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9月1日(土)
マヤ暦2月10日 |
二週間分の日記を書くのはさすがにしんどかった。 でも「アジアに落ちる」も「アヤワスカ」も三ヶ月の旅を帰ってから書いたものだから同じか。あれを日記形式で書いたら上中下三巻でも書ききれないだろうな。 本を書くまで、旅はあくまで自分一人のものだった。 みやげ話を友人に語るのが関の山だ。(関の山ってどういう語源なのだろう?) 本にしろホームページの日記にしろ、公表されると自分一人のものではなくなる。どんな緻密なノンフィクションだろうと、書き手が言葉を選ぶ時点でフィクションになる。リアルな風景画にしろ、ドキュメント映画にしろ、体験を完全に再現すること自体が不可能だろう。事実が起こった直後に書いても、書き手は無数の選択をそのつどおこなっているしね。 今回の日記もゴルゴ自身が書いたら、まったくちがうものができるだろうな。まあ、それも読みたいけどね。 さて札幌にあるSMの女王のマンションで五日ほど暮らしたゴルゴは、東京へもどってきた。 そして今までつきあってきた恋人から、最後通告を受けとる。 「あなたといると、わたしまで死んじゃう」 北海道の旅でかなり打たれ強くなったゴルゴだが、この決定打は女王のムチ以上にこたえたらしい。すぐに七キロやせるだろう。 |
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9月2日(日)
マヤ暦2月11日 |
「千と千尋の神隠し」を観た。 主人公の千尋がレラと同じ十歳の女の子だし、わけのわからない世界に放り込まれ、「眠れる獣」の本性を目覚めさせ、試練をのりこえていくという物語までそっくりだ。 ほぼ同時に発表されたし、制作に二年間かかったというところまで同じだ。この二年間、オレと宮崎さんの頭の中は十歳の女の子が成長してく物語でいっぱいだった。こういうのも「芋洗い猿」みたいな時代のシンクロなのかな。 そういえば「風の子レラ」の原稿を書き疲れてのびをしたとき、トトロマークがひたいにはいった忍者が天井にはりついていた気もする。 千尋は自分の名前を奪われ、千という名前で湯婆婆に支配される。 レラの後半でチュプばあちゃんが痴呆症のテストを受けるところがある。 「日本の総理大臣は誰ですか?」 「人の名前には霊力がこもるといって、昔は本名を隠したもんだよ。夫の本名をうっかり呼んじまって、離縁された妻もいたくらいさ」 宮崎監督の言葉を引用してみる。 言葉は力である。千尋の迷い込んだ世界では、言葉を発することはとり返しのつかない重さを持っている。 湯婆婆が支配する湯屋では、「いやだ」「帰りたい」と一言でも口にしたら、魔女はたちまち千尋を放り出し、彼女は何処にも行くあてのないままさまよい消滅するか、ニワトリにされて食われるまで玉子を産みつづけるかの道しかなくなる。逆に、「ここで働く」と千尋が言葉を発すれば、魔女といえども無視することができない。 今日、言葉はかぎりなく軽く、どうとでも言えるアブクのようなものと受けとられているが、それは現実がうつろになっている反映にすぎない。言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。 カンナ父ちゃんが慎平伯父に酒をすすめられる場面で、「この現代に神様なんかいるわけないでしょ。チュプさんの太陽はヘリウム原子核ですし、カンナさんの雷は雲の放電現象にすぎないのです」と言われてキレる。 「ケチャップ」では、ベトナム戦争の後遺症で物の名前を忘れる父親に、スプーキーが言う。「パパ、忘れちゃっていいのよ! テレビもオレンジジュースも、花や虫だって自分たちの名前を知らないわ。だって名前なんて人間が勝手につけた記号なんですもの」 言葉はシャーマニックな呪縛をもつ。 レラがはじめてドクロばあさんの家をたずねるとき、チュプばあちゃんは釘を刺す。 「絶対に家んなかをのぞいちゃいけないよ。約束を破ったら、あんたも食われちゃうからね」 レラは見てはいけないもの――命が危機に立たされるよりも恐ろしい孤独――を見てしまうのだ。 千尋は現実世界にもどるとき、「決してうしろを振り向いてはいけない」と言われる。 「古事記」では、死んだ妻イザナミをとりかえすため、イザナキがよみの国へ降りていく。見てはいけないというイザナミの姿を見ると、蛆だらけの腐乱死体になっている。恥をかかされたイザナミはゾンビ軍団をともなって追いかけてくる。 ギリシャ神話では、死んだ妻ユウリデケをとりかえすため、オルフェウスが死者の国へ降りていく。オルフェウスの美しい竪琴を聴かせてもらったお礼に、死の国の王はユウリデケを返してくれると約束する。「決してうしろを振り向いてはいけない」と言われる。しかしオルフェウスがふりむいた瞬間に妻は霧散してしまう。 ふたたび宮崎監督の言葉を引用する。 かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない。千尋のヒョロヒョロの手足や、簡単にはおもしろがりませんよゥというブチャムクレの表情はその象徴なのだ。けれども、現実がくっきりし、抜きさしならない関係の中で危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分がかかえている事に気づくはずだ。 Renさんという方がレラの感想で掲示板に書いてくれた。 「自分の中にも生きる力が、いまよりもっと強い力があるはずだなって思い始めたのです」 来る。 なにが? 時代が、 新しい時が。 「うおぉぉぉん!」 レラは眠れる獣たちにむかって吼えた。 |
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9月3日(月)
マヤ暦2月12日 満月 |
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9月4日(火)
マヤ暦2月13日 |
友人の子ども(10歳の男の子)が消しゴムのかすを集めてフィルムケースに入れ、冷蔵庫に冷やしているという。 集めるまではわかる。オレもフィルムケースに自分の爪を集めている。 しかし、なぜ冷蔵庫で冷やすんだあー?! |
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9月5日(水)
マヤ暦2月14日 |
テレビでポルターガイストのドキュメントをやっていた。 テキサス州にあるポペット通りとかいう住宅街に家を買った夫婦が、そこを売った不動産業者と現在も裁判中である。 いないはずの人影や足音や、勝手に物が動いたり、大量のアリがキッチンに湧いたりしただけじゃない。 嵐の夜に母は庭を一心不乱に掘りはじめた。そこに駆けつけた娘が雷に打たれて死んだのだ。なんと母はそのときの記憶がまったくないという。 日本のテレビ局が霊能者の指示にしたがって庭を掘ると、人骨が出てきた。テキサスの病院で正式鑑定してもらうと、1800年代の終わりに死んだ複数の黒人の骨だった。 リンカーンの奴隷解放宣言は1863年だが、当時も貧しかった黒人たちは墓も造れず、木の根本に埋められていた。 たまたまオレがこんな番組を見たのもシンクロなのかな? ハワイ人の墓を掘り返してJALがゴルフリゾートをつくっている現地報告を明日聞きにいく。 墓の上に建った家に住むとポルターガイストが起こるかもしれないし、ゴルフしてたら雷に打たれて死んじゃうかもしれない。 小田まゆみさんによるJALのゴルフ場開発現地報告 日時: 2001年9月6日(木) 午後6時から7時半まで 会場: 地球環境パートナーシッププラザ(展示スペース)03-3407-8107 国連大学本部1階、地下鉄表参道B2出口徒歩5分、青山学院大学向かい。 会費: 1000円 |
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9月6日(木)
マヤ暦2月15日 |
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9月7日(金)
マヤ暦2月16日 |
壁打ちテニスは一種の麻薬だ。 30分をすぎたころになると、ドーパミンが分泌されるのだろう。 「壁打ッチャーズ・ハイ」が訪れる。 左脳がボールを追うことで忙殺され、視床の安定化装置がゆるむ。そこで右脳の奥に眠っていた潜在意識がつぎつぎと花開いてくる。 おもしろいのはネガティブな妄想が一切浮かばないことだ。幸福な薔薇色の世界。 と、ボールが柵を越え、急ブレーキが頭上で鳴った。 やばい、ボールが車にぶつかったのだ。 窓でも開いていて運転手を直撃したら、大事故にもなりかねない。 「逃げろ」と左脳が叫ぶ。 子どものころ壁キャッチボールでさんざん他人の家のガラスを割った恐怖がよみがえり、ガード下に隠れかけた。 いや、これでは卑怯者になってしまうじゃないか。 あやまろう。 ダッシュで道路にかけあがると、車は遠くに去っていった。 どうやら、すべては無事だったらしい。 こんなことでビビるとは、オレもまだ修業がたらんなと反省しつつも、 懲りずに「壁打ッチャーズ・ハイ」を追及するテニスボーイだった。 |
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9月8日(土)
マヤ暦2月17日 |
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9月9日(日)
マヤ暦2月18日 |
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9月10日(月)
マヤ暦2月19日 |
一日中雨が降りつづいている。 うちは70年以上まえに廃材で建てられたぼろ家なので、キッチンと風呂場に雨漏りがする。 こんな鬱陶しい気分のなか、ワクワクするようなメールがとどいた。 本物のフラがやってくる。 日本人が知っているフラダンスは、近代文明によってエンターテイメント化されたモダンフラだ。 ハワイの神々と大自然に捧げる古代フラダンスは、迫力がちがう。 「フラ」の意味は「聖なる炎を高くかかげる」である。 荒々しい大地のマナ(パワー)を全身に汲み上げ、アイナ(大自然)に宿るケアクア(神)と合体する神聖な祈りなのだ。 本物のフラを見られる貴重な機会を見逃さないように。 (以下、ハーモニクスライフセンターから今日送られてきたメールを転載します) HULA KAHIKO(フラ・カヒコ 聖なる踊り) Halau Hula Kanilehua 'O Keahualu初来日公演ツアー 大阪 11月23日 (金)ヒューマインド(大阪府総合福祉センター、定員300名) 午後1時半開場、2時開演 前売り 2500円、当日3000円(全席自由) 主催:アジアボランティアセンター Tel06-6376-3545 Fax-3548 振込先:郵便振替 00930-1-119782 アジアボランティアセンター 京都 11月24日(土)コープイン京都(定員240名) 午後1時半開場、2時開演 前売り2500円、当日3000円 (全席自由) 主催:牧野裕子 Tel/fax075-212-2137 振込先:郵便振替 00980-0-116236ネットワーク裕 東京 11月25日(日)東京・日比谷野外小音楽堂(定員1000名) 午後1時会場、1時半開演 来日賛同券(前売りのみ)3000円(全席自由) 主催:きくちゆみ Tel0470-97-1011 Fax0470-97-1215 振込先:郵便振替00110-1-144224ハーモニクスライフセンター 鴨川 11月27日(火) 鴨川市民会館 (定員975名) 午後6時会場、6時半開演 前売り 2500円 当日3000円(全席自由) 主催:きくちゆみ Tel0470-97-1011 Fax0470-97-1215 振込先:郵便振替00110-1-144224ハーモニクスライフセンター 湘南 11月28日(水)かながわ女性センターホール(定員500名、江ノ島) 午後6時会場、6時半開演 前売り2500円、当日3000円(全席自由) 主催:洪瑞瞳(アドン) Tel/fax 0467-32-5538 振込先:郵便振替00270-5-4431 Ke Ao Nani 千葉 11月29日 (木)八日市場市民ふれあいセンター大ホール(500名) 午後1時会場、1時半開演 前売り2500円、当日3000円(全席自由) 主催:塚原かおる Tel/Fax 0426-66-2126 振込先:郵便振替00190-1-68420 塚原 薫 チケットのご購入方法 郵便振替でそれぞれの口座へ代金を振込み、通信欄に「フラカヒコ」、場所、枚 数をお書き下さい。振込み確認後、チケットを郵送いたします。東京公演は前売 りのみです。 変更の可能性がありますので、各地の詳細はそれぞれお問合せ下さい。 このイベントに関わってくださるボランティアを募集しています。 * Halau Hula Kanilehua 'O Keahualuはハワイ島出身で、フラやハワイ語、カ ヌーによる伝統航海術などを子供達に伝え、文化と自然を守る活動に携わってい ます。 クムフラによるフラカヒコの特別レッスン (電話かファックスでお申込み下さい) 大阪 11月22日 (木)午後6時から8時半、30名(要予約) レッスン料6000円 申込み先:牧野裕子 Tel/fax075-212-2137 東京 11月25日(日) 午後5時半から8時、30名 (要予約)レッスン料 6000円 申込み先:塚原かおる Tel/Fax 0426-66-2126 * この企画はハワイを愛する個人有志で行われ、収益は全てハワイの伝統文化 と自然を守る活動に使われます。招聘費用のご協力を頂ける方は、一口1万円を 郵便振替で「00110-1-144224ハーモニクスライフセンター」へご送金の上、通信欄に「ネイティブハワイアン支援基金」とお書き下さい。 |
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9月11日(火)
マヤ暦2月20日 |
素樹に借りた「新耳袋」を読んだ。 いわゆる怪談ものとちがって、むりにつじつまを合わせず、体験者の話をそのままのせているところがリアルだ。もちろん恐い話もあるが、ファンタジックなものや「だからなんなんだ」みたいのも多い。 科学じゃ説明できないものや不思議なものを時代がふたたび求めている。オレは恐い恐いと読み進みながらも、「新耳袋」がんばれとつぶやいていた。 オレ自身に起こった恐怖体験をひとつ紹介しよう。 いまから23年ほど前、オレは池袋サンシャイン60地下にあるマクドナルドでメンテナンスのバイトをしていた。メンテナンスというのは、夜10時の閉店後から朝の6時までひとりで掃除をする仕事だ。ウエストバーガー(時間切れで捨てられたハンバーガー)は食い放題、ソフトドリンクも飲み放題だ。 いちばん嫌だったのがトイレで、誰もいないビルのなかを50メートルほど往復しなければならなかった。マネキンたちが今にも動き出しそうで、目を合わせぬように歩いたものだ。 淋しいからウエストバーガーを餌にしょっちゅう男友達を連れ込んだ。ごみ箱をゴールにサッカー大会とか、モップをバットに野球大会とかやっていた。そのころは池袋にある極真空手の本部道場にかよっていたので、ボクシングやレスリングをやったことのある連中と「異種格闘技世界一」なる組み手(ほとんどケンカ)をやり、鼻血が出るまで殴り合いをしていた。もちろん血痕は開店前にふきとったが。 本題にはいろう。 閉店まぎわにひとりの子どもが保護された。 「お母さんはどこ?」と訊いても、「坊やのお名前は?」と訊いても、なにも答えなかった。5歳くらいだろうか、泣きもせず、笑いもせず、じっとこっちを見上げている。店員たちが片づけに追われていたので、マネージャーがガードマンを呼び、2階にある警備室にその男の子を連れてってもらった。 みんなが引き上げ、オレとたまたま決算のために残ったマネージャーがいた。店のつくりは長方形になっていて、長い辺のシャッターを閉め、短い辺のシャッターボタンを押したときだった。 あの男の子がたっていた。 なにか恨めしそうな目で、じっとオレを見上げている。 無情なシャッターはゆっくりと子どもの姿をさえぎっていく。わずか15センチのすきまから子どものズックが動くのが見えた。 突然、オレは10メートルほど先にあるドアにむかってダッシュしていた。 やつが来る! 本能でそう感じ取ったのだ。 ドアの鍵をひねった瞬間、ドアノブが激しい力で揺すぶられた。 オレは大人の足で斜めの直線距離をダッシュした。子どもの足で長方形の角を曲がり、ドアに達するには速すぎるのだ。 一部始終を見ていたマネージャーは恐怖に震え、「開けるな、絶対に開けるな!」と叫ぶ。 マネージャーはすぐガードマンに電話をかけた。 「またあの子どもが来てるんです。すぐに保護してください」 「いや、あの子はここにいるはずですよ。ちょっとまってください」 ドアノブはガチャガチャと鳴りつづけている。 「い、いなくなりました! すぐそっちへむかいます」 ドアノブが鳴りやみ、ガードマンの声がした。 「男の子を保護しました。警備室に連れていきます」 マネージャーはドアを開けるのも恐ろしく、「お願いします」とだけいった。 「おい、あの目見ただろう。あれは子どもの目というより、この世のものとは思えない目だぜ」 マネージャーとオレは身震いしながら自分の仕事にもどった。 テーブルにかがみこんで計算に没頭するマネージャーのもとへ、オレはほふく前進しながら近づいていく。ステンレスの灰皿を彼の頭上の壁面へと投げつける。 グアッシャーン!! マネージャーは絶叫し、書類をまき散らして飛び上がる。 太ももをテーブルの角で痛打し、オレは真剣に怒られた。にもかかわらず、一晩で同じことを4、5回もしつこくくり返した。毎回懲りずに驚くマネージャーのリアクションもおもしろかったが、そうやってふざけていないとやりきれないほど恐かったのだ。オレたちはトイレにも行けず、各自ビニール袋に放尿した。 明け方近く、ガードマンからあわただしく電話がかかってきた。 「あの子がまた消えました。いちばん奥の仮眠室にいたはずなのに、いないんです。もちろん窓からは出られませんし、10人以上ガードマンがいる2つの部屋をとおらなければ外には出られないのです!」 「新耳袋」と同じように、この話にもオチはない。 それから数日後、オレはマクドナルドをやめ、池袋平和通りにあるセブンイレブンにバイトを変えた。強いてこじつければ、そこで色々な人と出会い、アメリカに行くことになる。 季節はずれだけど、みんなの不思議体験をメールしてください。恐怖である必要も、つじつまやオチもいりません。ささやかな体験でも、日記にのせます。 |
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9月12日(水)
マヤ暦2月21日 |
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9月13日(木)
マヤ暦2月22日 |
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9月14日(金)
マヤ暦2月23日 |
NYの従弟からメールが来た。 オレが電話で聞いて書いたものと内容はだぶるが、さらにくわしい内容なので転載する。 9月11日2001年 午前8時0分、 私はいつものように「1 World Trade Center」50階のオフィスにいた。 このオフィスは、とある3つの日系銀行が来年の4月に統合するため、新たにもうけられたオフィスで、3つの銀行の為替トレード部門が一つのオフィスに同居していた。 為替トレードをするためのオフィスは、一般のオフィスとは机の作りや配置が多少ちがっている。 ビルの南側半分を貫いた広大なオフィス空間だ(後で知ったが、端から端まで64メートルあったらしい)、晴れた日には自由の女神像を配下に見渡すことの出来た美しい眺めのオフィスであった。 実際、このオフィスには10日ほどまえ、以前のオフィスから移転してきたばかりだったのだ。つまり、完成したばかりの真新しい机や壁、天井、カーペット。すべてが新しかった。 私は、知り合いが勤務する会社を経由し、一つの銀行のトレード室移転のため、コンピューター関連機器の移設準備を行うためのコンサルタント業務を2ヶ月強前からいただいていた。私自身は、フリーのコンピュータ・システム・コンサルタントだ。 この日は、移転してくるまでに作った書類(電子的なもの)をデータベース化し、あとの情報機器管理に生かせるようにするためのプログラムを組んでいた。 8 時20分頃、うしろから「おはようございます」と声がかかった。私の直接の雇い主(実際には担当と言うのが正しいが)のKさんだった。私も、振り返りながら「おはようございます」と返事をした。彼は、そのまま通り抜けて自分の席へとむかっていった。 Kさんとは、以前のオフィスの移転プロジェクト室(物置みたいな部屋でしたが)で一緒に仕事をしていた。 1週間前のオフィスはツインタワーのすぐとなり、「2 World Trade Center」80階であった(この場所は、その日2機めのハイジャック機が激突した場所である。)。 その後、いつも仕事を一緒にしていたJeffが声をかけてくれた。ジェフはこの日早番勤務でおそらく午前7時から仕事をしていたと思う。 それ以外は、ほとんど自分の仕事に集中していた。 突然、 ほんとに突然だった。 今まで自分の40年の人生で経験したことのないことが起こった。 ビルか揺れてた。 揺れたなんてものじゃない。 ビルが崩壊してもおかしくないほどの激しい揺れを感じた。 小刻みでもの凄く強力な横揺れだった。 何秒くらい揺れたか覚えていない。 5秒以上、 10秒以下か?。 ほんとうにわからない。 腕時計を見たのか、壁の時計を見たのかも覚えていない。 時計は45分(8時45分)を指していた。 「おいおい、勘弁してくれよ、また爆弾か?」 そんな言葉が 放心状態の中で浮かんでいた。 93年の地下駐車場爆弾事件の記憶がよみがえってきた。 最も、私はこの事件に直接遭遇はしていなかったのだが、記憶には鮮明に焼き付いていた。 その場にいたほとんどすべての人間は、ただ単に放心状態だったと思う。 ようやく気をとりもどした頃である。どの位の時間がたったか? 1分以下だったと思う。 女性の悲鳴が聞こえた。 窓の方からだ。 外を見たとき私も再び驚いた。 無数の書類が窓の外を舞っていた。 外が、オレンジというか朱色ぽく見えた記憶がある。 そしてオフィスに一人の多分危機管理担当と思われる人が飛び込んできた。 「Take emergency stair and evacuate now!!!」(すぐに非常階段を使って避難しなさい!!!) オフィス全体に響き渡る大声で叫んだ。 たぶん、その場に居合わせた人たちは彼の声で我に返ったのだと思う。 私は、自分のブリーフケースを肩に掛けオフィスをあとにした。 なかには、財布や家の鍵ノートパソコンや私の仕事道具一式が入っている。つまり、鞄を持つだけの余裕はあったのだ。 オフィスのドアを出た。 ここはまだ一部が工事中であった。天井からは埃が舞っていた。 非常階段は? みんなの後を追った。 「あっそうか」 いつもオフィスの下の階にアクセスするときに使っていたのが非常階段であった。本来は締め切られているのだろうが、オフィスの工事のため、移転作業のためにドアがいつもほんの少しだけ開いていた。いや、閉まらないように工夫されていた。 非常階段は窓も何もない、ただ正方形の筒に階段が螺旋状につづいていた。一周すると丁度下の階に降りられる構造だ。各階から階段にアクセスするためのドアがつけられている。ほとんどの階では、各ドアは内側からは開かない。数階にところどころオフィスエリアにもどれる階がある。 とにかく私は一目散に階段を下りはじめた。 5階ほど降りたあたり(45階あたり?)から人がつまりだしてゆっくりしか降りられなくなった。 非常階段には煙が多少たちこめていたが、のどが痛くなるほどではなかった。40階をすぎた頃からほとんどのろのろ状態になった。近くで避難していた人が携帯電話で外からの情報を得ることに成功した。「飛行機が激突したって?」と言い聞き返していた。 その時私の頭には、「これは事故?かな?」と言う言葉がよぎった。しかし、飛行機にも色々ある。シングルエンジンの小型機からボーイング747ジャンボまで様々である。私は、あのビルの揺れが小型機の衝突でないことは容易に想像できた。出来もしない物理の計算を頭でしていたようだが、小型機でこんなに大きな建物をあれだけ揺らせるものではない。 38階くらいに達したとき、時計はちょうど9時少し前だった。物の燃える臭いがきつくなってきた。 その時、「もしかしたら(一酸化炭素中毒で)死ぬかもしれない」と感じた。 携帯電話で、とても話がしたい人に電話した。しかし、留守電だったのでメッセージを残した。 そして、私をこの仕事に派遣してくれている十年来の友人のオフィスに電話したが不在だったため、今度は携帯に電話したところ彼が出た。 友人は、まだ通勤電車(Metro North)の中とのことだったので、事情を説明しオフィスに着いたらすぐニュースを確認して事情を知らせてほしいとたのんだ。 非常階段の中で人々は思いもよらず冷静だった。 なかには盲導犬をつれた全盲の人もいたが、彼もまた冷静だった。 とちゅうでどこからかペーパータオルのロールが手渡しでまわってきた。それと同時にボトル入りの水もまわされてきた。私もそれを少しもらい、水をしみこませて煙に備えた。 「けが人がおりるから右に寄ってくれ」上の方から声がかかった。 みんないっせいに道をあけた。 すると体中すすだらけで、やけどを負っているとと思われる数人が無表情の顔(多分放心状態だったのだ)で降りてきた。しかし、この人たちはほんとに軽傷の人たちだったことをあとで知った。 さらに数階を降りると今度は下の方から「消防士の人たちが上るから道をあけてくれ!」と声がかかった。体いっぱいに完全な重装備をした消防士が数人汗だくで本当に苦しそうに階段を一段一段踏みしめるように上階にあがっていった。口ひげを生やし見るからにたくましそうで、避難する我々は彼らを見て安心したものだ。 その後も、何人もの消防士とすれちがった。 彼らの装備とは大変なものなんだとつくずく思った。空気のボンベとマスク、体全体を覆う防火服、鉄製の大型のバール、通信機器、熱温度を測るための電子熱温度計、そしてなんと言っても消火用のホース、化学薬品火災向けの消化ボンベ。どう見ても数十キロの装備を抱え、かついで階段を何十階もあがるのだ。 今も私は彼らの勇敢な姿を忘れない。 9時15分頃、先ほどの友人から電話がかかってきた。 何度も試してやっとかかったらしい。彼から、飛行機2機がそれぞれのビルに激突したことを知らされた。「2機なんだ、じゃテロなんだね?」と聞く私に彼は「まちがいない」と答えた。 2機目の衝突があったことは私は全く知らなかった。 非常階段内には音も振動も伝わらなかったのだ。 その後あがってきた消防士から「大型旅客機(かれはDC10と言っていた。実際にはボーイング767だったが。)が突っ込んだ」と知らされた。まわりにいた人間も唖然としていた。 27階をすぎる頃、時間は9時半をまわっていたと思う。 また上からけが人を通してと声がかかった。それまでにも数人のけが人が降りていったのだが今回の方は怪我の程度がちがっていた。一人の重傷の女性の方は本当に酷い火傷を負っていた。体中の皮膚がはがれ、垂れ下がり、その下にピンクの内皮がむき出し、髪の毛がほとんど燃え尽きていた。それでも彼女は自力で降りていった。 それを見た女性の避難者は目眩をおこしてうずくまり、泣き出す人もいた。上の方は大変なことになっているんだと言うことを思い知った。 9時40分頃、20階付近から人の流れが早くなり、普通の歩く速さで降りれるようになった。その後も数人の消防士とすれ違った。 5階あたりに達したとき階段が水浸しになっていた。スプリンクラーからの水で階段は川になっていたのだ。 ようやく地上階に着いたとき、私はロビーの光景に目を疑った。 絶え間なく降り注ぐスプリンクラーの水が床に20センチほどたまっていた。壁の大理石ははがれ落ち、ほとんどのガラスは割れていた。 今朝出勤したときには……。 「イーストサイドへいきなさい」 指示が飛んだ。 私は指示通り1WTCからコンコース・エリアのショッピングモールへ出た。店には明かりが灯り、ドアもそのまま開いていた。 相変わらず床一面は水浸しで、天井からスプリンクラーのシャワー吹き出ていた。ニュージャージへ通じているPath Trainの駅を左手にそのまま東へ進んだ。 ノース・イースト・プラザのところで、はじめて地上に上がるように指示が出た。このあたりにはもう水はあまりなかったと記憶している。エスカレーターを駆け上がり外に出た。 いつもの多目的広場には、色々な残骸が転がっていた。ふりかえって上を見た。 はじめて2つのタワーの惨状を目の当たりにしたのだ。 燃えていた。 二つのビルは途中からオレンジ色の火ふき出して黒煙を上げていた。私の見た角度からは、飛行機がつこんで出来た穴を見ることは出来なかった。 警官の指示に従って教会裏の墓地のよこを抜けシティーホール方向に走った。いつも利用しているコンピュータストアーの横を抜けた(勿論シャッターは降りたままだった)。Park Rowに抜けシティーホールにむかった。そのころにはもう走ることはやめていた。 「もう安全だ」 非常階段を抜け出て5分程度経過していたと思う。 私は、シティーホールにむけて歩いていた。何も考えていなかったと思う。ただ歩いていただけだったような気がする。 「コッッ、ゴーーン」 地響きともちがう、ありとあらやゆる可聴周波数帯域を伴った異常な音を耳にしてうしろを振り返った。 「カッ、コーン」 音は続いた。 エコーのかかった音だった。 生まれて初めて聞いた音だった。 本当に不気味な音だった。 私は本当に信じられない光景を目にした。 燃えているツインタワーを現実と受け止めることはその場で出来た。 が、 今自分の目の前で起こっていることを現実と受け止めるのには1〜2秒の時間が必要だった。 2WTCの上部、丁度火災があった場所から崩壊がはじまっていた。 左方向へ倒れていくように見えた。 2WTCが崩れていく。 110階建ての超高層ビルが崩れていく。 なんなんだこれは……。 悲鳴があちこちで上がっていた。私は、悲鳴は上げなかったが、為すすべはなかった。 頭によぎったのは、爆風が来ると言うことだった。あれだけ巨大な物が崩壊したのだ、大きな空気の流れが起きるはずだ。 予想通り、埃の渦がかなりのスピードでこちらに押し寄せるのが見えた。 私は全速力で走った! ほかの人たちも走っていた。 20代の会社員風の男性とぶつかった。彼は、放心状態だったようだ。私は思わず叫んだ。 「Don't stop it! RUN!!」(止まるな! 走りつづけるんだ!!」 途中地下鉄の駅が目に入ったが、そこに入ることで事態が好転するとは思えなかったのでそのまま走った。 気がついたときにはシティーホール近くまできていた。埃の渦はここまでは届かなかったようだ。 私は、歩いてMid Townを目指した。携帯電話であちこち連絡を取ろうと試みたが全く使い物にならなかった。公衆電話には列が出来ていた。 パークアベニューをひたすら北へ歩いた。途中車のラジオに聴きいる人だかりや、Radio Shackの店頭のテレビに見入る人たちがいた。 私に仕事を提供してくれている会社にたどり着いたのは午前11時40分頃だったと思う。 ビルはセキュリティーが強化されオフィスに入れてもらえず。あきらめ半分でかけた携帯からの電話はめずらしく友人の机につながった。 やっとオフィスに入れてもらい、自分のいた1WTCもが崩壊していることを友人から聞いた。 寒気がした。 まともにテレビのニュースを見ることが出来た。2WTCへ旅客機が激突する瞬間の映像も見た。タワーが倒壊する映像も見た。 頭によぎったのはあの非常階段を上っていった消防士の人たちのことだった。 私を誘導してくれた警察官やビルのセキュリティーの人たちのこと、そして私より上の階から避難してもっと避難に時間のかかった人たちのこと。 つい10日前まで仕事をしていた2WTCのオフィスは、2回目の旅客機の直撃を受けている。でも18分の時間差があったのだから避難していたのだろうか? まて、僕が50階から避難して外にでれたのが2WTC倒壊の5分前なのだからもっと上の階の人たちは時間は十分あったか? ハイジャックされた旅客機に乗っていた人たちはどういう気持ちだったんだろう? ありとあらゆることが頭をよぎりはじめた。 ビルのエレベーターの中の人たちは出られたのか? 出勤時間だったから混んでたはずだ? 「ねぇ、質問! どうして僕は無事なんですか? なんで無傷でここにこうして居れるんですか?」 なんか変じゃない? 宣戦布告するんだって。 もういいよ、 やめようよ。 もう沢山だよ。 1960年生まれの日本育ち、アメリカで人生の半分近くを過ごしてる。 軍隊なんて縁もゆかりもなかった。 でもね、僕はもう戦争を知ってるんだ。 今日の時点(13日)で、未だに4,700人強が行方不明だとニュースで知った。 9月13日2001年 Toshihiko Mochizuki Tomcat Computing Lab, Inc. tmochizu@tomcatlab.com |
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9月15日(土)
マヤ暦2月24日 |
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9月16日(日)
マヤ暦2月25日 |
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9月17日(月)
マヤ暦2月26日 |
ケンカの達人は、まず最初の一発を相手に殴らせるという。 パールハーバーもルーズベルト大統領は前日に知っていながら、国民の士気を高める(ケンカの口実をつくる)ため、二七〇〇人のアメリカ人を生け贄にした。インディアンにも、メキシコ戦争にも、対スペイン、ハワイにも、アメリカは同じ技を使ってきた。 「どうせ、盗んだ国じゃないか」 と、あるインディアンは言っていた。 最初から自分に正義がないのだから、「ケンカの口実」をつくるしかない。国防省も今回のテロに関する事前情報を入手していたという。 アメリカを、いや世界を影で操っているのは「軍産複合体」と呼ばれる黒幕たちだ。湾岸戦争も、冷戦が終わってあまった武器を「在庫一掃バーゲン」するためだった。劣化ウラン弾なんて、あからさまな在庫処分品だ。 真っ先にバーゲンセールで処分されるのは武器ではなく、子ども、女、老人、貧しい者たちだ。 あくまで推測の域を出ないが、ブッシュ大統領でさえ具体的には知らされていないのかもしれない。 国家を越えた「ブラックゲーム」の正体を。 もし知っていたら、レーガン大統領にも負けない演技力だ。やつらはラビンにも気づかせないようにテロを援助し、ブッシュにも気づかせないように戦争をあおる。 「イルミナティー(=夜明けの教団)」とか、「フリーメイソン」とか、「三〇〇人委員会」とか、世間は呼ぶ。鬼の首でもとったように、秘密結社の知識をひけらかす人の話を何度も聞かされてきた。 「けっきょく世界はひとにぎりの黒幕に牛耳られていて、民衆はただ踊らされているだけなんだよ」 それもちがう。 たしかに世界規模で経済や戦争をコントロールして、私腹を肥やす「死の商人」はいる。そいつらを神のごとく崇めて、降参するのはかんたんだ。 シナリオ描いてもむだだって。 歴史も人生もシナリオなんか、あるわけない。 自分を神だと思い込んでる「死の商人」も、 あんた、時代おくれだよ。 殺戮の二十世紀に、オレたちの想念が「死の商人」を生みだした。 チベットの「死者の書」はいう、「すべては、あなたが生みだした幻想なのだ」と。 必要なものは生まれ、 不必要なものは消える。 世界中に何百年にもわたって憎しみのネットワークをはりめぐらした「死の商人」も、 「消えろ!」 と、オレたちが本気で念じたとたん、 消えてしまうのだ。 オレは死ぬまで、魔法を信じつづける。 アーティストMさんの体験を紹介します。 不思議体験その4 「マシュマロマン」 私が中学一年生の頃だった。 当時私はクラスでイジメにあっていた。 深夜、ふと息苦しさを覚えて目が覚めた。 金縛りだ! 私の部屋の扉には、たてにガラスがはめてあり、廊下をはさんでむかいにいる兄の部屋の明かりが見えるはずだった。 しかしその日にかぎって見えない。 おかしい。 いつも兄は朝方までゲームをしているのに、この日にかぎって早く寝たとは思えない。 暗闇に取り残された私は、必死に体を動かそうとした。 その時にやっと兄の部屋の明かりが見えない訳がわかった。 私の体には白くぼやけた物体がのしかかっていたのだ! 苦しい。 頭はあるが顔はない。あごから肩にかけて肉が膨れ上がっている。 ブヨブヨと腫れあがった肥満体が私を押しつぶそうとする。 前かがみに手が伸びてくる。 スライムのような液状の肉が垂れ下がり、溶けだして、私を取り込もうとする。 それはまるで「ゴーストバスターズ」のマシュマロマンのようだった。 叫ぼうにも、声が出ない。 私は恐怖のあまり、気を失った。 ※あなたの不思議体験をメールしてください。 |
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9月18日(火)
マヤ暦2月27日 |
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9月19日(水)
マヤ暦2月28 日 |
今日はひさびさに3バカトリオ(オレとハン師匠とタケ隊長)が勢ぞろいした。宇都宮西武に行って、オレはセゾンカードの借金二十万をいっきに払おうとした。paperbackの原稿料十二万円とレラの印税の残り十万円がはいったので、受付の姉ちゃんのほほを張り飛ばそうとしたが、借金は二十五万もあった。 「すいません、5万円たりませんでした」 急に小さくなる。 リボ払いの利息を減らすため全財産を投入したが、一週間後にはまた生活費を十万ずつ借りなくてはいけない。十一月末に出る「アヤワスカ」の印税がはいるのは二月だ。十二月に出るpaperbackの原稿料十二万円だけで、半年間を生き延びねばならない。 今日の朝、「アヤワスカ」の担当編集者である綾木さんと話したとき、前借りの話を言いだそうとしたが呑み込んだ。綾木さんに迷惑がかかるのもいやだし、講談社のような大手は個人の情では動かしがたいものがある。 「金」を崇めすぎるのもよくないが、見下してもいけない。 冷戦の集結とともに、使い道のなくなった武器のバーゲンセールがはじまった。 ファミコン化した湾岸戦争で従来の戦争システムは役に立たなくなり、広島の7倍以上、3500万トンもの核爆弾(劣化ウラン弾)がイラクで「消費」された。沖縄の射爆撃場で劣化ウラン兵器を発射したこともある。 「見えない敵」はテロリストではなく、イスラム原理主義者やアメリカでもない。うしろに潜む武器商人をかりたてる「金」、ひいてはオレたちの心に潜伏する「所有」というテロリストかもしれない。 ワールドトレードセンターで直接被害を受けたNYの従弟に、PTSD(トラウマ)についてたずねてみた。以下は彼のメールを紹介する。 トラウマの話を書く前に、超私的な「ウサマ・ビンラディン」の考察について。 ビンラディンが、実業家であり優れた投資家であるのは有名な噂である。これは、噂の粋を出て、恐らくは事実であろうと思われる。 傘下のシンジケートを介して米国株に大金を投資しているらしい。 これが事実なら、ビンラディンはとんでもないほど大がかりな「インサイダー取引」をしてることになる。 9月11日前に金融、保険、エアライン関連株、しいてはアメリカ国債を大量に売りに出し、軍需関連株を大量購入していると考えるのが妥当だと思う。 もしかしたら、これがビンラディンがテロを起こしている最大の理由であり、アラーの神もうまい口実に利用している様な気がしてならない(こんなやつのためにでさえ命を捨てれるとは、洗脳とは恐ろしい物だ)。 だってね、この単純馬鹿なアメリカが報復しないわけがない。トマホーク巡航ミサイル1発2百万ドルなり。きっと、千発撃ってもビンラディンに当たりゃしないと思う。 その間に、彼の懐には大金が転がり込む。こんな構図が見えてくる。 世界の警察(どちらかと言うとKGB的であり「ちびっ子探偵団」の様でもある)アメリカさんより悪いやつは世の中に沢山いるんだね。アメリカは悪餓鬼、ビンラディンは極悪人。 だが、ビンラディンがあまり調子に乗らないことを願いたい。テロ第二段、第三段、しかもこれが生物化学兵器なんか使ったり。原発を破壊しようものならアメリカは本気で核兵器を使うかもしれない。多分、ビンラディンも核には勝てないだろうが。こんなことにでもなれば世界人口の何分の1かは死ぬことになるかもしれない。 こういうことにはならないでほしい。じゃ、どうしたらよいのか? さて、どうしたものか? みんなも考えてほしい。 私の場合、こんなこと頭で考えを巡らせているのことが、PTSD強いては、トラウマの症状だと思う。 トラウマは、こんな所に現れているような気がする。 至る所に張り巡らされた星条旗だ。店の店頭、車のラジオのアンテナ、空港の駐車場。 ありとあらゆる所に星条旗が入り乱れている。星条旗が売れている。賢い消費者は、星条旗を買う前に星の数をよく数えよう。即席で作った星条旗だから星の数が少ないかもしれない(笑)。 こんな状況でもしっかり商売するやつはいる。燃えているWTCの柄入りTシャツや、倒壊してしまったビルの置物や倒壊する前の姿も売られてるらしい。もしこれらの商売の元締めがビンラディンだったら笑える。 この星条旗を掲げる行為、愛国心と言う形を借りてはいるが、実は違うと思う。そうしないと、心の拠り所がない。怒りのやりようがない。 今は、票の読み違えで偶然なってしまったぼんくら大統領にすら、カリスマ性を持たせてしまう。トラウマとはこういう物なのかもしれない。藁でも捕まえたい気分なのだ。 今日、用事で42nd Streetを車で通り抜けた。アキラが住んでた頃のタイムズスクエアとは大分違うと思う。ネオンや、大画面テレビスクリーンで埋め尽くされたタイムズスクエアにあまり人がいない。車がすいすいと通り抜けれてしまった。こんなこと、ここ5年なかったことだ(5年前はまだ汚いエロ街だったけど)。 PTSDの症状に、外出をする事に消極的になるというのがふくまれていた。まさにこれが当てはまっている。観光客も激減している。 トラウマは他の部分にも現れている。人がおしゃれをしなくなっている。みんな地味だ。美容室はガラガラらしい。 食べ物も質素になっているようで、高級レストランも暇になっている。いまなら、人気店にすぐ予約なしで入れるかも。 これら、人々の生活の変化が著しいと感じている。いずれは、消費の低迷にもつながり、景気回復のためには、戦争景気しか無いという結論を全ての市民が認める時も近いと思う。 私の場合のトラウマは、いまだに消防署の前を通るときの息苦しさが顕著です。殉職した消防士の写真が貼られ、ローソクと花ががたくさん置かれている。この前を通るときどうにもならない息苦しさを感じる。 以上、あまりトラウマの話にはなってないんですが、あしからず。 Toshihiko Mochizuki tmochizu@tomcatlab.com |
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9月20日(木)
マヤ暦3月1日 |
町内野球の助っ人に呼ばれた。 結果は十五対〇のコールド負け。二打席ノーヒットとまるでいいとこなかったので、昔の武勇伝をお聞かせしよう。 オレが小学校五年生のころ、オールスターチームを結成した。クラスの枠を越え優秀な選手ばかりを集めたのだ。 まずはチーム名から決めねばならぬ。 「リトルジャイアンツ」「ブルーシャークス」「ホワイトイーグルス」など(まるで今回の戦争作戦名「ノーブルイーグル」みたいだな)、カッコイイ名前が出そろったときだ。オレがおもむろに立ち上がり、こう提案した。 「ふんどしマルメーズ」 日光小学校のグラウンドで円陣を組んでいた選手たちが、腹をよじって笑い転げる。 当時、ブッシュ政権なみの独裁をひいていたオレの提案がとうり、本当にチーム名は「ふんどしマルメーズ」になってしまった。 さっそくオレは「ふんどしマルメーズ」の頭文字HとMを組み合わせたマークをデザインし、運動具店に特注した。白をベースに紺地のフエルトでできたマークは帽子とユニフォームの左胸を飾った。さすがにズボンのまえにふんどしをたらすという提案は、ゴロがとれないという理由で却下された。 「ふんどしマルメーズ」は連戦につぐ連勝。近隣の町の五年生チームをことごとく破った。おまけに六年生のオールスターチームにまで勝利してしまったのだ。 おかしな名前と強さがうわさになり、「県大会に出てみないか」と声がかかった。オレたちは部活でもないし、大人の監督などいない小学生自身のインディペンデントチームだった。しかし県大会に出るチームはプロや大学野球を引退した監督のもと、何年も組織練習を積んだ強者たちだ。 甲子園経験者の池上監督がついた。 サインプレーなどやったことのないオレたちは、バント練習など退屈だった。なにより出場にあたり、「ふんどしマルメーズ」を「日光クラブ」に変えられたのが屈辱だ。 県大会当日、応援団とともにオレたちは大型バスで宇都宮にある県営グラウンドにのりこんだ。芝生がきれいに刈りそろえられ、ナイター設備というものをはじめて生で見た。オレたちは遠足とかんちがいし、三〇〇円以内と決められたお菓子を交換したり、卵焼きをとりあったりしている。 相手は強豪がひしめく宇都宮予選を勝ち抜いてきた「細谷クラブ」という。ダブルプレーや満塁シフトなど、高校野球なみの練習をしているのを見た池上監督が、ため息をついた。 「だめだこりゃあ、日光の山猿とはレベルがちがうわ」 オレたちはベンチにはいってからも「ポッキー一本につき、アーモンドグリコ二個だぞ」と言い争いをしている。 「プレイボール!」 塁に出た相手チームの走者が一塁を守るオレに訊いた。 「あのうみんなで話していたんですけど、なんで日光クラブなのに、マークがHMなんですか?」 オレは胸のマークを突きだして答えたさ。 「オレたちゃ、ふんどしマルメーズ!」 試合の結果は誰もが予想しないものだった。 九対三の大差で勝ってしまったのだ。しかもオレは四打席三安打の猛打賞。いちばん驚いていたのは池上監督だったんじゃないかな。 初戦を勝ち抜いたつぎの相手は、なんと前年優勝している栃木千塚だ。 一番打者のオレは、ライト前ヒットで出塁した。べつに俊足でもないオレだが、即盗塁。オレの中では盗塁は義務なのだ。 三塁に盗塁。タイミングは完全にアウトなのに、なぜかキャッチャーが暴投したり、エラーが出る。 「タイム!」 池上監督が自ら三塁に走り寄ってくる。百戦錬磨の相手チームはものすごい秘策を授けていると思ったろう。 鬼の池上監督がひたいの汗を何度もぬぐいながら、懇願する。 「アキラ、お願いだからホームスチールはやめてくれ。少しはチームプレーというものを考えろ」 必死の懇願にも耳を貸さず、オレはアーモンドグリコの甘い汁をにゃんにゃんしている。 走った。 しかしその瞬間、バッターがぼてぼてのサードゴロを打ってしまった。バックホームにまにあわない三塁手は一塁に投げた。オレは楽々ホームインにもかかわらず、ヘッドスライディングを敢行した。 優勝候補は常識はずれのヒットエンドランに茫然としている。 先取点の出迎えで沸くベンチをまえに、オレはつばを吐いた。 「ちっ、これでオレのホームスチールが目立たなくなっちまった」 翌日の新聞は、初出場の「日光クラブ」が優勝候補を四対三で破ったと書き立てた。 天狗になったオレたちはつぎの試合で無名の「馬頭クラブ」に一〇対〇で負けてしまった。あまりの暗い雰囲気に、オレが最後の打席でやろうとしていた奇策を実行できなかった。 ユニフォームのまえにたらすふんどし(白手ぬぐい)を用意していたのだ。もちろん墨汁でこう書いてある。 「ふんどしマルメーズ」 |
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9月21日(金)
マヤ暦3月2日 |
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9月22日(土)
マヤ暦3月3日 |
どれだけイスラムの人々に助けてもらったのかわからない。 今から十三年ほどまえ、中国から陸路でヨーロッパにわたった。オレにとってはじめてのイスラム教徒は、中国北西部に住むウイグル族だ。中国を横断するのに三ヶ月もかかり、共産主義の不条理と漢民族の個人主義に疲れていたオレを救ってくれたのは彼らの笑顔だった。遊牧民であるウイグル族は、旅人に対して開放的なホスピタリティー(助け合いの精神)をもっている。ひげを生やし、東洋の顔立ちをもったオレはウイグル族にそっくりだと言われた。 市場をうろついていると、太鼓のリズムが響いてきた。直径五メートルほどの輪ができ、ひとりづつ真ん中に出て即興の踊りを披露している。老人から子どもまで男女の区別なく踊り手になる。こっけいな踊りで人々を沸かせていたおっちゃんにいきなり手首をつかまれ、輪の中央にひっぱりこまれる。おっちゃんは動作で「おれをまねろ」と指示する。うしろについてニワトリの動きをまねると、爆笑が起こった。「ひとりで踊れ」と指示されたので、麻呂赤児の弟子から習った野口体操の舞踏を踊る。タコのような奇妙な動きに大喝采があがる。 その日以来、オレは市場のスーパースターになってしまった。知らない人からメロンやブドウをもらい、羊肉うどんをごちそうされ、外国人を自宅へ招待するのは禁止されていたが、「ウイグルにはウイグルの法がある」と招いてくれた。 国境に近いカシュガルの町には、禁止されている酒と女を求めてパキスタン人がバスに乗ってやってくる。禁欲的なイメージとはほど遠い、イスラムの人々の姿に好感をもった。 この先パキスタン、イラン、トルコとイスラム国がつづくので、国境の町でワインを一本買った。クンジュラフ峠は5000メートル近いの高度があるのに。 地獄を見た。 真夜中に部屋を飛びだし、地面をのたうちまわった。水面の鯉のごとく空気をむさぼろうにも、息が吸えないのだ。 そのあと、イスラム教国家パキスタンにはいる。 北部の山々の美しさは、オレの経験でも世界一だろう。小さな村の人々ははにかんだ笑顔で旅人を迎えてくれる。 シーア派とスンニ派の対立で爆弾テロがあった。オレが食事をしたレストランが爆破されたという。そこではじめてイスラム教の暗い側面を知った。 当時アフガニスタンは内戦で国境が封鎖されていた。好奇心の塊であるオレはターバンで変装し、ペシャワールからハイバル峠を越えるバスに乗ったが、国境でパスポート提示を求められ、追い返された。国境の町にある市場では大量の武器が平然と売られていた。 アフガニスタンにはいるまでもなく、イランは戦争の真っ最中だった。 ホメイニ師が支配するイランは、同じイスラムのイラクと兄弟ゲンカをしていた。商店は閉まり、レストランで投げつけられたイスが窓を割り、コカコーラを買おうと店にはいると腕をつかまれ路上にほうり投げられ、夜中に踏み込んできた兵士に靴底までこじ開けられた。 アフガニスタン人にまちがわれたのだ。 当時イランにおいてアフガニスタン人は、難民かヘロインの運び屋であり、迷惑そのものだったんだろう。半そでTシャツで歩いていると警官に腕をつかまれ、長そでのシャツを買わされた。唯一出会った日本人女性の旅行者は全身をおおう黒いベールをかぶって旅したという。女性ひとりではホテルにも泊めてもらえず、知りあったイラン人の家庭に何度も泊めてもらったという。戦時下でありながらイラン人は暖かかった。 トルコは天国だった。 イスラム国でありながら、ケマル・アタチュルクという英雄によって政治と宗教が分離されていた。 まずはビールが飲める、女性もベールをかぶらないし、ヌードのポストカードまで売っている。なによりも世界三大料理のひとつである飯が美味かった。 イラン側から国境を越えると、富士山にそっくりなアララト山が見えてくる。ノアの箱船の破片が見つかったという有名な山だ。エメラルド色のヴァン湖で泳いでいて原因不明の熱病にかかった。世界一凶暴な民族と言われるクルド人の町だ。彼らもイスラム教徒であり、イラクではクルド人難民が生物兵器などによって大量虐殺されている。まったく言葉もつうじないのに、オレを病院に運んでくれ、点滴を受けていた三日間つきっきりで看病してくれた少年とその家族。誰が何と言おうとクルド人は世界一やさしい人々だ。 そのほか訪れたイスラム国は、モロッコ、エジプト、チュニジア。セネガルもイスラム教徒が多かった。 こうして旅をすると、「イスラム」と聞いたときに浮かんでくるのは、テロや石油のイメージではない。 人々の顔だ。 いくら文献で調べようと、人々の顔には出会えない。 旅をしてほしい。 さまざまな民族が暮らす豊饒な世界を痛みとともに受け入れるために。 |
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9月23日(日)
マヤ暦3月4日 |
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9月24日(月)
マヤ暦3月5日 |
イスラムのことを語りはじめたら止まらない。 社会的なスンニ派と精神的なものを重視するシーア派が代表的だが、オレがいちばんおもしろいと思うのが異端派スーフィーだ。スーフィーとは神秘主義者という意味で、いわば仏教のなかの密教だ。語源の「スーフ」は羊毛で、原始的な羊の毛皮身にまとい、世俗的な虚飾を捨て去った隠者である。 スーフィーは形式主義や律法主義に背を向け、ひたすら直接的な神との合一を追及した。 いわばイスラムの「トランス派」だ。 パキスタンの山奥でスーフィーの秘密集会に参加したことがある。 白い石灰で塗られた教室ほどの部屋に二十人くらいが集まっていた。穏やかな説教と祈りがしばらくつづいたあとだ。人々が口々に「アッラー、アッラー」と叫びはじめた。そのときはよくわからなかったが、「アッラー・ファクバル(神は偉大なり)」とか、「スプハーナアッラーハ(神に栄光あれ)」などと叫んでいた。一人ひとりの叫びが土壁を震わせ、部屋は阿鼻叫喚の坩堝になっていく。人々はぐるぐる体を回転させながら絶叫し、倒れ、起き上がっては、まわりつづける。目の前でひとりの若者が倒れ、口から泡状のよだれをたらす。脳震盪を起こしたのかもしれないと心配したが、部外者には抱き起こすこともはばかられた。オレはあっけにとられて立ち尽くすしかない。 そのときはスーフィー自体も、ズィクルと呼ばれる連唱も、イランの神秘詩人ルーミーがはじめた旋回舞踏も知らなかったが、理性が崩壊する恐怖と喜悦を目の当たりにした。 パキスタンの首都カラチで知りあった人に結婚式に連れていってもらった。 五人くらいの楽団が演奏する音楽にひとりの年配の女性が失神した。ふつう救急車を呼ぶ大騒動になるはずなのに、人々はあたりまえのように彼女を寝かせ、二人の女性(おそらく姉妹か親戚だろう)が髪の毛をなでたりして看護するだけだった。しばらくすると正気をとりもどし、彼女がいったひと言に会場がわいた。 知り合いの説明によると、カッワーリと呼ばれる音楽(結婚式などで歌われる俗謡と宗教歌は区別されているが)を聴くと、失神者がでて、その人のヴィジョンによって結婚の幸不幸が占われるという。実際言葉のわからないオレ自身も心地よい音楽に揺られ、軽い酩酊状態にはいった。カッワーリ音楽のカセットを何本か買い、これぞと思ったのが、ヌスラット・ファテアリ・カーンだ。 スペインに住んでいるとき、彼がやってくると聞き、コンサートへ三人の友人を誘った。 ジャズヴォーカルなどおよびもつかないアドリブ、うねりくるハルモニウム、さざめくタブラー、あぐらをかいて熱唱するヌスラットの神々しさに全身がしびれた。気がつくと、涙が止まらなくなっていた。ふと、横を見ると、日本人もスペイン人も泣いていた。 だって誰も歌詞なんかわかんないんだよ。 こんな恐ろしい音楽がこの世にあったのかと、「体感」した。音楽本来の起源は神と合一する「トランス」にある。スーフィーが生みだしたカッワーリ音楽は、自我を滅却(ファーナ)し、オレたちが「そこから来て、そこへ帰って行く場所」に連れもどす。 数年前にヌスラットは死に、神格化された。 スーフィーは悪しき欲望をナフスと呼ぶ。ある修行者の口からキツネのようなナフスが飛び出した。不思議なことに修行者が踏みつければ踏みつけるほど、ナフスは大きくなる。修行者はナフスにたずねた。 「ふつうは苦痛や打撃を与えれば壊れるのに、どうしておまえは大きくなるのだ?」 ナフスは答えた。 「わたしにとって他の者の苦痛が快感であり、他の者の快感が苦痛になります。 わたしは天の邪鬼なのです」 |
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9月25日(火)
マヤ暦3月6日 |
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9月26日(水)
マヤ暦3月7日 |
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オレと音楽ユニットを組んでいるタケ隊長に不思議話を訊いたら、いっぱい出てきた。 |
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9月27日(木)
マヤ暦3月8日 |
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9月28日(金)
マヤ暦3月9日 |
不思議体験その9 「首つり」 これもタケちゃんが小学校三年のころの話である。 運動会が終わった夕暮れ、露店で買ってもらった大判焼きを弟と食いながら「ガッチャマン」のテレビを見ていた。 チーン。 仏壇においてある鐘がひとりでに鳴った。 台所から母が叫ぶ。 「のんの様(鐘)をイタズラしちゃだめだって言ったでしょう!」 数日前、仏壇の鐘を連打してふたりともこっぴどく叱られていた。 「やってないもん」 「うそおっしゃい、あんな大きな音で鳴らして」 「ほんとにやってないよなあ?」 弟も大きくうなづく。 翌朝、稲荷寿司のおすそ分けをとなりの家にもっていかされた弟は、 根本さんのおじちゃんが首をつっているのを発見する。 抗ガン剤で髪の毛は抜け落ち、病気を苦にしての自殺だそうである。 ※ この話を書いていたら、タケちゃんから電話があった。 「ダッコウしました」 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。paperbackの原稿は昨日脱稿したから、ライブの練習はできるよ」 「ちがうんです、僕がダッコウしたんです」 「おお、タケちゃんもホームページの原稿書き終えたの?」 「ちがう、ちがう、お尻からチョウが飛びだしちゃったんです」 「サナギでも飲み込んだから?」 「蝶じゃなくって、大腸。脱稿じゃなくて、脱肛です」 いきなり四日後にはいった宇都宮のライブのため、午前中から練習するはずだった。迎えにきてくれたタケちゃんは車のシートに腰をおろすときも激痛に顔をゆがめる。 「呪いかもしれない」オレは言った。 「ここ数日、タケちゃんの不思議体験ばかり書いてたからなあ。そうだ、糞食い婆のたたりだよ!」 飛行機でもらったU字型のエアー枕をズボンにつっこみ、イスから立ち上がるときも、座るときも、そうとう痛そうだ。 練習のとちゅうで、何度も「押し込み」にいく。新コリミジン軟膏というのを患部に塗る。痛み、腫れ、出血、かゆみを抑えるステロイド剤や炎症を押さえる塩化リゾチームが配合されている。もちろんそのたびに手を洗うのだが、オレも手わたされたギターを弾くのがちょっとためらわれる。 ……この弦には何万という大腸菌が生息しているのかもしれない。 いや、エイズにしろ、癩病にしろ、健康な者が患者を差別してはいけない。オレはさりげなく弦をそででぬぐったつもりが、見つかってしまった。 奥只見の原始生活でも、我々の命を救い、堂々と引率してくれたタケ隊長が、憐れなため息を漏らす。 「きっと、糞食い婆も淋しかったんだろうな」 |
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9月29日(土)
マヤ暦3月10日 |
不思議体験その10 「夢」 編集者のTさんがオレの夢を見たことをメールしてくれた。 昼寝をしていて見たという、二つの夢を紹介しよう。 そこは交差点で、まるで渋谷の駅前のように大勢の人が渡っていた。 わたしもたくさんの人たちの中を、下を向いて歩いていた。 ふと顔を上げると、すれ違った人の中にアキラさんを見た。 会ったこともないのに、あっアキラさんだ、と思って振り返る。 すると、アキラさんもわたしを振り返った。 何も話さなかったけれど、確かに目があって、何かを交わした気がした。 アキラさんは、なぜかピンク色のチェックのシャツを着ていた。 デパートの中にある、大きな本屋へ行った。 雑誌を立ち読みして、そうだ、『風の子レラ』を買おうと思い、新刊書のコーナーへ行く。 平台は真っ白で、『風の子レラ』だけがたくさん置いてあった。 そして、それはばらまかれたかのように散らばっていた。 散らばっているたくさんの本は、どれも表紙の角が折れている。 折り返された部分はきみどり色。平台の上で、ばらまかれたきみどり色の三角形を、きれいだなあと思った。 誰か女の人が、本をそろえようと必死になっていた。 わたしは、角の折れていない本を一生懸命さがしていた。 ※あなたの不思議体験をメールしてください。 べつに心霊現象や恐怖体験に限りませんし、オチや理由づけもいりません。 ※ う〜む、深いな。 ピンク色のチェックのシャツ、もってるよ。 赤いギンガムチェックのコットンシャツで、ピンクに見えるんじゃないかな。 それにしても、なんで夢って見るんだろう? Rapid Eye Movement(速い目の動き)と呼ばれるレム(REM)睡眠のあいだに夢を見る。オレたちは夢を見ているとき、まぶたのしたでキョロキョロと目を動かしているのだ。 角の折れていない本を一生懸命さがしたり、殺人鬼に追っかけられたり、空を飛びながら街を見下ろしたりと、眼球自体は夢のイメージに反応している。 夢は「日常」と「非日常」のあいだに架けられた虹だ。 チベットの「死者の書」でも、幻覚系ドラッグでも、「非日常」的なイメージがリアリティーをもつ。臨死体験者も、「死後の世界は自分の想像したものがそのまま形になる」と言っている。 どう? 夢とそっくりでしょ。 「日常」と「非日常」は、オレたちが「生きている世界」と「死後の世界」などと言い換えられるかもしれない。 夢には、すんげえくだらない世俗的な部分とミステリアスな神秘的部分が、ごっちゃ混ぜにでてくる。 恋人に会うまえに「鼻毛を抜き忘れた!」とか、いつもおしゃれな同僚が同じ服を着て出勤したので新しい恋人ができたとか、表層的な感情がでてくる。鼻毛を気にしながら空を飛んだり、他人のうわさ話を神に報告したり、聖と俗とのあいだに線が引けない。 たぶん夢は、オレたちがもといた場所にもどるための「ラジオ体操」なんじゃないかな。 あまりにも「ふるさと」から切りはなされた日常を送るオレたちに、「あの世」を忘れさせないようにするためのね。 つまりオレたちは、「毎日死んでいる」んだ。 Rapid Eye Movementで「非日常」的なイメージに目をみはり、「ふるさと」へ帰るための「ラジオ体操」をしているわけさ。 「今日も一日、楽しい人生をすごした。さあ、そろそろ死ぬとするか」 |
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9月30日(日)
マヤ暦3月11日 |
アフガニスタン女性の惨状を訴える署名のメールが来た。 六十年代、サンフランシスコ、ハイト・アシュベリーの伝説的なヒッピー新聞「サンフランシスコ・オラクル」の編集人で、六七年のヒューマン・ビーインのオルガナイザーだった、アレン・コーヘンから友人の金田さんに送られてきたものだ。 長文の英語を翻訳したが、全部はのせられないので、概要を伝えよう。 一九九六年に台頭してきたタリバンによってアフガニスタン女性の生活は一変した。 ブルカで全身を覆い、目のメッシュカバーを一瞬めくっただけで兵士や原理主義者に殴りつけらたり、石を投げつけられたりする。ある女性は自らドライブした車でアフガニスタンを去ろうとしたとき、原理主義者の暴徒によって殴り殺された。 女性たちは夫や男性親族以外との外出は禁じられた。以前は堂々と働いていた女性の教師、翻訳者、医者、弁護士、芸術家、作家が仕事から追い出され、家のなかに監禁状態にされている。外部から見られないように、ガラス窓さえペンキで塗らなくてはいけないのだ。 二十年もつづく内戦でたくさんの男たちが死んだ。夫や男性親族がいない女性が数多くいる。その多くは餓死し、博士号をもつ女性さえ道で物乞いしているという。 女性の自殺者が急増し、極度の鬱病がまん延している。病院にもいけず、暗い家のなかで、飢え、発狂してゆく女性たち。 女であるというだけで罪人なのか? これじゃ国土全体が女性刑務所じゃないか。あの柔軟で情け深いイスラムのホスピタリティーはどこにいったんだ。 もともとイスラム社会も母系制だった。財産は妻側の共同体が管理していたし、家の所有権も女性側がもっていた。女性の詩人や医者や商人も活躍していたし、なにより預言者ムハンマド(マホメッド)の最愛の妻ハディージャは大実業家だったではないか。ハディージャの資金援助なしにムハンマドの商業的成功はあり得なかったし、彼女の精神的な支えなしにイスラム教は生まれなかったと言っていい。 ほんとうに原理を標榜するのなら、キリスト教など足もとにもおよばなかったほど自由で寛容な本来のイスラム社会に還ってほしい。 この世で唯一のパートナーである女性を蔑視する社会は淘汰される。 他人事じゃないぞ。アメリカも日本も精神的にはイスラム国家よりすさんでいるかもしれない。母なる地球を犯しまくっているのは先進国の男たちだからね。 ブッシュもタリバンも同じことをやっているよな。近視メガネはずしてさ、望遠鏡と顕微鏡の視点から歴史のパースペクティヴをながめてごらん。 たった二〇〇年(または二〇〇〇年)で破綻をむかえた父系制支配型社会の主導権を女たちに返そうよ。母系制協調型社会は七〇〇〇〇〇〇年もうまくやってきたんだぜ。 狩りとセックス以外はハンモックで昼寝してればいいんだよ。 あとは女たちがうまくやってるれるから。 |