|
「孤立のアフガン」中村医師講演録
普通の人々がこの内戦の中をどういう暮らしをしてきたか。どういうことであり、どういうことで楽しんできたのかを紹介しまして、質疑応答を受けたいと思います。
私たちは、ペシャワールというパキスタン北部の国境の町に基地病院を持っいまして、この基地病院を基地としまして、アフガニスタンに8カ所、パキスタン側に2カ所合計10カ所の診療所を運営しています。年間の診療者数は約25〜6万人くらいでしょう。
まず最初にお伝えしたいのは、一年以上アフガニスタンはもう何世紀に一度あるかないかという大干ばつでして、去年の5月WHO発表では1,200万人が被災していて、そのうち飢餓状態にあるのは約400万人、死ぬであろうと言われたのは約100万人。
確かにこの一年振り返ってみますと、おおざっぱな印象ですけれども100万人は死んだだろうと思います。しかしこのことはほとんど日本では話題にならない。
決して犠牲者の数で悲惨さが分かれるわけではないですけれど、現地では、何千人アメリカで死んだっていったって、みんなはそういう数字に麻痺しているという状態ですね。特に子どもお年より弱い人たちですね女性、こういう人たちが(干ばつの?)犠牲になってきたわけですね。
私たちが、去年アフガニスタン国内の診療所建て直しを本格的に始めていますが、よくもまた患者が多い。しかも下痢で子どもがどんどん死んでいく。聞いてみると、どうも水がない。水がないために何時間もかけ離れた遠くから運んでくる。食べ物がないだけですとよそから食べ物を運んできて食いつなげばいいわけですが、水がない所の生活です。食器が汚れるため赤痢がはやる。コレラがはやる。ばたばたと子ども達を中心に犠牲者が出ていたんですね。
私たちお医者さんがこんなことを言っちゃいけませんけれど、病気は後で治せると。先に生き延びてもらうという状態です。
死んだ家畜を売り飛ばして難民化する。廃村が次から次へと広がっていったという状態でした。私たちペシャワール会にとって過去最大の活動になるということで腹をくくりまして、去年の七月から現在に至るまで約660カ所で水源確保の作業を進めているわけです。そのうち8月末時点で550カ所で水を確保しました。
何とか20数万人の流民化といいますか、村を捨て難民化する以外ないわけですね。その難民化もパキスタン国境で阻止されるという状態です。
ともかくも難民を出さない事業が先だということで、最大の事業を干ばつ対策においてきたわけです。地域によりましては、伝統的な水路の復旧によって、いったん難民化した1万数千名が再び村に戻ってくると、小麦畑が復活するということも起きております。こういう中で今度の事件が発生したわ
けですね。
スライド
住民総動員で復旧作業というか飲料水の確保が行われていました。
我々の作業というのはせいぜい福岡県を2つ3つあわせた程度の地域でアフガニスタンの東部の一部の地域でありますが、1000カ所を目指しています。
全体が現在難民キャンプと化している状態で、もとからいた市民はほとんど残っていない。せいぜい2〜3割が残って細々と暮らしている程度で、ほとんどの市民は場末に生活しておる貧民あるいは干ばつで逃れてきた避難民で埋め尽くされている。
しかもまともな医療活動が全くない、あっても事務所だけがあってまともな診療が行われていないというのが実態でありまして、我々としてもこれは何とかしなくてはならないということで、今年の二月から臨時診療所を五箇所開設しました。それでも足りないということでさらに五カ所合計10カ所を開設する予定にして帰ってきたところにこの事件が起きたわけですね。
こうして、アフガニスタンは瀕死の状態のところに又この戦争に巻き込まれる
という可能性が出てきまして、我々ペシャワール会としてはここが最大の山場で
あるということで腹をくくっておるわけでございます。
スライド
この18年の動きを簡単に紹介することが、アフガニスタンの理解を深めることになるのではないかと思います。
まあ人口が何人だとか、政治の動きがどうだとかは全部新聞とかに紹介されておりますので、伝えられない普通の人々の現実を伝えたいと思います。
ペシャワール会は、18年前の今頃結成されまして、ずっと活動を続けておるわけですが、これは全部かボランティアの団体でありまして、現在、年間一億円規模で運営されています。一億円というとODAに比べて、随分少ないように思われますけれども、私たちの特徴というのは、組織維持に金をかけないと、という方針でありまして、設備投資を入れますと、96%以上が現地に送られます。
当たり前じゃないかとみなさん思われるでしょうが、名前を挙げませんけれども、大きなNGOだとか国連団体になりますと、組織維持にお金がかかるわけですね。
たとえば国連のプロジェクト、ペシャワールのユニセフパキスタンは、募金の9割が国連職員の給与に充てられて、残りの一割でプロジェクトがされている。それから又現地の職員の給与、彼らがジュネーブに行く費用を引きますと、わずか、みなさん100円募金したとして、これが2円か3円が届けばいい方で、これが普通なんです。
これは何も国連だけではなくて、大きなNGOがそうで、組織維持に莫大なお金を持ってくるということで、ペシャワール会は確かに事業額は決して大きいとは言えないけれど、数十倍する・・・があるということで、私たちとしてもこのボランティアの力がですね、これだけみんなの力を寄せればこれだけのことができるんだということで、一つの支えでもあるわけです。
ペシャワール会への募金
スライド
現地のことでなかなか日本人が理解しにくいことを多少お伝えしますと、現地は地図で見ますと、日本の面積の1.7倍で広いようですが、大半が山岳地帯ですね。パミール高原から東にのびるアラル山脈、西にのびるヒンズークシ山脈、世界の屋根の西の翼を形成していまして、大半がヒンズークシ山脈6千メートル5千メートル、7千メートル級の山が国土全体の大半を覆っている。
空から見ると美しゅうございますけれど、私たちの活動は、山間の谷をカニが這うように少しずつ診療範囲を拡大していっているんですね。一番遠い診療地域で、片道一時間かかるくらいのは決してまれではない。自動車が通るところは恵まれたところでして、電気もない。
タリバンがテレビを禁止していて、みんなテレビも見ていないといいますが、だいたい電気の恩恵にあずかる地域というののがアフガニスタンのわずか数%でございます。ほとんどの人は電気電力が使えないんですね。
報道を見ていましたら、「タリバンという悪い政権があって、みんなを抑圧して報道管制をしている」というわけです。曲がりなりにも国家組織が整備されているところはいいですけども、こういうところで、報道管制ができるほどの状態ではありません。
住民がどうやってニュースを知るかといいますと、BBCニュースの現地語放送パシュトゥ語を聞くわけですね。それでかなり正確な情報を持っていまして、決して報道管制ができるわけではないということなんですね。
スライド
ご存知のように100%がイスラム教徒でして、みんなの生活がモスク(キリスト教でいう教会に相当する)を中心に地域の共同体があるという社会でありまして、イスラム教を抜きにして、アフガニスタンを語れないでしょう。
イスラム教徒といえば、悪いイメージばかり新聞に載りますから、事件があったときだけが内乱テロ事件そういうことばかり載りますから、何か血なまぐさいイメージを持っていますけれども、現地に17年おりまして、イスラム教徒といえども普通のおじさん、おばさんなんですね。
ただ彼らにとってイスラム教というのは、一つの精神的な伝統的な支えでありまして、これを抜きにして彼らのことを考えることはできないですね。イスラム教というのは国際的な宗教でありまして、大部分の住民にとっては、地域を超えて、国家的な価値よりも宗教的な価値の方が優先される社会なんですね。
私たちの活動でいいますと、ハンセン病の患者が地域で迫害されているというときにどうするかといいますと、人権団体に訴えたり、政府を告発したりすることは、まず考えられない。
我々が考えるのは、近代国家があって、みんなが国民投票をしてという社会では
ないわけです。
スライド
いまは遊牧民が壊滅状態にありまして、こういう光景は少なくなってきたわけです。つい一、二年前、アフガニスタンの農村で普通に見られる風景なわけです。
地域によっては、どう考えても人々の考えは10世紀は変わっていないのではないか思われるところがある。昔からシルクロードの流通機構を握っているのは、依然としてこのラクダの隊商遊牧民でありまして、何が言いたいかというと、この人達にとっては、この人達の生活、ものの考え方、喜びとか悲しみとあるんですね。
私は曲がりなりにもお医者さんですから、患者を相手にするわけでして、患者というのはその地域の人間なんですね。地域の人々が、どういうことで怒るのか、どういうことが悲しいのか、どういうことが喜ぶのか、ということを知らないと、臨床医学というのは成り立たない。患者とお医者さんとの関係が成り立たない、その理解に非常に時間がかかるということなんですね。
スライド
貧富の差が非常に甚だしい。たとえば、うちの病院を見ても210数名の現地スタッフの中で月収は日本円にしてわずか5、6千円程度でございます。これもいい方だという話です。物価が安いですから、そのまま貧困指数にはなりませんが、上は日本のお金持ちがびっくりするくらいお金を持っていて、この差がどんどか広がっていく。一握りのお金を持っている人々は、ちょっと風邪を引いただけで、ロンドンやニューヨークに簡単にいける、ところが、一般の民衆というのは、わずか何百円あれば助かるという人が、ほとんど死んでいく。という中で、私たちが、するのは、いかに少ない金でいかに多くの人に恩恵を及ぼすか、現地流の医療を考えざるをえないという地域です。
スライド
アフガニスタンは多民族国家で主な言語集団だけで130ある。だからコミニュケーションが外国人にとっては、非常に難しい。英語をしゃべれる人はほとんどいない。外国人が接することができるのは、ごく限られた一部の有産階級、お金持ち、非常に恵まれた一部のエリート層としか接することができない。それで、彼らは何かあると外国に出ていく。
こういう人たちがアフガン人というパターンが定着していまして、マスコミの取材攻勢というのは決まっていて、だいたいこういう人たちの意見を中心とするアフガニスタンの見方は日本側にも定着しています、ということが言えるわけです。
アフガニスタンは多民族国家でありますが、アフガニスタンという同一性は非常に強固なものがあります。長い目で見た国際環境というのが日本とよく似ていて、日本は明治維新で北からやってくるロシア、南からやってくる英米、オランダ、フランスなど、サンドイッチの中で国が潰されるかどうかというときに明治維新を行って何とか独立を保ってきた。という経緯はアフガニスタンも同じなわけですね。
北からロシアが陸路で攻めてくる、南からは、三度にわたってイギリスから攻撃される。その中で山間部によりまして、これを撃退する。
アフガニスタンの住民は誇りを持っていて、民族を超えてアフガニスタンという同一性は非常に強いものがあります。なにせ多民族国家で部族同士の争いがある。これは内輪もめでありまして、外国人がとやかく言うものではありません。私たちはあらゆる勢力と距離を置いて、まず患者のことに専念すると、いうことに力を尽くしてきました。
言葉の壁というのが外国人の現地理解の非常に大きな障害になっているわけですね。パシュトゥ語ペルシャ語・・・・語最低3つは知っていないと現地でコミニュケーションができない。
私たちの活動はハンセン病の根絶計画で、7年前のハンセン病治療センターでは当時2400名の患者が、現在7000名に膨れておりまして、最終的にはどんどん増えていまして、もう治療センターという代物ではない。ある程度の物量は大切だということで、ペシャワール会の活動がにわかに活発化してきたわけです。
スライド
現在、少なくともハンセン病に関しては、私たちの所に送ってくれれば、最善を尽くします。パキスタン北部、アフガニスタン全土で、合併症の患者がいます。
ハンセン病というのはですね、末梢神経とか、目や皮膚をおかす。どういうことかといいますと、麻痺の回復する手術、失明する人のために単に薬をやれば収まるということではなく、整形外科、形成外科、神経病科、皮膚科だとかで、うちに来れば何とかなるというところまできました。
確かに医療活動しているなということにはわかりますけれど、実際、私たちの活動は氷山の一角でありまして、大部分は医療とは関係のないことに注がれてきたわけでございます。
一つは現地の習慣をいかに理解するか、現地でどういうことが、人々にとって幸せなのか、ということを一緒に考えていく。
どうしても私たちは見慣れぬものに対して、異物感を持ってしまう。ハンセン病コントロールの立場からいいますと、女性がベール(グルカ)を身につけているので、聴診器をまともに当てられないんですね。女性の肌を見たり、女性にいたずらをすると、日本でいう痴漢ですね。こういう行為というのは、不道徳な行為とと見られるわけです。殺傷事件に発展するというのは、普通なわけです。私たちも気を使わざるをえない。
現在西欧の人権家が盛んにこのグルカ着用をたたいていますが、私にいわせると、現地の一つの慣習で、特に農村部では、保守的な慣習がありまして、私たちの基本的なものの見方は、「現地の慣習や文化を我々の物差しで見ない、いい悪いのカテゴリーで判断しない」ということでありまして、私たちの医療関係者の配慮としては、限られた中で、患者さん達が最大限幸せに生きていく道は何かという視点で治療を続けるということでございます。
これについて、私の現地で見聞きした一般的なやり方というのは、外国人が入ってくると、「これは許すべからざるセクハラの最たるものである」ということで外国人の人権活動家が騒ぐ、もちろん現地で衝突しますから国外追放になる。ニューヨークかロンドンに帰れば、ヒーローで迎えられますけれど、私にいわせますと、「あなた達は自分の国に帰って人権の騎手としてヒーローに成り得るだろうけれど、この患者さん達をどうしてくれますか」といいたいですね。
たいてい外国人が、自分たちの主義主張を通すと、そのためにはトラブルも辞さないと、自分たちの考え方、主義、主張、価値観、文化観、これを現地に押しつけるということを、私たち医療関係者としては、こういう人々をどうしてくれるんだ、どうして救うんだ、自分の主義が大事なのか、ほんとに現地の女性が大事なのか、ということをいいたい。
こればかりは、外人部隊に頼らざるをえないということで、現在10年前から延べ20名の女性が現地に赴きました。
スライド
それまで、女性の患者というのは、かわいそうでして、入院してもまともな治療は受けられない、というのは、お医者さんであっても男性である私が女性の下腹部をさわったり、胸を聴診器を当ててみたりというのは非常に悪い行為だとして、彼女ら自身が拒絶する。
スライド
私たちの活動はパキスタン北部ということでございましたが、1979年12月、私が赴任する数年前、当時最強の陸軍といわれたソ連軍の大部隊約10万人が時の共産政権を助けると名目で侵攻しました。それ以後今に至るまで、アフガニスタンは内戦の余韻を引きずっていまして、ソ連軍の撤退までに死亡したものは戦闘員だけで70万だとか80万だとかいう数字が出ていますが、非戦闘員を入れますと200万人から300万人は軽く死んでいます。
実際私が目撃したことは、国境地帯に数百家族が流れてくると、冬ですと高地で寒いですね、そのまま数百家族が凍死するということがありふれたことでまれではない光景でありました。
私たちとしては、いくらパキスタン側でコントロール計画を実施しましても、新しい患者がアフガニスタンからやってくるということで、しぜんと医療関係者の立場からこのアフガン問題に巻き込まれていったわけでございます。
スライド
当時ペシャワール周辺に流れてきた難民が、UNHCR国連の発表で270万人、実質は300万人を超えると思いますが、ペシャワールを中心としてパキスタン北部に流れてきておりました。
細々と難民キャンプで治療していましたが、ここで私たちペシャワール会は方針を大転換いたしまして現在に至っています。一つはですね、ハンセン病だけを見る診療活動というのは成り立たない。
ハンセン病以外でもたくさんの病気がある。マラリア、コレラ、腸チフス、結核、アメーバ赤痢といわゆる感染症の巣窟なんですね。ハンセン病の多いところには、こういう感染症も多い、私たち医療関係の良心からしても、マラリアでふるえている人を後にして、あなたはハンセン病ではないから診ませんというわけにはいかないわけです。
ということが一つと。ハンセン病は非常に時間のかかる治療に時間のかかる病気であり、コントロール計画となると数10年は覚悟しなくちゃいけない。難民はやがて帰っていく存在であるし、彼らが帰った後のことも射程に入れて計画を立てる。しかも患者達の出身地が大半が、お医者さんのいない山の中の山岳地帯に多いということで、無医地区の山間部で貧しい地域を対象にしまして一般診療施設を開いた。そしてハンセン病の患者もさりげなく診ると、いろんな感染症の一つとして特別視しないという方針を打ち出したわけでございます。
アフガニスタンの開設予定地域を視察し、いったい何人人口がいるのかわからない、どういう病気が多いのかがわからない、ということで、実情を密かにさぐっていました。といっても、のこのこ入っていける状態ではなかったわけです、当時85年、86年、87年、88年というのは、最も内戦が激烈な時期でありまして、それも農村部が主な主戦場だった。それで私たちはまず自主調査を数年かけてもソ連軍が撤退するまで待つと。そして、一方で数年後の活動を準備するという体制を整えていったわけです。
スライド
空爆が激しい時期でありまして、人口密集地帯の農村をそのままやってしまう。それに対して、抵抗するのは決して日本で報道されたように何派何派という党派ではなくて、住民そのものなんですね。
これも誤解されていますが、アフガニスタンという国は決してアフガニスタン国民という個人がいて、それがアフガニスタンの政権を選んで、成り立っている近代国家とはちょっと違う、地域の権力というのは、地域地域に委ねられています。
たとえば、この河合校が代々木ゼミナールから攻撃されたとすると、普通であればお巡りさんに言ったりしますれけど、この河合塾に通う学生諸君が立ち上がって代々木ゼミナールと闘う。
こういう社会で、決してお巡りさんや軍隊が出てきて治安を守るのと違う。こういう中で地域共同体そのものが一つの軍自体、一つの生産単位であるわけですね。
当時は、青年団、壮年団が残って敵と戦う、そして女性や子どもお年より弱い人たちを難民キャンプにおくって闘い続けると時期でありましたけれど、われわれはのこのこと出かけていって、彼らと少しずつ親交を深めていったわけです。
スライド
その当時道路網が封鎖されて、ここは通れませんでしたので山越えをしていくことが多かったんですね。
今回の事件で、国境は封鎖されましたけれど、だいたい2,400キロの国境を封鎖できるものではない。我々はいざという時は、リュックサックに薬を担いでちょうど10年前したのと同じようにいつでも補給ができると状態にして、時に3,000mの峠を越えたりという苦しいときもありましたけれど、こうして少しずつ住民と親交を深めていったわけでございます。
スライド
中には外国人を初めてみるという地域もありまして、バスを見たことがないという人たち、ヘリコプターは時々見ると、爆撃していく、ここはヘリコプターを初めて見て、ロープで引っかけて落とした(笑)。
それくらい我々の感覚とほど遠い。たぶん村落がそれぞれが独立して生きているところでありますから、ある政権をばさっとやれば、あと全部が降伏してそれになびくという組織された日本みたいな国家とちょっと違うんですね。
私がはじめてこのムーリスタンに行ったときに、「あなたはフランス人ですか?」聞かれて、今まで中国人ですか韓国人ですかといわれたことはありましたけれど、フランス人といわれたのははじめてでありまして(笑)。そんなにおれ顔立ちがよかったかな。
どうも日本というのはみんな知っているんですね、しかし、日本人と会うのはまったくはじめてで、日本というのは現地で最も知名度が最も高い国でして、いちばん有名なのは英国で、「アングレイズ」(=イングリッシュ=英国人)といって敵の代名詞なんですね、アングレイズというと鬼畜とみんな思っている。
しかし、日本人というとアフガニスタンにとっては最も友好的な国だとみんな信じているわけです。だから対日感情は非常によい。ただし、正確な知識はあまりなくて、「オランダの隣にありますか?」とか「歩いて何日かかりますか」と訊かれたこともあります(笑)。
しかし、日露戦争はみんな知っていますね。それから広島・長崎というのはどんな山の中に行っても知ってる。日本というのは、アフガニスタンの人々にとっては身近な親密感を持っていて、おそらく、世界一親日的な国民ではないでしょうか。そういうことで、幸い片言の言葉ができますので、少しずつ親交を深めていったわけです。
スライド
そうこうするうちに、ソ連軍は帰っていってしまった。ソ連そのものがつぶれてしまう。共産政権が倒れると、政治党派ですね。日本で言えば自民党だとか社会党だとかの政党が都市を目指してどんどん集中しました。戦況が農村から都市に移ると、人々は実に正確にその動きを読んでおりまして、ソ連軍が帰った直後に押し寄せるだろうとする国連の「難民帰還計画」が、これもばかばかしい騒ぎで、数百億ドルを費やして行われましたけれども、湾岸戦争が始まる頃、みんな外国団体撤退してしまうと、帰った難民は一人もいなかった。
一人くらいいたかもしれないけれど、なんと皮肉なことに外国団体が引き上げて帰れる状態が整ったところ、難民は一斉に、1992年の5月から12月にかけて、300万人の難民のうち、200万人が誰の力も借りずに帰ったんですね。これは報道されませんでしたけれども、実態であります。じゃ200億ドルはどこに行ったのかと私聞きたくなりますけれども、それはみんな言いたくないと。国際社会では言いたくないと、それが実情です。
スライド
家はくずれて、家の補修から始めなくてはならない。田んぼは荒れ果てて、10数年ほったらかしという中で、我々としては農村の復興が先だと、もちろん東の限られた地域ではありますが、我々としてはまずは農村の復興を助けることでアフガニスタンの復興を助けるということで側面から援助を大規模に開始したわけです。
スライド
外国の医療団体が危険地帯ということで帰った後で、実質的に機能している医療機関はほとんどなかったわけです。
であれば我々の出番であるということと、我々はこの時期を待っていたわけでありまして、帰ってくる難民を迎えるようにして、東の三つの山岳部の診療所は次々と建てられたわけです。
難民にしてみれば、今までほとんど無医地区なわけで、帰ってみるとちゃんと診療所があるではないか。お医者さんはいる、検査技師はいる。我々は一ヶ月交代で運営していまして、まがりなりにもちゃんとした診療所ができるのは画期的なことだと、安心して村の復興に励めるということで、私たちもうれしかったですね。
思い出されるのは、マラリアの大流行があった。難民が帰ってきて水田が復旧する。水田が復旧すると発生するのは蚊でありまして、蚊が発せしますとマラリアが大流行する。しかも免疫がない状態で大発生しますと、犠牲者が大きいわけです。
しかも悪性マラリアというやつでありまして、大人も倒れると、最も生産に必要とされる青年達、壮年達が次々と倒れる、私たちが死亡を確認しただけで、私たちがカバーしている地域というのはせいぜい70万人から80万人の地域でありますけれども、死亡を確認しただけで6千名が死亡しました。
そのために地域がパニック状態に陥りまして、診療所まで何日も歩いてくる人たちもたくさんいるんですね。次々と死んでいく家族があれば、不安に駆られるのは当然でありまして、何とか薬を求めて遠くからやってくる。しかし、朝から日没まで働き通しても一つの診療所でみ診れるのは200人から300人程度なんですね。
そのために待ちきれない住民が不安に駆られて投石を始める。投石ならいいですけれど、その当時は内戦直後でして、みんな武器を取り扱うのに驚かなくなっていて、飛び道具が打ち込まれる。ライフルが診療所をかすめただけですけれども、ロケットも打ち込まれて、幸い診療所は爆破されませんでしたけれども、弾に当たって職員が2名殉職しました。
北部からの調査から帰ってきたところで17、8名人がいたと思いますが、現地の習慣として、「復讐」と「お客さんをもてなす」というこの二つが人間関係の基調であるわけです。それによって地域の人間関係がバランスをとっている社会なわけです。二人殺されたなら、こちらも二人殺さないと恥になるこういう社会ですね。
職員はドクター中村が反撃すると期待していたわけです。私が「殺しちゃいかん」と言ったものですから、みんな耳を疑いまして、それが当たり前の習慣ですね。
「先生、本当ですか」
「本当だ、殺しちゃいかん」
「皆殺しになっても発砲しちゃいかんのですか」
「皆殺しになっても発砲しちゃいかん。我々十数名が死んだとて、ペシャワールに控えているではないか、今、彼が興奮しているけれども、さめたときは、きっと後悔する、その時に次の隊が我々の事業を引き継いですることができる、今我々が力対決すれば、我々の計画そのものが分解してしまう」
さすがにみんなは私の意気込みに圧倒されて、それ以上犠牲者は出ませんでした。
翌日、村長会議を開きまして、席上、私は人を怒鳴ったりすることはありませんが、「私たちは朝から晩まで何の政治的下心もなくただ働いておる、でその仕打ちは何だ」と言いますと、みんな謝りました。
「まず治安を守れ、各部落から若い者を出して武装した護衛を出せ、君たちの診療所であるから、それくらいのことをしなさい、薬の方は私が何と持ってくるから。」と。
山を越えてペシャワールに戻って福岡の事務局に電話をしまして、「ありったけの銭を全部送ってくれ」というと、「先生30万円しかない」(笑)
ペシャワール会というのは不思議な団体でして、自転車操業で続いてきた団体ですけれど、「30万円でいいから早く送れ」といいかけて、私がぞっとしたのは、30万円でいったい何人が助かるであろうか、当時、マラリアに対してキニーネという薬を使わざるをえない。一人当たりの治療費は220円、30万割る220は助かる人の数だ。つまり1700くらいですか、1700人くらいしか助からない。人の命は平等だというけれど、本当だろうかと、疑問を私は持ちました。
ともかくあの当時は緊迫いたしまして、あのときばかりはマスコミの方に感謝しますけれども、2ヶ月の間に約2000万円が集まりまして、これを持って次々とマラリアをつぶしていったということで、地域住民から圧倒的な支持を得たわけでございます。
スライド
まだ車で行けるところは恵まれたところでありまして、アフガニスタンの大半というのは、車も通らない、バスも見たことがない、という地域がたくさんあるわけです。アフガニスタンだけでなく、パキスタン北部もそうです。
我々としては、人の行かないところに行く。人がしないことをする、へそ曲がりだという人がいますけれど、そうではなくて、みんなが我も我もと押し掛けるところは誰かがするだろうと。
我々としては、誰も行かないところを我々は選んでいく、ハンセン病にしましても、だれもやらないからやっていくんですね。少しずつ活動を拡大していったところでございます。
スライド
アフガニスタンのいちばん高地のムーリスタンというところでありますけれども、我々医療関係者として地域の保健医療とか国際保健医療学会とか議論がいっぱいあるわけです。インターネットを見ると、ああいう議論は何だと、あまりきれい事が多いんですね。
地域でどうしたら住民のためになるかという方法論を持っているわけではありません。けれども、ともかく私たちはこの地域に張り付いて、こういう人たちにとっていちばんいいものは何か? ということを一緒に探っていくことが大事なのではないかという気がするんですね。どうしてもかわいそうにとか、あんなとこに住まなくてもとか。彼らは好きこのんで住んでいるのではなくて、昔からここを故郷として、彼らの間で喜びや悲しみがあるわけですね。その中で生きているわけでありまして、私たちとしては、いちばんいいものは何かということを探っています。
スライド
そうこうするうちに、17年がたちまして、ペシャワールに基地を立ち上げまして、ここを中心に現在10カ所ある診療所を基点として、運営しておるところでございます。(スライド終わり)
アフガニスタンをおそう大干ばつは鬼気迫るものがあります。
先ほどお見せしたヒンズークシの山の雪、現地は乾燥地帯でありますけれど、現地の生命、農業を支えておるのは、冬につもる白い雪が夏に解けだして地下水や川となって灌漑用水を提供するわけですね。ところが私が危機的に思うのは、年々この雪が少なくなってきておる、つまりこの白い雪がだてにあるわけではなく、この冬につもる水ですね、雪を貯える山が巨大な貯水槽の役割を果たしている。
日本列島がすっぽり入るくらいの広い山脈ですね。この巨大な貯水槽の水もなくなってきた。この地球の温暖化と明らかに関係がある。山岳会の人に問い合わせても、年々雪が減っておると。
現在私が行った20数年前、真夏の雪線といいますか3500m程度でありましたが、それが今では4000mになる。雪がないんですね、しかも地下水がどんどん下がっている、このまま温暖化が進むとアフガニスタンのほとんどが砂漠化するだろう。アフガニスタンだけでなくこのヒンズークシを取り巻く周辺の国々に大規模な干ばつだけでなく、砂漠化が進行するであろうというのが私の確実な予想です。
質疑応答
アフガニスタンにやってくる人たちは特別な人間だと思っている。それは、日本からいきなりあんなところにいって生活しろといってもこれは不可能なわけですね。しかし、優越感を持つ理由はないと思いますね。ただ、おるだけで行って来ましたと新聞で言えば、ジェララバードに半年いましたとか、カーブルに1年いましたとか、発言力持つわけです。
国連内部でも残念なことですけれども人種意識があるのは歴然たる事実ですね。湾岸戦争の時でも、すべて逃げ出したけれどもアジア系のスタッフを残留部隊にして欧米人は真っ先に逃げていくと。一連の動きを見て私が思うのは、西部劇の続きである。
勇敢な白人が、バッタバッタとインディアンをなぎ倒していく、そういう感覚で
すね。自分の目は針でつつかれてとっても痛がるのに、人の目は槍で突き殺すことができるという感覚が、おそらく根底にあるのではないか。はっきり言って公衆の前で人の悪口を言うのは嫌いですが、私はあの人達は嫌いですね(笑)。
「日本のマスコミについて」
まったくそのとおりだとおもうんですね。なぜかというと私よくわかりませんが、今おっしゃったように、報道管制があるというのは、むしろ日本ではないかという気がします。結果的にそうであっても情報量が少ないと。正義のアメリカと悪の固まりタリバンという対決の中で動いておるというのが実情ではないでしょうか。ただ、そういうと先生はタリバンに近い考え方ですかとかいわれますが、それも又不本意なんです。
我々の世界観も洗い直してみる必要があるのではないか、アフガニスタンだけではなくて、こんなことは、世界中であるのではないですかね。そういうニュースに惑わされないこと。ジャーナリズムにも問題があると思いますね。話題があるときだけ、わぁーと先駆けのようにして、新しいニュースを追う。
治安は、あまり知られていませんが、私がいる間は世界でいちばん治安のいい国というのはアフガニスタンではなかろうか、戦闘地はもちろん別として、泥棒がいない、見せしめの刑が厳しいというのもありうるのかもしれないけれど、戦争前の状態が少なくとも農村部ではよみがえっていたと思いますね。
タリバンの評価された大きな理由ですけれど、タリバンが何もかも取り仕切って人々を締め付けているのかというと、そうではなくて、それまでありました慣習法を守らせるように復活させたというほうが、正しいと思いますね。
タリバンのやっているのは農村の慣習法であるというのは、ほとんど警察が何をしているかというと、町をパトロールして、ひげの短い人を 笑いながら、おふれですからと言う、この程度です(笑)。
お巡りさんが出てくる場面というのは交通整理くらいであまりない。復讐法、客人歓待の二つの慣習法がアフガン社会の大きな要素をなしていて、それによって抑止力になっている。
強盗が入ってくる場合、塀を越えて入ってくるのを確認したら撃ち殺しても過剰防衛にはならない。お巡りさんではなく、地域住民が犯罪を防止しているのが実態でして、その基礎にあるのが慣習法、それを保障したのがタリバンということ。
診療所が襲撃を受けたときは、マスードの軍隊とハザラドの軍隊とパシュトゥの軍隊と三つどもえの闘いをやっていました。北部同盟の一部をなしていますが、ハザラドがパシュトウに対して、非常に残虐的なことをしている。通行人を捕まえて、頭に釘を打って殺すとかそういうことをやったんですよ。ハザラド族に対する怒りが盛り上がって、現地服を着ているとハザラド族と間違えられますから。
シートベルトをしていると、彼らはシートベルトを見たことがありませんので、隣の運転手によくぞ一人捕まえたなと。
タリバンに対して、おおむね治安を維持するという意味でみんなが歓迎したのが現実です。
マスードの軍隊はひどかった。マスードの軍隊は英雄になっていますが、我々はたまったものではない。ハザラド族の地域を無差別に攻撃して、破壊してしまう。しかし、そういうことは載らないんですね。
「テロが生まれる要因は?」
貧しいということでしょうね。お医者さんですからテロ大反対なんですが、貧しい人が、政治的に何か発言しようとすれば、訴えようとすれば、テロ以外にない。英語もしゃべれない、記者団が来ても会見できない、こういう人たちが焦燥感を募らせ何かするとすればテロしかない。私は、貧乏人で英語をしゃべれなくて国連の職員も相手にせず、偉い人ばっかりの発言が宙で待っているとすれば、そうします。しかし、それと同時にこれをあたかも宗教戦争みたいにというのは、これもおかしいですね。テロの生まれる土壌というのは、先進国側にある。一つの物差しで自分たちの物差しでその地域の人々をはかっちゃいけない。
「自由」と「民主主義」。
弱い国を、滅びかけた国を、よってかかってアメリカだの日本だのNATO諸国が攻撃して、何を一体守るのか、守ろうとしているのものは何かということを考えますと、テロの発生する土壌というのは両方にある。
現地のあの貧しさ。口を封じられてきた焦燥感が土壌を作っていく。さらに報復をすれば、さらに大きな憎しみを生んでいくということが現地にもありますし、報復を叫んでおる人たち、報復で何かを守らざるをえない人たちをしっかり見ていくことではないでしょうか。
現地の側から言うと、貧困な自分たちが、まるで虫けらのように扱われているそのことなんですね。
日本が協力するとなると、おそらく対日感情は変化が起きてくるでしょうね。国の掟は平和であるというのは、かなり説得力があった。対日感情は下がっていく。イスラム諸国がタリバン支援しているというのは事実です。
811教室にて
今正直言って情報が一方的でありまして、日本全体が巻き込まれているのが、私の正直な感じなんです。
現地は非常に静かです。そして、報道管制があるだろうと口の悪い人は言っていますが、アフガニスタンというのは報道管制すらできないような、コントロールができない、みんなが拠り所にしているのはBBCニュースで現地のパシュトゥ語放送がみんなが信頼性を持って聞くわけですね。
印象的だったのは、非常に静かだった。しかも正確なニュースもアメリカから入ってくるという中で自分たちの立場というのを人々は把握している、決意に似た静けさだったと。英米憎しというヒステリックなものではなく、20何年も内戦が続いているところで戦争がいやだとというのが一般的な国民の感情です。
そして日本で伝えられるのは、「正義のアメリカ」と「悪の根源タリバン」。こういう図式がすべてこの筋書きにのっとって報道される。私が伝えてくださいとテレビに出ても、その筋書きの中の一コマでしか伝えられないというもどかしさ。
人権活動家、西洋の人々が、「人類の敵」だともうしますけれど、タリバンの政策というのは大半が慣習法なんですね。これを都市の人に強制したというのは問題があるかもしれないけれど、西洋の自由と民主主義からみるととんでもない人権侵害だということで、これがまた、意図的な映像で感情をあおるという形で、どうも「正義の米国」対「悪の権化タリバン」という形で筋書きができている。報道管制に近いような感じがするんですね。
特にみなさんに訴えたいのは、冷静であること、本当にそういう図式があるのか、私はこれはフィクションに近いと思います。
現地にいまして、タリバンは確かに田舎ものでありまして、農村を基盤とする政権ですね。だから我々の井戸掘りの中でも手伝ってくれます。タリバンは出現する過程におきましてはみんなから支持されていう経緯があります。わずか2、3万の軍隊であの広大な地域を92%支配できるんです。それは、私たちが活動している東部地区でもそうです。随分イメージが違うなあということで。
人権活動家、ヒステリックに報復主義の拳をあげる政治家達の意見には、まゆつばで聞いて欲しい、ということなんですね。
医療の高度技術の場合、心臓外科だとか脳外科だとかの場合、一般人がとても払えないような医療ですから、これはごく一部の特権階級のものにすぎない。それが国内でやられればまだしも、腕を磨いたドクター達は国外へ逃げていくのが現実です。しかも薬も次々と新しいものが出てきますから、庶民はジャンプしても届かない、何百円かの抗生物質が買えないために死んでいく人が数知れない。たかが扁桃腺ができたくらいでロンドンやニューヨークで治療を受けるという人がいるという社会。
教育の目標は何かと、完璧に食えるようにしておく、子どもが将来生活できるようにしてやる技術を身につける、人間としての修養、人間らしい知識・教養を身につけてかみ合わせるという土着の教育というのがある。
家の手伝いをすることが、一つの教育である。宗教・道徳教育であれば、コーランを通して人がしなければならないこと、してはならないことを教える。
私たちが考える教育というのは都市生活のものである。
日本が考える教育をああいうところに行きわたらせると、農村離れを促進して、失業者を増やすことになる。地元の人にあう教育、なるべく伝統社会が培ってきた何千年も続いてきたものがあるわけですから、これを損なわないようにする妥協点を見つけていく、こういうことに気を使う。
西洋の人権家が目の敵にしているのは、女性のかぶりものです。「これは、セクハラの最たるものではないか」といいますけれども、実は農村の慣習法でありまして、もちろん働いているときはうるさいからとるわけですね、よそ行きの時にあれをかぶってモスクに行ったり、買い物に行ったりするのが、現地の女性の一般的な田舎の女性の貧困層の女性の楽しみであろう。
まず、ソ連が入ってきたときにグルカを取ろうとして女将さん達が反対しました。
地元の文化を大切にしていく。西欧的なものの見方、自分たちの見方をそのまま違った国に当てはめない。文化的な相違を意識すると同時に、それでもって善い悪いを判断しないということが大事だと思います。地元の慣習というのはそれなりのものがある。
タリバンをみんなが受け入れたのは、投票権があって、国連は「あの国民投票なんて」と馬鹿なことを言ってますけど、各部族の最小単位がファミリー家族ですけれども、家族の間でさらにそのうえを構成するジルガ(長老会)という単位があってタリバンを受け入れるか受け入れないか、自分たちのためになれば受け入れる、ためにならなければ受け入れない。
地域地域がそれを決定するわけですけれど、タリバンはこの地域の人から受け入れられて、政権についた権力ということはですね、安全、国家統一、ずっと分裂戦国時代が続いているわけですね、しかも幕末の日本のように幕府をフランスが援助し、薩摩をイギリスが援助する。すでに外国の干渉する内戦になった。
昔からアフガニスタンは誇り高い国でありまして、外敵を日本と同じように退けてきたということで、誇りを持っている。彼らが望むのは国家統一、分裂したアフガニスタンを誰でもいいから統一し、それから治安を安心してみんな暮らせる社会にしてくれということでりまして、それが続く限りタリバンは支持されるであろうと思います。それがなくなるとみんなの支持を失って自己崩壊しますけれども。
タリバンと一般農民の区別はなかなか付きにくい。井戸を掘っていた人がパトロールの時間だと、地域の住民と区別がつかなかった。
アフガニスタンは農業国でありまして、9割以上が農民あるいは遊牧民・・・
※現在はここまでしか文字おこしが済んでいません。
つづきが送られてきしだい、転載させていただきます。
送ってくれたカケル君と文字おこししてくれた友人に、
ありがとう。
ユニセフなど大きな団体の募金は九割が運営費にあてられ、一割しか直接の援助に役立ちません。ペシャワール会は九割が直接援助にまわされます。一家族(十名)を一ヶ月2000円で支えることができます。オレも募金してきました。くわしい内容はペシャワール会のホームページをごらんください。
★ペシャワール会 http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
寄付金振込先
郵便振替口座番号 01790−7−6559
加入者名 ペシャワール会
通信欄に「いのちの基金」とお書きください。
|