のようにテントの横に置かれていた。
「これは何ですか?」
 とおりすぎる人に訊くと、とんでもない答えが返ってきた。
「ここには精神異常者が住んでいるのです」
 なるほど、金に目のくらんだ資本主義の精神異常者たち。
 もちろん、僕自身もその一人だった。

1月11日(金)
マヤ暦7月2日

 「南アフリカの洞くつの地中から、幾何学的な模様が描かれた約7万7000年前の石が見つかった。これまで模様や絵の遺物はフランスの、最大限見積もっても約3万5000年前の壁画が最古とされてきた。はるか以前、アフリカに抽象的な表現ができるヒトがいた事実は、現生人類である新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)の起源を従来より古いとする、最近の分子遺伝学の研究とも合う。
 南アフリカ・イジコ博物館の研究者らの国際研究チームが、11日発行の米科学誌サイエンスに発表する。
 模様が確認されたのは、7.6センチと、5.4センチの黄土色の棒状の石2個。99年から00年にかけて、南ア南部のブロンボス洞くつの地中から見つかり、平行線を交差させたような模様が彫られていた。ほかの7個にも模様らしいものがある。」(朝日コム)

 オレたちアーティストの祖先じゃん。
 しかも現在も画家たちが使ってる「イエローオーカー」(黄土色)と同じ原料の石が8000個以上発掘されている。アボリジニやアマゾンのインディオも「イエローオーカー」をボディーペインティングなどに使っているし、蚊よけや革をなめすのにも多用されてきた。
 絵柄自体はまだ見ていないが、呪術的な側面が強かったと思う。
 宗教と芸術は双子の兄弟として生まれた。
 10万歳にも成長した今、暴走する兄(宗教)を必死に食い止めているのも弟(芸術)である。

 このころの人たちってなに考えていたんだろうなあ?
 「食う、ヤル、眠る」
 そんな単純なものじゃないだろ。これじゃあ現代人の方がよっぽどイマジネーションが乏しくなってるぞ。
 6万年前に滅んだネアンデルタール人などの旧人類とオレたちの祖先である新人類を分けるのは「抽象的な思考能力」の有無であると学者たちは言う。
 でもさあ、この幾何学的な模様は7万7000年前というから、ネアンデルタール人が描いたという可能性もある。
 ネアンデルタール人はオレたちより缶ビール半分(300cc)大きな脳をもち、死者を花で埋めて埋葬した。あの世というもう一つの世界を想像し、美しく飾って送りだす精神、これは「抽象的な思考能力」じゃないのか。
 彼らは、意識と無意識をへだてる境界が非常にあいまいな「ドリームタイム」に生きていた。「わたし」という自我もなく、「わたしたち」と考えただろう。しかも「わたしたち」は家族や部族はもちろん、人類、動物、昆虫、植物、大地、大空、風、太陽、星、それから精霊までふくまれていた。ガイア的思考は現代のものではなく、旧人類から現代の先住民にまで受け継がれてきた「常識」にすぎない。
 オレたちの「脳に描かれた壁画」が鮮やかによみがえる時代が、
 もうそこまできている。



1月12日(土)
マヤ暦7月3日


 従弟が言うには、出勤ラッシュの午前10時まで、マンハッタンにいく車は二人以上乗ってないと入れてもらえない。
 ダッチワイフを乗せて捕まった男や、大型犬を乗せて裁判(敗訴)までした者もいるという。
 たしかに都市の路上に駐車されている車は、なにも生みださない粗大ごみでしかない。深刻な交通渋滞、車の購入代金、駐車場代、税金、保険、定期点検、マイカーにかかる高額なコストがドライバーの首を締める。
 人間は一日の呼吸で150グラムの二酸化炭素を出すが、車はその千倍、150キログラムを排出する。車に乗るということは、1000人が担ぐ駕籠に乗っている殿様なんだなあ。おまけに生産と廃棄にも膨大なエネルギーが費やされるし、いかに車を減らすかが温暖化を防ぐ鍵といわている。
 「カーシェアリング」は、「所有」から「共有」へ時代が移行することを象徴している。
「高価な輸送製品(車)を売る発想を脱却し、輸送サービスそのものを売ったらいいじゃないか」という発想の転換である。
 1988年、ベルリンで2台の車と留守番電話でビジネスをはじめたスタットオート・ベルリン社は、今や56ヶ所の駐車場に300社の車を置き、5500人の会員にサービスを提供するまでになった。15分以内で行ける場所にステーションを設置し、24時間いつ申し込んでも希望車種に乗れる確率を90%以上を目標にしている。
 ベルリンは世界一カーシェアリングがすすんだ都市だ。ドライバーは年間の走行距離を50%減らし、2000ドル以上を節約しているという。
 「ドイツ輸送省は、国内の潜在的なカーシェアリング・ユーザーの数を245万人 と予測しており、これだけのユーザーがカーシェアリングを利用するようになれば、10年間で1200万トンの二酸化炭素が減少できる」という。
 カーシェアリングの元祖スイスでは、国内での利用者が今では3万人以上にのぼる。現在、スウェーデン、ドイツ、オランダ、オーストリアをはじめとするヨーロッパの350以上の都市で、7万人がカーシェアリングに参加している。
 アメリカでも、シアトルのフレックスカー社がシアトル市の援助を受けて業績をのばし、バンクーバー、トロントに拡大、サンフランシスコ、ワシントン、ボールダーにも進出する計画だという。
 いつもながら日本はおくれてる。
 しかしちょっと外国とはちがう特徴もある。
 日本初のカーシェアリング会社「CEEZ(シーズ)」では、高級車にターゲットを絞った。
「高級車の中でも人気の高い、ポルシェ、ベンツ、BMW、フェラ―リ、等をオーナーの方々に共有していただき、低価格で提供できるシステムを実現。負担額により年間の利用日数を決めます。また、負担額には車の購入代金のみならず、保管(駐車場代)や、税金、任意保険、定期点検等にかかる一切の費用までも含まれています。契約期間は2年間、その後車の売却益は負担比率に応じてオーナーに還元されます」
 レンタカーとくらべると、1日当たりの負担額が1/3〜1/4になるという。
 日本大学理工学部と本田技研工業は、「キャンパス・カーシェアリング・プロジェクトを共同ですすめている。 国土交通省所管の公益法人「交通エコロジー・モビリティ財団」も排気量1300ccのガソリン車(グリーン税制の対象車)で、北区や三鷹市などで実験をおこなった。
 新車を売ることにばかり躍起になっていた企業も動かざるを得ない。
 トヨタは1998年9月、50台の電気自動車で数百名の社員を対象にカーシェアリングの実験をはじめる。
 ホンダは、国土が狭いため自動車の保有に制限が設けられているシンガポールに「シビック」のハイブリッドカーをシェアリングに導入した。
 この分野での最先端はダイハツだ。ハイテク技術を駆使して、世界でも最先端のカーシェアリングシステムを開発している。

 「ワールド・ウォッチ・ジャパン」のホームページから、セツコ・ハートライン・オカヤスさんの具体的なレポートを引用してみる。

 「現在、日本で行われつつある自動車共有の試みについてご紹介したい。これは小型電気自動車(EV)、およびEVとコントロールセンターを結ぶインテリジェント交通システムを使ったものである。このシステムは、電車、バス、タクシーといった従来の公共交通を補完するものとして設計されている。
 会員が電話かインターネットで予約すると、コントロールセンターがEVのコンピュータにその情報を送る。各会員は自分のIDをEVに送るための小型の送信機を持っている。センターがその会員のIDを確認し、携帯電話でその車のドアのロックを解く。会員は運転中に予約を変更することができる。カーナビゲーションシステムが、その車の位置と道路状況を示す。EVにトラブルが起きた場合は、そのナビゲーションスクリーンがドライバーに何をすべきかを示す。ユーザーがEVを返却すると、使用した時間と距離、および料金が示される。ガソリン車に比べて、どれだけ排気ガスが少なかったかも示される。顧客の満足度を測る機能によって、さらなる改善のためのデータが収集される。
 この試みの1つは、市役所、会社、商店、観光スポットなどがある横浜の繁華街で行われている。30台のEVがあり、参加20社の社員約100名が使用している。この実験は、ビジネスでの使用についてのデータ収集を主目的としている。また、東京郊外のベッドタウンである多摩ニュータウンでは、夫や子供の送迎をしたり買物をする主婦のための、別の試みが行われている。神戸では、旅行者の使用を目的としている。現在の試みは駐車場で借りて駐車場に返さなくてはならないが、最終的には会員はEVをどこでも乗り捨てられるようになる。現在の試みは2000年の3月まで続けられ、数年のうちに、もっと広範な使用が計画されている。
 同じような試みは、多くの都市や企業組織で行われるか、または計画中である。どのケースでも、自動車の共有という考え方が駐車場の不足を解決し、限られたスペースを有効利用し、EV購入の出費を減らし、そしてもちろん排気ガスを削減して、環境に寄与することが期待されている。」

 近い将来、日本でもパソコンと携帯電話で最寄りのカーシェアリング会社の車が利用できるようになるだろう。行きは電車で買い物に出かけ、帰りは荷物を車で運ぶということもできる。
 車は「道具」という役割だけではすまない。ドン・キホーテの愛馬ロシナンテのようにかわいいもんだ。自動車の免許もないオレでも、原付きのスーパーカブ「かまきり夫人」を愛してる。
 愛車というのは恋人と同じ存在だ。
 「車」を「恋人」に替えて、この文章を読み返してほしい。
 「路上」の主人公ディーンのように「オレの女を抱いてみな」と、最愛のものをシェアする覚悟がオレたちにあるだろうか?

1月13日(日)
マヤ暦7月4日


 「成人式」なんぞ、どんどんぶち壊しちゃえ!
 樽酒かっ食らう若者を逮捕したり、爆竹鳴らすやつらを取り締まったり、腹を抱えて笑いたくなる。
 大人たちは、こんなふうになるまで自分たちのよってたつ大地を失ってしまったのか。自分たちでさえ信じられない「社会のルール」を若者に押しつけたって、むりに決まってるだろ。
 かつて日本の成人式には、「大人になる喜び」があった。
 「一人前」として認められることだ。
 長男として家長を相続できる、村の共同体「ゆい」の参加資格を得られる、職人として独立できるなど、
 若者たちは「大人」にあこがれていた。
 現代日本で「大人」にあこがれる若者などいない。確固たる未来をしめせない大人に誰がついていくもんか。
 オレはやだね。
 「20年生きてれば大人」
 誰が決めたんだ、ふざけんじゃねえよ。オレはおまえたちに未来をあずけたくねえよ! って言いたくなる。
 本来「成人式」とは、命がけの儀式だ。
 南太平洋の島「バヌアツ」を起源とするバンジージャンプも、幻覚物質をふくんだ毒を飲まされるアマゾンのインディオも、4日間身動きできない穴でヴィジョン・クエスト(内なるヴィジョンの探求)をするインディアンも、「死をくぐる」。
 伝統的な儀式では実際に死者が出る。
 生き残ったものだけが「大人」の称号を得る。それほど「成人式」は、きびしいものだった。
 じゃあ、「成人式」はいらないか?
 絶対必要である!
 大人たちから押しつけられた「成人式」に反抗してるばかりじゃ、
なにもはじまらない。
 自分を大人にしてくれる「成人式」を自分自身で見つけるんだ。
 お恥ずかしい話、オレなんか42年間かかってもいまだに「成人式」を探している。

1月14日(月)
マヤ暦7月5日


 田口ランディーさんとの対談はむっちゃ楽しかった。
 同級生だし(バラしていいのか? やばかったら消します)、共通の友人がいっぱいいるのには驚いた。まさかオレがアマゾンで会った「カルネ」の監督ギャスパー・ノエとも対談しているとは!
  イノシシ歳で2カ月しか誕生日がちがわない「ダンシ」と「ジョシ」は、おたがい全然別の人生を歩んできたのに同じようなことに魅かれていた。
 シャーマニズム、植物、トランス、もう一つの世界、旅など、「ガッキュウカイ」の話題はつきない。このもようは2月22日発売の「小説現代」3月号をまってちょ。
 2時間があっというまにたってしまい、講談社を出たあともロイヤルホストで同窓会はつづいた。
 エネルギーのかたまりみたいなランディーさんは、これから渋谷にフラダンスのレッスンを受けにいくという。しかも今日が初日だ。
 現代の巫女、恐るべし。


1月15日(火)
マヤ暦7月6日

 臨時休業、ごめんなさい。
 音楽の相棒タケちゃんのうちでCD製作をしていたら、夜中の3時になっていた。タケちゃんがCDに直接印刷できるプリンターを買ったので、表紙、歌詞、ディスク、裏表紙と、完璧に市販されているCDと同じものができた。
 なんとか夏までには、現在3曲入りのミニアルバムを10曲入りのフルアルバムに仕上げる予定だ。
 自宅に帰り布団に倒れ込んだ瞬間、眠りに落ちた。

1月16日(水)
マヤ暦7月7日


 凄腕コンピューター技師であるトシがニューヨークに帰る(あと5日後)まえに買い物をしようと、秋葉原にいった。
 世界一のサイバーシティーは、狂人の側座核(記憶貯蔵庫)にはりめぐらされたラビリンス(迷路)だ。
 なぜか原始的な祝祭に満ちたアジアの市場を思い起こしてしまう。
 パソコンのマザーボード、心臓部にあたる大規模集積回路LSI、数ミリのダイオード、集積回路(ICチップ)、抵抗器、コンデンサー、小指の先ほどのコイル、端子、変圧器(トランス)、トランジスタ、鰐口クリップなど、解体された臓器そのものだ。異邦人はまばゆいばかりの
混沌に呑み込まれていく。
 オレは旅行用に携帯パソコン(ハンドヘルドPC)を探していた。
 今日こそは日記を書こうと、生まれたての赤ちゃんほどもあるiBookをデイパックに背負っているが、さすがに長期にわたる旅にはもっていけない。できるだけ小型で軽量の「メモノート」がほしかった。
 中古屋をめぐると、単行本をひとまわり大きくしたほどのノートパソコン、シャープの「テリオス」を見つけた。
 重さ810g、幅213mmx奥行192x高さ20。新品で買ったら127800円が、38000円だ。
 多少の傷はあるが、惚れた。
「この携帯パソコンが旅を助けてくれるよ」トシは言う。
「なんだか、水戸黄門の助さん、角さんみたいなもんかな」オレは答える。
 トシは、だれもが星条旗を振りまわしている911以降のニューヨークで、敢然と反戦マークを愛車にはった。同じように反戦マークを編み込んだセーターを発売したリンカーンセンター前のブティックは、ペンキスプレーや張り紙などで嫌がらせを受け、不買運動をされる戦時下である。
 反戦マークに怒った熱血アメリカンがトシの車に襲いかかったという。車をけ飛ばし、運転席にいる「非国民」な東洋人を引きずり出そうとする。
 絶体絶命のピンチだ。
 そのとき、トシは一枚のちっぽけなカードを窓に突きつけた。
 暴漢たちが顔を寄せ合って水戸黄門の印籠に見入り、ウソのように散っていく。
 あの日被爆した貿易センターの通行許可証であった。
 

1月17日(木)
マヤ暦7月8日


 7年前の今日午前5時46分、神戸は壊滅した。
 今でも瓦礫の風景と焼け跡の臭いがありありとよみがえってくる。
 あの日オレたちは6432人の命と「文明」を失った。
 生き残った人々にも自殺者があいつぎ、仮設住宅から一般住宅に移され「孤独死」をむかえる。
 しかし未曾有の悲劇がオレたちに与えたのは絶望だけではなかった。
 山田バウさんは大震災の当日、倒壊した家屋の下敷きになった少女を火災から救うことができなかった。あまりの無力感に泣きつくす。この体験がひとりの男の人生を変えてしまう。
「これからは死んだ人とはかかわらない。生きている人を助けていこう」
 バウさんが立ち上げた「神戸元気村」は、「元気鍋」の炊き出しからはじまり、50以上の画期的なボランティアプロジェクトをつぎつぎに打ちだしていく。
 バウさんの発想は既成概念にとらわれず、「被災者がいちばん必要としているのはなにか?」というものを即「実行」に移す。元気村のホームページから具体的な活動内容を紹介しよう。
 「移動サービス」
 通院・薬取り・買い物・外出介助など、日常生活のちょっとした用事のお手伝いする。
 「ベルボックスケアセンター」
 .利用者がボタンを押すと、機械が自動的に電話をかけ、ボランティアの事務所に連絡が入る。内容に応じてボランティアが訪問したり、安否確認先や近隣にお住まいの方に協力を要請する。場合によっては.消防局(救急車の手配)に連絡をすることもできる。
 「サンライス神戸」
 仮設住宅に住む老人に、全国から送られてきた米を配る。米を配付した世帯数
は約97,300軒にものぼり、米の総量は291,900Kgという。
 「引越し隊」
 崩れ落ちた家屋の中から大事な品物や思い出の品物を運び出す「宝探し隊」からはじまり、倒壊家屋から避難所へ、避難所から仮設住宅へ引っ越しを無料で援助した。ピーク時には、2チームに分かれて1日に5〜6件、今まで2000件以上の引っ越しをボランティアでおこなった。
 「キッズクラブ」
 被災した子どもたちは、家族や友人を亡くしたり、不自由な仮設住宅での生活、引越による転校など、ストレスがたまる。子どもたちを自然の中に連れ出し、キャンプ、カヌーやヨット、富士登山、田植えから収穫の体験など、少しずつ心の傷あとを癒していった。
 元気村で実践を積んだボランティアたちは世界でも有数の凄腕集団となり、さまざまな活動を展開していく。
 1997年のナホトカ号重油流出事故。
 1999年の高知水害。
 1999年8月の台湾大地震。
 2000年八月の有珠山噴火。
 東海豪雨では、エアコン、冷蔵庫、自動販売機、自動車のフロン回収した。
 2001年3月24日に起こった中国四国地方の芸予地震。
 10月6日の鳥取県西部地震。
 カンボジアの地雷撤去支援 。
 いやはやバウさんがいなかったら、日本のボランティアは爆発的進化を成し遂げていなかっただろう。バウさんには「自己犠牲」なんていう言葉似合わない。ここまで「無私」を楽しんだ人間はほとんどいない。

 広島の原爆のときに、ある男性がカイロに移して持ち帰った火が残っている。バウさんは、この火を「こころ」と名づけ、全国を行脚しながら分灯していった。
 バウさんは、難民支援のためにアフガニスタンにむかうことを決意した。
 今日をもって神戸元気村は解散する。
 1月17日午前5時46分、バウさんはひとりで六甲山頂に立って、この7年間をふりかえりながら、神戸の街をのんびりと眺めるという。
 「お疲れさん」という言葉はバウさんにはない。
 「がんばって」という言葉もちがう。
 とりあえず、「イアイライケレ(ありがとう)」と言ってみた。
 バウさんの戦いも、オレたちひとりひとりの戦いも死ぬまでつづく。

 ※くわしくは神戸元気村ホームページを見てください。

 ※バウさんの「いのちの力をつかまえろ」サンマーク出版(1,600円 + 税 )をぜひ読んでほしい。

1月18日(金)
マヤ暦7月9日


 今日は栃木県でいちばん美味いといわれるラーメン屋「花の季」でチャーシューめんを食べた。とんこつ醤油の濃厚スープは絶品だし、とろける巨大チャーシューも圧巻だ。
 昨日はタケちゃんと回転寿司、一昨日はトシと秋葉原のじゃんがらラーメン、その前はマックのチキンかつバーガーセットと、飽食がつづいた。
 貧乏人はこれだから困る。1年のほとんどをささやかな自炊で過ごしてきたのに、印税が入ると大盤振る舞いしてしまう。
 都会暮らしでは当たり前な外食も、オレにとってはキヨブタ(清水の舞台から飛び降りる)の宴なのだ。
 中村医師の現地レポートをチェックしつつ、チャーシューめんを食べる自分が情けない。空腹に飢える人々は雑草をむさぼり、それもないときは石を呑み込んで空腹を紛らわせているという。ペシャワール会のホームページからレポートを転載する。

「ボナヴァシの村は徐々に飢餓を迎えている。タリバンに包囲され、数年に及ぶ旱魃に見舞われ、この山岳地の僻村の住民は草に大麦を少量混ぜて作ったパンを食べて飢えを凌いでいる。母親の乳が出なくなった乳児は草粥を食べさせられている。歯のない老人は雑草を粉状に砕いている。住民のほとんど全員が下痢をしたり、から咳きをしている。多くが衰弱して立つことができない。家から出ることさえ出来ない者も。子供たちは腹が膨れてせり出している。あまり苦しくなると母親がぼろ布で腹を縛り、痛みをごまかしてやる。衰弱して動けなくなっていた男は先週失明した。」
「草に混ぜる大麦さえもなく、地面からむしった草をそのまま食べている。彼らの腹部は飢えで石のように固い。目の前で人が次々に死んでいく。」
「国連人口基金(UNFPA)の職員がパキスタンとイランの難民キャンプで、安産用キットと称して中絶器具と薬品を配布していることが分かった。
ただし、深刻な食糧・居住地・飲料水・基本的医薬品不足に加え、イスラム世界の中絶に対する根強い反発により、UNFPAの難民キャンプでのこの活動はあまり浸透していない。」

 2001年11月20日からアフガニスタンへはいった大塚モスク理事のひとりであるハールーンさんのレポートを転載します。
http://www.eeeweb.com/~backup/haroon.html


 なにもかもが足りない。
 アフガニスタンでは、命を支えるためのものが、なにもかも足りないのです。
 私がアフガニスタンとパキスタンとの国境トルカムを訪れたとき、そこには、EDHIトラスト(NGO)の救急車で数時間前に病院に運び込まれた患者の父子2人、Dr.シャハブディンと彼の息子がいました。Dr.シャハブディンは、6人の息子、3人の娘、そして、彼の奥さんと、首都カブールで暮らしていましたが、アメリカ軍の空爆によって彼の家が破壊され、かろうじて生き残ったのは、彼と、6歳になる息子の2人だけでした。
 Dr.シャハブディンは、自分が負った大怪我よりも、精神的ショックがあまりにも大き過ぎて、意識を失ってしまいました。そして、6歳の息子には、そのとき、まだ家族の死について、なにも知らされてはいなかったのです。
 しかし、このようなことは珍しいことではありません。
 多くのふつうの人々の家が空爆され、破壊され、多くの人々が命を奪われました。
 アフガニスタン国内では医療設備がどんどん機能しなくなって行っています。空爆で大けがをした人を助けたくても、麻酔薬がないのです。痛みにもがき、暴れる患者をロープで縛って、手術していました。軽い怪我の場合は、縛りつけて手術出来ますが、大きな怪我の場合、縛りつけるわけにもいかず、手の施しようがなくて死んでいくのでした。
 多くの助けられるはずの命が、目の前で天に召されるのです。
 カブールの病院に頼まれて、パキスタンの麻酔薬を売っている会社にお願いして、無料で麻酔薬を提供してもらいました。これを届けたので、この病院では麻酔が出来るようになりましたが、他の病院では依然として、麻酔薬がないのです。
 麻酔薬ばかりではありません。輸血用のバックや注射針がないため、献血をするボランティアは溢れていても、輸血が出来ずに、また、多くの命が奪われていったのです。
 都市でもこのような状態ですから、地方ではもっと酷い状態です。
 カンダハルの数少ない女医、Dr.ジャミーラのもとへは、毎日、多くの女性が、おなかが痛むと言って、山を越えて何十キロも歩いて診察に訪れていました。
 彼女たちのおなかには、石がたまっているのです。
 彼女たちは、空腹を紛らわせるために、石を食べているのだと言いました。もちろん、草も食べているそうです。餓死している人も多くいます。それ程、山の方は危機的な状況です。国際機関やNGOの支援の手が、彼女たちに差しのべられているとは、とても言えない状況が続いています。世界食糧計画の発表した、『アフガニスタン救援活動の成功に「楽観的」』というコメントはウソだとしか言いようがありません。
 難民キャンプですら、食べ物が満足にある状態ではないのです。
 ぺシャワールに近いシャムシャット難民キャンプは、比較的古いキャンプです。2つに分かれていて、一年程前に出来た新しい方はシャムシャット2、もしくはNewと呼ばれています。ここでは、10月に入ってから、急激に難民が増え続けています。彼らの多くが、空爆から逃れてきた難民です。しかし、彼らにはなかなか難民認定が降りません。
 難民認定が行われて、はじめて、国連などの支援を受けることが出来ます。認定された難民には小麦粉、油、レッド・ビーンズが各家庭に配られますが、空爆で郷里を追われた人々にはなにもありません。人々は、お互いわずかな食糧や持ち物をわけあい、助けあって生き延びようとしています。たったひとつのナンを2つの家族でわけあっているのです。それでも、あまりの空腹と、厳しい寒さに、どんどん人々が死んでいくのです。
 私は、クエッタから国境を超えスピンボルダックと言う町に有るキャンプを訪れました。
 そのキャンプの人口は、10万人以上でした。この人たちはアフガニスタン国内にいるので国連が難民として認めません。そのため、いろいろな援助を受けることができません。運のいい人は、NGOから貰ったテントで暮らしていますが、それさえない多くの人は、ただ棒を立てて、布をかぶせただけのテントのようなものを作り、その中で暮らします。下に敷く物もなにもなく、凍りつくような地面に直接家族がくっ付き合って寝ています。
 私は、アフガニスタンや、周辺国の難民キャンプで、様々な物資が足りないと、言われ続けました。ガスマスクを手に入れてほしいというお願いもありました。
 医者たちはガスマスクが必要だと、訴えています。
 彼らは、アメリカが化学兵器を使っていると言います。多くの患者の症状から、間違いがないと。しかし、アメリカ側は、これを否定している。ニュースとしても、ほとんど流れていません。
 そして、アフガニスタンの全人口の半分以上の人々、一千万を超える人々が、今日も、飢餓や寒さに追いつめられ、命を脅かされ続けていることも。

 ※Mr.ハールーンは、大塚モスクが主宰した支援プロジェクト【アフガニスタンへ、暖かい衣料を贈ろう!】の遂行のため、また、アフガニスタンへ向かう。
 彼は言う。『この支援は、本当に、緊急措置。飢えに寒さで人々がどんどん死んでしまう。衣類を送ることは比較的簡単なのでせめて、暖を取って命を繋いでほしい。』大塚モスクでは、今、第3回の呼びかけを行っている。
衣料物資の受付期間は1月15日(火)〜22日(火)17時 必着
 くわしくは、下記のHPへ。http://www.eeeweb.com/~backup/

 ※なお、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための募金も合わせてお願いしています。
 振込先:口座名義 JITアフガン難民ファンド
(JITは大塚モスクの母体です。以下、便利な方をお使い下さい)
 郵便振替 00150−9−98307
 東京三菱銀行大塚支店 普通口座 1415181
(お名前がわかりにくいので自動振込機でお願いします)

 ※この文章は、MATSUDA SACHIYOが、Mr.ハールーンより聞き書きし、彼に校正していただいたものです。Mr.ハールーンはアメリカの使用した化学兵器についての情報を求めています。MATSUDA(signature@eeeweb.com)まで、お寄せ下さい。

 ※世界食糧計画、アフガニスタン救援活動の成功に「楽観的」
http://www.eeeweb.com/~constitution/vaccine/news/afp1109.htm

★ アフガン復興にむけての中村医師のヴィジョン

1月19日(土)
マヤ暦7月10日


 佐川一政さんが、二カ月半ぶりに来日(日光)した。
 今回は「極私的美女幻想」(テレグラフ・ファクトリー社)というエッセイ本の巻末に載せる対談をする。対談のタイトルは「さらば麗しの女性たち」という。
「どうして、さらばなんですか?」
オレは訊いた。
「僕の人生はあまりにも女性たちにふりまわされすぎました。それが最近になってふっと解放された気になったんです」
 52歳になった佐川さんのまえに、ソウルメイト(魂の友)ともいうべき女性が出現する。昼は薬剤師、夜はSM嬢をつとめる23歳の美女サクラさんだ。
 サクラさんもカニバリズム(人食い)願望に悩まされ、自分のひざの肉をはさみで切り取って食べたという壮絶な経験をもつ。ロフトプラスワンのトークショーで佐川さんの苦悩を知り、孤独なふたつの魂が出会った。
「わたしを食べて」サクラさんは懇願する。
 ふたりはお互いの肉を削り食べあいながら心中する決心をした。
 冗談でもなんでもない、現実の話だ。前回佐川さんからこの話を聞いたとき、オレは止めなかった。人はあまりに多様な性の悩み、無数のコンプレックスを抱えて生きている。
「自由に死んでください。これでひとりの変態としての一生は完結するでしょう」
 自分の理解できない苦悩をノーマルな定規を押しつけて説得する資格などオレにはない。
 前回(11月3日、4日の日記を参照)オレが言った言葉を引用する。
「佐川さんはルネ(犠牲者)がなにかを創り出す可能性を奪いました。だから自分とルネの分まで二人分の可能性を背負っているわけです。事件のことは『霧の中』で書ききりました。でも事件後の二十年間、佐川さんがくぐってきたさらなる孤独を描ききった作品はまだ創られていません。残酷な言い方ですが、それを書き終わるまで、生きる義務があると思います」
 日光からもどった佐川さんは、翌日からいっきに500ページもの手記「霧の中の真実」を完成し、来月鹿塞社から出版する。もう何年も作品が書けないと嘆いていたのに、奇跡のスピードだ。さらに2作目もほとんど書き終え、3作目の構想を練っている。こんな狂ったように作品が書けるのは20年前の処女作「霧の中」以来だという。
 対談は昼の12時から明け方の4時までつづいた。録音テープを文字おこしする地引編集長、ごめんなさい。
「で、3作目の手記が完成したら心中するんですか?」オレは訊く。
 ふたりともワインで酔っ払っているのに、オレの3畳間でさらに議論は白熱する。
「それが……僕のなかでなにかが変わってきたんですよ。自分が死ぬのはかまいませんが、サクラさんを巻き添えにしたらルネと同じことをくりかえしてしまう。サクラさんが30歳で死にたいというので、いちおう心中計画は2008年まで延期しましたが、僕はもう人殺しはしたくない」
 佐川さんはうちの猫を可愛がったり、アリの行列を踏まないようにまたぐ。マスコミで怪物のような殺人鬼として扱われる佐川さんの素顔をオレは知っている。
「飢え死んでいくアフガンの子どもたちのニュースを見ると涙が止まらなくなるんです」
 今までの佐川さんからは想像もできない言葉だった。自分のエロティシズムのなかで完結していた男が、「他者」の痛みを我が事のように受け止めていた。
「いっそ、アフガンにいきますか」
 もちろん冗談でオレは言った。佐川さんは少年のように目をしばたかせている。
「僕のようにひ弱な男がボランティアにいっても足手まといになるだけでしょう?」
「書けばいいじゃないですか。人を殺めた男にしかわからない命の重みがあります」
 けっこうオレの目もすわっている。佐川さんはしばらく無言でうつむき、やにわに顔をあげた。
「たったひとりの子どもが助けられるなら、喜んで命を投げ出します」
 誰よりも晴れやかな「殺人者」の笑顔を見た。
 ちょっと真剣にアフガン行きを考えてみよう。

1月20日(日)
マヤ暦7月11日

 すごいやつがやって来た。
 その名も「スーパー活力鍋」。
 世界最高の1,45キロ圧を誇る圧力鍋だ。なにしろNASA宇宙研究所が開発した7層のクラッド鋼でできている。NASAといえばアメリカ南部のフォーコーナーズの地下3階に宇宙人をかくまっているらしい。鍋の形も円盤を思わせるし、このハイテクノロジーも宇宙人に教わったにちがいない。
 なにしろご飯が1分で炊けちゃう。カレーもシチューも肉ジャガも煮魚も1分だ。魚は骨まで柔らかく食べられるので、カルシウム満点。
 おいおい、オレはアサヒ軽金属の営業マンじゃないぞ。値段は25000円と高めだが、「活力鍋」で検索すると各方面から絶賛されているのがわかる。
 オレが活力鍋を買ったのは玄米を食いたかったからだ。
 環境ジャーナリスト枝廣淳子さんが参加した「棚田ネットワーク」から新潟県松之山町の玄米を10キロ送ってもらった。
 オレはニューヨークアカデミーに通っていたころ、マクロバイオティックのレストランでバイトしていた。食べ慣れると玄米ほど美味いものはない。ほとんどの栄養素が削り取られた白米じゃもの足りなくなる。玄米は体に必要な栄養素45種類のうち40種類をふくむが、時間はかかるし、おいしく炊くのがむずかしい。しかしこの鍋なら15分でびっくりするほどふっくらと炊き上がる。
 きわめつけは岐阜県羽島市の主婦ふじこさんが送ってくれた無農薬野菜だ。ふじこさんが「自分の息子に安全でおいしい野菜を食べさせたい」と「我が家のはたけ」で育てたもので、泥までありがたく感じられる。
 まずは大根おろしにしてみる。
 むむっ、ほとばしる清涼感! 絶妙な苦味の奥にほんのりとした甘さがある。菜の花のおひたしも、「野菜ってこんなに味があるんだ」と驚くほど、リッチな風味を醸し出す。もうこれだけで十分だ。なんと贅沢な粗食であろう。
 「チャーシューめんはやめるのか?」って。
 それはそれ、全ラ隊(全国ラーメン部隊)は学問の一環だから。子どものころ「チョッキラーメン」と呼んでいたチキンラーメンもコカコーラもそれはそれ、ジャンクフードも社会勉強だから。適度な毒物を摂らないと免疫力が低下してしまうじゃないか。
 健康のために玄米を食うのじゃなく、美味しいから食べる。
 顔の見えない野菜より、愛情の感じられる野菜を食べる。
 食は革命なり。

1月21日(月)
マヤ暦7月12日

 日本一の清流川辺川にできるダムの強制収用がはじまった。
 住民の反対に耳を貸さない扇大臣、小泉首相、熊本県知事、政治家や土建屋の利権のために取り返しのつかない自然が破壊されていく。
 会社員をやられている須藤久仁恵さんのメールを紹介します。

 熊本市の須藤です。お元気でいらっしゃいますか?
 先日来、いろいろとお世話になっています。川辺川のこと本当に多くの方に紹介していただき、嬉しいです。
 強制収用の手続きが粛々と(とあの方たちは言うんでしょう)進んでいます。強制収用は相続人がわからなくなった土地二箇所と川辺川で生計を立てている漁師の
漁業権に対してのものです。
 漁業権の収用手続きは、縦覧中ですが、土地二箇所が何者かによって手がつけられました。
 墓地と椿の大木です。墓地の墓石が集められ、あろうことか何者かによって運び出されるということが判明しました。椿の大木はチェーンソーの跡が何箇所か見られ、切り倒される寸前です。
 過疎の地、おまけに水没地で、多くの住民が村を捨て出て行った土地。
 猫の額ほどの墓地だけ残っている。
 無縁墓地とはいえ、先祖の魂の宿る土地と椿の大木。神をも恐れぬ所業です。無縁仏でも寄せ墓にして何らかの形で供養し続けたろうに、ダムはつい何年か前まではみられた村のやさしさも壊してしまったようです。
 自分らは直接手出しせず、対峙する場面では離村者(生計が立てられない人は土木工事で日銭をかせぐしかない)にさせる。先日の諫早湾の工事再開のときも工事に直接携わり、漁民と対峙するのは離職した漁民でした。
 またメールします。皆様によろしくお伝えください。お体ご自愛くださいませ。

 ※須藤さんに励ましの便りを出そう。
 ※くわしくは1月7日(月)の日記か、「清流川辺川を守る県民の会」のホームページをぜひ見てください。

1月22日(火)
マヤ暦7月13日

 丸一日かかって新曲を録音した。
 「ええじゃないか」と同じ作者がつくったものとは信じてもらえないほど、キュートな曲だ。
 疲労困ぱいで体調悪いし、もう寝させてもらう。だいたい日記に歌詞を書くときは、手抜するほど疲れてるってことだ。

「Seventeen」

ピーウィー勉強なさい
ピーウィー真面目になさい
大人はなんもわかっちゃない
three four five six Seventeen
ピーウィーどこへ行くの?
ピーウィーだれと行くの?
大人になんかは関係ない
three four five six Seventeen
3 4 5 6 17

世界を丸ごと消しちゃえたらって思うこともある
いつから魔法を忘れたんだろ
ビビディバビデブー!

ピーウィーがまんしなさい
ピーウィー同じになさい
大人になんかなりたくない
three four five six Seventeen

ピーウィー恋人いるの?
ピーウィー愛しあったの?
大人はなんにも知っちゃない
three four five six Seventeen

世界はあたしを中心に回ってるはずだった
いつから主役を降ろされたの
ビビディバビデブー!

ピーウィー
ピーウィー
その他大勢はいやだもん
three four five six Seventeen

1月23日(水)
マヤ暦7月14日

 体長10メートルほどのマッコウクジラ14頭が、鹿児島県大浦町の海岸に打ち上げられた。
 しける海岸はどす黒い血に染まり、クジラたちはテトラポットの近くで寄り添ながら潮を噴き上げている。彼らは群れの絆が強く、1頭でも残っているかぎりほかのクジラも逃げないという。
 干潮時には消防ポンプで水をかけたが、23日朝には12頭が死んでいて、残る2頭を尾びれにワイヤーをつけて船で沖合まで引き出そうとした。クジラの抵抗と荒れる波によって作業は難航したが、とうとう一頭だけ沖に帰すことができた。
 町では埋めるか焼却か海への投棄かなどと頭を悩めているが、オレは感謝を込めて食うべきだと思う。
 昔からアイヌの人々は、打ち上げられたクジラを「カムイからの贈り物」としてていねいな儀式を執り行ってからいただいていた。
 登別の海岸にフンベ・サパ(クジラの頭)という小山がある。ここにはクジラの霊力がこもり、漁の無事を祈る儀式などがおこなわれてきた。言い伝えによると、ショキナという巨大クジラが人間を呑み込むので困っていたところ、カワウソの神様が真っ二つに切ってくれた。その頭が海岸に落ちて小山になる。登別川の河口は波の影響で移動するが、フンベ・サパの側によると、ほとんどシャケが遡上しなくなる。クジラの神様がシャケを食ってしまうからだという。

 太古の昔クジラは陸を歩いていた。
 約5,500万年前、メソニックス類と呼ばれる原始有蹄類が魚の豊富なテーチス海の河口あたりに住みついたといわれる。原始有蹄類から分化した牛や羊やラクダは、クジラと同じ偶蹄類(ひづめが偶数に分かれている哺乳類)だ。
 クジラの鼻孔は水面での呼吸するために頭のてっぺんに移動し、強い尾びれが進化し、前足は舵を取るための胸びれとなり、後ろ足は衰えていった。
 地球上最大の動物シロナガスクジラは体長33メートル、ペニスは3メートルもあるんだって。まさに現代の恐竜だ。

 南極海と北太平洋では毎年合計540頭のミンククジラが「調査捕鯨」され、日本沿岸では、水産庁が設定する捕獲枠によって2万頭前後のクジラやイルカが捕獲されているという。水族館の薬漬けプールも動物を早死にさせるし、クジラ・ウォッチングやイルカ・スイムも問題がある。
 繁殖率が低く、妊娠期間が長い一産一子であるクジラは、生息数がいまだに回復していない種も多い。
 ミンククジラの脂身にPCBなどの有害物質が高濃度に蓄積されているというレポートがあり、ノルウェーでは「ガンの恐れがあるので多食してはならない」と食品安全局から警告が出されているのにもかかわらず、日本は輸入しようとしている。
 クジラたちの集団自殺は、人類への痛切なメッセージにも見える。オレたちは彼らの祈りを受け止める心も叫びを聞く耳も失ってしまった。
 1979年に打ち上げられた惑星探査機ボイジャーには、ザトウクジラの歌がおさめられたレコードが積み込まれている。レコードの寿命は10億年もある。
 人類よりもはるかに進化した知的生物がザトウクジラの歌を聞き届けてくれるだろうか。


1月24日(木)
マヤ暦7月15日


 豚骨しょうゆのカップ麺食ったら気持ち悪くなって吐いてしまった。もう一生ラーメン食えない体になったらどうしよう。
 それで昨日は打ち上げられたクジラのごとく寝込んでいた。胃はもたれるし、熱は出るし、インフルエンザにでもやられたかと思った。
そこへpaperbackの編集長すぶやんから電話がきた。
「元気ですか?」
「だめ、最悪」オレは布団にもぐりこんだまま話している。
「旅に出ないんですか?」
「印税使いすぎた」
「1週間くらいニューヨークに取材に行きませんか?」
 突如、羽毛布団が宙に舞い、やにわにタンバリンをとりだし「森の木陰でどんじゃらほい」を踊りそうになった。
「原稿料くらいしか出せませんが……」
 片足を交互にあげて♪あら、シャンシャン手拍子、足拍子♪
「いい息抜きになりますよ」
 両手をヒラヒラまわしながら♪今夜は楽しい夢の国、小人さんもそろってにぎ〜やかに〜♪
「9月11日から5カ月たったニューヨークをレポートしてきてください」
 上半身を上下に振って♪あ〜ほ〜いほ〜いのドンジャラホイ♪
「親分、がってんだ!」
 ぷはっと入れ墨のない肩をたたき、受話器をおいた。
 すぐさまHISのサイトを開き、10日間FIXで35000円チケットを見つける。10日間なんぞ旅じゃない。すぶやんにも相談せず、3週間FIXで41000円のチケットをとった。

 出発は2月5日(火)15:15、成田発ノースウエスト18便。
 帰りは2月27日(水)15:55、成田着ノースウエスト17便。

 折り返しすぶやんにメールすると、すぐ電話がかかってきた。
「は、速いですね」
「べらんめえ、とちとら宵越しの時間はもたねえ!」
 もはやインフルエンザはすっ飛び、野性のエルザに返っていた。玄米のお粥とふじこさんの野菜をむさぼり、寒風のなかに飛びだす。2週間ぶりのジョギングのあとは壁打ちテニスで汗を流す。
 ええい、まだまだ。送迎バスで霧降高原の温泉プールへいって泳ぎまくる。水中歩行するおばさんたちを追い越し、ザトウクジラのハミングをプールの壁にこだまさせる。
「クエエー、クエエー、ヒュールルルン」
 100円ショップで売っているクジラのCDを聴いたことがある人はわかると思うが、これを人間がまねするとそうとう怪しい。ときどき背泳ぎになって口から潮を噴くと、おばさんグループはジャグジーへと逃げていってしまった。
 なんという解放感、沸き上がる躍動感、生きる力を即実感。
 オレって根っからの旅人なんだなあ。
 っていうか、病気?

1月25日(金)
マヤ暦7月16日


 今日もつづけて霧降高原にある郵政施設メルモンテの温水プールにきてしまった。
 4回いくと1回が無料になる。2組の家族連れが来ていた。2人と3人の子どもたちは意気投合して暴れまくっている。

 10歳の小学生ひろぴーのママが教えてくれた話を紹介しよう。
 16年前にガンでなくなったお祖母ちゃん(ママのお母さん)が、死ぬ2か月くらい前、急に病院から家に帰りたいとダダをこねた。
 外泊許可をもらい、昼間から広い仏間に寝ていたお祖母ちゃんが突然、まだ結婚もしていない娘(ひろぴーのママ)に言った。
「あんたの子供は、ほんとにめんこい男の子だ。あんたの小さい時にそっくりだ」
 もちろんひろぴーが生まれる6年も前のことだ。
「私にすごくなついて、たくさん遊んだよ」
 お祖母ちゃんは、何回もうれしそうに言った。
 自宅なので鎮痛剤のモルヒネは使われていないのに、おかしなことを言うもんだとひろぴーのママは思った。
 お祖母ちゃんは亡くなり、6年後にひろぴーが生まれた。
 ひろぴーがまだ幼いころ、こんなことを言った。
「ママとそっくりなお祖母ちゃんがふとんにいて、僕はいっしょに遊んだんだ。たたみの広い部屋だったよ」
 ふと、あのときの記憶を思い出し、お祖母ちゃんの写真を見せた。ひろぴーはうれしそうに叫んだ。
「あっ、この人だー!」

 不思議な話だ。
 ひろぴーには生まれる6年前の記憶があったことになる。
 誕生の瞬間や胎内の記憶は膨大なデータが集められているが、ひろぴーの場合は時間を飛び越しちゃってる。
 ううん、どう考えたらいいんだろう。
 デジャヴ? 予知夢? タイムスリップ?
 肉体があってはじめて記憶が宿る。少なくとも脳という記憶装置によって。でもひろぴーはまだ生まれていないときの記憶をもっている。
 たぶん時間は、過去から未来っていう直線の一方通行じゃないんじゃないかな。過去が現在をつくり、現在が未来をつくると、オレたちが教えられてきた機械論もあやしい。
 オレはアマゾンの旅を「アヤワスカ!」って本に書いた。それは現実の旅をオレの主観的な言葉に置き換えたもので、ユパンキやジョゼの立場から見たらぜんぜんちがう物語になっただろう。オレは書くことによって旅を再構築し、自分の記憶を塗り替えてしまっているのだ。
 旅の実感は月日とともにうすれていき、本に記録された記憶の断片がパーセンテージをあげていく。
 確固たる事実と思い込んでる過去さえも、日々書き換えられているんだろう。
 ひろぴーにとっては過去を見たことになる。でもお祖母ちゃんは未来を見たのか?
 たぶん、たぶんだけど、過去も現在も未来も同時に存在してると思う。

 話はプールにもどる。
 ちょっと迷惑だけど、子どもたちは好き勝手に同じプールのなかではしゃぎまくる。
 水面がさまざまな波に揺れ、ぶつかった波頭が白く砕ける。
 過去と未来が出会う一瞬、
 それこそが、オレたちが生きている
  「永遠の今」だ。

1月26日(土)
マヤ暦7月17日

 妹の子どもたちと温泉にいった。
 今日はタケちゃん夫婦に誘われて朝から別の温泉にいったのだが、凛太郎が男湯じゃないとやだというのでオレが呼ばれたのだ。
 土曜日の夕方なのでほとんどの公共浴場は満員だ。そこでトトチョフが50年間働いていたホテル「鶴亀大吉」へいった。オレや妹も小学校のころここに住んだことがある。2年ほどまえに大改築工事をおこない、今では6階建ての近代建築に様変わりしてしまった。
 屋上にある大浴場は大谷川の清流を見下ろせ、山々や街の明かりが見わたせる。ラッキーなことに客は誰もはいっていなかった。またたくまに裸ん坊になったりぼじい(凛太郎)は、歓声をあげて露天風呂に飛び込む。
 ガキのくせに温泉好きとは、生意気な若殿である。
 若殿は両ひじを風呂のふちにかけ、気持ちよさそうに頭をのけぞらせている。その背後から忍び寄る影……
 ぴとっ、若殿のひたいのうえに明太子のようなものがはりついた。
「ちょんまげ」
 オレのチンポだ。
「き、きたねえ!」
 若殿はあわてて「ちょんまげ」をふりはらった。
「はっはっは、戯れでござる。殿、お許しつかまつる」
 せっかくの極楽気分を害された若殿は、内風呂へと逃げていった。
「きたねえから、頭洗わなくちゃ」
 内風呂には鏡と人工降雨機(シャワー)のついた洗い場が10人分ほどあるが、鏡は湯気で曇っている。おまけに殿は備え付けの総髪洗浄糠(シャンプー)がはいらぬよう目をぎゅっと閉じていた。その背後から忍び寄る影……
 ぴちゃっ、若殿の頭上の泡にナマコのようなものが沈んだ。
「ちょんまげ」
「ちょんまげ、やめろ! せっかく頭洗ってんだから、また洗い直さなくちゃなんねえだろっ」
 若殿は携帯多孔噴水(シャワーヘッド)で流したあと、ふたたび総髪洗浄糠を泡立てた。
 オレは内風呂でくつろぎながら鼻歌を歌っている。
「ばばんばばんばんばん、はあ〜、びばのんのん」
 鼻歌が止んだと同時に殺気を感じ取った若殿はさすがである。上半身をひねりめくらめっぽうに手をふりまわす。
「ちょんまげ、やめろ。このアボラディン!」
 いくらひげを生やし、タオルをターバンのように巻いているとはいえあまりの暴言。
「殿、あのような外道の刺客と拙者をいっしょにするとは許せませんぞ」
 若殿の小さな頭をわしづかみにすると、オレは小刻みに腰を旋回させた。
「くらえ、はあ〜、びばのんのん!」
 総髪洗浄糠で目の開けられない若殿のほほを生イカのようなものが往復びんたする。
「びばのんのん! びばのんのん!」
「びばのんのんやめろ!」
 若殿はみごとにオレのびばのんのんをつかみ、ひねりあげる。恐るべき盲殺法(差別用語か)。
「痛っ! ご、ご勘弁を」
 オレは若殿の横に腰かけて縄式多ちょんまげ(ドレッドヘアー)を洗浄することにした。
「あぼじい、イスどかして」
 若殿のやることはわかっていた。オレは床にあぐらをかき、若殿の股間が届くように頭をのけ反らせてやった。
「ちょんまげ」
 案の定、モスラの幼虫のごとき「プチちょんまげ」がオレの頭にのっていた。大げさに驚いたふりをして、モスラの幼虫を思いっきり人さし指ではじいた。若殿は股間を押さえて、飛び跳ねている。
 今から10年後、この「プチちょんまげ」がどんな暴れん棒になるのか。

1月27日(日)
マヤ暦7月18日


 オレが敬愛する環境ジャーナリスト枝廣淳子さんはいつも元気だ。
 世界的視野に立った環境問題の生き生きした情報を「enviro-news」という無料のメールマガジンで毎日のように届けてくれる(これ必読。ぜひ無料メルマガを登録してほしい)。枝廣さんの素敵なところは、悲観的に語られることが多い環境問題に新しい希望を与えてくれる。
 枝廣さんの書いた「朝2時起きで、なんでもできる!」(サンマーク出版、1300円)を読んで驚いた。彼女は夫のアメリカ転勤を機に30歳で英語をはじめたのだ。たった3年のアメリカ滞在で英語をマスターし、通訳の資格を取る。環境問題の第一人者レスター・ブラウン氏の通訳を務め、現在もっとも先端的な情報を発信する環境ジャーナリストである。
 今日枝廣さんからとどいたメルマガのテーマは「風力発電」だった。レスター・ブラウン氏の文章を翻訳したものだ。ちょっと長いけど抜粋させてもらう。

 暫定データによると、世界の風力総発電容量は、2000年の17,800メガワットから、2001年には23,300メガワットに増大した。一年間に5,500メガワット、31%もの増加である。風力発電コストが下がりつづけ、一般の人々の気候変動への関心が大きくなっている今、発電源としての風力に熱い注目が集まっている。
 1995年以来、世界の風力総発電容量は487%という驚くべき率で増えている。ほぼ5倍になったのである。同じ時期に、もっとも使われている発電用燃料である
石炭の消費量は9%減少している。
 1メガワットの風力発電容量があれば、先進国であれば350軒分、約1000人分の電力需要を満たすことができる。したがって、現在設置されている23,300メガワットの発電容量は、約2300万人分の家庭での電力需要を十分に満たすことになる。
 これは、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの人口をあわせ
た規模である。
 風力発電容量で比べると、トップは、8000メガワット、全体の3分の1近くを有するドイツである。1980年代初めにカリフォルニアに近代的な風力発電業界を立ち上げた米国が、4150メガワットで第2位。第3位は、スペインの3300メガワットであり、いまや電力の18%を風力から得ているデンマークが、2500メガワットで第4位だ。
 2001年に増加した発電容量の3分の2は、上位3ヶ国に集中している。ドイツでは1890メガワット増えており、米国は1600メガワット、スペインが1065メガワットの増加である。米国の数字を見ると、2001年に風力発電容量が約63%も増大したことになる。

 このリリース文は今月届いたので、2001年分の数字は確定前の「暫定」ですが、大きく変わることはないでしょう。7ヶ月ほどまえ、2001年の5月に、このようなニュースクリップがありました。
 世界の風力発電が2千万kW台と新設の原発を上回る?! (2001.5.18)
 米国の風力エネルギー協会の発表によると、世界各地で大型の風力発電所の建設
が続き、今年末の世界の風力総発電容量は、日本の原子力発電発電所約20基分
に相当する、2千万kWを突破する見通しとのこと。
このときの見通しをさらに上回る勢いで、風力発電が伸びていることがわかりますね!
 このような自然エネルギー関係のニュースを読んでいると、なかなか「日本」の
名前が出てこなくて、いつも残念に思っています。風力もそうです。その日本でも、動きが出てきました。
 「風力発電関連企業45社が「日本風力発電協会」を設立、普及の促進を図る」そうです。風車メーカー・販売会社、販売代理店、建設会社、電気工事会社など、風力関連企業が、国や自治体へのロビー活動、情報の共有、広報活動を中心に活動するとのこと。

 これを読んでいて、ふと思った。
 小学生が工作でつくるペットボトルの風車があるじゃない。
 あれを電池の充電に使えないものかと。
 科学手品ブームのなか、「充電式ペットボトル風車」は子どもたちの創作意欲をかき立てる。
 悪者あつかいされるペットボトルが風という友だちと遊ぶことによって、正義の味方に変身。
 畑の雀を追い払うこともできなかったり、玄関の飾りでしかなかったペットボトル風車は、テレビのリモコンや目覚まし時計の電池に自然エネルギーを送電する。
 お母さんは我が子にこう言います。
「あんたがつくってくれたフウシャのおかげで、コンタクトが洗えるわ(洗浄器の電池)。ありがとう」
 オレは電気関係からっきしわからないので、10歳のドクターひろぴーにお願いしようかな。
 「充電式ペットボトル風車」を発明してくれ。
 この「充電キット」が発明されたあかつきには、全国の小学生が環境問題に目覚めるだろう。
 悪者を正義の味方に変身させる「世紀の大発明」を成し遂げられるのは、ドクターひろぴーしかいないぞ。

1月28日(月)
マヤ暦7月19日


 佐川さんから英語のファックスがどどっと送られてきた。
 ちょうどオレは、コリン・ウイルソンが書いた「シュタイナー」を読んでいたときなので、「コリン」という自筆の署名に驚いた。しかしコリン・ウイルソンにケンカ売るなんて佐川さんくらいしかできねえよな。
「金髪の獣へ」ではじまる反戦のメッセージだ。「白人こそ世界悪の根源」と断罪する。
 コリン・ウイルソンの返事がおもしろい。
「今、犬の散歩から帰ってきたので、へとへとに疲れてます。まずはゆり椅子でワインをすすってから」
 そんなときにいきなり「アフガン空爆も広島長崎の原爆も人種差別が原因だ」と責められるウイルソンもかわいそうだが、あまりに保守的だ。
 「ブッシュ大統領はタリバンを倒すために立派な仕事をした」とか、「わたしもヒロシマを訪れましたが、原爆は人の住んでいない森に落とすべきだったと思います」など、彼ほどの知識人が無知なことを言っている。
 佐川さんが「911はCIAのやらせだ」と言うと、ウイルソンはもうお手上げ状態だ。
 まあこの入れ知恵したのはオレなんで責任も感じる。
 確認の取りようがないんで、あまりおおやけには言わなかったが、「影の政府」の陰謀の臭いは嗅ぎつけていた。
 フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)が、驚くべき証拠をメールしてくれたので、転載させてもらう。(さまざまな証拠資料が確認できる田中さんのホームページへ飛ぶ方はこちらをクリック

テロをわざと防がなかった大統領
2002年1月24日  田中 宇

 アメリカの首都ワシントンの郊外にフォールズチャーチ(Falls Church, Va)という町がある。ここは、ワシントンの連邦政府やその傘下の組織に勤めている人が多い閑静な住宅街で、昨年9月11日のテロ事件の後、ほとんどの家のベランダや庭に、愛国心の象徴である国旗が掲げられるようになった。
 そんな愛国的な雰囲気のフォールズチャーチには、アメリカを愛していないと思われる人々も住んでいた。この町には、911のテロ事件の容疑者のうち4人が以前に住んでいたと思われるアパートがある。リーズバーク・パイク通り5913番地(5913 Leesburg Pike)という住所である。
 ハイジャック事件の容疑者たちがこの住所に住んでいたことは、事件6日後の昨年9月17日にFBIが金融機関など各方面に送った捜査協力要請文に添付された容疑者リスト(22人分)に出ている。(pdf版)
 ところがどうもおかしいのは、FBIがその3日前の9月14日にマスコミに発表した容疑者リスト(19人分)には、この住所が出ていないことである。
 リストに出てくるハニ・ハンジュルという人物などは、9月17日付けの発表では「バージニア州フォールズチャーチ市リーズバーク・パイク通り5913番地」に住んでいたことになっているが、9月14日付けの発表では「アリゾナ州フェニックスか、またはカリフォルニア州サンディエゴ」に住んでいたことになっている。
 以前の記事「テロリストの肖像」でも指摘したが、FBIは911の事件捜査に関して、非常に雑な発表しかしていない。誰が911事件を起こしたか調べ上げることは、アメリカにとって最も重要なことであるはずなのに、である。
▼FBIの捜査に圧力がかけられた
 この疑問を解くカギとなりそうな報道が昨年11月6日に行われていた。イギリスBBCテレビの「ニュースナイト」という番組で、この日のテーマは「FBIの捜査には圧力がかけられていたのか?」というものだった。番組のスクリプトをネット上で見ることができる。
 それによると、4人のハイジャック容疑者が住んでいたリーズバーク・パイク通り5913番地のすぐ近く、同じ通りの5613番地に「世界イスラム青年会議」(WAMY)の事務所があった。WAMYはサウジアラビアの首都リヤドに本部を置くイスラム教徒の若者のための国際的な親睦団体で、若者向けの文化活動や慈善事業を世界的な規模で行っている。そしてWAMYのトップをつとめていたのは、オサマ・ビンラディンの弟であるアブドラ・ビンラディンという人で、アブドラと別のもう一人の弟(オマル・ビンラディン)も、その近くに住んでいた。
(アブドラは1994年にハーバード大学の法学大学院を卒業した。9月11日の直後まで、ビンラディン一族の一部はハーバード大学の近くの高級コンドミニアムに住んでおり、一族はハーバードにおけるイスラム法とイスラム建築の研究のために200万ドルを寄付していた。911の後、ハーバード大学がある地元のケンブリッジ市は大学に対し、ビンラディン一族からもらった寄付をそっくりそのまま911の被害者のために寄付せよと要求したが、大学側は断った)
 BBCによると、FBIは911事件が起きるずっと前の1996年ごろから、WAMYがテロリストを支援している可能性があるとして、WAMYとアブドラ・ビンラディンについて調べを進めていた。ところが捜査の結果が出る前に、アメリカ政府の上層部からFBIに対して横槍が入り、捜査は途中で打ち切られてしまった。
 その後も911事件の発生を経て現在にいたるまで、このことに関する捜査は再開されていない。WAMYに対しては、すでにパキスタン政府では911の後に活動が禁止されているし、インドの当局はWAMYがカシミールの爆弾テロ事件に関与したイスラム組織に対して資金提供したと指摘している。フィリピンの軍も、WAMYがイスラム反政府勢力に資金援助していると非難している。いずれもテロ戦争の「現場」の国々である。
 ところがアメリカの当局は、WAMYの資産を凍結する措置をとっていない。米当局は、少しでもテロに関与していると思われる他のイスラム組織に対しては、可能性が薄い団体に対しても容赦なく資産凍結をしている。
 BBCが米当局に対し、なぜWAMYに対して何の措置もとらないのか尋ねたところ、その返事は「彼らは慈善事業の団体だから」ということだった。
▼ブッシュ一族とビンラディン一族
 なぜFBIがWAMYに対する捜査を打ち切らされ、アメリカだけがWAMYの活動を制限しないだろうか。その理由についてBBCの番組は、ブッシュ大統領とその父親(元大統領)が、WAMYを運営するビンラディン一族とビジネス上で密接なつながりがあるためではないか、と指摘している。
 ビンラディン一族とブッシュ一族とのつながりとして指摘されているものに「カーライル」がある。カーライルはワシントンDCに本社を置く、アメリカの軍事産業に投資することを主な事業とする金融会社で、1987年に設立された比較的新しい企業であるにもかかわらず、すでに軍事産業を統括する企業としてアメリカで最大級のものになっている。
 カーライルの会長はブッシュ政権の国防長官だったフランク・カールーチであるほか、上級相談役には同政権の国務長官だったジェームス・ベーカーが就いている。ブッシュ元大統領自身はアジア向け投資の担当相談役をしているほか、レーガン政権からはワインバーガー国防長官、そしてイギリスからはメージャー元首相が同社の上層部に名を連ねている。(日本語の関連記事)
 ビンラディン一族は、カーライルのファンドに投資している顧客である。判明している投資額は200万ドル(2億円強)と、世界最大級の金持ち一族にしてはかなり小さい額だが、昨年9月下旬、この問題に対して批判したウォールストリート・ジャーナルの記事は、把握されていない部分でもっと大きな額を投資しているはずだとみている。
 ウォールストリート・ジャーナルはブッシュ、レーガンらを輩出した米共和党寄りの右派系新聞である。そこが「共和党重鎮たちの会社がビンラディン家を国防産業への投資で儲けさせている」という批判記事を出したということは、共和党内でもこの問題への批判がかなり出たのだろう。ブッシュ大統領は「テロリストを支援する者は、テロリストと同罪だ」と言っているが、実はブッシュ一族自身がテロ支援者だったのではないか、という疑惑である。
 そのためか、ビンラディン家は昨年10月、カーライルに投資していた200万ドルを引きあげると発表している。だが、200万ドルが氷山の一角にすぎないのであれば、これは世論を静めるための表向きの動きにすぎない。
 ビンラディン一族は、サウジアラビア最大の建設会社「サウジ・ビンラディングループ」などの企業群を持つ大資産家で、サウジ王室とも密接な関係にある。911テロ事件の「黒幕」とされるオサマ・ビンラディンはこの一族の人間だが、ビンラディン家は1994年にオサマを一族から追放したと発表している。
 しかし、オサマとは違って「良い息子」の一人として扱われてきた弟のアブドラ・ビンラディンがテロ関連組織と疑われているWAMYのトップをつとめ、WAMYのアメリカ事務所のすぐ近くに住んでいたサウジアラビア人の若者たちが911のテロ実行犯の中に入っている。BBCの番組や、その後報じられたイギリスのガーディアンの記事などは、オサマ以外のビンラディン一族やサウジ王室のメンバーが国際テロ組織を支援している可能性が高いことを指摘している。
 このガーディアンの記事によると、パキスタンの核兵器もサウジアラビアからの支援を受けて作られた可能性があるが、FBIはそれらの捜査を上からの命令で打ち切らされている。BBCは、1996年に打ち切られたアブドラ・ビンラディンに対する捜査に関してFBIが作った機密文書を入手し、それをもとにニュースナイトの暴露番組を作っている。FBIの中には、政治的な理由で捜査が打ち切られたことに対して怒っている人々がおり、それがBBCに情報を提供したと思われる。
 アメリカのマスコミには911後、政治的な圧力がかかっているので情報提供しても報道してもらえないため、イギリスのBBCに情報が持ち込まれたのだろう。この問題でBBCにコメントし、ガーディアンの記事を書いたイギリスのジャーナリスト、グレゴリー・パラストは、30年前には調査報道などで高く評価されていたアメリカのマスコミが、今では政府や大企業に嫌われることが全く書けなくなってしまった、とインタビューの中で嘆いている。
▼抗議して辞めたFBI幹部、無念の死
 パラストのような調査報道ジャーナリストたちに対して、911以降のアメリカでは「陰謀論者」というレッテルが貼られがちである。しかし、ネット上の記事をいろいろ調べていくと「サウジアラビア系の国際テロに対するFBIの捜査を、ブッシュ政権の最上層部が止めていた」ということは、ほぼ事実であるように思える。
 昨年11月にフランスのジャーナリスト2人が書いた本「ビンラディン:禁じられた真実」(Ben Laden: La Verite Interdite)によると、ブッシュ政権は911まで、トルクメニスタンからアフガニスタンを通ってパキスタンに抜ける天然ガスパイプラインを建設することなどを目的として、タリバンと交渉してアフガニスタンに連立政権を作らせようとしていた。
 そのため、アメリカがタリバンと交渉している間は、FBIがオサマ・ビンラディンやアルカイダに対する捜査を進めないようにさせていた。FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールは、この措置に抗議して、昨年7月に責任者の座を自ら降りた。
 2000年10月にイエメンで起きた米軍の駆逐艦に対するテロ事件を捜査するため、オニールらFBI捜査官がイエメンに行って調べていたところ、2001年7月に米国務省から「イエメンとの友好関係にひびが入るのでもうイエメンに来るな」と命じられた。オニールはその2カ月後、9月11日に死亡した。FBIのテロ捜査事務所がニューヨークの世界貿易センタービルにあったからだった。(関連記事)
 また、マイク・ルパートというアメリカのジャーナリストが各種の報道記事を調べたところによると、2001年6月にはドイツの情報機関BNDが911のテロを察知して米当局に通告し、9月の事件発生直前には、イランとロシアの情報機関などが米当局に対して警告を発している。ケイマン諸島では、ラジオ局のリスナー参加型の生放送番組に911の発生を警告する電話がかかってきて放送されたりした。これらの警告を、アメリカ政府の最上層部はすべて無視したのだった。

1月29日(火)
マヤ暦7月20日


 玄米に変えてからわずか一週間で、1キロ体重が減った。
 このペースでいくと、一カ月で四キロ、
 一年で48キロ、
 来年の6月ごろには消えてしまうじゃないか。
 いや、空を飛べるようになってるかも?

1月30日(水)
マヤ暦7月21日

 なんだかんだ、あわただしく旅の準備を進めている。
 渡米まえに仕上げようと、「天の邪鬼主義2」をまとめ、明日あたりには田口ランディーさんとの対談のゲラがとどく。
 半蔵(半師匠)がわざわざ東京から来て、モバイルに渡米用の設定をしてくれる。ありがたや、ありがたや。
 明日はLANカードとデジカメの充電池を買いにいく。まだまだ細かいものが必要となりそうだ。
 まっ、そういうことを考えるのがけっこう楽しみではあるが。
 やっぱ、旅は「祭り」だな。

1月31日(木)
マヤ暦7月22日


 今日を最後に天の邪鬼主義日記をやめるつもりだ。
 4月のなか頃からはじめて約300日にもおよぶマラソン。よくぞここまでやりとげたと自分を褒めてやりたい気分だ。
 この10カ月、日記がオレの生活の中心を占めた。
「今日はなにをみんなに伝えよう?」
「今、オレが伝えたいものは何なのか?」
 毎日、毎日、考えつづけてきたんだ。
 激変する世界で、あふれる情報に惑わされないよう、自分の立っている大地から、生活から、「根」のような言葉を掘り起こした。
 日記というよりもエッセイ、いや、オレなりのメッセージを発信しつづけてきたつもりだ。
 日常の悩みから戦争、未来への展望まで、みんなといっしょに考え、メールや掲示板をとおしてさまざまな意見や励ましをもらった。
 アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そして日本の各地、いろんなところからまだ見ぬ人々が毎日遊びに来てくれる。
 akiramaniaというこの世のどこにもないバーチャルスペース(仮想空間)なのに、心を通じ合う出会いがあり、オフ会やライブで生身の交流もしてきた。
 気がつけば、たくさんの友だちができた。
 せっかくつながった回路を断ち切りたくはない。
 そこで、肩の力を抜きます。
 今までみたいな使命感(プレッシャー)を捨てて、楽にいきます。
 手抜きで何日も休むことはあるでしょう。
 でも書きたいときには書く。
 そんな感じで許してください。
 NY滞在中も、雑誌に書くネタがかぶるので基本的には冬休み。
 それでもちょこっとづつ書きます。
 だってみんなとつながっていたいもん。

号外

★ 911の裏情報。田中 宇氏のテロをわざと防がなかった大統領
★ アフガン復興にむけての中村医師のヴィジョン
★ マスコミが報道しないアフガニスタンの実情
★ 
反戦サイト
★ 伊藤竜太さんとの対談



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