11月1日(木)
マヤ暦4月15日満月

 新しいテレビを買ったその日に、テレビ局から出演依頼があった。
 著名なコメディアンが司会するバラエティー番組で、「血液書道」をやってくれという。
 べつにテレビに出るのはいやじゃない。まえにフジテレビがやっていた「よいこっち」に二度ほど出ているし、とうじ魔とうじさんやスメリーやハイレグジーザスなど、たくさんの友人を紹介した。MXテレビは毎回オレの個展を特集してくれたし、とても良心的だ。
 本の宣伝のためにも出ようかなと思ったが、苦い経験を思い出した。
 二年ほど前、吉本興業の番組から出演依頼があったときのことだ。吉本が出していた「まひ」という雑誌にオレの作品が紹介されたり、「偽アンディーウォーホル展」にもりまんがゲスト出演してくれたりしてくれていたので、恩返しと思ってOKした。
 打ち合わせのために二度ほどテレビ局に出向き、いざ本番という前々日に電話がかかってきた。
「大変もうしわけありません。弁護士に問いあわせたところ、自分で自分の血を抜くという行為は違法だということで、スポンサーからストップがかかりました」
 血液書道というのは、オレが注射器を自分の腕に刺して血を抜く。十五年も前だが、ニューヨークで麻薬の売人をやっていたオレは一日三回欠かさずにヘロインを打ちつづけていたので血管をはずすことはない。
 抜いた血をそのまま注射器で書道するが、行為自体がエグイので必ず笑いをいれるようにしている。
 たとえば、口にふくんだ水を色紙(しきし)に噴きかけ、「努力」という文字を書く。文字が水でにじむので、これを「血のにじむような努力」と読ませる。
 ベルリンのパフォーマンスフェスティバルでは「BAD」(風呂)と書いた。オレが「血の風呂と読みます」と言うと、バカ受けした。ドイツ語の表現で「血の風呂」は「大量虐殺」を意味するからだ。
 今回もおそらくスポンサーからストップがかかると思うが、もし出演することになったらこの文字を書こうと思う。
 二枚の色紙に「兄」と「弟」と書く。
 さあ、これでなんて読む?
 アメリカ人も、アフガニスタン人も、日本人も、牛や豚やニワトリも、
 みんな同じ赤い血が流れている。
 オレの体に流れる血が二枚の色紙に分けられた。

 これを「血を分けた兄弟」と読む。

11月2日(金)
マヤ暦4月16日


 きのう素樹文生の「ゆるゆる日記」読んでるときに、本人から電話がかかってきた。バンドの相棒タケちゃんから電話で「ADSLいれたんですけど、プロバイダーの解約の仕方がわからないんです。半田さんはいつ帰ってくるんですか?」と訊かれたすぐあとに、半師匠から電話があった。イエローページでタケちゃんの職場の電話番号を探そうとして、てきとうに開いた最初のページに出てたりしてね。
 こまかいシンクロは日常茶飯事になってきた。
 シンクロっていうのは、ちょっとありえない「偶然の一致」をさす。
 一九五〇年にユングは「シンクロニシティー(共時性)について」という短い論文を書いた。シンクロについて言及した先人は、ヒポクラテス、パラケルスス、ケプラーなどいろいろいるし、先住民のあいだでは常識だったが、やはりユングの功績は大きい。
 ユングはシンクロを「意味のある偶然の一致」と定義した。「意味のある」って言うところが重要だ。先住民たちはそれを「前兆」、「お告げ」、「導き」と呼んで、慎重に耳を傾けていた。
 現代で言えば、「胸騒ぎ」、「やな予感」、「直感」っていう感じかな。
 有名な例では、一九五〇年アメリカのネブラスカ州の小さな教会の爆発事故である。十五人の聖歌隊は毎週水曜日の夜七時から合唱の練習に集まっていた。
 三月一日の夜、聖歌隊のメンバーは、車のエンジンがかからなかったり、宿題が終わらなかったり、服についた油の染みを見つけて着替えに帰ったり、アイロンがけが長引いたり、母親に起こされても眠ってしまったり、それぞれ別な理由でおく
れた。
 七時二十五分、教会は地下から漏れていた天然ガスで吹き飛んだ。
 死傷者はひとりもいなかった。全員が遅刻したからだ。確率計算すると、このような奇跡は、限りなく〇に近いそうだ。
 なんらかの意志が働いている。
 べつに教会だから「神の意志」が働いているわけじゃなく、オレたちの日常にも「なんらかの意志」はいつも働いているのだろう。
 「イモ洗い猿」の話はみんな知っているだろうが、いちおう説明する。
 九州の幸島でサツマイモを猿に与えたところ、土や砂まみれのサツマイモを食おうともしなかった。
 ある日、猿のアインシュタインがあらわれた。
 十八ヶ月のメス猿「イモ」は海水でサツマイモを洗って食べたのだ。
 土や砂もきれいに洗えるし、美味しい塩味までつく。頭の柔らかい若者たちに流行は広まり、親の世代までマネするようになった。
 幸島の猿が百匹目(実際の頭数ではない)を超えた瞬間、とんでもないことが起こった。大分県の高崎山やほかの島にいた猿たちが同じ行動をはじめたのだ。
 猿たちにはテレビもラジオもインターネットもない。
 「なんらかの意志」、「目に見えないインナーネット」が存在してるのだろうか?
 アマゾンのシャーマンは「蜘蛛の巣」みたいな情報網を人はもっていたという。オレたちには、テレパシーというインターネットを使って自由にアクセスしていた時代があったのだろう。
 シンクロを「意味のない偶然の一致」と片づけるほど、オレたちは「退化」してしまっている。

 アルジャジーラ・テレビ局にビンラディンのファックスが届いた。
 「イスラム教徒とキリスト教徒の戦いに参加せよ」というメッセージだった。パキスタンのイスラム教徒に戦闘に参加せよという呼びかけだ。戦争がはじまるまえ、去年三十万人が死んだ。いまも七百五十万人が飢えている。ユニセフの支援物資は食べることもできない黒板を塗るペンキや文房具が中心だ。
 クラスターというロケット型の地雷をばらまく爆弾をアメリカ軍は投下している。すでに100000000個の地雷がある飢餓大国にだ。二百メートル四方へ飛び散るこの爆弾は、オモチャだと思って拾い上げる子どもをひき肉にする。湾岸戦争で十万人以上が犠牲になっているという。
 アメリカでも郵便というネットワークをつうじて炭疽菌がばらまかれている。

 シンクロという目に見えないネットワークは、いいことも悪いことも伝わる。もしオレたちが憎しみを発信すれば、世界は憎しみでおおわれるだろう。しかし憎しみという土や砂を涙で洗い、慈愛というサツマイモを美味しく食べることを発見すれば、シンクロは広がっていく。
 生きていること、それが戦争だ。
 「殺したいやつ」、「消えてくれればいいやつ」、「ぶっ壊したい社会」、いろいろあるよね。
 平和な日本で、人間関係に悩んだり、失恋したり、リストラされたり、再就職先をさがしたりする。
 この戦争ではじめて思い知らされた。
 自分が生きている範囲でせいいっぱい家族を、友人を、同僚を、愛せばいい。  声を大にして反戦を叫ばなくても、アドレス全員にメールを送らなくても、平和デモや講演会に行かなくても、募金しなくてもいい。
 となりにいる親、兄弟、友だち、「敵」を理解することからはじめよう。
 「思え」ばいい。
 ジョン・レノンが「イマジン」で歌ったように、想像すればいい。
 「祈り」という大げさな行為もいらない。
 無言で、敵対する同僚、わかってくれない上司に語りかけよう。
 そのときには「自分をわかってくれ」という表面的なメッセージじゃなく、敵対する「あなたを理解したい」という根源的なメッセージを送ろう。
 君は「百匹目の猿」だ。
 使い古された「平和」じゃなく、人類の「意識の進化」を願った瞬間、
 世界は臨界点に達し、
 変わるかもしれない。

11月3日(土)
マヤ暦4月17日

 昨晩佐川一政さんから電話があった。
「いろいろなことがあって、もうだめです。日光にいってもいいですか?」
 きょう佐川さんは朝四時に起きて浅草までタクシーを飛ばし、午前八時に日光に到着した。駅に迎えにいったオレは、ベンチから立ち上がる小さな体を抱きしめる。
「ようこそ」
 オレの数少ない親友のなかで、唯一の殺人者だ。

 佐川さんは一九四九年、母親が妊娠中に階段から転落し、未熟児として生まれる。成人してからも百五十三センチの小柄な体は、たくましい白人女性への憧れをつのらせた。
 八一年、パリにあるソルボンヌの大学院で比較文学を研究していた佐川さんは、世界を震撼させる事件を起こす。
 オランダ人女性ルネをピストルで撃ち殺し、体の肉を切りとって食べたのだ。
 八三年、「心神喪失状態」だったという理由で起訴が取り下げられ、サンテ刑務所からアンリ・コラン精神病院へと移される。のち世田谷の松沢精神病院に送られ、一九八五年に退院する。
 獄中で書いた小説「霧の中」が二十万部のベストセラーとなり、吉本隆明氏、中上健二氏などから激賞される。

 佐川さんの来日(日光)は、これで三度目だ。
 佐川さんが憧れる美女たちのデッサンを見せてもらった。グレース・ケリー、オードリ・ヘップバーンから藤原紀香まで、四十枚もの大作だ。しかもデッサンには一番むかないシャープペンシルで描かれている。
 純粋に作品そのものに感動した。稚拙さなどを通り越し、切ないくらいの愛情が伝わってくる。

 霧降高原にある温泉で露天風呂につかった。
 陽に当たらない真っ白な佐川さんの肌を、落葉をはじめた木々がやわらかい色彩でつつむ。
 佐川さんは無言のまま、真っ裸で森を見つめていた。

 友人のレストランへいった。糖尿病に苦しむ五十二歳の佐川さんは、肉を食べることができない。医師から止められているワインで乾杯した。
「今夜は特別だし、これで死んでもいいんです」
 あらゆる友人とケンカ別れし、残っている理解者は漫画家の根本敬さんとオレだけだという。連載がほとんど打ち切りになり、出版社に持ち込んだ原稿がことごとく拒絶される。佐川さんを無罪にしたフランスの判事が最近ワイロ事件で逮捕され、マスコミの電話攻撃がくる。九十歳をすぎボケはじまった父親が、「毎晩夕食に来るはずの息子が来ない!」と警察に電話をかけ大騒動になった。
「もう、ほとほと疲れましたよ」
 佐川さんはどんな年下の者にも敬語を使う。もし君が直接本人に会ったら、マスコミが報道する「殺人鬼」のイメージとは対照的に、おだやかな物腰と繊細な思いやりに驚くだろう。
「どうしてこんなにまでして生きていなくちゃならないんでしょう? しかも無垢の人を殺めた僕には生きる資格なんかないんですよ」
 少しほほがこけ、憔悴しているようすがわかる。「アメリカの空爆にしても、テロにしても、殺人はどう弁護しても悪いことでしょう?」
「ただ……資格はないが、義務があります」オレは言う。
「どういうことですか?」佐川さんは身を乗り出す。
「生意気に聞えるかもしれませんが聞いてください。佐川さんはルネがなにかを創り出す可能性を奪いました。だから自分とルネの分まで二人分の可能性を背負っているわけです。事件のことは『霧の中』で書ききりました。でも事件後の二十年間、佐川さんがくぐってきたさらなる孤独を描ききった作品はまだ創られていません。残酷な言い方ですが、それを書き終わるまで、生きる義務があると思います」
 長い沈黙が流れた。
 疲れ果てた佐川さんの目に一瞬、恐ろしい閃光が走ったような気がした。それは殺人者が獲物を狙う目、創作者が啓示を受けたときにわななく光だ。
「わかりました。すべてをつぎ込んだ手記を書き終えてから、命を絶ちます」

佐川さんとはじめて出会ったときの対談

11月4日(日)
マヤ暦4月18日


 不眠症に悩まされる佐川さんが、朝の八時過ぎまでぐっすりと眠った。
 ホテルや他人のうちに泊まると寝つけない佐川さんが、なぜか日光ではよく眠れるという。昨夜はレストランから帰ったあとも夜中までさまざまなことを語り合い、ここに書ききれる量ではないので、佐川さんがこれから書く「最後の作品」をまつしかない

 「殺人者を擁護するのですか」といわれるかもしれないが、オレは書く。
 佐川さんが好きだ。
 真っ直ぐで、不器用で、甘えん坊で、うまく生きられない。見下され、迫害され、誤解され、ちょっとした短気で友人をすぐ失ってしまう。
 まあオレとしては、決別していった友人たちの気持ちもわかる。
 それでもオレは、佐川さんが好きだ。
 もちろん自分自身をふくめて、どんな人間もいいところばかりではないし、俗で、醜い、残酷な、一面をもっている。逆に、どんな極悪な犯罪者も美しい心の一面をもっている。
「サンテ刑務所でイタリア人のテロリストが、もぞもぞとこぶしをさしだしたんです。手の平を開くと切手が何枚かありました。僕がとまどっていると、これでお母さんに手紙を出せって言ってくれたんです」
 オレの部屋に敷いてあるひとつのふとんで昼寝をしながら、佐川さんはつぶやく。
「正しいことって、あるんですかねえ?」

佐川さんとはじめて出会ったときの対談

11月5日(月)
マヤ暦4月19日


 「あなたは死者の視点でものを見ている」と言われたことがある。
 金や地位や名誉で人を評価する世間とは反対に、オレは「孤独の尺度」で人を評価する傾向がある。
 落ちこぼれ、登校拒否、不良、いじめられっ子、ヤリマン、シャーマン、アーティスト、先住民、老人、病人、女、子ども、麻薬中毒者、犯罪者、変態、同性愛者、障害者、精神異常者、どれも「孤独度」が高い優等生だ。
 モテモテで、エリートコースまっしぐらの政治家などは劣等生の代表だろう。
「ほおう、今回の孤独度中間試験では三十八点だったねえ。まあまあじゃないか、期末では六十点をめざしなさい」
 君が失恋したり、受験に失敗したり、人間関係で苦しんだり、落ち込んだりしてるとき、「孤独度」は高い。
 クールなブルーに輝いてるぜ!
 もちろん引きこもりや厭世主義を勧めてるわけじゃないが、世間からよってたかって排斥される人々を讚える物差しが一本くらいあってもいいと思う。

 佐川さんからファックスが届いた。

 今回は本当に本当にありがとうございました。
 帰りの列車の窓からみえた澄みわたった青空に、至高体験(ピーク・エクスペリエンス)を実感しました。コリン・ウィルソンの言っていた――娘さんを一時見失い、そして再度見つけた折りに味わった――あの感覚です。ノルウェーの馬ゾリでの恍惚感も、やはり苦しいほどの西洋女性への憧憬が達せられた瞬間だったのですね。
 本物の幸福は、苦しみ抜かれた結果であると、今回の地獄の果てに感得致しました。
 昨晩のことは生涯忘れません。もちろんAKIRAさんの深い友情も。
                          佐川一政

11月6日(火)
マヤ暦4月20日

 いやあ、電磁波って恐いんだね。
 オレの知り合いが携帯電話の電波測定の仕事を一年間した。毎日五時間以上、ほとんど携帯を左耳にあてていたら、そっち側だけ白髪ができてしまった。まだ二十代なのに。医者に聞いたら「おそらく電磁波の影響だろう」って。
 おとといの世界保健機関(WHO)の発表によれば、一般の家電製品などから出るレベルの〇.四マイクロテスラ以上を居住環境で受ける子供たちは、小児白血病の発症が二倍になるという。
 国際がん研究機関(IARC)が定める「発ガン」ランクは五段階ある。電磁波は、「発がん性あり」「可能性が高い」につづく三番目の「可能性あり」と公式発表された。
 国立環境研究所(茨城県つくば市)によると、ガン抑制作用を持つホルモン「メラトニン」が磁界によって働きを阻害されるという。
 電動車イスの事故が急増していて、昨年十九人が死亡した。なかでも携帯電話の電磁波で誤作動し、暴走するケースが相次いでいる。
 両国国技館の近くにできるNTTドコモの通信用タワーに住民が九千人の署名を集め反対している。基地局は全国で約四万三千カ所あり、ほかにPHS用が約七十一万六千カ所ある。反対運動は全国で五十カ所以上にのぼるという。
 心臓ペースメーカーへ携帯を十五センチ以内の距離に近づけてはいけないというのは有名な話だが、携帯もアンテナを伸ばせば電磁波吸収量が七割減るんだって。

 人間の体も電気で動いている。
 「そんなあ、ロボットじゃないんだから」と思われるかもしれないが
電気生理学のめざましい発達でわかってきた事実だ。
 女性は月に一度の排卵日に電位が上がり、抹消血管を活性化させる。
 細胞は内側と外側にある電位差によって情報を伝達する。たった一個の受精卵から十億もの細胞に成長する電磁場をオレたちはもっていて、電磁場が乱れれば病気になり、電磁場を整えれば治癒にむかう。百四十億のニューロンネットワークは微弱な電流によって人間を制御する。
 人間を人間としてあらしめている見えない力、神は電気によって語りかけてくる。いわば「神様の携帯電話」だ。
 もちろん人間だけじゃない。
 一本のカエデの木に電圧計をとりつけ、二十年間にわたって調査したところ、太陽の周期、月の周期、十一年ごとの黒点活動の周期を正確に反映していたという。  渡り鳥や伝書バトの帰巣本能、何百キロはなれたところから帰ってくる犬や猫の美談、マムシのハイテクセンサー、イルカやクジラの超音波通信、ナマズの地震予知、動物は電磁場や超音波や赤外線などの微細な変化を感じ取る。
 人間は、狩猟時代にもっていたそれらの能力をテクノロジーと引き換えに失った。
 古代人にとってテレパシーとは、ごくあたりまえな携帯電話だったのかもしれない。

11月7日(水)
マヤ暦4月21日

 はい、クイズ。
 これはなんでしょう?

 もう十年以上まえのことだけど、BBSテレビが大掛かりな実験をおこなった。
 ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカなど、世界中でこの映像を見た人々は「無意味な抽象模様」として、正解者はほとんどいなかった。
 つぎにイギリス国内のみ、正解の映像を見せる。
 その直後、正解を見ていない世界の人々に正解者が激増した。
 百匹目の猿だ。
 正解をイギリス人が見たことにより、テレパシーで世界の人々に正解が伝わったのだ。
 それでは、正解!
 もうこの映像を見たら、正解以外のなにものにも見えなくなってしまう自分に驚くだろう?
 「目でものを見る」のじゃなく、「脳でものを見る」のだ。
 オレたちは、脳にはいってくる九〇%以上の情報を「無意味なもの」として切り捨てている。
 ハワイの先住民たちは、海上に浮かぶヨーロッパの巨大船舶を「見えなかった」という。魚や小さなカヌー以外、海に浮かぶものを知らなかった先住民は、キャプテン・クックが上陸するとき、鼻先に船が近づいてはじめて「それが見えた」のだ。
 君の視覚で「無意味な抽象模様」として切り捨てられていた画像が、正解を見せられることによって「意味」をもち、「現実」となった。
 このような発想の転換を「パラダイム・シフト」という。
 地動説が天動説に変わるように、時代が正反対にひっくり返るのだ。一度天動説を知ってしまった者には、地球が平らで、果てまでいくと滝のように落っこちてしまうという昔の発想をできなくなる。
 もしオレたちが人間中心の近代世界観から、パラダイム・シフトできれば、現代の常識があまりにもバカげていることに気づくだろう。
 未来の子どもたちは、クイズ番組で「あれ、戦争ってなんだっけ?」と頭をかしげるかもしれない。

11月8日(木)
マヤ暦4月22日

 風邪をひいちまった。
 圧倒的な無力感。
 必死でオレが未来のヴィジョンを語ろうとも、日々報道される現実がそれを打ち壊していく。

 アメリカが核兵器につぐ超大型爆弾を使いはじめた。
 名前こそデージー・カッター(ひなぎく刈り)と可愛いが、ベトナム戦争でジャングルを焼き尽くした最大級の通常(このネーミング自体が狂気だ)兵器である。
「強烈な殺傷力を持つ。空中にまいた可燃性の液体充てん剤に点火、爆発させることで、激しい燃焼を起こすため、地上は無酸素状態になり、直撃を受けなくても付近の人間は死亡する」
 人間だけじゃない。植物も、小動物も、微生物も、あらゆる生き物を再起不能にたたきのめすのだ。
「直径約500メートルを高熱で焼き尽くし、さらに広範囲を衝撃波で破壊する兵器」
 しかも誤爆につぐ誤爆。
「アフガニスタン南部のカンダハル近郊で31日未明、赤新月社(イスラム教国の赤十字社に当たる組織)の診療所とされる建物が米軍機に爆撃され、13人が死亡した。診療所の医師の話としてカンダハルからAFP通信が伝えた」
「アフガニスタン・タリバーン政権の在パキスタン大使館は31日、米軍の空爆でこれまでに民間人を中心に1500人の犠牲者が出たとする声明文を発表した」
「タリバーン政権は1日、同日未明の米軍の空爆で、南部ヘルマンド州にある同国最大のダムが決壊寸前になる被害を受けたと語った」
「アフガン・イスラム通信(AIP)が6日午後に行った集計によると、10月7日に始まった米軍の攻撃によってアフガニスタン国内では計633人の民間人が死亡し、1000人近い負傷者が出た。民間人の死者は全国30州のうち12州で確認され、タリバーン政権の本拠地、カンダハル州で204人と最多の死者が出たという。次いでナンガハル州163人。カブール州92人。ヘラート州79人。バルク州32人。パルワン州22人。カピサ州18人。クンドゥーズ州、ヘルマンド州各5人。ファラ州、パクティア州各2人。など、広域にわたっている。 カブールの死者の中には、地雷除去活動をしていた非政府組織(NGO)の職員4人が含まれている。パルワン州では米軍の攻撃が標的からそれ、反タリバーン勢力である北部同盟の支配地域にある村が爆撃を受けた」
 ラマダン(イスラムの断食月)さえ無視するアメリカはやけになっているのか、それとも冷静に第三次世界大戦にもちこもうとしているのかわからない。
「アフガン国内ではいま、約600万人が援助を必要としているが、うち100万人以上が国内難民で、そのうち約60万人が北部、北西部の山間部に集中している」
「この冬で90万人の餓死者が出る可能性がある」
 ※以上、「」内は朝日新聞より抜粋。

 インドの聖者クリシュナ・ムルティーは「あなたが世界だ」と語った。
 「宗教」や「国家」という巨大ロボットは、ただのガラクタにしかすぎない。
 それを怪物として作動させるのは、オレたち一人ひとりだ。
「誰がアフガンの子どもたちを殺してるの?」
 それは、オレだ。
 そして、君だ。
 世界の人口六十億が、日本人と同じ生活をするとしたら、
 地球が四つ必要だという。
 オレたちは、
 捨て場のない原発から電気を使い、
 井戸水を頭にのせて何キロも運ぶこともなく水を飲み、
 屠殺の風景も知らずに肉を食らい、
 「空爆に賛成しましょう」と世界中にふれまわる総理大臣を選んだ。
 彼だって息子に「ケンカはよくないよ」とか、「転校生をいじめちゃいけない」とか「人に迷惑をかけちゃいけないよ」と教えたはずだ。
 政治家やテレビのコメンテーターの複雑な理論にだまされてはいけない。
 単純に考えれば、本当の答えは出る。
 自分が死にたくなければ、「戦争しちゃいけないよ」ということだ。
 「あなたが世界だ」という意味は、
 「すべてはつながってる」ということ。
 「君が世界を動かしている」ということ。
 「君が変わらなければ、世界は変わらない」ということ。
 二十世紀は「革命」という理想のもとにおびただしい血が流れた。そして権力者の首がすげ変わっただけで、なにも変わらなかった。なぜなら社会を変えることが革命だとかんちがいして、自分自身に革命(パラダイム・シフト)を起こさなかったからだ。しかも「敵を倒す」という正義や主義に酔っぱらってきた。
 憎しみの循環(自分の物差しを他人に押しつけること)ではなにも変わらない。
 キリストは「汝の敵を愛せ」といった。
 現段階では真理だけど、その先を超えていくんだ。
 この世に「敵」など存在しない。
 古くさい二元論を超えていくんだ。
 「味方」と「敵」も、
 「善」と「悪」も、
 「聖」も「俗」も、
 「美」と「醜」も、
 「愛」と「憎しみ」も、
 「生」と「死」も、
 「人」と「自然」も、
 「医者」と「殺人者」も、
 「温泉」と「凍死」も、
 「焼き肉食い放題」と「餓死」も、
 「オレ」と「君」も、
 ありとあらゆるボーダーを超えていけ。
 世界をまるごと抱えこんで、思いっきり愛することだ。

 オレは圧倒的な無力感にさいなまれながらも、アメリカ兵に、テロリストに、人類に、そして君に告ぐ。

「人を殺すひまがあったら、セックスしろ!」

11月9日(金)
マヤ暦4月23日

 たまには風邪もいいもんだ。
 熱で頭がボーっとしていると、ただでトリップできたような、お得な気分になる。見慣れた日常の輪郭がぼやけて、別世界にきたみたい。
 最近、気合いいれすぎだったよな。「少しは休みなさい」っていうメッセージだろう。
 家庭の医学にもこう書いてある。
 「風邪の特効薬はまだないので、安静にして休養をとる」
 こんなに化学が発達しても、特効薬は永遠にできないんだね。三つ葉としいたけとショウガの卵スープをつくって飲んだ。
 風邪の定義は「上気道における急性カタル性炎症」。ひとり平均年五〜六回もかかるんだって。ほとんどがウイルス感染で、「寒いから風邪をひく」じゃなく、「寒さで抵抗力がなくなったときにウイルスが発症する」そうだ。
 病気もひとつの「視点の移動」だ。
 あたりまえだった健康が、大切なもんに思えてくる。
 health(健康)やhealing(治癒)やwhole(全体)の語源は、古代英語のhal(全体、健康的)からきている。
 人間を機械に見立てて部品部品を修復する近代医学はいきづまり、最先端の医学がたどり着いたのがホリスティック(全体)医学だ。
 生命は、生き物という「物質」ではなく、体と心と環境が互いにエネルギーを交換させながら変化していく「全体運動」と考えられるようになった。
 ベルギーの化学者イリア・プリゴジンの「散逸構造論」も、ベルーソフ・ジャボチンスキー反応も、アーサー・ケストラーの「ホロン」も、フィリッチョフ・カプラの「有機システム理論」も、ジェームス・ラブロックの「ガイア仮説」も、ヒポクラテスの健康観も、道教の「陰陽五行説」も、ブッダの「縁起の理法」も、アイヌ語のウレシパモシリ(育みあう大地)も、同じことを言っている。
「コミュニケーションこそが生命の源だ」
 体が病めば、心も病む。心が病めば、地球も病む。
 宇宙的なダイナミズムを体感するとき、孤独は癒され、本当の健康をとりもどせる。
 病はカムイ(自然)からの贈り物だ。
 
11月10日(土)
マヤ暦4月24日


 なんとニューヨーク三泊四日のツアーが、二万円だって!
 JTBが主宰するもので、かんたんな感想文を書けばいいという。テレビでちらっと見ただけなんで、ネットで探すが、まだアップされていない。JTB本社に電話したら、土日は留守電だ。HISの格安チケットで、ニューヨークは三万九千円だった。
 二十年前にオレが行ったときは、三十万以上したはずだ。しかも一ドルが三百円くらいだと思う。
 いい時代になったもんだ。
 理不尽にばか高い国内旅行より、外国旅行のほうが圧倒的に安い。チャンス、チャンス、テロのおかげで世界中のチケットが値下がりしている。十二月二十日までは一年で一番チケットが安いシーズンだ。クリスマスと正月をこせば、また安くなる。
 最初はツアーでもいいじゃないか。とにかく言葉や常識がつうじない世界に自分を放り込むことだ。できれば一人旅がベストだけどね。
 一人旅とツアーでは、なにがちがうか?
 これはかんたんな割り算だ。
 十人のツアーだったら、苦労も十分の一、楽しみも十分の一になってしまう。
 カップルなどの二人旅は、苦労も半分、楽しみも半分になる。
 一人旅は苦労も100%、楽しみも100%、ぜんぶ自分のものだ。
 一九九九年冬のアマゾン旅行から、もう二年間も海外へ出ていない。
「そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず」
 芭蕉じいさんの「トリップ禁断症状」が痛いほどわかる。
 旅はこの世で最強のドラッグだ。
 オレにとっては、もう不治の病だね。

11月11日(日)
マヤ暦4月25日


 今日、ケン・キージーが死んだ。
 日本ではアカデミー賞映画「カッコーの巣の上で」の原作者くらいにしか思われていないが、六十年代サイケデリック・カルチャーの生みの親である。
 キージーの残した遺産は大きい。彼がいなかったら、レイヴもヒッピーもニューエージもビートルズもなかったかもしれない。
 レスリングのチャンピオンだったキージーは、大学時代に薬物投与の実験台になるバイトをした。オレも昔やったことがあるが、副作用の危険性をのぞけば、楽で金のいいバイトである。キージーがやった一九六〇年、一日七十五ドルもらえたというから相当うまい話だ。
 ところが投与された薬物が、LSDだった!
 キージーは狂気と至福を同時に体験する。
 健全なスポーツマンだったキージーの人生は百八十度ひっくりかえり、スタンフォード大学の仲間たちにLSDを横流しする。
 その体験をもとに書かれた処女作「カッコーの巣の上で」(六二年)が大ベストセラーになってしまった。
 サンフランシスコの南にあるラホンダに丸木小屋を建て、連日連夜仲間を集めて「アシッド(LSD)テスト」に明け暮れる。サンフランシスコにあるヘイト・アシュベリー地区にくりだし、路上やコンサート会場でアシッド・テストをおこない、意識変容の幻覚剤を広めまくった。
 LSDのたっぷり混ざったコカコーラやクールエイド(清涼飲料水)を飲んだ若者たちは、無意味なベトナム戦争をつづける政府や社会の欺瞞や精神世界に目覚め、爆発的に増殖していった。これがヒッピーの先駆となるビートニクの誕生である。
 キージーは陽気でクレイジーな仲間たちを「メリー・プランクスターズ」と名づけ、オンボロのスクールバスをサイケデリックに塗り、アメリカじゅうにLSDという新しい神様を伝導していった。
 参加メンバーの顔ぶれも豪華。
 オレンジジュースに混ぜたLSDを飲みながら運転手を務めたのはなんと、ニール・キャサディーだ。ジャック・ケロワックが書いたヒッピーのバイブル「路上」の主人公である。
 「クール・クールLSD交感テスト」で、メリー・プランクスターズの道中を描いたトム・ウルフはニュージャーナリズムの旗手になる。
 スチュアート・ブラントは「全地球カタログ」という画期的な雑誌をつくりニューエージ・ムーブメントを牽引し、「パソコンが人々をつなげる新しいネットワークをつくる」と預言したインターネットの始祖になる。
 キージーの実験はさらに拡大していく。ジェリー・ガルシア率いるグレイトフル・デッドは、ドラッグとライトショーを組み合わせたサイケデリック・ミュージックを創出し、ロックの可能性を拡大した。ビートルズは彼らの影響で「リボルバー」を発表する。翌六七年の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」には、頭文字がLSDになる「Lucy in the Sky with Diamond」はヒッピーの賛美歌となる。

 九一年、ワシントンにあるスミソニアン国立博物館にサイケデリック・バスを寄贈したキージーはこう言っている。
「ブッシュは(親の方)、ドラッグにノーといいましょうとキャンペーンしている。でもオレに言わせると、ドラッグありがとうっていうべきなんだ」
 キージーは肝臓がんを患い、二週間前に肝臓の四〇%を摘出する手術を受け、六十六歳で死んだ。
「戦争をしかける相手はドラッグじゃない、高度管理下社会に収縮された意識こそ、その相手なんだ」
 キージーがこだわったのはドラッグそのものではなく、「人間の意識がどこまで拡大できるか」だった。
 現代日本では、レイヴカルチャーによってLSDのリバイバルがおこり、LSD所持で逮捕された石田一成というアイドルが頭を丸め泣きながら裁判官に詫びをいれている。
 オレの三畳間の天井にキージーがただよって、この文章を書かせてるのかもしれない。天国からキージーの声が聞えてくるではないか。
「おい、もっと陽気にいこうぜ!」

11月12日(月)
マヤ暦4月26日


 西海岸の雄を紹介したついでに、東海岸の雄、ティムことティモシー・リアリーを紹介しよう。キージーに輪をかけて陽気なやつなんだ。
 またもや「百匹目の猿」現象である。キージーがLSDを体験したのと同じ年、ティムはメキシコでマジック・マッシュルームを九個食らう。
「これまで心理学者としていろんなことを学んできたが、たった六、七時間のトリップでそれ以上のことを学んだよ」と感慨をもらす。
 「二十世紀最大の知者」と呼ばれたティムは、自己変容の体験を冷静に分析する。
「人間の脳は、何十億ものアクセスされていない神経繊維をもつ満足に利用されていない生物コンピュータなのを知った。意識や知能は体系的に拡張できる。日常の意識は知能という大海の一滴にしかすぎない。脳はプログラムし直すことができるのだ。脳がどのように機能しているかを知るのが、現代科学のさしせまった課題である。わたしは探し求めていた鍵を見つけたと確信し、熱狂に我を忘れた」
 ハーバード大学へ帰ったティムは、精神病の治療薬として研究されていたLSDをスイスのサンド製薬から大量に取り寄せ、手当たり次第に人体実験をはじめる。とんでもない大騒動に、六三年ハーバード大学をクビになってしまう。
 ティムは「チベット死者の書」と衝撃的な出会いをする。二千五百年もまえに書かれた死者への手引きが、まったくLSD体験と同じだったからだ。(当時はまだろくに研究もされてなかったが、現代では臨死体験も同じ経緯をたどることがわかってきた)
 六五年にインドに渡り、ヒンドゥー教徒に改宗する。翌年「League for Spritual Discovery」という団体を立ち上げる。頭文字がLSDで、「精神発見リーグ」とでも訳そうか。
 「TUNE IN、TUNE ON、DROP OUT」というアジテーションとともにティムは、サイケデリック・ムーブメントの教祖となる。この言葉はさまざまに訳されるが、「LSDを使って神のふところに飛び込み、無意識の扉を開き、管理社会からぬけだせ」というメッセージである。
 ニューヨーク州北部に六十四室もある大邸宅をパトロンから提供され、LSDコミューンをつくる。
 爆発的に拡大するサイケデリック・ムーブメントに恐れをなした政府は、ティムにたかがマリファナ所持で二十年の刑をいいわたす。七〇年、武装組織ウェザーマンの手引きで脱獄に成功し、アルジェ、スイスに逃れ、アフガニスタンのカブールで再逮捕される。
 CIAはLSDをスパイの自白剤やマインドコントロールの軍事目的として開発していた。ウォーターゲート事件などとともに政府の悪事がばれ、ティムは七六年に釈放される。
 ビートルズの「レボルバー」の最後の曲「トゥモウロウズ・ネヴァー・ノウ(明日のことは決してわからないよ)」はジョンがLSDトリップしながら書いたと言われている。出だしは、「心のスイッチを切り、ゆったりとくつろごう。流れに身をまかせるんだ」と、ティムの言葉をそのままパクっているしね。
 ティムは驚異的知性と卓越したイマジネーションで、さまざまなヴィジョンを提示した。
 宇宙移住、不老不死、ETとのコンタクトなど、現代人にはとんでもない奇想だ。
 しかしティムは言う。
「誰もわかってくれなくても、気にしないさ。二十一世紀の世代にむかって書いているのは僕だけなんだもの」

 五年まえに死んだ彼の遺作は、「 DEATH ,THE ULTIMATE TRIP (死は最高のトリップだ)」という作品である。
 ティムは自分の死をネットで中継放送した。九六年にこの世を彼が去った日の見出しは、「ティモシーは死にました。脈拍 0血圧 0/0。でも気分は最高だ!」

 これを書いてるとき、日本時間で十一時十五分(現地時間で午前九時十五分)アメリカン航空の旅客機がクィーンズの住宅街に墜落した。
 五八七便エアバスA三〇〇型機、JFK空港発ドミニカ共和国行き、出発直後、八キロはなれた地点に墜落。エンジンと機体が別々にわかれて墜落した。二五五人が乗っていた。おそらく全員死んだだろう。テロとの関係は不明だ。


 テロリストにしろアメリカにしろ、人を殺すことは「淘汰」なのか?


11月13日(火)
マヤ暦4月27日


 福岡の高校生カケル君から「受験を控えているので中村哲氏の講演に行こうかどうか迷ってます」とメールがきたので、「行くっきゃないでしょう」と答えた。 そしたら講演の文字おこしまでしちゃった。(こいつは大物になる。日本の未来も明るいかも)

 「中村哲医師の講演記録」

 講演では最初に、井戸を掘られている蓮岡修さん(ペシャワール会の水源確保事業現地責任者)の話がありました。

 蓮岡修氏

 アフガンでは、干ばつによって約4割の井戸が枯れており、干ばつが続いているのでますます多くの井戸が枯れるだろう。
 現地で作物がとれない状況であり、農村部では主食であるナンが9月には1日3枚食べられていたのに、今(10月末)では1日1枚しか食べられない。これを飢餓と呼ぶかどうかの判断は分からないが、とても酷い状況だと思う。
水のある井戸が少ない為に、不衛生な水を飲んで抵抗力の弱い子供が例年の約3倍程度死んでいる。
 米国の空爆に関しては現地の人は、ほぼ無関心で「すべてはアッラーの神のなされることで、文句は言えない」という態度の人が多い。大きなことには無関心で、毎日の食事と家族を守ることで手一杯という状況である。
 米国の空爆がはじまっても、1年間現地を見つめているスタッフはアフガンを離れることができずに、カブールで作業をしている。
 現在、空爆に被災した家族を中心に食料の配布を始めている。
 ペシャワール会の調べでは、約220人が誤爆によって命を失っている。
 今、ペシャワール会に集まっている額では救える人の数は少ないが、与えられた環境の中で最も多くの人が救えるように努力しています。

 中村哲医師

 スライド 01(アフガン、ペシャワールの地図)

 私たちの活動は、ペシャワールという国境の町。この地図も前はずいぶん説明がいりましたが今は、皆さん頭の中に入っておりまして、このペシャワールという国境の町を拠点と致しまして、アフガニスタンに8つの診療所。それから、それから2つの診療所をパキスタンの北部の山の中に持っており、現地スタッフは220名、また去年からは干ばつ対策に取り組むに水・水源のスタッフが大体700名で、年間約20万〜30万名の診察を -今年は増えると思いますけれど- 活動を行っています。ちょうど18年になります。

 スライド 02

 何も私一人が活躍しているわけではなくて、現地数百名のスタッフ、元気な志気の高いスタッフですけれど。日本には四千数百名の会員。設備投資をふくめると年間約1億円前後で運営されているんですが、そのうちの95%〜96%が現地に届くという、全てボランティアで成り立つ団体でございます。

 スライド 03(カイバル峠)

 私たちの活動は、このカイバル峠のふもとにありますペシャワールという町を拠点にしまして、国境を越えて -何故かというのは後で説明しますが- 活動を続けています。
 御覧の通り、現地は乾燥地帯でして降雨量が日本の約200分の1。非常に乾いたところですね。水源というのは冬に積もった雪が夏に溶け出してきて、川を作り地下水を保ってきたということです。

 スライド 04(険しい雪の積もった山脈)

 この山の雪ですね、アフガニスタンは山の国です。国土の約半分以上がこういう山岳地帯なんですね。日本の約1.7倍の面積がありますけれど、この白い雪が決してだてにあるわけでなくて、観光用にあるわけではありませんで、冬に降り積もったこういう雪がですね、夏溶け出してああいう乾燥地帯を潤すというサイクルを何十万年もくりかえして、ここで人間・動物・植物が息づいてきたわけですね。こういうところが日本にはなかなか伝わりにくいんですが。
 私たちの活動というのは実際はですね、ここより山間の谷を時には歩いたり馬に乗ったりしていくわけで、診療地点によっては片道一週間ぐらいかかるところが希ではない。それだけ時間が要るところなんですね。
 最近の新聞等を見ておりますと、タリバンが時間稼ぎをしておりますとか、だいたい日本で1日でできることが、現地で数週間かかるというところでございまして、時間の流れがちがう。
 こないだまでタリバンをやっつける、でタリバンが終わった後どうしようか。
まぁ、そういうテンポで進むところではないですね。その辺がですね、日本人と感覚のずれが多少あるということですね。

 スライド 05(モスク)

 それからアフガニスタンはイスラムの国でありまして、田舎に行くと100%イスラム教徒、都市でも99%以上がイスラム教徒でしてですね。イスラムの共同体と言えるところですが、共同体という意味はですね、イスラムのモスクですね、キリスト教で言えば教会に相当するところで、モスクを中心にできた地域宗教共同体ということができる。
 これに長老界、ジルガと言いますが、いっしょになって地域のことは地域で決めるという社会でありまして、これが日本の方々になかなかわかりづらいところですね。

 スライド 06(砂漠を行く遊牧民)

 これは決して映画のロケーションではありませんで、アフガニスタンに行くとちょっと田舎に入ると普通に見られる光景だったんですね。
 地域によってはまともに貨幣が通用してないところもある。物々交換のところも決して珍しくありません。
 そういうアフガニスタンという国は、九十五パーセント以上が農民、もしくは遊牧民でございまして、その生活も地域によっては何世紀も変わっていないんじゃないかという場所がある。
 私たちとしては医療活動をする際に、やはり患者さんを治すという立場に立ってみますと、相手がどういうことで怒るのか、どういうことで悲しいのか、どういうことで皆怒るのか、どういうことで一致できるのか、どういう点がちがうのか、そういう点を知らないと診療ができませんので、その理解にずいぶんかかりました。

 スライド 07

 それと一般的なことですけれど、貧富の差が激しい。例えばですね、今アフガニスタンに残っている人の大半はですね、難民にもなることができないという方が一般的でございまして、難民になるにもお金がいる。旅をするのにもお金がいる、国境を通過するのにもお金がいる。更にお金持ちはですね、日本に逃げる、欧米諸国に逃げるということでして、今実際問題としてアフガニスタンに残っている人々は難民にすらなれない人々が大半であるということですね。
 私たちの立場からしますと、こういう人たちに対して日本で通用するような医療活動はできません。それはお金があまりにかかりすぎる。
 例えばうちのスタッフの給料は、日本円にしてせいぜい六千円ぐらいですね。これは月給が六千円ぐらいなんですね 。それは物価が安いというのもありますけれど。
 こういう状態の中で私たちが苦労しますのは、いかに少ないお金で、いかに多くの人に恩恵を及ぼすかという点です。日本流のやり方は、なかなか現地では通用しないということですね。

 スライド 08(開業当時の診療所)

 十八年前、私たちの活動は当時二千数百名もいました、ハンセン病の患者さんたちの診療施設を作るということが出発点となりました。
 当時ですね、患者二千数百名に対してベッド数わずか十六床。しかも、写真に写っていますのが十八年前にありました私たちのすべての医療器具でございます。ウソみたいな話ですが、これから出発せざるおえなかった。いくらモノやカネではないとは言いながら、モノやカネもないとこれはできないということで、私たちペシャワール会の活動はにわかに活発化してきたわけでございます。

 スライド 09(現在の病院)

 現在はですね、ハンセン病だけではなくて、一般の疾病を取り扱う病院として機能するようになりました。大体うちに送れば何とかなると。
 とくにハンセン病につきましては、アフガニスタン全体、パキスタン北部でまともに診療できるところがない。ハンセン病というのはですね、色んな治療の局面がありますので、手や足の生涯、目の生涯、手術もふくめた色んなケアが治療後も必要になってくるわけですね。総合的なケアができるというのは、あの膨大な地域をウソみたいな話ですけれど、現在患者数は二万人
近くであると想像されますが、唯一頼れる診療機関として機能しているわけです。
 診療数から言いますと、一般の疾病の数が多うございます。こういうの見ますと確かに医療活動をしているように思えますけれど(次、お願いします)

 スライド 10

 私たちの活動はほとんどはですね、一見医療活動とは関係のないところでエネルギーを費やしてというのが現実であったわけでございます。その一つが先ほども少し触れましたが、人々をいかに理解するかと。
 これはとくに医療におきましては、患者対医療関係者という人間と人間の関係でありますからとくに必要なことでございます。
 しかし、現地に行っていろいろ戸惑う風習などに遭遇して、なかなか理解できないこともございます。女性がブルカというかぶりものをする。これは何世紀も昔から現地でアフガニスタン、ペシャワールだけでなくかなり広い地方でおこなわれてきた風習でございまして、私たちから言えば都合が悪いんですけれども。というのは聴診器を当てるのも胸を開けて当てることはできない。服の上から当てるしかできない。ハンセン病の初期症状というのは皮膚に出てきますから、背中や胸やお尻などをはぐって見るなんていうのはすごく失礼なことなんですね。
 ちなみに現地では婦女暴行というのは死刑に当たります。住民たちが自分で処理(死刑)してしまうということでありまして、沖縄の様な出来事(米軍による沖縄人
に対するレイプ)は絶対に起こらないわけです。私たちとしましては、これは現地の風習や文化なのであって、外国人がとやかく言うべきものではない、というのが一貫した態度であったわけですね。
 といいますのは、私たちもこの十数年間遭遇しましたけれど、一般的に外国人の犯しやすい過ちというのはですね、こういう習慣を見て「これは非人間的だ、女性差別だ」と決めつけてしまう。それは良いとしても、それを自分の国で禁止するのは良いとしても、こういう現地に来て現地の習慣に対してもとやかく言う。現地の社会が変わらない限り、変わり様がないですね。
 もちろん現地で敵対して、そしてはなはだだしい場合には国外退去。国外退去になると、今度は国際人権会議なんかで、英雄として祭られる。凱旋将軍のように帰ることができますけれども、私から言わせますと「あなたたちの人権意識はそれで満足されようけれども、残されたこういう患者を本当にあなたたちは見てくれるのか」と言いたいですね。
 私たちとしましては、地域の文化や風習については一切これをコメントしない。これを良い悪いの問題では判断しないという、態度を一貫してつらぬいてきまして、女性患者ばかりはですね、これは外人部隊に頼るしかないということで、過去十数年の間に二十名の女性ワーカーが現地で働きました。

 スライド 11(女性患者と女性ワーカー)

 こうして女性の患者のサービスが良くなるということで、これも私たちのした一番良い仕ことの一つでなかったかと思います。

 スライド 12

 もう一つはアフガン戦争問題がありました。これはですね、今から22年前、1979年12月に時の旧ソ連軍の精鋭部隊10万人がですね、共産政権を助けるという名目で入ってきまして、その後なんと今に至るまで内線の余韻がくすぶっています。
 このアフガン戦争で死亡した者は戦闘員だけで80万、戦闘員ではなく戦争の外傷だけで80万人、しかし逃げてくる途中に死んだ人、あるいは難民キャンプで病気にかかって命を落とした人。こういう人たちを入れますと200万人は下らないという数をですね、前回のアフガン戦争で失ったわけです。
 私が赴任した84年、85年、86年は内線が最も激烈な時期でございまして、私たちのハンセン病および医療の立場から現地の動きに巻き込まれていったわけでございます。

 スライド 13

 私たちの悩みはですね、いくらパキスタン側でいくら活動いたしましても、次々と新しい患者がアフガニスタン国内からやってくる。それもそのはずで、パキスタンの北西辺境州 、ペシャワール周辺ですね。アフガニスタンとは、実は切っても切れない関係でありまして、パシトゥーン人とよばれる、同じ民族、そして同じ言葉をしゃべる人たちが住んでいると。
 非常に乱暴に言いますと、現地は、私たちのいるペシャワールの○○
州は、文化的にも人種的にもアフガニスタンの一部でありながら、行政的にはパキスタンのコントロール化にあるという、植民時代の名残だと言うことができる。
 この中で二千四百キロメートルもある国境を封鎖するというのは不可能なんですね。関東と関西が別れているようなもので、私たちとしてはそのような形で、アフガニスタンのハンセン病がなくならない限り、パキスタンのハンセン病もなくならないということで活動に踏み出していったわけでありますが、かといってノコノコと中に入れる状態ではなかった。当時は農村が戦場であったわけですね。

 スライド 14

 難民キャンプで活動を続けておりましたが、ここで私たちは方針を大転換致しまして、ハンセン病だけの診療は現地では成り立たない。ハンセン病の多いところは同時にマラリア、結核、腸チフス、でんぶ熱(?)、アメーバー赤痢、ありとあらゆる感染症の巣窟なんですね。こういうところにハンセン病も同時に多発するということで「あなたはハンセン病でないから見ない」ということは言えないんですね。
 だから、将来的にはまず第一にハンセン病を、一般の諸々の感染症の一つとして特別な病気としてではなく、さりげなく見るということを決めました。それからもう一つとしては、こういう感染症の多発地帯というのは大抵が出身が山の中のとてつもない無医地区であることが多い。将来的には難民というのはやがて帰っていく存在でありますし、ハンセン病コントロールというのは長い長い時間がかかるというので、難民が帰った後アフガニスタン国内の多発地帯に診療所を作りまして、長い目でこれを退治していくという方針を立てたわけでございます。

 スライド 15

先ほど申し上げましたように簡単に中に入れる状況ではありませんでしたから、山越えをして、そして山から山、谷から谷を渡りながら開設予定地の調査。アフガニスタンという国はですね、人口さえまともにつかめておらない。
 私たちの診療所の区域ぐらいは把握しておこうと、一体何人ひとがいるのか、どういう人種が多いのか、アフガニスタンという国は色々な人種が三十以上住んでおりますね。どういう人種が住んでいるのか、どういう病気が多いのかということで、山から山を渡りながら調査を続けておりました。ペシャワール側で準備して待機しておこう。という状態が何年も続いたわけでございます。

 スライド 16

 当時はですね、まだ首都カブールから爆撃機、ソ連あるいは政府軍のですね、爆撃の激しい時期でありました。(今でもそうですけど)男たちは自分の故郷に残って戦い、女や子供は安全な場所に移す、まぁ難民キャンプに移すと。こういうことで私たちは地元民との接触を持ったわけです。

 スライド 17(村人との談笑風景)

 場所によりましては外国人を初めて見るというところも沢山ありますね。これはアフガニスタンのヌーリスター(?)と言うアフガニスタンの一番高い山岳地域の一つですけれども。
 ここに行くと「ドクターはフランス人ですか?」と。(笑)
 オレはそんなに顔立ちが良かったかなと思いましたけれど、今まで韓国人ですかとか中国人ですかとか聞かれたことはあってもフランス人はないですね。で、日本人だと言うとすごくパッと変わりまして、すごく親日的なんですね。
 日本というのはどんな山奥に行っても知っている。しかも親しみを込めて日本というのを呼んでいる。何で有名なのかは分かりませんけれど広島、長崎、それから日露戦争というのは誰でも知っていますね。なぜかというのはよくわかりませんけれど、日本人であるということで他の外国人にはできないような真似ができたということも多々ありました。日本人であるが故に命が助かった、ということもまれではなかったんですね。

 スライド 18(帰郷難民の乗るバス)

 アフガン戦争が終わり、途中省略致しますけれども、ほとんど田舎から来た難民たちは一九九二年五月から十二月までのわずか半年ぐらいのあいだに、なんと二百七十万人の難民のうち二百万人までが、誰の助けも借りずに独りでに帰るということがありました。

 スライド 19

 その頃までには、大抵の外国団体は撤退しておりまして、丁度湾岸戦争の時期に直前に逃げ帰ってしまった。殆どの援助団体がいない中で、農民たちは自力で家の修理、荒れた田圃を耕す。国土が本当に壊滅した時に、やっぱり頼りになるのは農業ですね。
 電化製品は腹が減った時に役に立たないけれど、食い物はないと人間は生きられない。
 当たり前ですけれど、アフガニスタンという国はまさにそれを象徴するような国家でありまして、農村の復興が先だということで、私たちもこれを側面から援助するということで、次々とこの時期に帰ってくる難民を待ち受けるような形で診療所が建てられていったわけでございます。

 スライド 20

 現在あります山岳地帯の3つの診療所はその当時開かれたものでありまして、帰ってきた人々に大きな励ましを与えたわけですね。
 今思い出されるべきことは、あの当時マラリアの大流行があった八三年の秋でしたか、我々がカバーできるだろうという範囲はせいぜい七十万から八十万以下でありましたが、あの当時最低五千人から六千人が死亡いたしました。死亡確認ですから、本当に死んだ人をふくめると、まだまだという状態でありました。
 そのために診療所に人々が殺到してきまして、毎日二百数十名見なければなりませんでした。これは私たちが朝から晩まで患者を一人で見てどのぐらい見れるか。やっぱり二百数十名というのが限界ですね。やっぱり患者さんの方も、一日歩いてきたとかいう人は決して珍しくない。そういう人に「気の毒ですけれども、こっちも体力の問題がありますので、すみませんが明日の朝に来てください」と言わざるをえない。
 そうすると患者の多くは不安にかられ「クスリを寄こせ」といって石を投げるということも診療所で起こりました。
 今でもハッキリと覚えていますが93年の秋、私が北部から帰ってダライラート(?)という診療所に行った時ですけれども、下手の村人が診療所を包囲して投石するということがありました。それで石を投げるだけなら良いけれども、飛び道具が飛んでくる。
 ロケットは幸い当たりませんでしたけれども、うちの準スタッフが二名殉職しました。
 普通ならですね、こっちが二名やられれば、戦後でしたからみんな気がたっておりまして、こっちも二名やりかえさないと我々の恥になると。こういう社会なんですね。
 あの頃十七から十八名が診療所にいたと思うんですが「どうしますか?」と。
「どうしますかって、我慢しとかなくちゃしょうがないじゃないか」と言いました。彼らはてっきりリーダーの中村の「やれ」という言葉を期待しておりましたが、私が言ったのは「発砲しちゃいかん」ということでした。
 皆は「えっ?」と。
 そういうことは現地ではないんですね。
「先生本当ですか?」
「本当だ」
 血の気の多いが当時多かったですから。
「先生、皆殺しになっても撃っちゃいかんのですか?」
「皆殺しになっても撃っちゃいかん」と。「我々十数名が犠牲になったとて、活動は続くと。何十名かがまだたくさんペシャワールに残っている。それよりも我々がここで発砲すれば、我々の計画が全部狂ってしまって、犠牲者はそっちの方が多いんじゃないか」ということでその場はなんとか収まりましたけれど。
 翌日村長会議を開かせまして、私は普段滅多に大きな声を出さないんですけれど、さすがにあのときは興奮いたしまして。
「我々朝から晩まで働いてやってるのに昨日のやり方は何だ! 本当に君たちが必要ならこれを自分たちで守れ。いやなら我々は出ていく。あるいは二名を引き渡せ」ということを強く主張しますと、さすがにむこうも謝りまして「いてください」と。
 こっちも「それなら、自分たちの診療所だと思って自分たちで守ってください。その代わりクスリは心配いい」
 ということで、私はまた苦労して山越えをしてペシャワールまで辿り着いて、当時車がとおれませんでしたから、福岡にある事務局に電話をかけまして「ありたっけの銭を全部送ってくれ」ということで電話をかけました。
 当時クロロキンという安い薬が効かない悪性マラリアというのが流行しておりまして、キニーネという薬を使っておりました。
 「先生、三十万しかありません」と言うわけですね。(笑)
 ペシャワール会というのは不思議な団体で、自転車操業でやっておりまして、その当時もお金がなかったんですね。で「三十万でいいから送れ」と言おうとしてゾッとしたんですね。
 この三十万円でどのぐらい人が救えるんだろうかと。その当時マラリアのクスリは一人分二百二十円だったと覚えておりますが、三十万円だとすれば千数百名しか助からないということなんですね。よく人の命は平等だ、とか人名は地球よりも重いと我々簡単に言いますけれども、本当にそうだろうかと、そのとき私はそういう風に思ったわけです。
 その結末はハッピーエンドでありまして、その後ペシャワール会が大奮闘致しまして日本から約二千万円の募金を集めまして、これで七、八年はマラリアのコントロールに使えました。豊富なキリーネというクスリを満載致しまして、村から村へとまわりまして、フィールドワークでマラリアを潰すということがございました。こういう活動をとおして私たちはアフガニスタンの東部一帯で、みんなの絶大な信頼を勝ち得たわけです。


 スライド 21

 まだ車がとおれるところはですね、アフガニスタンの中では良い方なんですね。アフガニスタンの中で電気が使えるという地域はわずか数パーセント。
 よくタリバンがテレビを禁止しただとか言いますが、大体テレビなんてみんな買えないし、電気がないから使えない。大半の人は道路もちゃんとないような山の中に住んでいるんですね。
 私たちとしましてはなるべく人が行かないようなところに、人がしたがらないことをする 。そこに必要性があっても皆が行かないところに。
 よく「あれは中村が山好きだから、山の中に行ってんだ」と悪口を言う人がいますが、そうじゃなくて人が行かないからなんですね。我も我もというところであれば、行く必要がない。我も我もとすることであれば、我々はする必要がないわけで、こうして少しずつ我々の活動は誰もが行かない山岳地域に広げつつあるわけでございます。

 スライド 22(山の断崖に建つ家々)

 こういうところで診療しておりまして、発展途上国における医療援助のあり方だとか、アフガニスタンの農村地域における衛生のあり方だとか、聞くたびに空しくなるんですね。
 カブールやペシャワールで立てた計画すら実現できないのに、ましてジュネーブだとか、東京でたてた計画が実施されるとはとても思えない地域ですね。
 だからと言って私たちに何か処方箋があるわけではありませんけれども、とりあえずは細々とでも診療を続けながら、人々と苦しいこと、嬉しいこともいっしょにしながら、なにが一番この人にとって良いのか、というのを探っていこうという段階でございます。

 スライド 23

 そうこうするうちに十五年たちまして、先を考えてみますと二十年、三十年じゃとても終わりそうな問題じゃないと。第一期終了と、第二期を三十年と定めまして療床数七十床のPLS(ペシャワール会医療サービス)という病院を三年前に立ち上げまして、ここにパキスタン、アフガニスタンの全○○を統合いたしまして、やっとスタートを切って今三年目のことでございます。

 スライド 24

 本当にことの多いところでございまして、やっと私たちが区切りをつけてスタートをつけたというところを襲ったのが、アフガニスタンの大干ばつ。
 これはもの凄いものがありまして、土地の長老に聞いても三十年来の干ばつだとはじめは言ってておりましたが、そんなものではない自分たちの小さい頃から聞いたこともない というふうものでありまして、おそらく数世紀に一度あるかないかという大干ばつ。約一年半前、去年の五月の国連機関の発表によりますとアフガニスタンが最も酷い状態で千二百万人が被災して、四百万人が飢餓線上に、百万人が餓死線上にあるという発表でありました。
 これは決して誇張された数字ではなく、私が思いますのは診療所のまわりになんでこんなに患者が多いのかと思ったら、子供たちが下痢をして死にかけているという人たちがつめかけておりました。おそらく死亡者の大半が子供でありまして、その原因というのは飢えて餓死という、お腹が減ってバッタリと行き倒れになる状態を想像いたしますけれど、そうではなくて弱ったところに簡単な病気で抵抗力がないためにどんどん死んでいくという状態を考えますと、飢えに飢え、あるいは飢えに関連した状態で死亡した人を入れますと決して百万という数字は誇張ではなかったと思います。
 診療所でも、子供を抱いたお母さんが死にかけた我が子を抱いて途方に暮れておる、という姿がいたるところで見られたわけでございます。その原因がですね。(次お願いします)

 スライド 25(井戸掘り)

 清潔な飲料水がないものですから、汚い水を飲む。水は飲んでいてもちゃんと使えないものですから、食器用洗剤の為に下痢症だとか簡単な病気にかかりやすくなるということで、食べ物がないだけというだけなら待機して待つことができますが、人間は水がないと二十四時間以上生きられない。
 家畜が死ぬという前に農民は続々と村を捨ててはなれていくという状態でありまして、私たちとしてもそれ(診療)どころじゃないと。医者がこんなことを言っちゃいけませんけども、病気なんかどうでもいい、生きているのが先だという切迫した状態で井戸掘りがはじめられたわけでございます。

 スライド 26(干上がった川の水を飲む裸の子ども)

 遠くから酷い場合には何時間もかけて、半日以上かけて一番近い水場まで水を取りに行くという状態がアフガニスタン全土で一般的に見られるわけでございます。

 スライド 27

 先ほどハスオカ君からも報告がありましたように、私たちは医療活動ももちろん大切ですけれども、それ以前にまずみんなに生きていてもらわないといかんと。あちこちで涸れ井戸を再生したり、あるいは新たに井戸を掘ったりしながら、やっと東部一帯に展開いたしまして、主な干ばつ被災地で六百六十作業地で七百七十カ所で使える水を得まして、約三十から四十万の人がこれによって流民化といいますか、村を捨てずに助かっておったわけでございます。

 スライド 28

 水が出るとみんな喜ぶんですね。こうして我々はつぎつぎと村の中に井戸を掘っていきまして、これによって高い抗生物質を買うよりも、綺麗な水源を沢山確保した方が安くもつくんですね。だから、ともかく水を水をと言って過ごしてきたこの一年半でございました。

 スライド 29(井戸水に喜ぶ人々)

 完成した井戸ができますとみんな喜ぶんですね。水があるが為に村に戻ってくるという人も沢山おりました。

 スライド 30

 アフガニスタンに残っているほとんどの人々、とくに首都カブールではほとんどが田舎から逃げてきた被災民で溢れているわけです。私たちが現地に行って、今までこんな大きな出来事が国際的な大事件として報ぜられないことはないと。
 そのうちエチオピア大干ばつ以上の状態でありましたから、百万人が死亡するとかんたんに口で言いますけれど大変なことでございます。福岡市の三分の二ぐらいの人が死ぬということですから、現場にいる人としては数字で表されるほどの綺麗なものではない。しかもこれが最も貧乏な国で起きた、さらに人口の九割以上が農民であるという地域で起きたということで、アフガニスタン全体にとって非常に重大な事態でございましたが、待てど暮らせど返事はなく、来たのは国連制裁。
 今年の一月、アフガニスタン国連の制裁をうけました。はじめのうちはあの飢餓の中を食料の輸送まで停止するということがいわれていました。それまでは止めてくれという強い国連の反対でしませんでしたけれど、こういう風にして干ばつの実体は殆ど世界に知らされることがなかったのでございます。
 国連制裁によって外国人がどんどん出ていく、これはタリバンが閉め出したのではなくて、外国人が国連制裁に同調して引き上げて行ったんですね。実質的な活動を停止するという中で、百から百五十万人住んでいる都市カブールが事実上無医地区となってしまうという事態がおきまして、本来私たちの活動は山岳地帯が中心でありますけれど、誰も行かないなら我々が行かざるおえないだろうということで、今年三月からカブールに五カ所の診療所を開設して、さらにこれでは足りないということで今年九月に十カ所まで拡大しようと。
 福岡市の人口にわずか五カ所しかまともに診てくれる診療所がない、という事態を想像されますと皆さんおわかりになるかと思います。勿論、赤十字病院とかありましたけれどココは、戦争外傷しか診ないということでありまして、一般の市民は診てくれないということでありまして、僅かではございましたけれど私たちは主に貧民層 の多い地域に診療所を開設致しまして、大きな気持ちの支えとしては機能しておったわけですね。

 スライド 31

 こういう状態で、アメリカとの戦争がはじまりました。九月十一日にテロ事件が起きて、長年の内戦で家族を失ったアフガンの人々は、テロの犠牲になったアメリカの人々に同情しておりました。
 そのあとたちまちアフガニスタンがつぎにやられるということになって「なんでだ?」という点でアフガンの人たちは静かに報復に備えるという状態となり、私たち日本人も引き上げざるおえないような状態になりました。
 でも私たちの仕事そのものは続いております。更に色々言われておりますが、私たちが一番心配しておるのは現地の仕事というよりも、それによって生き延びていた人がどうなるのか、ということが一番の関心事でありまして、確実なのはカブールで相当の餓死者が出るだろうということ。
 カブールというのは千五百メートルほどの高さにありまして、冬が非常に厳しい。そのために冬越しができないと百万人のカブール市民が移動をはじめるというのは確実でありまして、もとろん運搬は今のうちならある程度できますのである程度の物資は流れますけれど、みんな購買力がないと買えないわけですね。
 ともかくまあ医療団体ではありますけれど、命を助けるために医療をしているわけでして、私たちは冬越しができないカブール市民は約一割とみており、冬越しというのは生きて冬を越せないということでして、約十万から十五万人、それから今回の爆撃で家を失って、財産を失って食い詰めた人々。こういう人々を中心に食糧配給を早急に実施すべきだということで二週間前から本格的な活動に踏み切ったわけでございます。

 スライド 32

 トラックに積み込んでやっと第一陣が、約四百八十トンが、アフガニスタンの中に送り込まれ、更にジャララバードというところから、カブール市内に数十トンが運びこまれたところでございます。ということで私たちの仕事は拡大に拡大を続けまして、この十八年間続けてまいりました。
 とくに昨年からやっと落ち着き書けたところに大干ばつ、大干ばつの対応でも大変なところに報復戦争と。二重、三重、四重の困難に喘いでいるわけですが、今さらあきらめるわけにはいかない。
 アフガニスタンがどうだこうだということを訴えることよりも、それを訴えることも大切ですけれども、そういう政治的な話よりも、私たちとしましては現地で生きて生活する人々。生きて泣き笑いながら死んでいく人々。こういう人々に対して私たちがやってきた活動をそのまま拡大、発展していく形で今度の戦争にもそなえようというわけです。
 いろいろ言われますけれど、私たちとしては政治のことはよくわからない。しかし人々のことはよく知っているつもりでございます。
 追いつめられた人々にとってなにが必要か言いますと、決して議論だとか、誠実的なスローガンであるとかではなく、必要なのは、ずばり水と食べ物とそれと平和への課程であると。これが誰でもそうなんですけれど、全てなんであります。
 私たちが訴えているのは、まるで西部劇かテレビゲームのようにですね、タリバンがどうだとか、アフガン情勢がどうだとか、アルカイダはどうだとかそういうことではなくて、ずばり人々の暮らしが日本の人々には見えていないんではないかとつくづく思うわけです。
 私たちとしては今後もあまり政治的なことにふれずに、ともかく現地の罪のない人々の命を一人でも助ける、という明快な視点で努力を続けてまいりたいと思います。
 なにもかも奪われた人にとっては、なにを言ったって、英語で通じるわけでなし、やれるのは行動があるのみ。
 私たちとしましてはテロリスト以上の決意を持って人助け。
 この現在の活動を継続していきたいと思っています。


 ペシャワール会のホームページ http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/

※カケル君ご苦労様。
 なかなかまじめな高校生だと思っていたら、とんでもない天才映像作家だった!
 ちょっとダウンロードに時間がかかるけど、恐るべきセンスと疾走感に満ちたカケル君の作品を見るべし。
http://kakeru.jp/

11月14日(水)
マヤ暦4月28日

 きのうのライブは夜中すぎまでつづき、十五曲ほどを歌った。
 演奏が終わったあとお客さんと話をするのが楽しい。オレは自分のことを話すより、人の話を聞くほうが好きだ。みんな自分の職業が平凡だと思い込んでいるが、オレにとっては興味がつきない。
 紀伊国屋書店で学習書を担当している人の裏話とか、自動車の部品を設計している人がハイブリットカーの欠陥をないしょで教えてくれたり、工場関係のソフトを作っているプログラマーが休暇の最中に呼び出され、そのままのかっこう(さすがにハイビスカスのレイはかけていない)で工場に謝りにいったエピソードや、子供服売り場の店員に「じつは僕の子じゃないんですよ」と耳打ちする客の話など、わくわくしてしまう。
「明日からニューヨークに住むんです」という女の子がいた。
 ケーキ作りの職人をしていたが、自分の夢である創作生け花を学びにいくという。いいね、いいね、旅立つ人間は輝いている(実際目のまわりにラメシールを貼っていた)。
 「なんでこんな危険な時期に行くんだ?」と止められたが、周囲の反対を押しきった。深層心理を分析すれば「ジェラシー」なのよ。「なんでおれが行けないのに、おまえが行くんだ」と言い換えられる。
 二年前の同窓会でこんなことを言われた。
「いいねえ、自由で」
 まるでオレが宝くじでもあてたかのような言い方だ。
 自由なんて降ってくるものじゃなくて、自分で勝ち取るものなのに。
「じゃあオレの代わりにチベットやアマゾンに行ってくれ」と言ったら、
「じゃあ僕の代わりに三人の子どもと女房の世話を見てくれ」と言われた。
 だ、だめだ。そんな恐ろしい冒険オレにはできない。
 本人にとってどんなに不本意な状態にいようと、自分で選んだのだ。
 誰もが少しでも心地よい状態を作りだそうと、人生のロールプレイングゲームをくぐりぬけて、
 今ここにいる。
 自分を変えたかったら、日々無意識でおこなっているチョイスを意識することだ。自分を変えたいのに変えられないとぼやく人は、やっぱりその状態が心地よいから「変えたくないのだ」。
 平凡だって退屈だっていいじゃないか。
 オレは自分がいちばん平凡で退屈な常識人だと思っている。

11月15日(木)
マヤ暦5月1日

 タリバン政権が崩壊したという。
 マスコミの報道はどこまで信じていいかわからない。
 あさっておこなわれる中村医師の講演会にいくしかないかもしれない。

 paperbackが送られてきた。
 編集長すぶやんは二週間も発売がのびたことを必死であやまっていた。
 オレは正直に告白する。
「まるまる二年も旅行してないんで、ちょっと日本を出たいんですけど。ニューヨーク四日間で二万円のツアーもあるし、取材もしたいんですよ。」
「いいですよ。ケチャップの一部完結とすれば一回くらい休んでも」
「ほんと? じゃあ行っていいんですね?」
「ちょっとって、どのくらいですか?」
「三ヶ月くらい」
「AKIRAさんのちょっとっていう常識は、サラリーマンの永遠に実現できない夢ですよ」


11月16日(金)
マヤ暦5月2日


 「アヤワスカ」の編集者、綾木さんと電話で二時間かけて細かい打ち合わせをした。
 本のなかでアヤワスカを「アヤちゃん」と呼んでいる。編集者の「綾ちゃん」も明日朝娘を保育園に送らなきゃなんないのに、夜中までがんばってくれる。
 
「フライデー」から文芸担当にうつった綾ちゃんが自分のチョイスではじめて出す本が「アヤワスカ」というのも、駄洒落のシンクロなんだろうか?
 「アヤワスカ」は、さまざまなシャーマンとの出会いによって書かされた本だ。

 アフリカにわたった友人からメールがあった。
 ジャンベという太鼓づくりを学ぶため小山田竜二はディズニーランドのペンキ塗りで金を貯め、四ヶ月まえに旅立った。
 西アフリカにあるマリの首都バマコにいるという。シャーマンの娘と付き合っていて、まわりがどんどん話を進めようとするので困っているらしい。
 オレは無責任に返信メールを書く。
「いいじゃん、いいじゃん、このまま結婚してシャーマンになっちまえ」

 オレはアフリカではじめて本物のシャーマニズムと出会った。
 一九九〇年、マドリッドで同棲していたニッキと旅行していたときのことだ。ニッキはモロッコで謎の熱病にかかり、ラバトの大学病院で診てもらっても治らなかった。
 セネガルのダカールに住むアフリカ人家族のもとへ到着したとたん、とうとうニッキは倒れた。
 とても親切なアフリカ人家族は、医者ではなくシャーマンを呼んだ。
 その人は背の高いやせぎすの老人で、つぎのあたった民族衣装を着ていた。なんだかみすぼらしくて信用できない。汚い革袋から五つの宝貝をとりだして、ニッキにわたした。ベッドから上半身だけ起きあがったニッキは、マットレスのうえに宝貝をころがした。こうやって、病気の原因を探るらしい。
「あなたの右肩に、昔の恋人が乗っておる」
 老シャーマンは深くしわがれた声で言った。
 オレは荒唐無稽な診断に失笑しそうになる。シャーマンは薄汚いずだ袋からだしたさまざまな薬草を調合した。オレは指示どおり、ブリキのたらいに水を張って運んできた。シャーマンはすりつぶした薬草をたらいにとくと、ニッキに言った。
「この水を三回すくって飲み、沐浴しなさい」
 いいかげんな迷信を言うシャーマンにつかみかかった。
「アフリカで生水を飲むなんてもってのほかです! 見てください、ニッキは全身発熱で震えてるし、唇は真っ白にひび割れてるじゃないですか。こんな状態で水風呂を浴びるなんて自殺行為です!」
 興奮するオレを制止したのは、ニッキ自身だった。
「この人を信じてみるわ。あんたには言ってなかったけど、昔別れた恋人はストーカーになって自転車に乗ったあたしを車でひき殺そうとしたわ。そのときの肩の傷が急に痛みだしてきたの」
 シャーマンとともに部屋から退出したオレは、五つの卵をわたされた。
「明日の朝、東西南北にむかって卵を投げなさい。もうひとつは、家を出て最初に出会った人にわたすんじゃ。その人が卵を受け取ってくれれば、彼女の病気は治るじゃろう」
 その夜ニッキは深い眠りに落ちていた。

 翌朝になっても眠っているニッキを起こさぬよう、卵をもって庭に出た。朝日をたよりに四方向に卵を投げた。卵は樹木に割れ、草むらに潰れ、ブロック塀に砕け、となりの庭に落下した。
 よしよし、ここまではOK、あとはこいつを受け取ってもらえるかだ。しかし早朝の道路には誰も出てきてはいない。
 電話ボックスみたいなパン屋が、届いたばかりのバケットを店に並べていた。アフリカでは子どもがよく働く。ちじれた髪を細かい三つ編みにあんだ少女に、卵を差しだした。少女はしばらく僕の顔を見つめ、はっと合点して卵を受け取った。
「ご幸運を」
 その笑顔に驚喜したオレは、バケットを三本も買いこんで家に帰った。
 ニッキは三十八度まで下がった体温計を苦笑いとともに差しだした。
 三日後には三六度の平熱にもどり、完全に健康を回復しちゃった。
 こんなことってあるの?って感じだ。大学病院でも治らなかった病気をたった三日で治してしまうシャーマンの力に驚いた。
 オレたちは三十ドルの謝礼を用意して、郊外にあるシャーマンの家を訪ねた。
 これって家?
 道ばたに建つ掘ったて小屋は、たたみ三畳の大きさもない。屋根の高さは一メートル、つまり家のなかで立ちあがることもできないんだよ。シャーマンはここで四十年ものあいだ、奥さんと暮らしている。部屋には木製のベッドと薬草の袋以外なにもない。食事はガスコンロを外にだしてつくるんだって。
 シャーマンは頑固に謝礼を受け取らなかった。実際彼のもとには、他県の人や政府高官まで訪れるという。
 あんまりしつこく謝礼をわたそうとしたんで、老シャーマンは怒った。
「おまえたちは、わしの力を奪い取るつまりか! 精霊は金もうけの道具にされるのを嫌うんじゃ。金に目がくらんで力を失ったシャーマンを何人も見てきたからな」

 ライアル・ワトソンの「アフリカの白い呪術師」という本があるが、竜二が日本人初のアフリカン・シャーマンになったら、「アフリカの黄色い呪術師」というドキュメントをオレが書いてやろう。

11月17日(土)
マヤ暦5月3日

 きゃあっ、「ナマ哲」よ! 本物のテッチーなの、ついにこの目で見ちゃったのよ。
 法政大学の教室に小柄な男がはいってきた。おそらく百六十センチちょっとだろう。紺の背広に水色のYシャツ、白髪交じりの頭におだやかな目が印象的だ。
 中村哲、十八年間をアフガニスタンに捧げてきた男。
 早くも講演を午前中にこなしてきて、このあとにも一本はいっている。一日で三本というハードスケジュールだ。
 学生たちにも頭を下げながら壇上に立ったとたん、満場の拍手。
 最前列に座ったオレは、照れるように微笑むテッチーの目じりのしわが目に飛び込んできた。
 いきなり目頭が熱くなってしまう。
 この小さな体を過酷な風土に放り込み、何千、何万の命を救ってきた男が二メートル先にいる。
 一切のおごりも、飾りもなく、たんたんと話はじめた姿に、アイヌの長老がかさなった。
 「控えめで、威厳あれ」と静かにつぶやいたエカシ(長老)の姿そのものだった。
 一見眠そうなまなざしの奥にはたくさんの死を看取ってきた「彼岸の視線」がある。
 講演の内容は11月13日の日記でカケル君が書き起こしてくれたものをもう一度参照してほしい。

 新しい情報を自分なりにまとめてみる。

 三日前に北部同盟が首都カブールを奪還した。
 ブッシュは「カブール市民は自由を手にした」と言い、日本のテレビでは解放にわく市民たちのうれしそうな風景ばかりが映しだされている。
「音楽が解禁になり、市場には野菜があふれ、美しいドレスがショーウインドウを飾り、子どもたちが凧あげを楽しんでいます」
 タリバンは音楽そのものを禁止していない。テレビに映しだされた喜びの踊りもずっと容認されてきた民族舞踏だ。
 音楽も野菜もドレスもまえからあったんだって。
 野菜食わないと死んじゃうだろうし、美しいドレスは結婚式用などで、凧あげもタリバン支配下でもあったのに、なんでわざわざ映すんだって。
 かつてマスード氏らが率いた北部同盟はカブールで、襲撃、強姦、拉致、拷問、略奪結婚など悪の限りをつくした。ゲリラ兵は美しい女性を誘拐し、自分の妻にしてしまう。だから女性たちは、タリバンの戒律じゃなく、街を歩くことができなかった。
 北部同盟は市内にあるハザラ人の住宅街に砲撃し、六千人の市民を無差別に殺している。
 日本のテレビで報道されている「カブール市民は自由を手にした」というのは、まったくのフィクションだという。
 長い内戦を生き抜いてきた市民はしたたかだ。
 何本もの旗を隠し持って、そのときの征服者に歓迎の旗をふる。なぜなら、反逆者として殺されるからだ。
 テッチー率いるペシャワール会のスタッフは、タリバンと同じパシュトゥン人がほとんどだ。約三十人のスタッフは北部同盟のカブール奪還により、パキスタンにあるペシャワールに帰ろうとした。道路封鎖がしかれるわずか一時間前に命からがら逃げ延びたという。
 なぜなら北部同盟は、ペルシャ語を話せないパシュトゥン人を虐殺している。
 日本では一切報道されない情報だ。
 首から切り落としたパシュトゥン人の頭に五寸釘を打ち込んでさらしているという。
 日露戦争でロシアを破り、英米と戦った日本はアフガニスタンで尊敬されてきた。「アングレージ」(イングリッシュ=イギリス人)という言葉は「敵」を意味する。アメリカと戦い、広島、長崎で原爆を受けた日本人にアフガニスタン人は尊敬と近親感をもつのだ。
 しかし国会答弁でのべたテッチーの意見は完全に無視された。
「自衛隊の派遣は有害無益です」
 しかも「取り消してください」と言われたという。だったら最初から意見を聞くなって。
 真剣にアフガン問題にかかわりつづけてきた人は世界でもこの日本人しかいないのに。それを誇りに思うどころか、当事国がいちばん無視している。
 あらゆる災害派遣に他国の軍隊が来ることは歴史上ない。阪神大震災だって他国の軍隊はこなかっただろう?
 自衛隊派遣によってテッチーの医療活動はかなり制限されてしまう。ひとつの命を救うことが、政治的な「人道援助」によって阻害されるのだ。
 テッチーは言う。
「日本人は、宇宙戦艦ヤマトやガンダムみたいなフィクション報道に踊らされています。ひとつの命を救うことはフィクションじゃありません。アメリカや日本が消費するだけしつくして、アフガニスタンでは百万人が飢え死んでいく、こんな時代は長くつづかないですよ。ここに集まってくれた若者たちに言います。あなたたちは社会の束縛が少ない。大人になると、地位とか名誉とかいろんなしがらみができますからねえ。なんにもとらわれずに、真っ直ぐに見抜く力が必要です」
 その時ひとりの老婆が立ちあがった。
「わたしは八十八歳になりますが、もう死んでいくだけだとあきらめておりました。今日、中村さんの話はわたしたちの言いたかったことをすべて言い尽くしてくれました。それを聞いた若者のたちの反応を見て、未来も暗くはないと思います」
 会場から大きな拍手が響く。
 最前列のオレがふりむくと、学生たちが涙をぬぐっているではないか。
 テッチーは照れて頭をかきながら言った。
「人の為という漢字をあわせると、偽、いつわりという字になっちゃうんです。人を助けるということは、自分を助けてもらうことなんですね」

11月18日(日)
マヤ暦5月4日


 コンビニでアメリカ人の女の子たちがまんじゅうをさしながら「What is this ?」と悩んでいたので、解説してあげた。
「This is Anman.Sweet beans bun」
「Oh One man ! This is Two man ?」女の子はちゃめっ気たっぷりに訊いた。
「No.This is Nikuman.Minced meat」
「Oh Nick man !」
 オレたちが「What time is it now」を「掘った芋いじくるな」とごろ合わせするように、外国人も似たようなやり方で日本語をおぼえる。
ありがとうを「アリゲーター」とか、おはようを「オハイオ」とかね。

 オレがニューヨーク・アカデミーにかよっていたころ、マークという親友がジャパンに行くという。二週間ほどの小旅行だが、ジャパニーズを教えることになった。
 十日間ほどかけて特訓した。
 日常生活に必要な単語から「あなたが好きです」まで、カードをつくってやって休み時間ごとにテストする。
 マークはギリシャ彫刻にでもなりそうなマッチョマンだが、目覚ましい上達を見せた。これで買い物や食事やナンパも少々、困らないはずだ。
 たったひとつの「爆弾」をのぞいては。

 マークがジャパンに行って一週間後に国際電話がかかってきた。
「帰ったら、おまえを殺す。絶対に殺してやる!」
 どうやら爆弾に気づいたみたいだ。

 帰国したマークのアパートに呼ばれた。忍者コスチュームに身を包んだマークが日本刀で切りかかってきた。
 もちろんオモチャだ。
 よく外国人にウソの日本語を教えたりするだろ。しかしオレは「ありがとう」を「オ○○コ」などと教えるような品のないことはしない。こんなのすぐにバレてしまうし、初心者のやることだ。
 マークは浅草の仲見世でちょっと肩がぶつかったおやじに、「Excuse me」をオレから教わった日本語で言った。おやじは「オッケー、オッケー」と言いいながらいきなりマークの手首をつかむ。ポリスステーションにでも連行されるのかと思ったマークは、なぜか地下街にあるヌードルレストランに連れていかれた。
 日本にも強引な客引きがいるものだと思った。
 ロンリー・プラネット社のガイドブック(英語圏の地球の歩き方)にのっていたチャイニーズレストランでウエイトレスを「Excuse me」の日本語で呼んだ。まだオーダーもしていないのにブラウンヌードルがでてくる。文句を言えるほどの日本語は話せないので、あきらめて食べたらけっこう美味しかった。
 そのあと何回かつづけて注文もするまえにブラウンヌードルが勝手に出てきてしまう。
「きっと外国人にブラウンヌードルは絶大な人気なので、めんどくさいから出しちゃえという風習があるのだ」と思った。
 しかしコーヒーショップでウエイターをよぶと、「ありません」と言われる。「ありません」は「We don't have」。きっと「ガイジンなんかに出すコーヒーはない」という差別だ。英語で食ってかかったが、埒が明かない。マークは理不尽なガイジン差別に、ジャパンを怨んだ。
 爆弾とはなにか?
 「Excuse me」を「YAKISOBA」と教えたのだ。
 「Excuse me」はもっともよく使う「すいません」ていどの意味だ。「I am sorry」は「すいません」と教えてある。
 マークは、肩がぶつかったときも「ヤキソバ」、ウエイトレスを呼ぶときも「ヤキソバ」、道を訊くときも「ヤキソバ」、満員電車に乗り込むときも「ヤキソバ」を連発した。
 おみやげは、マークがスーパーマーケットや八百屋で買わされてしまった「UFO」や「ペヤング」だった。
 言語にウイルスを忍ばせる、これも一種のテロなんかな?

11月19日(月)
マヤ暦5月5日

 獅子座流星群見た?
 オレはちょっと仮眠しようとして、気がついたら朝だった。むっちゃくやしい、オレ獅子座なのに。
 子どものころから星を見るのが好きだった。
 母親に叱られたり、友だちとケンカしたり、なにかいやなことがあると、そっと家を抜け出し、河原の堤防にいく。
 星座の名前をおぼえたりするのは苦手で、ただバカみたいにながめる。
 鼻水をすすり、あんぐりと口を開け、ときにはよだれを垂らしながら、ひたすらながめつづけた。
 二百億年前、ビッグバンによって宇宙は生まれた。四十六億年前、宇宙のゴミ(塵やガス)から太陽系が生まれた。三十七億年前、地球に生命が生まれた。四十二年前、オレも宇宙のゴミから生まれた。
 年数が大きすぎて実感できないときは、お金に置き換えるといい。
 宇宙さんは200000000円もっている。太陽さんは460000000円、オレたちの祖先は370000000円、オレは42円しかもってない。君はいくらもってる?
 しかし宇宙さんも、太陽さんも、ゾウリムシさんも、オレたちも、宇宙のゴミから出来ている。宇宙にただよう元素をよせ集め、星になったり、海になったり、陸になったり、木になったり、石になったり、豚になったり、クワガタになったり、貿易センターになったり、ハイジャックされた飛行機になったり、ビンちゃんやブッチャーになったり、君になったりする。
 宇宙にただよう塵が集まって君というビデオ映像をつくっている。
 こう考えるとき、いろんな選択がある。
 そこでクイズ。
「よりよい生き方をつぎの三つから選びなさい」
 クイズだから正解はひとつしかない。

 1、この世はどうせ無常なんだから、自殺かテロでもしちゃえ。
 2、自分のビデオは一回きりなんだから、力の限り生きよう。
 3、まっ、ラーメンでも食べよう。

 獅子座流星群だって、飛び降り自殺を見るようなもんだ。
 君がどんなくだらない理由で死んでも、
 君は永遠に「在りつづける」んだからしかたがない。

 正解3

11月20日(火)
マヤ暦5月6日


 「アヤワスカ」の最終チェックに講談社へ行った。
 いつもながら、できあがった表紙を見るのは感無量だ。写真はオレ、装丁は人気ナンバーワンの鈴木成一さんだ。成一さんには「アジアントランス」のときもお世話になったし、センス抜群だよなあ。
 ふつう表紙はイラストか写真でできていて、装丁(ブック・デザイン)なんてたいした仕事じゃないと思うだろう? ちがう、ちがう、装丁はヴィジュアル部門のプロデューサーなんだ。作者としては、すんごい気に入ってる。


 浅草の回転寿司「まぐろ人」で、大トロ二かんとウニとイクラがこぼれ落ちている合わせ盛りも食ってしまった。おととい中村哲医師の講演会に来たときも食ったのに。
 家に帰ると、ペシャワール会から絵はがきが届いていた。雄大なヒンズークシ山脈を背景にヤギを連れた男が微笑んでいる。裏面にはこないだの寄付に対する感謝が述べられていた。
 「これから厳冬期に入るアフガンで、飢餓に苦しむ人々へ食料を届けるために、カブールの5診療所を中心に活動を始めています。」
 オレが寿司に費やした千円でアフガンの十人家族が二週間生き延びられる。
 世界有数の経済大国と最貧国をくらべてもしょうがないと言われるかもしれないが、これってやっぱおかしいよ。
 まず最初に知っておかなくちゃならないのは、オレたちは人類史の中で物質的ぜいたくを享受できた「最後の世代」になるということ。

 一九七二年、マサチューセッツ工科大学のシステム分析の専門家メドゥス博士たちがコンピューター・シュミレーション「ワールド1」による大がかりな未来予測をおこなった。あるていどの結果は予想していたものの、はるかに惨憺たる未来像が導き出されたのだ。
「百年以内に地球上の成長は限界に達するだろう」
 そこでさまざまな可能性を追及した最終モデルまでいきつく。しかし人類が最善を尽くしたとしても、同じだった。
「核エネルギーを生産し、資源を循環させ、もっとも困難な場所からも採掘し、汚染を出来るかぎり抑え、土地の収穫量を増大させ、両親が本当に望む子どもだけを生んでも」、工業成長は停止し、資源は枯渇し、食料生産は減少し、死亡率は一気に高まる。
 のちにおこなわれた「ワールド3」シュミレーションでは、さらに悲惨な結果が出ている。
「一九九五年〜二〇〇〇年のあいだに大きな転換ができなければ、二一世紀前半に大規模な破局はまぬがれないだろう」
 げげっ、もう手遅れじゃん。
 しかも旧態依然とした戦争なんかやってるし。
 ヨーロッパはとっくに方向転換している。ドイツの友人宅で水を出しっぱなしにして皿を洗っていたら怒られた。スーパーでマイバッグを忘れたら、ビニール袋に二百円もとられた。ドイツでゴミは「処分」するものではなく、「回避」するものとして扱われている。包装材の八十パーセントを企業が引き取り、そのうちの八十パーセントを再利用することを義務づけられている。ドイツは必要エネルギーの約半分を風力発電に切り替え、オランダや北欧も原発を止めている。
 廃棄物処理への環境税は世界十八カ国で導入されているし、カップ麺とかの使い捨て容器に対する課税も四カ国で採用されている。アメリカは有害化学物質放出目録で六百五十種類の化学物質の放出量をインターネットで公開するのを義務づけている。
 オランダは社員制度をやめ、ワーク・シェアリング(いわゆる総バイト制)の導入によってリストラ被害を最小限にとどめることに成功している。労働時間を大幅に減らし、家族や友人と過ごす。生きる意味を考え知的な生活を楽しむ。ヨーロッパは「みんなが少しずつ我慢しよう」という、持続可能な環境型経済システムの段階に移行しつつある。
 先進国の中でもっともおくれているのが日本だ。
 利権にしがみつく政治家たちが、経済成長の妨げになる「環境法」に反対している。
 GDP(国内総生産)という時代おくれの幻想にしがみつき、「景気回復」「国民消費の増大」「経済成長」と、過去の呪文をくり返すばかりだ。
 GDPというのは、「いかに金を使ったか」ということだ。
 オレが壁打ちテニスじゃなく、コートを借りればGDPはあがる。健康じゃなく、病院へいけばGDPはあがる。自給自足の野菜を食うのじゃなく、回転寿司へいけばGDPはあがる。
 健康で自立した生活は「悪」なのだ。こんな物差しを平気で使っていたオレたちのほうが、おかしいんじゃないか?
 あきらかに時代は、折り返し地点に来ている。
 国際社会が協力して、ゼロ成長社会へ転換しなければならない。
 オレたちが物質文明最後の世代なんだ。
 そしてオレたちこそが、折り返す勇気を試されているんだ。

 このままじゃ、オレたちはかわいい孫から言われるだろう。
「おじいちゃんは、ぼくたちが苦しむのをわかっていたのに、なぜ我慢してくれなかったの?」


11月21日(水)
マヤ暦5月7日

 栃木県黒磯市の女児誘拐事件の初公判で、二十二歳の男二人が犯行の様子を語った。
 路上で遊んでいた七歳の女の子を車に連れ込み、自宅のアパートに拉致した。翌十五日正午ごろ女の子を解放するまで二十四時間にわたって拘束した。
「新潟で女の子を九年間監禁した事件の記録を破ろう」
 犯人は、少女が主人公のアニメやパソコンゲームに興じるうちに、少女に興味を抱くようになったという。
 テレビの司会者は「馬鹿野郎」で片づけていたが、これだけロリコン犯罪が激増しているのはなぜだろ?
 幼児性愛症候群を「ペドフィル」という。ペドが「幼児」、フィルが「好む」という意味だ。
 青山正明という優秀な編集者が自殺したが、彼もタイやインドネシアに少女売春を求めてかよっていた。大物ではマイケル・ジャクソン、ウイリアム・バローズ、三島由紀夫、稲垣足穂など、あげていったらきりがない。ギリシャのアカデミーもキリスト教の修道院も日本の寺もかつてはペドフィルがおおやけにおこなわれていた。
 ペドフィルは圧倒的に先進国に多い。自国で認められていない幼児売春を求めて、日本人や欧米人は東南アジアやモロッコへいく。
 男性だけでなく欧米女性も少年たちを性の奴隷化する。睾丸にホルモン剤を注射して勃起力を高めさせ、コカインやアンフェタミンで何時間でも奉仕させる。
 八十年代の日本はチャイルド・ポルノの超大国だった。日本製のビニ本がヨーロッパやアメリカに出回り、現在ではインターネットを使ったシンジケートが暗躍している。
 ルーマニアでは、人口増加政策をとってきたチャウシェスク独裁政権が崩壊し、子どもたちが街頭に捨てられた。子どもたちは売春奴隷としてヨーロッパに売られた。ベルリンの壁が壊れると、東ヨーロッパの子どもたちが流れ込み、ベルリンの中央駅には二千人もの売春児童があふれた。
 日本ではオタク文化が花開き、宮崎勤の事件やアニメブームで「オタク」という日本語は海外でも知られるようになった。アダルトチルドレンと呼ばれる成人たちは大人になることを執拗に拒み、ひきこもりや虐待をおこなう。女性たちは「いかに若く見られるか」でしのぎを削り、女子高生はアニメキャラクターを擬態するファッションやメイクを競っている。
 どうしてオレたちはこんなにも幼児性に魅かれるのか?
 「ネオテニー(幼形成熟)」という生物学用語がある。
 ウーパールーパという山椒魚を知っているだろうか。日本でもペットとして人気のあったピンク色の可愛い両生類だ。人気の秘密はネオテニーにある。
 ふつう生物は成長にしたがい「大人の体」になる。しかしウーパールーパはエラのついた「子どもの体」のまま成熟し、子孫を残す。
 人間の爆発的進化を生んだのはネオテニーである。
 猿やチンパンジーの赤ちゃんは、人間の赤ちゃんそっくりの頭蓋骨をしている。しかし成長にしたがい劇的に形態を変化させていく。
 人間にはこのように大きな変化はおこらない。ほかの哺乳類と比べ人間の赤ちゃんは極端な「未熟児」状態で生まれ、長い幼年期を過ごす。幼いほうが学習能力が高いし、適応能力も優れている。
 「幼いことはいいことだ」
 これは人類史の中で証明されてきた生物的戦略であり、本能である。

 ペドフィル、ロリコン、オタク、引きこもり、アニメファッション、リアリティーの喪失、少年犯罪、不登校、学級崩壊など、悪い側面ばかりが語られてきた。もちろん犯罪には賛成しないが、オレは大きな変化の前兆だと思う。
 産業革命の直前に人口が激増した。産業革命のあとではない、前に準備がなされるのだ。べつに「神の力だ」と言うつもりはないが、時代の集合無意識が大きな変化を予知するんじゃないかな。
 時代がパラダイム・シフト(価値の転換)を起こしたら、古い教育や常識など使い物にならなくなる。
 しばらく混乱がつづくだろうが、一本の鼻毛のような希望でも捨ててはならない。


11月22日(木)
マヤ暦5月8日


 音楽の相棒タケちゃんにホームページづくりを教えた。
 七ヶ月前にはじめたときには、なあんもわからなかったのに、今では人様に教えられるようになってしまった。まあ中学生が小学生にたし算教えてるようなレベルだけどね。
 タケちゃんがお礼にと養老の滝でおごってくれた。
 そんときに聞いたおもしろい話。
 今朝タケちゃんの奥さんヤスコちゃんが朝四時に起きてしまった。
「なんでこんな時間に起きんだよ」同じベッドで寝ているタケちゃんは迷惑そうに訊いた。
「ごめんね。なんか寝つけなくて。ちょっと、おばあちゃんのところに行ってくるわ」
 午前四時。ヤスコちゃんはもう何年間も毎日介護にかよっているのに、こんな時間に行くのははじめてだ。昨日はたまたま用事があっていけなかったという。
 二十分後、ヤスコちゃんがおばあちゃんの家に到着すると、電気がついているではないか。
 おばあちゃんの身に、なにかあったのでは!
 不安にかられて玄関をあけると、おばあちゃんが布団から起き上がって素っ頓狂な声をあげた。
「あんれまあ!」
「どうかしたの、おばあちゃん?」
「ヤスコに会いたくなって、ヤスコ、ヤスコと唱えたんだあ。したらば、ほんとに来ちまった」

 これ書き忘れてたんだけど、中村医師の講演会が終わって外に出たとき、女の人から声をかけられた。
「どうしてこの講演会を知ったんですか?」
「自分のホームページで中村医師のことを紹介してるんです」オレは言った。
 名刺を交換すると、ベルギー在住のフリージャーナリストで角取明子さんという。
「えっ、paperbackに書いてるAKIRAさんですか?!」
「ええ、そうですけど」
「私、スイッチの依頼でこの取材に来たんです」
「おおっ、じゃあ増渕さんもごぞんじですよね」
「もちろんです」
 paperbackの編集長すぶやんこと増渕さんは、編集後記で今回の戦争に関してこう書いている。
「素樹さんをはじめとする複数の方々はHPで闊達な意見を述べてましたが、特にAKIRAさんが教えてくれた『マスコミが報道しないアフガニスタンの実情』(アフガン難民に対する医療ボランティア・中村医師の講演記録)には目からウロコが落ちるというか、今回の戦争がいかに不毛なことか、知ることができました」
 めぐりめぐって角取さんに取材依頼がきて、たまたま声をかけたのが発信源のオレだったというわけ。
 目に見えない「インナーネット」のシンクロが加速している。

11月23日(金)
マヤ暦5月9日


 引きこもりの男の子たちを引っ張り出す熱血おばちゃんをNHKが取材した。
 おさださんは体当たりで子どもたちにぶつかっていく。
 引きこもりや不登校の男の子たちを寮に引き取り、きびしさと愛情で育てる。アイヌの大地母神、山道康子さんと豪快な笑い方までそっくりだ。
 おさださん自身、中学、高校と五年間壮絶ないじめにあう。痛みをわかっているこそ、やさしく、きびしくできる。
「子どもばかりを責めるんじゃないよ、親が変わんなきゃ子どもも変わんない。親と子どもは運命共同体なんだよ」

 トトチョフ(父親)の咳がひどい。
 七十一歳、もう二週間も風邪が直らないのに働きにいっている。人材派遣で紹介されたホテルの蒲団敷き、蒲団上げの仕事だ。朝の八時から昼の十二時まで、夕方六時から夜の九時まで、七時間働く。
 今日から世間は三連休で、紅葉が終わった日光の最後のピークだ。暖房でむせ返る部屋で肉体労働をするため、大量の汗をかく。仕事のあとで汗が急激に冷え込み、風邪をひいたのだそうだ。
 トトチョフは蒲団敷き以外の仕事を知らない。
 五十年以上前、オレの祖父母、松吉とトヨが東照宮の近くに宮の下旅館というのを建てた。宇都宮の工業高校を卒業した十八歳のトトチョフは、親戚との共同経営の社長となった。
 戦後の貧しい時期にトヨタ8のスポーツカーを乗り回し、ロシニョールのスキーでゲレンデの注目を集める華やかな青春時代を過ごした。一人っ子のボンボンは人間関係を築くのが苦手で、孤独な山登りを愛した。
 二十六歳のころ山頂でババチョフと(母親)と知り合う。ババチョフが交通事故で入院したとき、当時贅沢品だったチョコレートをお見舞いに持っていった。トトチョフの純粋さとチョコレートにつられ、ババチョフは結婚を決める。
 オレが生まれたときから三歳までの記録映画が残っている。
 ホームビデオなんか想像もできない時代の八ミリ映画である。このホームページのトップにある「立ちションするオレとババチョフ」の写真もトトチョフの作品だ。
 自然を愛し、人間とうまくつきあえない若き日のトトチョフは、旅館の経営を親戚にゆだねていた。いつしか主導権は親戚が握り、トトチョフはただの蒲団敷きに落ちぶれていった。
 やさしかったトトチョフが酒乱になり、家庭が崩壊したのもこの時期とかさなる。
 二年ほどまえに旅館がリニューアルしたとき、六十九歳をむかえたトトチョフは完全に引退した。
 一生のあいだ蒲団敷きしかしたことのないトトチョフは、新しい仕事が見つからなかった。朝五時に起きてから夜の十時に眠るまで、ひたすらテレビを見つづける。ババチョフを亡くし、仕事をなくし、なにをやっていいにかわからなかった。
 楽しみといえば、トレッキングとスキー、そして孫と遊ぶことだ。七歳の凛太郎はトトチョフの頭を平気でひっぱたく。最近おぼえてきたスラングとともに。
「つっかえねえ!」
 オレと妹が幼いころおびえていた独裁者が、仏様のようにニコニコ許している。
「んじゃ、つかえるようにしてくれ」

 一ヶ月まえから、ふたたびトトチョフは蒲団敷きに復帰した。
 実際、家賃、電気代、ガス代、猫のエサはトトチョフが払っている。電話代と食費を受け持つオレは「居候」だ。
 オレはパソコンのまえで仕事をし、壁打ちテニスやプールにかよう。トトチョフは風邪をひきながらも蒲団敷きで汗を流す。
 咳き込みながらも仕事へいくトトチョフを見送ると、なんだか胸が痛くなってしまう。
 やっと四十年もかかって、心から父親を尊敬できるようになってきた。
 おそいね。

11月24日(土)
マヤ暦5月10日

 湘南に引っ越した素樹文生の新居でハウス・ウォーミング・パーティー(新しく引っ越した家を暖めるという英語の慣用句)をやった。
 紅葉に染まった裏山には神社があり、洞穴から縄文時代の遺跡も見つかっているという。海まで歩いて十分の快適な環境だ。五万ほど家賃が安くなり、少しせまくなった新居に今までで最大の十二人が集まった。またもや夕方四時から朝の四時まで飲みつづける。
 ホームページの日記をやめた素樹は、悠々自適の日々を過ごしている。読書を楽しみ、執筆に集中し、三メートル四方の庭にこじんまりと野菜を植えているのには笑えた。
 ひさびさに熱い話を聞かせてくれる。
「十九歳のころ、カミダーリ(沖縄のシャーマンが通過する激しい精神的動揺)にかかったんですよ。あてどもなく道をさまよったり、絶叫しながら壁に頭を打ち付けたりしました。世界中の悲しみが自分を通して出口を求めるんです」
 これこそ作家の根源的条件だ。うすうす感づいてはいたが、やつはオレよりシャーマン的資質をもっている。
「現代のアメリカは歴史上でもっとも寛容な征服者なんじゃありませんか?」
 衝撃的なひと言である。誤解されるのを承知であえて書かねばならない。やつはニューヨークで生まれ、オレは青年時代を同じ街ですごした。アメリカは人類史はじまっていらい初の人種の実験場だった。アメリカの傲慢さと残酷さ、東京大空襲、広島、長崎の原爆、日本占領後の略奪、強姦、暴行など、もちろん知っている。歴史のパースペクティヴを見渡したうえでの言葉だ。世間と反対の視点の反対、あらゆる視点を受け入れられる「柔軟さ」を素樹は教えてくれる。
「ゴルフは狩りですよ。このスポーツがどれだけ環境を破壊するかわかっているのに、人々を虜にしてしまう力あるんですよ」
 オレもやみくもに反対するだけじゃなく、ゴルフに挑戦してみよう。
「天の邪鬼主義は日記じゃなくて、革命を迫る最後通告なんです」
「革命?」
「そんな作品を書いてください」
 「革命」などという大それた考えは、ぜんぜんない。
 シャーマン素樹にいわれると、その気になってくる。
 自分自身の作品に集中するために、
 今年いっぱいで日記をやめようかな。
 それまでにオレは頭のなかにある自分のゴミを書きつくそうと思う。

11月25日(日)
マヤ暦5月11日


 素樹家をあとに、日比谷野外音楽堂で開かれる古代フラダンスを見に行った。
 アメリカの戦争で来日も危ぶまれたが、「こんなときだからこそ」と、先住民たちは踏み切ったという。
 ビル群にかこまれた日比谷公園は都会のオアシスだ。紅葉した木々を見上げながら家族連れや旅行に行けない人々が連休を楽しんでいる。
 早めにいったオレは、ピース・ウォークの主催者小林一朗さんと客席に落ちた鳩のフンをタワシでこすり落とした。生まれたときから全盲のサトル君の手を引いて、最前列に陣取る。長蛇の列が入場する。千人を超える観客が集まってくれた。
 古代フラ「フラカヒコ」はショーアップされたフラダンス(フラ・アウアナ)とは別物だ。
 老女のシャーマンが祝詞を上げた瞬間に、一陣の風が吹いた。会場を囲んだ銀杏が黄色い葉を拍手のようにまき散らす。オレはシャーマンが作りだす「あり得ない偶然の一致」を何度も目にしているが、背中の産毛が逆毛だった。
 古代フラダンス・フラカヒコは「見せ物でやってはいけない」。
 このカプー(=タブー)という禁を破ってまで彼らは日本に来ることを決意した。
 ハワイの神々へ、祈りに満ちた踊りは人々の心を動かした。
 環境保護団体の人にも、フラダンス教室に通う人にも、いっしょに飛びはねる子どもたちも。
「昨日京都にいきました。神社やお寺やお墓をめぐり、日本人がどれだけ祖先たちを大切にしているかを知りました。しかしたった今も、私たちの祖先のお墓はブルトーザーで壊され、JALがつくっているゴルフ場や日本の人たちの高級分譲地にされています」
 長老の女性は声を詰まらせた。
 雨で流出する土と芝生用の農薬に、サンゴ礁は窒息し、魚たちを殺す。
 司会のきくちゆみさんも泣いていた。
 観客全員が手をつないだ。オレのホームページで知り合ったはっしーやVictorさん、宇賀神さんもいっしょに手をつなぐ。
 ハワイの人たちに日本の歌をかえそうと「ふるさと」を歌った。大地に生かされていることを思い出させてくれる歌だった。

うさぎ追いしかの山
小ブナ釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき
ふるさと

いかにいます父母
つつがなきや友がき
雨に風につけても
思い出ずる
ふるさと

こころざしを果たして
いつの日にか帰らん
山は青きふるさと
水は清き
ふるさと

11月26日(月)
マヤ暦5月12日


 戦争のニュースで目立たないが、「ブチギレ」症候群の事件はつづいている。
 暴走族が少年を暴行死させたり、フラれた女を殺したり、連れ子を金づちで殴ったりと、日本中がブチギレまくっている。
 病名をADHD(Attention Dificit Hyperactivity Disorder)注意欠陥、多動性障害という。日本では五〜八パーセントの子どもが発症している。
 ADHD患者の脳をスキャンするとドーパミンのレセプターが増えていた。ドーパミンは高等な哺乳類だけがもつ神経伝達物質で、極端に肥大化した大脳で大量に使われるものだ。覚せい剤やコカインをやった状態と同じで、まわりが見えなくなり興奮しやすくなる。
 ADHD原因は、社会構造のストレスや人間関係の崩壊などいろいろ理由はあげられるが、最近別の角度から研究がすすんでいる。
 「内分泌撹乱物質」、いわゆる環境ホルモンの影響だ。
 驚くなかれ、日本の空気は世界一ダイオキシン濃度が高い!
 枯葉剤をまかれた当時のベトナムでダイオキシン体内残留濃度はもっとも低い人で100ppt前後だった。現在日本の大都市に住む人のダイオキシン体内残留濃度は90pptをこえているんだって。
 これじゃ日本の空気を吸うことが戦争じゃん。
 若者の精子が減り、魚介類をはじめ自然界がメス化している。環境ホルモンは女性ホルモンのレセプターと結合し、さまざまな異常をもたらす。
 アルミ鍋はアルツハイマーを誘発することがわかって使われなくなったが、アルミ缶は健在だ。企業側は「沸騰させないからだいじょうぶ」と言う。でも水の基本的性質は「すべてを溶かしつづける」ことだ。ガラスでも陶器でも金属でも、水は刻一刻と溶かしつづける。
 洗剤にふくまれる界面活性剤が分解してできるノニルフェノールは下水から地面に染み込むだけでなく、洗った皿やカップから人体にはいる。
 プラスチック原材料のビスフェノールAは、水道管の内張り、虫歯の白い詰め物、哺乳瓶、粉ミルク缶や缶詰や瓶のふたの内側のコーティング、カップ麺の発泡スチロール容器などに使われている。オランダでは日本のカップ麺が人気だが、容器は環境ホルモンの害のないポリプロピレンに変えられている。カップ麺の容器を箸で傷つけちゃヤバイ。それほど日本政府の規制は甘いってことだ。
 五年ほど前だけど、友人が某コンビニのお弁当工場で働いていた。消毒液にゴム手袋をビショビショにひたし、型押しされたおにぎりを握る。友人はコンビニのおにぎりや弁当を食べられなくなった。
 日本は小麦のほとんどをアメリカから輸入している。防虫のため保存するあいだも船で運搬するあいだも大量の農薬をくりかえし使う。麦が見えなくなるくらい農薬がふりかけられるので、その船の船長は絶対日本でパンを食べないそうだ。
 そんなこんなで、現代人の体内には生まれたときには存在していなかった化学物質が二百五十種類もはいっているんだって。
 合成着色料、保存料や酸化防止剤、人工甘味料は脳を直撃する。アメリカの五大湖周辺の子どもの知能低下が騒がれたが、日本でも同じことが起こっている。八〇年代初頭に小学六年生に家の絵を描かせたら立体的に描けたが、今では家の四角と屋根の三角という二次元でしか描けない子どもが増えている。日本の大学生の知能低下は教育システムの問題だけじゃないんだな。
 犯罪者やブチギレる若者を責めるんじゃなく、原因をつくりだした社会システムを根本から変える時代にきている。
 「国のたちおくれた行政なんか待っていられるか」と、上越市(新潟県)、鯖江市(福井県)、水俣市(熊本県)などが動き出している。スイスにある国際標準化機構(ISO)が定めた国際規格の環境マネジメントシステムを取り入れ、環境に配慮した取り組みを進めている。
 ローソンが社内募集した「次世代コンビニ」のアイディアで採用になった「ナチュラルローソン」が全国展開を見せている。環境破壊の先陣であるコンビニ産業までもが方向転換しはじめた。ソニーやトヨタやNECも動きはじめているし、環境問題を無視する企業は淘汰されていくだろう。
 人類なんて地球という人格の細胞にしかすぎない。
 地球自身の進化という目的のために人類を野放しにしてやった。地球がブチギレるまえにオレたちは暴走をやめないと、ヤバイね。
 チェーンソーをもった木とか、包丁をもった牛とか、サリンをふりまく米とか、暴走族よりも恐い集団リンチにあうぜ。

11月27日(火)
マヤ暦5月13日


 昨日書いた「ブチギレ」症候群についてTさんから切実なメールがきた。

 椅子に座ってるとイライラしてきて頭の中で自分が机をバーンと叩いて教室を出て行く場面ばっかり浮かんで来たり、人に向かってシャーペン投げたくなったり。
 実際にそんなことはしなかったけれど。その時の事をよく思い出してあの時ブチきれる寸前だったんだって勝手に解釈してます。
 でも小学生の時は授業中とか何時間でもじーっと同じ体制で座っていられていたのに。
 今は独り言が止まりません。口には出してないけど、心の中で喋っていて、それこそこうやって書いているような口調で。
 今までの嫌だった事とかもう済んだことなのに。
 ADHDか何かわからないけど、病気かもしれません。カウンセリングとかに行った方が良いんでしょうか。どこかで見てもらったほうがいいんでしょうか。
 弟がいるんですけど急に「16歳のまま0歳になりたいなあ」とか言ったりして、それが気になってしょうがないとか。
 わたしは変な事ばっかりしてるし自分が恐いです。
 聞き間違いばっかりで、幻聴?もあるし。外に出られない。自分のせいでもあるけど。
 という気持ちと、ま別にいいかと言う気持ちでさらにどうしていいのかわかりません。
こんなのただの猿真似だとか猿芝居だとかいう言葉がうかんでもくるし。

                ※

 ひとり言は病気じゃない。
 ADHDもTさんも病気じゃない。
「16歳のまま0歳になりたいなあ」
 それはみんなの本音だし、
 病んでいるのはこの社会だ。
 しかし社会批判ばかりしていてもなにも変わらない。
「こんなのただの猿真似だ」という際限ない自己問答は痛いほどわかるよ。
 オレは作家というひとり言を職業とし、今も際限ない自己問答をくりかえしながらこの日記を書いている。
 Tさんの参考になるかどうかわからないけど、自分のことを書いてみる。
 オレも二十歳のころ、なにもかもが気にくわなかった。
 横断歩道の向こう岸から灰色の鎧で攻めてくるサラリーマンも、「根性」をえんえんと説くもと全学連の先輩も、「長いものには巻かれろ」とさとす北池袋セブンイレブンの上司も。なにもかもが憎かった。
 道を歩きながらひとり言ばかりつぶやく。
 子どものころからひとり言が多かった。学校の机に縛りつけられながらも、遠い世界にトリップしていた。そこは自分が本当のヒーローになれる楽園だ。
 この楽園を邪魔するものはみんなみんな殺したかった。
 わけのわからない底なし沼にのみこまれ、全身の皮膚が水泡でおおわれて腐っていく感じをありありとおぼえている。
 中学校になってはじめて武器を手にした。
 音楽だ。
 授業中はノートの真ん中に線を引いて、ひとり言を詩にしていた。家に帰るとギターで詩に曲をつける。中間テストだろうが、期末試験だろうが、学校の勉強なんてどうでもいい。
 音楽の成績は最低だ。五段階評価でずっと二だった。授業中はひとり言をつぶやきながら詩を書いているし、先生からも問題児として無視されていた。縦笛のテストで星野先生に反抗して、窓から笛を捨てたオレははじめて最低限の一をもらった。
 つぎの学期の課題はギターだった。
 生徒たちから噂を聞いていた星野先生は、オレに「荒城の月」の模範演奏を求めた。どうせ「ギターがうまいアキラ君」に難癖つけて、たたき潰すに決まってる。求められることについ反抗してしまうオレは、「荒城の月」をイントロ風につなげて、オリジナル曲「追悼」を歌った。

 あなたはなにを縫っているのですか
 涙の糸は針を通りますか
 思い出をつなぎあわせて
 温かいちゃんちゃんこを縫っているのよ
 そしてふるさとにあるあの人のお墓に
 やさしくかけてあげるのよ

 信じられない光景に生徒たちは唖然としていた。「鬼の星野」と呼ばれた女教師が声をあげて泣いていた。
 星野先生の身内にでも死者が出たのか、劣等生の意外な才能に驚いたのかは、いまだにたしかめるすべはない。
 星野先生の態度が変わった。
 音楽の授業のたびに「新しい曲できた?」と、歌わせられる。おかげでオレのクラスの男子は半分以上ギターが弾けるようになり、通信簿も一からいきなり五になってしまった。卒業アルバムを見ると笑ってしまうが、ギターを弾くオレをかこんだ三年四組は「歌える天使たち」というタイトルで紹介されている。

 こんな世の中に適応できないやつのほうが正しい。
 なにも疑問を持たないやつらのほうが狂っているんだ。
 ただこの言葉を大上段に振りかざすのはやめよう。オウムと同じ「わたしは正しい、あなたはまちがっている」とすべての世界を拒絶してしまうからだ。
 しつこいくらい言うけど、オレたちの敵は「自分とちがう者」ではない。本当の敵は「ちがい」を見下し、排斥し、国境線を引く自分自身のチョークなのだから。
 ひとり言は黒板消しだ。
 どんどんひとり言をつぶやこう。
 すれちがう人にあやしまれようとも、回り道だろうと、必ずひとり言はみんなにとどく。
 ひとりひとりの小さなささやきが、巨大なうねりとなって最後の革命を起こすとオレは信じている。

11月28日(水)
マヤ暦5月14日


 コピーをしようとにサンクスにむかうとちゅう、すれちがった小学生が言った。
「海賊だ!」
 ディズニーランドの影響か、ひげにバンダナは「海賊」のトレードマークらしい。これでもう三回目だ。
 おばちゃんがコピーをしていたために、ぴあを立ち読みする。すると「バック・ミュンスター・フラー展」が青山のワタリウムで開かれるという。
「なるほど、海賊つながりのシンクロだな」とオレは思った。
 バッキーは日本で突飛な建築家と思われているが、世界では革命的思想家として知られている。エコロジー・ムーヴメントやインターネットの始祖だ。
 二十世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ(メディア学者マーシャル・マクルーハンが言った)と呼ばれるバッキーのことは知らないでも、「宇宙船地球号」という言葉は聞いたことがあるだろう?
 早くも一九六三年に発表された「宇宙船地球号操縦マニュアル」は人類に運命共同体的な「全地球的思考」をせまっている。まだニューエージもガイア仮説もシステム論もビートルズもボブ・ディランも登場していない時代にね。
 「宇宙船地球号操縦マニュアル」は「偉大なる海賊」の話に前半部分をさいている。
 地球が平らだと信じられていた当時、「偉大なる海賊」だけがすべてを知っていた。
 二十世紀に飛行機が発明されるまで、人間は地球の表面の百万分の一しか知ることはできなかった。人々はそれぞれの陸地で王国をつくり、その国でしか通用しない法律や常識を信じて暮らしていた。しかし地球の四分の三を占める海を縦横無尽に行き交っていた海賊は、「地球の法律」を知っていたのだ。
 海賊は各地の王たちに秘密の知識を伝え、陸地を統治させた。優秀な若者を集め、大学の基礎を築いた。ダ・ヴィンチのような天才に航海術や兵法を伝えたという仮説だ。
 一八九五年生れのバッキーはぶっ飛んでいる。あまりにも未来を先取りしていた天才に追いつこうと未来がすがって、やっと近年再評価された。
 一九二七年に発表された気球で持ち運び可能な十階建てのマンション「4ーDハウス」、エネルギーの最少入力によって最大効率を得る流線型「ダイマクション・カー」、モントリオール万博で有名なアメリカ館の蜂の巣ドーム、すべてがつながっているという「シナジー(synergy)」理論など、バッキーの思想は巨大すぎてここで全部は紹介しきれない。
 となり町の今市にバッキー建築の耳鼻科ができたので、今度話を聞きにいこうと思う。ハワイの先住民をよんだきくちゆみさんと森田玄さん夫妻がフラー・ドームの輸入元を引き受けているという。
 オレはかなり昔からわけのわからんオヤジ・バッキーのファンだし、宇宙的な視野に共振してしまう。バッキーの考えは現代人に発想の大転換を迫る。 四十年もまえにこんなことを言ってるんだぜ。

「今日の人類のありさまをわたしが描くとすれば、まさに一秒前に割れた卵の殻の破片の真ん中からわれわれが踏み出そうとしている図である。われわれの無知を養い、試行錯誤を守ってきた滋養分はつきてしまった。われわれは知性という両翼をひろげ、飛び立たなければならない時期にさしかかっている。さもなければ破滅するしかない」


11月29日(木)
マヤ暦5月15日


 アメリカ軍がイラクの防空司令施設を爆撃した。
 アメリカが発表した声明はこうだ。「イラクからの脅威に対処したもので、対テロ戦とは関係ない」
 もう笑ってしまうよな。
 ブッシュが、イラクの大量破壊兵器査察を受け入れるよう要求した次の日だぜ。自分が膨大な大量破壊兵器をもっていて、イラクがちょっと製造すると、もう爆撃。どういう理論を考えたって、むちゃくちゃだろ。
 ドイツ、フランス、中国が反対を表明したが、世界中が団結してアメリカの横暴を食い止めないとやばいね。そのために国連とかつくったんだろ? おい。
 ところが日本はアメリカへのゴマすりのために、とんでもないことをやってしまった。国連で日本が提案した「安保理決議」である。
「イラクが査察を拒否した時は可能な限りの制裁を加える」という戦争の合法化だ。これさえなければアメリカは宣戦布告できなかったのに。
 最悪のシナリオは大中東戦争に自衛隊が参戦、よくて戦費や戦後処理の膨大な金額を払わせられる。ただでさえ不況であえいでいる日本がそんな金払わせられたら、ますます福祉関係の金は削られるし、国がつぶれるよ。オレは一円の税金も戦争に払いたくないね。
 アメリカは軍事産業で儲かるから戦争をしたくてたまらないのよ。
 アフガンの何もない砂漠を爆撃してるのは誤爆じゃなくて石油パイプラインの基礎工事なんだって。ラマダンちゅうにモスクを「誤爆」するのも、イラクをはじめとするイスラム諸国を挑発するため。ビンちゃんも貿易センターのテロは「アメリカの影の政府の陰謀」だって言ってるし。イスラエルの諜報機関モサドがからんでいるという説まで出てきている。
 いいかげんにしてくれ!
 もう政治の話なんかあきあきだ。
 歴史のスポットライトは百年ごとに移動してきた。
 十五世紀、ルネッサンス文明を花開かせたイタリア。
 十六世紀、大航海時代に東方貿易を独占したポルトガル。
 十七世紀、南米を支配したスペイン。
 十八世紀、宮廷文化を究めたフランス。
 十九世紀、産業革命を起こしたイギリス。
 二十世紀、資本主義を謳歌したアメリカ。
 二一世紀、?
 もうスポットライトなんかいらないね。
 そろそろ電気を消そうよ。
 オレたち自身が内側から発する光で地球を包むんだ。
 きれいごとや理想じゃない。
 それがオレたちに残された唯一の選択だから。

11月30日(金)
マヤ暦5月16日

 日記をやめた素樹文生がなにをやっているか知りたくてうずうずしてるファンも多いだろう。今日やつから珍しくメールがきた。オレ一人で楽しむのももったいないくらい熱い内容なので、勝手に載せちゃう。


どーでもいい話ですが、「ゴルフの魅力」が、また新たにわかりました。
わかってくれそうな人が他にいないので、押し付けがましくアキラさん教えてしまいます。
なぜこれほど自分を虜にさせるのか。
それは、多くの試行錯誤の末に(偶然であれ)完成されたスタイルを持ち得た時。
そのスイングで、自分の体内に秘められたフィジカルな「エネルギー」と「意志」
が、腰から腕、腕からクラブ、クラブからボール、そして体重の移動と共に、これ以上ない「100%の力」で伝達された瞬間に「やったあ」と踊りだしてしまいそうな快感と共に訪れます。
その、手ごたえ。
その時、「それ」は、目にも止まらぬ早さで宙へと解き放たれ、まっすぐに、どこまでもまっすぐに、自分の意志の求める軌道から少しも逸れることなく、網膜に白い残像を残しながら、誰にも妨げられることのない直線を描いてぐんぐんと伸びてゆきます。
そして自分という存在力の及ぶ限界地点へと「到達」します。それは人間が、他の動力を全く使わず、「その力」だけで「目の前に存在するもの」をコントロールしながら「限りなく遠くへと物理的に到達させる」という意味では、他のあらゆる事例において例をみない飛距離です。
そして、その時、それまでおぼろげに見えていただけの彼方の「目標」が、眼前へと姿を表わします。目標へとワン・アクションで到達する「奇跡」さえ夢ではありません。
自からの意志を託したものが、遥か彼方に存在する目標へと「到達」する至福。
それは、「それ」を待ち受けるためだけに存在する小さな穴へと、「コトリ」という小さな音をたてて収まる瞬間に二度味わえます。
その、手ごたえ。
手ごたえに見合う「結果」。
結果がもたらす充実感。
脳内麻薬全開。
なにかに似ていると思いませんか?
SEXや、WEBや、音楽活動や、絵画や、意義ある会話でも同じことを体験できますが、それらは創作意欲へと集中すべきエネルギーを少しずつかすめ取るというか、「分散」させられてしまうことも有り得ますが、ゴルフは、あくまでフィジカルなものにだけ100%限定されるので、 「体力」が支える創作意欲を相乗効果で高めることがありこそすれ、マイナスになることは皆無です。これだけ酷似した行為なのに、バッティングする部分が少しもないのです。頭がカラになるから解放されるのです。
プレーフィーが高いことは確かですが、それも、むしろ意義深いものです。
なぜなら、その充実感を得るための必要な財力を保つために「仕事を成功させよう」という純粋な勤労意欲がムクムクと湧き出ずるのを感じるからです。両手の握力と無関係ではない体内の「生きようとする力」が、それを証明します。
違いと言えば、(トーナメントプロでない限り)グリーン上のカップが、「それ」を受け入れる瞬間に自分以外の誰も歓喜しないことだけですが、まあ、趣味なのでしかたがないでしょう。
しかし、どうです。面白いと思いませんか? 執筆のための精神的活動に片寄ったアンバランスの空白を、すべて埋めてくれますよ。ゴルフの虜になる人の数は、創作活動に従事する人の数と同じくらいいます。バカにはできません。環境を破壊することを知りつつも、なお手にしたいと思う人間の欲望に、ギリギリのセンOKを出すことはできませんか?(墓を掘り返して作るほど手放しでは喜べませんが)
百聞は一見に如かず。
興味が少しでも湧いてきたなら、いつでも手ほどきします。(難しさに舌をまくでしょう)
でも、アキラさんのような人がゴルフをやったら、これも革命だと思うんだけどな
あ。(革命はすでに始まりつつあるけど)
いらんこと書きましたかもしれんせんが、まあ、そういうことで。
んじゃまた。
このあいだ、あまり話せなかったので。くだらない話ですが。
でも、くだらなさって必要ですよ。創作のことばかり考えてないで。
モトギ

                 ※

 熱い、熱いぞ素樹! こんな熱のこもった文章、ゴルフマガジンにでも送れば十万円くらいの原稿料がもらえるだろう。
 ゴルフといえば究極の一冊「王国のゴルフ」( M. マーフィー、山本光伸訳、春秋社)という小説がある。
「この1冊が、あなたのゴルフ観を根底から覆す。ゴルフ道を極めたスコットランドの超名人が伝授する究極のテクニック。70年代アメリカを席巻した伝説的名著の全訳。 」
 ゴルフなんてたかがスポーツと思ってた主人公が、ゴルフの神様みたいなグルに出会い、奥深い精神世界を学んでいくというストーリーだ。なにしろ著者は精神世界の牙城である「エサレン研究所」の創始者マイケル・マーフィーと聞けば納得するだろう。
 カルフォルニア、ビッグサーにあるエサレン研究所では「王国のゴルフ」ワークショップなども開いている。
 たとえば「盲目打法」。パットをするまえにいったん目測をして、構えにはいったら、目をつむって打つ。これがよくはいるようになるという。まるで宮本武蔵の世界だ。
 マーフィーはレア・ホワイト博士との共著で「スポーツと超能力―極限で出る不思議な力」(日本教文社)というのもある。
 すごいスポーツ選手は「変性意識状態」によって神業のようなプレーをおこなう。ホール・イン・ワンというのは確率的にほとんど起こりえないことである。それが年に何人もが奇跡をおこす。ゴルファーもギャラリーもたったひとつの穴に集中する。すると五センチの穴がすべてを吸いこむブラックホールと化す。
 まさにゴルフ道は、意識を拡大させる瞑想と見つけたり。


号外
★ マスコミが報道しないアフガニスタンの実情
★ 
反戦サイト
★ 伊藤竜太さんとの対談
★ 「風の子レラ」の感想

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