12月1日(土)
マヤ暦5月17日

 雅子さんが女の子を出産した。
 天皇家の跡継ぎということではなく、たんじゅんにひとつの命が生まれたことを喜ぼうじゃないか。
 浩ちゃんとオレは同級生だし、母親の名前も美智子同志だ。天皇制には賛成でも反対でもないが、皇室の人々を心から偉いなあと思う。皇室という職業ほど、不自由なものはない。二十四時間営業で二六六一年間もつづいた職業はほかにないぜ。
 人間というのは聖なる部分と俗なる部分でバランスとって、やっとのことで生きていける。俗なる部分は人が自分を支えていくために必要不可欠なものだ。誰かの短編で「影を盗まれた男」というのがあったが、皇室に生まれるというのはまるで心の半分をはく奪されたようなもんだ。
 まえに「オレは孤独という物差しで人を判断する」というようなことを書いた。浩ちゃんというひとりの男がくぐってきた孤独を想像すると、涙が出そうになる。粘土で型押しされたごとく行動を制限され、希少動物のごとく監視される。彼は日本中の誰よりも、壮絶な苦悶をくぐってきたはずだ。
 アリゾナにタオスプエブロというインディアン部落があって、観光客から入場料をとって暮らしている。仲よくなったお婆さんがこぼしていた。「なにがつらいって生活を見せ物にすることほどつらいもんはないよ」
 ましてやアメリカなどで自由を謳歌した雅子さんは、とてつもない葛藤をくぐり抜けてきたと思う。二年前の流産でさんざんプレッシャーをかけられ、自分の才能とは関係なく出産ロボットとして扱われることに体も心もボロボロになっただろう。
「女性天皇の誕生バンザイ!」などと浮かれるのもいいが、あなたの子どもじゃなく、日本国民の子どもじゃなく、彼ら自身の子どもなのだ。
 深い深い孤独をシェアしてきた二つの魂が、ひとつの魂を産んだ。
 オレたち人類の新しい仲間のひとりとして歓迎してあげよう。そしてこの子の未来が明るいものであることを祈ろう。

12月2日(日)
マヤ暦5月18日


 四、五日前にハッブル望遠鏡が太陽系外の惑星で初の大気を観測したというので、「おおっ、第二の地球、ついに発見か!」と喜んだ。
 地球から約百五十光年はなれた秋の星座ペガスス座にある七等星HD209458の周りを回っている惑星だという。しかし大気の温度は1100度もあって、生命はいそうにない。
 理論的には無数の地球が存在するはずなのだが、なかなか見つからないのが現状だ。NASAのSETI(Search for ExtraTerrestrial Intelligence)も世界中のボランティア・コンピューターをつかって宇宙人のメッセージを受信しようとしているが、なかなかエイリアンからのメッセージはこない。「オレたちは孤独じゃない」ってメッセージを死ぬまでにむっちゃ知りたいよな。
 ほとんど地球は「ドまぐれ」である。
 ゴルフでホール・イン・ワンを百回つづけるより、パチンコで「777」を三百六十五日だすより、ありえないことだ。エントロピーの三大法則に逆らい、大気は爆発性の酸素と窒素を共存させ、生命が住める惑星の寿命をはるかに超えている。
 地球は自らを調節し維持する自己調整機能をもっている。これをホメオスタシス(恒常性)という。
 もしかして地球は生命体じゃないのか?
 そう気づいちゃったのが、一九六九年にイギリスの科学者ジェームス・ラブロックが提唱した「ガイア仮説」である。
 日本ではかんちがいした人が、車やウルトラマンやパチンコ屋の名前だと思っているので、いちおう概要を説明しておこう。
 ガイアとは、「蝿の王」を書いたゴールディングがラブロックに提案したギリシャ神話にでてくる大地の女神である。
 きっかけは、ラブロックがNASAの依頼で「火星に生物はいるか?」ってのを調べたことだ。火星の大気は九十五パーセントが二酸化炭素である。火星はもう死んでいる。ところがとなりの地球は生物に適した〇・〇三四パーセントしかない。「なんで地球は生きているんだ?」こういうたんじゅんな疑問からガイア仮説は生まれた。
 発表当時、世界中がよってたかってガイア仮説を非難した。なかでも「利己的遺伝子」で知られるドーキンスはしつくこからんだ。「地球は子孫を残せねえじゃないか、そんなもんは生命じゃない」と。
 ラブロックは黙々と十年を費やし、一九七九年「地球生命圏ガイア」を発表する。科学者のみならず環境保護運動やニューエージから熱狂的な支持を受け、ガイアはパラダイムシフト(時代の転換)を果たした。
 ほとんどの科学者がパトロンである企業や国家の御用達になりさがってしまうなか、ラブロックは古い慣習に縛られるのを嫌い、たくさんの大学や研究所を渡り歩いた。若かりし日ハーバード大学にいたころは、妻と四人の子どもを養うために、珍しい血液型である自分の血を半リットル(缶ジュースの一本半)を数週間ごとに売って貧しさをしのいだ。彼の研究は、血で描かれた「血液書道」だとオレは勝手に思っている。今でも「自分の研究費は自分で稼ぐ」と、ヒューレット・パッカード社などの顧問をつづけているしね。
 ラブロックは自分を科学者じゃなく、発明家といっている。最大の発明は「電子捕獲型検出器」(ECD)とよばれる放射能検出器で、一兆分の一という低い濃度の電離気体を測定できる。有害化学物質を検出するのにもっとも優れた業績を残している。
 殺虫剤DDTが南極のペンギンからアメリカの母親の母乳にまで、あらゆる種から検出した資料を「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンに提供し、自分でイギリスから南極を往復して大気のフロンガス汚染を発見した。世界中の空港で使われている爆発物探知器も電子捕獲型検出器がもとになっている。
 ガイア仮説は新しくて古い。
 アイヌは「ウレシパモシリ」(すべてのものがお互いをはぐくんで育ちあう大地)という言葉で「エネルギー相互交換システム」をよんでいたし、ラコタ族は「ミタクオヤシン」(わたしとつながるすべてのものへ)という感謝で、「ガイア仮説」をとっくの昔から理解していた。日本人だって「風が吹けば桶屋が儲かる」っていうだろう。
 ラブロックは「すべてがつながっているという」地球意識をよみがえらせてくれたシャーマンだ。
 オレたちは健忘症にかかってる。
 そうとう重症のね。
 もともと知っているものを「教育」という壁に塗りこめられるんだ。
 なにひとつ新しいものなどこの世に存在しない。
 「学ぶ」のではなく、「思い出す」ことだ。


12月3日(月)
マヤ暦5月19日


 十日にはpaperbackの原稿料、月末には「アヤワスカ」の印税がはいるのに、二万円のキャッシングをしてしまった。
 利息は二十四パーセントだ。
 フレッツADSLに切り替えた十一月分の請求が一万八百六十円もきちゃって、あさってが振り替え日だからしかたがない。年末ってみんなきびしいのよね。ちょっと怒りをこめて叫んじゃう。
「お金って、いったいなんなんだあー!」
 物資の交換手段、コミュニケーションの一種、金属と紙。これだけならお金に罪はない。
 お金の悲劇は「利子」という怪物を産み落としたことによってはじまった。
 イスラム社会では最近まで利子はなかったし、物々交換の社会では貧富の差は広がらないようにできている。経済ド素人のオレが独断と偏見で単純化してみる。
 猟師はしとめた熊を一家族では食べきれないし、とっておいても腐ってしまう。そこで里に降りていってお百姓さんの米と交換してもらう。お百姓さんも肉を食いたいし、米をとっておいてもネズミや虫に食われてしまうので喜んで応じる。
 これが過去(と未来)の「循環経済」だ。
 しかしある日、商人が「冷凍庫」を発明してしまった。
 冷凍庫さえあれば物資が腐らない。不老不死という幻想を経済は手に入れる。商人はためるだけため込み、値段を好きなだけ釣り上げてから売る。これが現代の「非循環経済」だ。または「所有経済」とか、「利子経済」とよんでもいい。(いずれもオレが勝手に命名した)
 アメリカでは全人口の一パーセントが、残りの九十九パーセントより多くの富を所有している。「利子経済」はすべての人に競争を強いるシステムだ。誰もが望んでないのに、他人をうらやみ、仲間をけ落とし、母なる地球を強姦するように仕組まれている。
 NHKの「エンデの遺言」を見られた方も多いだろう。「モモ」の作者ミヒャエル・エンデが死の一年前にNHKのインタビューに語ったものだ。
「現在の貨幣システムの何が問題で何を変えなければならないかを皆が真剣に考えなければならないでしょう。人間がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだと私は思っています」
 エンデは、革新的経済システムを打ちだしたシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell、一八六二〜一九三〇年)の「循環経済」理論を語る。
 「お金は老化しなければならない」「お金は経済活動の最後のところでは、再び消え去るようにしなければならない」ということだ。
 この番組を見ていない人のために内容をかいつまんで説明する。
 ゲゼルの理論を最初に試したのは、オーストリア・チロル地方のヴェルグルという、失業者のあふれた小さな町だ。一九三二年、「地域通貨」を発行する。この紙幣の裏面にはこう書かれていた。
「諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。労働すれば、それに見合う価値が与えられなければならない。お金を、一部の者の独占物にしてはならない。この目的のために、ヴェルグルの『労働証明書』は作られた。貧困を救い、仕事とパンを与えよ」
 この紙幣は「老化する」。ため込むと増えていく利子とは反対に、使わないと月に一パーセントづつ減っていくのだ。自然環境と同じく「老化する」お金は循環することで、さまざまな人をうるおし、経済活動を活発にする。しかしあまりの成功に危機感をもったオーストリア政府によって翌年禁止されてしまった。このようにして世界不況の三十年代には何千もの地域通貨がつくられた。
 今、世界中でゲゼルの再評価が高まり、新たなる経済システムの模索がはじまっている。
 地域通貨はイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリア、ニュージーランドなど先進国を中心に三千以上の地域で実践され、アルゼンチンではRGTという地域通貨を三十万人以上が使っている。
 いちばん有名なのは、アメリカ、ニューヨーク州にあるイサカ(人口三万人)の地域通貨「イサカアワー」(イサカの時間)だ。オレの印税から十パーセントもぶんどりやがる所得税もないし、アメリカ政府は課税できない。一九九一年、わずか四十人ではじめた地域通貨は、今や四百以上の企業や商店で使われ、二億円以上の経済効果を生んでいるんだって。
 おもしろいのは、「農家に作物の代金を前払いする、サポートシステムがある」ことだ。ほそぼそと有機農法をやる農家がどんどん増える。
 ドイツ・ザクセン・アンハルト州のハレ市は、デーマーク通帳で物資やサービスなどの仕事を交換する「交換リング」というシステムが使われている。
 スイスのヴィア銀行は、早くも一九三四年から利子のつかないヴィア通貨を商業取引につかっていて、現在ではスイスの十七パーセント、七千六百社が参加している。ヴィアでの取引額は年々増えつづけ、電子決済もOKで、スイスという銀行先進国の経済で重要な位置を占めている。
 番組の終わりに語られたエンデのメッセージを抜粋しておく。
「今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人々と、自然にほかなりません。このシステムがみずから機能するために、今後も、それらの人々と自然は、容赦なく搾取されつづけるでしょう。このシステムは、消費し、成長しつづ
けないと機能しないのですから。成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているのです。歴史に学ぶものなら誰でもわかるように、理性が人を動かさない場合には、実際の出来事が、それをおこなうのです。私が作家としてこの点でできることは、子孫たちが同じ過ちを冒さないように考えたり、新たな観念を生み出すことなのです。そうすれば、この社会は否応なく変わるでしょう。世界は、必ずしも滅亡するわけではありません。しかし、人類はこの先、何百年も忘れないような後遺症を受けることになるでしょう。人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間が作ったのですから」

 お願いだからセゾンさん、オレの利息を帳消しにしてー!


※少しでも貧者の叫びをわかってほしいので、新しい経済のムーブメントに関するおもしろいサイトを紹介しときます。

1 「ロビンソン物語」
 ゲゼル原作の「ロビンソン・クルーソー」をもじったマンガは必見だ。経済システムをじつにわかりやすく説明してくれる。しかし少女マンガタッチの画風に「こいつら絶対ホモだぜ」とオレは確信する。そう思いません?

2 「ガル漫画 おカネについて Q&A」(下の方にある)
 このマンガもすばらしい! 画面でかすぎ、「NEXT」がない、そういうおおざっぱさがいい味だしてる。北海道苫小牧市の地域通貨「ガル」 石塚おさむ&Y.Tomoko作。

3 「Miguelの雑学広場」
「パン屋のお金とカジノのお金はどう違う? ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会」(オーエス出版、1500円+税)という地域通貨の全貌を書いたミゲルこと 廣田裕之のページ。

4 「地域通貨コラム」
 これで地域通貨とはなにかがわかる。

12月4日(火)
マヤ暦5月20日

 できたての「アヤワスカ!」をわざわざ編集者の綾木さんが日光までとどけにきてくれた。明日になれば宅急便で作者分の十冊がとどくというのに、ぜいたくというか、ありがたいことである。
 作者は一日でも早く我が子の顔を見たい。
 見たい、見たい、見たい、見たくてしょうがない。
 綾木さんがかばんから取りだした「第一冊目」にほおずりし、キスしちゃう。
 これは「見本」とよばれるもので、見た目は本屋に並ぶものとまったく同じだが、職人さんが手で製本したものだ。世界にひとつしかないウイニングボールだな。
 表紙を開くと、「見返し」ページの一面に二十八枚ものカラー写真がレイアウトされている。さすがデザイナー界のドン、鈴木成一大先生!
 アヤワスカの葉、幻覚サボテンの輪切り、アヤワスカを飲む子ども、ネズミをくわえる猫、ミイラ、アヤワスカの蔓の断面図、シャーマンと肩を組むオレなどなど、自分でもわくわくしてくる。
 さあて、目次を紹介しよう。

序章  ようこそ、もうひとつの現実へ

地獄篇 ペルー
 リマ
第一歌 見捨てられた首都
第二歌 両腕のない画家
第三歌 血の洗礼
 ナスカ
第一歌 暴かれた墓
第二歌 マリア・ライヒの見た光
第三歌 世界最大の謎と嘔吐
 ティティカカ湖
第一歌 ひょっこりひょうたん島
第二歌 不吉な未来
第三歌 悪魔のダンス
 マチュピチュ
第一歌 生け贄
第二歌 過剰摂取(オーヴァードーズ)
第三歌 空中都市

煉獄篇 ペルー、エクアドル
 ヴィルカバンバ
第一歌 二二四歳の夫婦
第二歌 幻覚サボテンを求めて
第三歌 スピリチュアル糞(シット)
 ワンカバンバ
第一歌 奇跡
第二歌 聖なる黒い湖
第三歌 落石事故
 タラポト
第一歌 麻薬依存者治療センター
第二歌 みどりさんの幽霊
第三歌 もっと遠くへ、もっと遠くへ
 プカルパ
第一歌 幻覚の画家
第二歌 萎びた乳首
第三歌 ダブルレインボー

天国篇 ブラジル
 クルセイロ・ド・スール
第一歌 精霊の国
第二歌 星の子ども
第三歌 ジャングルの試練
 セウ・ド・マピア
第一歌 アマゾンの子宮へ
第二歌 地上最後の楽園
第三歌 神々のドラッグ
終章  おかえり、今ここにある世界へ


 この本はたんなるドラッグや冒険ものじゃない。
 人間の心とは? 生きる意味とは? オレたちの未来とは? 
 すべてのものをつぎ込んだつもりだ。
 ちょうど二年前の今ごろアマゾンにいた自分が夢のようだ。いったいどこにあんなパワーがあったんだろう。パソコンに縛りつけられている今の自分には想像もつかない。
 また旅に出れば野性に返るだろうが、こんな凄まじい旅は二度とできない。

PS 発売日は明日だけど、本屋に並ぶのは八日すぎになります。

12月5日(水)
マヤ暦5月21日


 音楽の相棒タケちゃんに夜中すぎまでホームページの作り方を特訓して、酔っ払いながらの帰り道。
 人も車の通りもたえた道で、立ち尽くす信号機を見た。
 彼女は黄色い目をしばたかせながら、いったい誰を待っているんだろう?
 底のすりへった自分の靴を見おろす。
 彼は身を削ってまで、
オレをどこまで運んでくれるのだろう?
 人間が寝静まった夜を歩くと、ものたちが我先にと声をかけてくる。
「こっちを見て」
「ぼくのほうを向いて」
「あたしを忘れないで」
 ラーメン屋の錆びたシャッター、角のはげた横断歩道の長方形、工事用の赤い三角帽子、消し忘れた玄関の明かり、団地のエレベーター、カラオケの喧騒を淋しげにもらす居酒屋、眠ることを禁じられた自動販売機、ひしゃげた十六茶のアルミ缶、街路樹の芝に捨てられたおにぎりの包装紙、排水路に濡れてはりつく枯葉、ないしょ話をかわす裸の街路樹、
 見上げれば満天の星くず。

12月6日(木)
マヤ暦5月22日


 友だちが、ジョン・C・リリーの死を教えてくれた。
 リリーはもう二ヶ月も前の九月三十日に死んでいた。葬式には、ハリウッドの映画スターたちをはじめ、そうそうたる文化人や科学者たちが参列したという。
 またひとつ、人類が巨大な脳を失った。
 世界中をまたにかけ、自分の肉体さえも実験台にする「行動する科学者」がつぎつぎと他界していく。リリーがいなければ、脳の解明もコンピューターもイルカ・ブームも、何十年おくれていたかわからない。
 ジョン・C・リリーは、一九一五年ミネソタ州のセントポールに生まれた。カリフォルニア工科大学やペンシルベニア州立大学で、生物学、物理学、医学を修めたリリーはLSDを使った実験で人間の変性意識(アルタード・ステーツ)の研究に没頭する。
 クールでチャーミングな人柄からは想像もできない危険な実験を自らに課すことにより「マッド・サイエンティスト」(気狂い博士)呼ばわりされ、映画「アルタード・ステーツ」のモデルにもなった。
 一九五四年に「アイソレーション・タンク」を発明する。まさにこれは究極の棺桶だ。卵形などのバリエーションもあるが、東京と神戸にあるタンクは長さが二メートル半、幅が一メートル八十、高さが一メートル二十センチある。人がよこたわる大きさより大きめで、十五センチほどにはられた水に三百グラムの塩が溶け、三十四、五度の適温に保たれている。
 素っ裸でなかにはいり、ふたを閉めてよこたわると、水に浮かぶ。外部の音や光は完全にシャットアウトされ、比重の重い硫酸マグネシゥムの液体によって浮かぶ。五感による刺激をまったく受けない状態、「アイソレーション・タンク」の命名どおり、自分自身が「アイソレート」(孤立)するのだ。もちろん「社会的孤立」などというネガティブなものではなく、よけいな関係をすべてとりはらった自分自身に還る試みだ。
 あなたは宙に浮かぶ一個の点になる。
 膨大な情報の渦で生活しているあなたは不安になってくる。それをごまかすためにいろいろ考えるが、むだなことだ。あなたはすべてを放棄して、全身を弛緩させる。究極のリラクシゼーションだ。深い瞑想状態にはいるのもいいし、そのまま眠ってもいい。このなかで二時間眠ると、ベッドで八時間眠ったのと同じ休息がとれる。幽体離脱や宇宙意識とチャネリングすることもある。とにかく日常であなたが使っていない潜在意識が目覚めてしまうのだ。
 くわしい内容は、ちょっとむずかしいけど「バイオ・コンピューターとLSD」(リブロポート)「意識の中心」「サイエンティスト」(平河出版社)に書かれている。

 ユングは「人間の無意識の底には共通の集合無意識が流れている」といったが、リリーのすごさは、生物の集合無意識にまで踏み込んでいったことだ。
 人間とイルカは、ほとんど同じ脳の重さ、体温、出産形態をもち、社会生活を営む。同じ哺乳類の祖先から進化したが、陸の「支配」と海の「共生」という対照的な道をたどる。
 リリーの透徹した視点は、イルカを「進化しそこなった下等な動物」とはとらえない。むしろ人類が生き延びる未来を教えてくれる海の兄弟として会話をはじめた。
 リリーの研究によってイルカに対する研究の幕は切られた。
 アメリカのフロリダにある幼児虐待を受けた子どもが収容されるキッズセンターでは、イルカによるヒーリングが絶大な成果をあげている。水族館のように囲い飼いなどしないのに、子どもたちが泳ぐ日にイルカたちがやってきて、いっしょに遊んでくれる。とくにひどい虐待を受けた子どもほどイルカたちは面倒をみる。人間の孤独の尺度、トラウマの深度を感じる能力があきらかにイルカにはある。
 オレの親友が太平洋をひとりヨットで横断したとき、孤独で狂いそうになった彼を救ってくれたのはイルカだという。
 イルカ話でつい熱くなってしまったが、リリーにもどろう。
 リリーのボーダー越えは異生物コミュニケーションだけにとどまらなかった。
「人間の脳というバイオ(生物)・コンピューターは、巨大な変換器であり、受信機なんです」
 宗教が「神」とよぶ、情報制御システムを「ECCO」と名づけ、人間の脳はそれを受信するラジオ局だという。
 一九六九年、アポロ九号で人類最初に宇宙へでたラッセル・シュワイカートはいっている。
「自分はまるで素っ裸でたったひとり宇宙に浮いていると感じました。そのとき、突然私のなかにこんな想いがわきあがってきたのです。
 どうして私はここにいるのだろう?
 どうしてこんなことが起こっているんだ?
 私はいったい誰だ?
 そうだ、ここにいるのは『私』ではなく、『我々』なんだ。
 これはまるで奇跡だ。
 私は、いや『我々』は、今まさに地球に育まれた命が、地球の子宮から生まれ出ようとする、その一瞬に立ちあっているんだ」

※俳優、高嶋政伸の「アイソレーション・タンク」体験レポート。
http://rs.pod.tv/floating.htm

※リリーのホームページ(英語)

http://www.eccosys.co.jp/lilly/outline2.html#HOME

12月7日(金)
マヤ暦5月23日


 12月3日の日記で地方通貨を紹介したが、日本にも続々と生まれている。
 おもしろいのは地方色あふれるネーミングだ。〜円の代わりに使われる。
 千葉市は名産の「ピーナッツ」、長野県上田市の「まーゆ」は名産だった蚕からきている。太陽光発電所をもつ江戸川区の「えどがわっと」、多摩地区の「COMO」などは、まだオシャレだね。
 方言系のネーミングには噴きだしそうなものが多い。長野県駒ヶ根市の「ずらあ」は「ダラー」にもかけていると思われる。「おばさんこのダイコンいくら?」「80ずらあ」ってやるんだぜ。
 富山県高岡市の「高岡ドラー」も「ダラー」かと思い気や、なんと「ドラえもん」からとったという。ハリセンを振り上げそうになったが、藤子不二雄の出身地かも。富山市の「キトキト」は「新鮮」という意味。松江市の「ダガー」、南信州の「ダニー」は語尾からきている。
 方言でもほのぼの系は、福岡市の「よかよか」、愛媛県関前村の「だんだん」(ありがとう)
 「まんまやんかあ!」とツッコミ入れたくなるのは、滋賀県草津市の「おうみ」、愛知県知多半島の「LETSチタ」、福島県会津市「LETS会津」、香川県高松市の「せと」、大分県湯布院町の「YUFU」、北海道栗山町の「クリン」は「クリーン」にもかけている。
 「LETS」というのは、Local Exchange Trading System(地域交換取引制度)で、一般に地域通貨をさす。
 苫小牧市の「ガル」は、かごめを「ごめ」とよぶところから、かごめの英語「Sea gal」からとったのかと思えば、「ガルをもってる人はガルフレンドです」だって。ハリセーン!!

 今まで大金を投入してもダメだった町おこし、村おこし、商店街おこしが、地域通貨の導入によってどんどん成功している。
 地域通貨のよいところは、住民同士がつながるということだ。
 たとえば共働きのお母さんは夜子どもを預かってくれる保育所がなくて悩んでいる。そこで地域通貨のコミュニティーにリクエストすると、一人暮らしのおばあちゃんを紹介してもらう。おばあちゃんは人様の役に立てると喜ぶし、母親は虐待の多い託児所にあずけるより安心だ。
 たとえばパソコンを買ったのに使い方がわかないおっちゃんがいる。パソコン教室へ行っても、グループ指導なので、恥ずかしくて質問できない。プロの個人指導はむちゃくちゃ高いし。そこでリクエストすると、なんととなりの中学生が教えに来てくれたとかね。
 ほとんどの人が特技をもっているのに、生かす場所がない。途切れたコミュニティーのリンクを地域通貨はつないでくれる。
 南信州の地域通貨「ダニー」の提供内容を見てみよう。
「ベビーシッター、ペットの世話、留守番、買い物代行、家事手伝い、運転代行、引っ越しの手伝い、荷物の配送、人の送り迎え、オフィスサービス、電算機処理、コンピューターの指導、プログラミング、ファイル作業、入力・印刷、イベントの手助け、コーチ、対戦相手、用具貸し出し、補修、建築、建設、車の修理、自転車修理、大工、室内装飾、清掃除、塗装、家電製品の修理、インテリアのアドバイス、間貸し、宿泊、旅行、夏場の家貸し、間貸し、別荘の貸し出し、旅行の案内、絵画モデル、メイクのアドバイス、写真撮影、ポスター制作、カメラマン、園芸、庭仕事、盆栽、水やり、枝切り、ガーデニングのアドバイス、織物、衣服の繕い、衣装制作、編み物指導、カーテン作り、翻訳、英会話、ピアノ指導、家庭教師、家庭菜園の野菜、自家製ケーキ、料理指導、お菓子づくり指導、新品・中古品販売及び貸し出し(子供服、古着、古本、オモチャ、家具)、セラピー鍼、灸、カウンセリング、マッサージ、指圧、ヨガ、気功、占い、ヒーリング、話し相手、相談事、詩作、歌唱、朗読、演劇、楽器演奏、事務局の手伝い、その他なんでも 」

 ほら、君もどれかに当てはまるだろう。
 プロである必要などぜんぜんないし、地域通貨だから気軽にできる。円は使うときも稼ぐときもなにかしか罪悪感のようなものがつきまとうが、地域通貨の使い心地は「温かい気持ち」になるという。
 あんがい革命はこれらのオヤジギャグみたいな地域通貨からはじまるかもしれない。

※日本の地域通貨のページ。
http://www3.plala.or.jp/mig/japan-jp.html

12月8日(土)
マヤ暦5月24日


 今日は二十一年前に殺されたジョン・レノンの命日であり、真珠湾攻撃の開戦記念日であり、ブッダが悟りを開いた日であり、聖母被昇天を尊ぶ日でもある。パールハーバーでは、ハワイでは先住民たちが平和のためのセレモニーをおこなっている。広島の原爆から受け継がれた「平和の火」をかこんで、日本山妙法寺のお坊さんがパールハーバーにあるアリゾナ記念館の前で断食による平和のお祈りを捧げている。広島の「平和の火」はハワイからアメリカ本土に運ばれ、シアトルからニューヨーク国連本部にむけて五カ月にわたるピース・ウォークがはじまる。オーガナイザーは成田の仏舎利塔で会った「戦う尼さん」ジュンさんだ。新しい時代へ向けて方向転換がはじまる。

 それにしても、今まで興味のなかった経済も勉強するとおもしろいね。
 どんどん新しい動きが出てきて、ぼんやりながらオレたちの未来像も見えてくる。
 日本ビクターやシチズン時計、横河電機、ニコンなどの労組が加盟する金属機械の産業別組合JAM(組合員約四十六万人、約千九百組合)が、二〇〇三年までにワークシェアリングをはじめると宣言した。日本労働組合総連合会加盟の大手産別で、ワークシェア開始の時期を明確にしたのはJAMがはじめてだという。

 ワークシェアリングとは、work(仕事)をshare(分け合う)すること。労働時間を短縮したり、仕事を分け合ったりすることだ。
 日本では、労働時間と給料を減らすことと勘違いしている人も多いが、もっと根源的な労働改革である。
 早くも一九九三年にドイツのフォルクスワーゲン社は、労働時間を週に二八・八時間にし、三万人のリストラを回避した成功例がある。
 ワークシェアリングの先進国はオランダだ。
 正社員ではなくパートとして、会社に行く日数や勤務時間を減らし、余暇を自由に楽しむ。ほかのパートをしたり、学びたい学校に通ったり、公務員が勤務時間外に別のパートをするのも許されている。日本のように正社員とパートの悲惨な差別も、恐怖の「サービス残業」もない。一九九六年にできた労働時間を理由にした差別待遇を禁じる法律があるので、同じ仕事なら時間あたりの賃金も休暇や年金も平等だ。
 ワークシェアリングは女性たちから賛辞の声が強い。日本では、出産と同時に退職し、数年間のブランクのあと再就職するのはむずかしい。主婦は「子育てしながら、どんどん社会的に取り残されていく」と不安になる。
 オランダでは夫も妻も家事や育児や介護などをシェアし、それぞれのライフスタイルに合った勤務選択が可能になり、時間と心のゆとりをとりもどしたという。社会参加しながら子育てもできるので、母親の育児ノイローゼや閉塞感からくる虐待も減った。夫も家事や子育てを積極的にやるので、夫婦間の理解も深まる。
 夫ひとりの給料では1人前しか収入はないが、夫婦が1+1=2人前ではなく、0.75+0.75=1.5人前働くと、当然世帯収入は増える。個人消費が回復し、「オランダの奇跡」とよばれる経済成長を遂げた。
 少子化と高齢化が進む日本でも、団塊の世代が高齢化するまでに方向転換しないと破綻は目に見えている。ワークシェアリングは高齢者の社会参加も促す。
 たとえば、若年、中年の一般労働者は月から木曜日まで働き、金、土、日を休日にする。退職した高齢者は金、土、日にサービス産業などで働き、月から木を休日にする。若年、中年者は週に三日も休みなら旅行やレジャーも楽しむだろうし、退職後も収入がある高齢者も余裕をもって人生を楽しめる。

 「エコノミー」(経済)の語源は、ギリシャ語の「オイコノミコス」(共同体)からきている。
 一部の者だけがため込み、循環しない近代経済は、オレたちの共同体を崩壊させてしまった。
 経済の転換は、何百万年間もオレたちを育んできた共同体への回帰だ。
 所有(Possess)から共有(Share)へ。
 ほらほら、ホームで酔いつぶれるおっちゃん。
 終電に乗り遅れると、家族のもとへ帰れなくなるよ。

12月9日(日)
マヤ暦5月25日


 K君が見た夢をメールしてくれた。

 夢のなかで、どうやらおれは風俗にいるらしいのです。
 で、ベットに座って女の子とはなしてるんだけど、女の子が聞いてくんの。
「なわとびって知ってる」
「うん、知ってるよ」
「ちがうの。そうじゃなくて、オプションのなわとびよ」
「……」(自分の夢なのにすげー考え中)
「えー知らないの。はやってて、みんなやってるよー」
「あっ、じゃーくらいたい。お願いしまーす」
(この間もずっと考え中)
「じゃ、ベットに横になって」
 ベットに仰向けに寝るおれ。
 太もものあたりに裸の女の子が背中を向けてすわるの。
 そんで手には二つに折ったなわとびを持って(ビニールの蛍光ピンクでラメと、なかにクルクルってのがはいったやつ)、それが、ピュンという風切り音とともに飛んでくる。
 ちょうど後ろ飛びのようりょうで、裸のお姉ちゃんの背中ごしからピュンて。
 でね、おれのチンコにバチンとあたる。
 ピュン、バチン、ぷるるるん、ピュン、バチン、ぷるるるん。
 夢だからなのか、不思議と痛みはなくて、
 ピュン、バチン、ぷるるるん、ピュン、バチン、ぷるるるん。
 目の前で淡々とくり返されるその光景を、
 ピュン、バチン、ぷるるるん、ピュン、バチン、ぷるるるん。
 ただただ「すごいすごーい、すごいすごーい!」と絶叫してました。

                 ※

 本当にすごーい! オレも一度でいいから「なわとび」の夢を見てみたい。オレのは蛍光ピンクでラメじゃないが、さっそく枕元になわとびをおいて眠ってみよう。
 眠るまえにがばっと起きる。
 大切なことを思い出した。
 「なわとび」よりもさらに高度なテクニックを要する大技に、「ヘコリプター」がある。
 太古の昔から幻の秘技とよばれ、インドの苦行僧でも成功したものは少ない。それどころか十分な修業も積まずに挑戦したために、命を落とす者もあとを絶たない。
 チベットはカイラス山中の洞窟に数百年眠りつづけていた巻物から、その秘伝を伝授しよう。

 秘伝その一 信念
 「チベット語にヘコリプターなる単語はあるのか」とか、「そんなことできるわけねえだろ」と疑う者は、すでに「高貴なるヘコリプター者」となる資格も可能性もない。この先を読むのは、信ずる者だけに限る。

 秘伝その二 思考と身体の柔軟性
 自分が自由に空を飛ぶところをイメージし、「I Can ! I Can ! 」と叫びながらラヂオ体操第二をおこなう。

 秘伝その三 脱衣
 前開きブリーフは摩擦熱によって発火する危険もあるし、ふんどしはプロペラに絡まってしまう。コートやセーターも減速の原因になる。厳冬の季節であるが、全裸が基本である。

 秘伝その四 始動
 腰に両手を当て、ゆっくりと円を描く。もちろん横回転ではなく、縦回転である。時計方向より反重力を目指す反時計方向で回転させるべし。硬すぎず、柔らかすぎず、適度に「芯」のはいった状態が理想的である。

 秘伝その五 離陸
 回転がピークに達してくると、少しずつ前方に引っぱられる。さらに回転を高めながら上半身をやや後方に反らし、腰を突きだすように助走する。

 秘伝その六 飛行
 つま先がすっと地面をはなれたら、上半身を後方に倒す。まるでクレーンで釣り上げられるように君は上昇していく。住宅街での飛行は目撃される可能性がある。しかし人々は全裸で上昇していく君の後ろ姿しか見えないし、高層マンションのベランダからでも、回転するプロペラを判別することはできないので安心したまえ。

 秘伝その七 空中漫歩
 常に仰向けの状態で飛行せねばならないので、地上をながめるにはさらに首をうしろに反らさねばならない。しかしよそ見運転は事故のもと、前方から迫る危険には注意が必要である。雀などの小型鳥類が近づいてきたら「舌切り雀」の昔話で威嚇しよう。高速回転するプロペラに絡まると、彼らの命を奪うことになる。万が一くちばしが刺さっても、けっして回転をやめてはいけない。それは墜落を意味する。凶暴なカラスには「七つの子」を歌ってなだめることが現在の科学では最善の方法である。

 秘伝その八 降下
 気象条件や風速などの外因子や個人の運動能力によっても異なるが、たとえば秒速八回転を、七、六、五と落としていく。慎重な技術が要求される。

 秘伝その九 着陸
 湿気をふくんだ柔らかい土質を選ぶべきである。森林はもちろん、アスファルトなどもっての外だ。田畑を選んだ場合、粘膜を通して摂取される農薬にも注意を払うべきである。
 高度一メートルまで降下したとき、君のテクニックが試される。
 一気に体をひねり、君の目に数十センチに迫った地面が飛び込んでくる。そこでさらに体を弓なりに反らせ、最も美しいフィニッシュポーズを決める。
 ここで反作用が起こるのだ。
 地面に突き刺さったプロペラは固定され、今度は君のからだが回転する。フィギャースケートのビデオを参照するのもいいだろう。あたかもコマか電気ドリルのように君の体は地面に近づいていく。腹部に雑草が触れ、表土をはじき飛ばしながら、回転は停止する。
 ついに君は着陸に成功したのだ!

 秘伝その十 恥じらい
 無事に着地した君は腹についた土をはらいながら、全裸で自宅に帰っていく。女子高生が叫んでも、警察に尋問されても、大いなる仕事を成し遂げたことを決して自慢してはならない。未知なる奇跡を知った者は、重力に縛られた者たちを飛び立たせるのが使命だから。

 すべてを抱き込む微笑みをかえすのが最善の策であろう。
 

12月10日(月)
マヤ暦5月26日


 きくちゆみさん(三十九歳)からメールが届いた。
 ゆみさんは四児の母でありながら、ハワイの先住民を招いたり、ニューヨークタイムスに反戦のメッセージをのせたり、日本の平和運動を牽引しているのは「ネオ・肝っ玉母さん」なのだ。若いころは(失礼)マスコミや金融業界で活躍し、流暢な英語とグローバルな視野、なにより素敵な笑顔をもっている。アイヌの山道康子(アシリ・レラ)さんを継ぐ次世代のシャーマンだと、オレは勝手に思っている。
 今は赤ちゃんを抱いてアメリカにいっている。右傾化するアメリカで市民による平和賞を設立するためだ。行動する「ネオ・肝っ玉母さん」から目がはなせない。
 神戸元気村から送られてきたメールを転載しよう。(急ぎなんで、改行とか読みづらくてごめん。明日清書します。)


 12月3日
 フラカヒコは大成功(古代フラダンス)。ありがとうございました。
 このメールニュースでもご案内させていただきました「フラカヒコ A 
SACRED DANCE」の日本全国初公演は11月23日から大阪・京都・東京・鴨川・湘南・千葉で感動を巻き起こし、11月29日を持ちまして無事終了しました。
 ネイティブ・ハワイアン7名は各地でたくさんの新しい友人と忘れがたい経験をえ、30日に帰国しました。招聘・企画責任者である私が、9月11日からグローバルピースキャンペーンにかかりきりなってしまったために、一番大切なプロモーションが不十分で、実は赤字覚悟で迎えた本番でした。
 ところが蓋をあけると、どの公演も予想を上回る入りで、湘南公演はほぼ 満席。私が主催していた東京や鴨川もまずまずの入りで、最終的には目標額を上る売上げでした。
 各地の主催者とスタッフは自力でチケットを売り、見事なチームワークで公演の準備をしてくれました。全てをボランティアでやり遂げたみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
 出演者たちの語りや踊りはピュアで美しく、多くの人が感動の涙を流していました。
 フラを習っている人や教えている人が大勢来てくれたのですが、「心が洗われました」「大切なことを思い出させてくれました」とのお言葉をいただきました。
 現在もハワイで続くホクリア開発(JALによる先住民の墓の上にゴルフ場を建設するプロジェクト)の裁判には多額の費用がかかりますが(今年必要な費用だけで35000ドル)、今回の公演で15000ドルを寄付することができそうです。
 今回はスタッフも出演者も企画者も全員がボランティア。スタッフとしてかかわった全ての方、公演を見てくださった方、広報に協力してくださいました方、本当にありがとうございました。
 開発と伝統文化や環境保護はどうすれば共存するのでしょうか。両者のバランス
を探りながら、これまで無視されつづけてきたネイティブハワイアンの声を届けることができる書き手でありたいです。

 アメリカとイギリスへ向かいます。
 フラカヒコが終わってほっと一息するまもなく、アメリカへ出発です。
 アフガニスタンでは寒い冬が到来して、人々は飢えと空爆に加えて、寒さによってもいのちが脅かされ、毎日幼い体力のないものから亡くなることが既に現実となってしまいました。
 冬が来るまでに何とか空爆を止めたい一心でグローバルピースキャンペーンを続けてきましたが、アメリカ政府はまだまだアフガニスタンでの空爆を継続するのみならず、攻撃地域をイラクへと拡大しようとする動きすらあります。
 長年、多くのアメリカ人と環境問題に共に取り組み、友人としても親しくしてきた私としては、アメリカ国内の平和運動にかかわる人たちに直接会って、なんとか元気付けてきたいと思っています。
 私の友人たちの多くはこの状況に対して、さまざまな活動を展開しているのですが、それが主要メディアで報道されることはまずありません。しかも平和を求める声は次第にあげにくくなっており、アメリカ政府の強硬な姿勢や平和主義者への非難や弾圧はエスカレートしています。
 そんな折、今回、平和の全面広告のスポンサーとして一緒に仕事をした「平和の
ための退役軍人会」<http://www.veteransforpeace.org/>の戦略会議に同席することになりました。どうすれば戦争以外の解決法を求める声を米国で高めることができるのか、2泊3日にわたってファシリテーターを交えての会議です。先入観を捨てて、オープンマインドで参加してきます。
 赤ちゃん連れの旅なので、どこまで何ができるのか分かりませんが、平和を求め
るなるべく多くの人々に会い、人と人をつなぎ、小さな流れでもいいから平和に向かう動きをアメリカで創りたいと思っています。
 最初はセントルイス、それからボストン、イギリスに渡って、クリスマスとお正
月を過ごし、シアトルで全米横断ピースウォークに合流します。そのあとはハワイへ飛んで3月頭までハワイ先住民の支援活動・取材に入ります。原稿依頼、情報提供などはメールよろしくお願いします。2日に一度ぐらいチェックするようにします。念のため、海外だけで使うAOLのアドレスもお伝えします。
yumikikuchi@aol.com いつものアドレスもOKです。yumik@awa.or.jp
(12月3日記)★OPEN-J BOOMERANG バックナンバーについて★
このメールニュースのバックナンバーは、下記URLをご覧ください。
http://www.peace2001.org/gpc/gpc_mn_bn.html
 
 12月3-4日
 アメリカに溢れる愛国精神?
 成田からシカゴ経由でセントルイスに向かう飛行機の中でシカゴの空港に着いてまず目に付いたのが、売店のアメリカ国旗や国旗をあしらったさまざまなグッズ。それから企業広告も愛国精神があふれるコピーが増え、国旗が使われているものが いくつもありました。これらは以前なかったものです。
 セントルイスに着いて住宅街に入ると、さまざまなクリスマスの飾りに混じって、国旗が使われているのも目立ちました。愛国心を示すことが広く社会に受け入れられているのでしょうか。
 アフガニスタンの人々が置かれている状況は、首都カブールのタリバンから開放されて喜ぶ人々の映像とは裏腹に、ますます厳しくなっています。
 昨日インターネット上で読んだレポートによれば、国境内の難民キャンプでは水も食べ物もテントもなく、毛布一枚で雑草を食べて生き延びている人々の様子、赤ちゃんや子供たちなど体力のない者から順に亡くなっている様子が伝えられていました。
 この惨状を生き延びたわずかの人は、やがてどんな行動をとるでしょうか。
 こういった状況を生み出すことこそが、テロを生む根本原因なのに。
 シカゴの空港では肥満の人が目につきました。彼らは飢えの苦しみは知らないで
しょうが、決して健康ではありません。レストランやファーストフードショップでは大量の残飯が捨てられています。アメリカだけじゃない、日本でもそうです。
 今、この瞬間、アフガニスタンでは誰にも知られずにたくさんのいのちが消えている。
 同じ瞬間、同じ地球で、食べきれないほどの食料をごみにして、肥満の人があふれている。どうしてこれほどの差があるのでしょうか。みんなが同じである必要はありませんが、せめて全ての人が暖かいご飯を家族や仲間と一緒に食べられることぐらいできないのでしょうか。 
 テロリストをかくまったから?
 今アフガニスタンで死んでいる子供たちには、何の関係もないことです。こうした事実が報道されてないのがアメリカです。アメリカのメディアはたった4社に独占されていて、しかも彼らは軍事産業やエネルギー産業(石油や原子力)と同じ資本です。
 彼らの興味はアメリカ一国の繁栄とアメリカの豊かな(持続不能な)ライフスタイルを継続することです。
 こうした国益のみを追求するやり方は、争いを生み、地球環境も修復不能なほど傷つけ、やがてアメリカ人でさえも生き延びられなくするでしょう。そして、テロを軍事力で撲滅しようとすることは、より多くのテロを招き、アメリカの安全保障をさらに危うくすることでしょう。
 日本を出発する前日に、ある友人からファックスをもらいまいた。
 彼女と最初に知り合ったのは私がネイティブハワイアンへの支援を始めたころに、メールでやりとりしたのがきっかけですが、チャンスやグローバルピースキャンペーンの活動を通して親しくなり、何度か赤ちゃんの面倒を見てもらったこともあります。
 彼女は最近ヒプノセラピー(催眠療法)を受けたそうですが、それ以来、不思議
な体験をするようになったことがそのファックスに書かれていました。
“この前はアフガニスタンの小さな女の子が私をじっと見つめていて、こういう風にいうのです。
「あきらめないで。あなたたちの愛は受け取っています。光のこどもたち。私たちは大丈夫。だけどあなたにできることを一生懸命やってください。あきらめないで」
 ゆみさんと同じときを生きていること、出会えたことに感謝して。いってらっしゃい”
 アフガニスタンで今起こっていることは、耐えがたいことですが、そのお陰でこうして素晴らしい人々に出会っているわけです。この出会いを最大限にいかして、いのちを守る仕事ができますように。少しでも、私の存在がいのちを守ることに役立ちますように。私の赤ちゃんが泣いている。目の前のいのちから、大切にしなくてはね。

 アメリカから
 12月6日 セントルイス
 平和のための退役軍人会の戦略会議に参加。
 正確には、もう朝なので12月7日、アメリカではパールハーバーの日(日本は12月8日)。時差ぼけがまだなおらないで、赤ちゃんともどもまだ午前3時なのにぱっちり目がさめてしまいました。出発直前に長年愛用したコンピュータが完全にダウンし、ソニーのバイオを買ったのですが、こちらに来てからまだ設定がうまくいかずにインターネットにつなげることができません。これで12月3日に日本を出てから4日間メールを見ていないことになりますが、お返事を差し上げてない方には申し訳ございません。
 昨日まで平和のための退役軍人会(VFP)の戦略合宿に出席していました。米国の退役軍人会はいくつもありますが、全米で平和のために活動しているのは、こことベトナム戦争退役軍人会、とあまり数は多くありません。
 VFPは全米xxの支部があり、13名の理事と1名の専従スタッフと1名のパート兼ボランティアによって運営されています。全米組織とはいえ、正会員数は700名という小さいNGOです。
 でも彼らの活動は米国が戦争を行ったベトナムやイラクでの復旧作業にボランティアを派遣し、米国の軍事・外交政策に関して企業メディアでは報道されないことを広く一般に伝えるなど、大変有意義なも
のが多いです。日本にも「不戦戦士の会」という退役軍人会があるそうですが、どなたかご存知でしたら教えてください。
 VFPの戦略合宿に集まった面々は全部で15名。それぞれ第二次世界大戦やベトナムや朝鮮戦争や湾岸戦争などを戦い、戦争の惨たらしさを身をもって体験し、半生を平和に捧げた人たちでした。米国での彼らに対する弾圧は思ったより厳しく、何人もの会員が効果的なデモを行っただけで、投獄されるなどの経験を持っています。
 アメリカは今や戦時下のようです。一般報道は完全に政府広報機関と化し、言論や表現の自由といった基本的な市民権が脅かされています。9月11日以来、理由も明らかにされないまま政府によって拘束された人は1500名を越え、600名以上が今も拘束されたままです。
 これに対して民主党議員が市民権を無視し憲法を侵していると検察官を呼んで公聴会を開き、それに対して各紙の編集委員にコメントさせるという番組を今日テレビで見たのですが、驚くことに民主党議員の当然と思われる行為が批判され、国家非常事態なのだから国家機密が優先されるのは当然、国益のためもっと政府に権限を与えるべきだ、という論調が目立ちました。これが本当にアメリカか、といささかショックを受けました。
 そんな中で非暴力平和主義を唱えても、ほとんど無視されてしまうという事実をVFPの戦略会議の中で改めて知りました。
 彼らがプレスリリースを出したところで、どこも取り上げないし、「スクールオブアメリカ」(今年名前を「西半球研究所」変えた)という悪名高き軍事訓練所(アメリカ国家によるテロリスト養成所との異名を持つ)でのデモでは1万人以上が集まっても、記事にすらならない、と嘆いていました。平和主義の人が空港で拘束されたり、高校生が反戦運動をしたことで学校に行けなくなったり、と、今のアメリカは本当に異常です。自由の国アメリカでこのようなことが平然と行われ、それをみんなが支持している、というのは信じがたいです。
 いったい、どこまで市民権が奪われたら、アメリカ人は声をあげるのでしょうか。
 この事態に対して私にできることがあるのでしょうか。深い闇に包まれた感じです。
 戦略会議では、日本のグローバルピースキャンペーンの今後の活動について報告をさせてもらったのですが、その中でアフガニスタンへの調査隊派遣には、VFPの理事ほぼ全員が興味を示しました。その結果、フォトジャーナリストを含むVFPの調査団を日本の調査隊と一緒にアフガニスタンに派遣することが可能かどうか、検討することになりました。
 VFPは戦争・平和教育に広く携わっているのですが、この調査隊が戻ったらアメリカ国内で講演をして回るというのです。
 なんせ爆弾の威力に関する報道はあっても、その爆弾の下で人々がどんな目にあっているのかに関しては一切報道がないのですから。アメリカ人のほとんどは、自分たちがいつまたテロにやられるかという、恐怖と不安でいっぱいで、食料も衣服も家もなく寒さで死んでいくアフガニスタンの人々に思いを馳せる余裕がまったくありません。想像力の欠如、と言ってしまえばそれまでですが。
 その上報道では、一般の死傷者が殆ど出てないことや、カブール陥落で喜ぶアフガン人の様子や、米国兵器の精密さばかりが強調されています。もし、アフガニスタンの子供や赤ちゃんが空爆で傷つき死んでいる様子や、カブールやカンダハルの小児病院の映像が少しでも報道されたら、アメリカの世論を変える可能性があります。
 アメリカの現実は、薄ら寒いです。殆どの人はいまだ、どうしてアメリカがテロを受けるのかわからない、アメリカは正義のために戦い、いろんな国を助けているのに、と本気で思っているのですから。無知もはなはだしい、と思うかもしれませんが、そういう報道しかされてないのですから、彼らがそう信じても無理はないです。

12月11日(火)
マヤ暦5月27日

 先ごろ対談をしたフリーライター伊藤竜太さんから、韓国の犬食に関するメールがきた。
 「FIFAが韓国の犬食に対する批判を行なったが、犬食についての是非をめぐる問題は異文化の拒否につながる」というものである。韓国の伝統食である犬食を「ワールドカップの期間中だけ禁止せよ」というのは、明らかにおかしい。
 オレは犬も猫も蛇も食ったことがあるし、
 オレたちは命を食らわねば、生きてけいないのだ。
 自然界の当たり前な現実に気づいてほしい。
 君が今生きているのは、なにかを殺しているからだ。
 アイヌはイヨマンテ(熊送り)の儀式をやっていたが、オレたちは、
 「ウシマンテ」
 「ブタマンテ」
 「トリマンテ」
 をやってきたか?
 「イヌマンテ」
 もやってほしい。
 なにを食うかではなく、どれだけ感謝できるかで文化の質は計れると思う。

                 ※

 「アヤワスカ!」を見ました、買いました、クリスマスのポップ(オレが手作業で作った)がありましたとの情報が送られてくる。
 二年前のあまりにも不思議な旅を書き起こすことで、かなりたくさんの情報を削った。
 オレは文章を、音楽や絵画と同じように書いてしまう癖があって、重要な出来事でもどんどん切り捨ててしまう。
 やっぱ、ノンフィクション作家にはむいていないのかな?
 「アヤワスカ!」でボツになった原稿を「番外編」でのせちゃおう。

                 ※

「スリを食べたことがあるかい?」
 教会のよこに怪しい物売りがいた。
 浅黒い肌と東洋的な顔立ちは、明らかにインディオだ。青いプラスティックバケツには、まるまると太った幼虫が蠢うごめいている。壁に立てかけられた写真には瘤こぶだらけの手が写っていた。
「こ、これはなんですか」
「スリという蝶の幼虫だよ。こいつから摂とったエキスが関節炎や風土病に効くんだ。骨の湿気をとる働きがあるんだな。写真は五年前のわしの手だ」
 節くれだちながらも正常にもどった手を蝶のごとくひらめかせる。
「この小さな精霊たちのおかげだ」
 男は無造作にスリを口に放りこんだ。あっけにとられる僕に一匹突き出す。
「………………」
 たしかテレビで見たのは、サゴ虫の幼虫を食べるアボリジニだったと思う。絹の名産地、長野県でも昔は茹でた蚕をどんぶりで食っていたという。
「食べなさい、インディオの知恵だ」
 おっちゃんは、ウニを外国人におごってやる日本人さながら善意の化身だった。身をよじるマシュマロを口に入れると、舌のうえで薄い体毛がダンスする。泣きだしそうに目をつむって……噛む!
 プチッと命が停電した。
 粘ついた体液が口いっぱいに広がったが、嗚咽が出かかるまえにあわてて飲みくだす。舌に直接マーガリンをぬられたような脂っこさ?
 クリームシチューとナンプラーを煮つめたような芳ばしさ?
 なんとも形容しがたい。
 グルメ番組のレポーターなら、笑顔を装って言うだろう。
「まったりと舌にはりつく滋味がありますね」
「こうして手足のない芋虫が我々の健康を守ってくれんだ」
 上機嫌なおっちゃんに気づかれないよう、なんども唾液で舌苔を洗い流す。
 とにかくだ。
 異文化を理解するには、
 「食べる」しかない。

12月12日(水)
マヤ暦5月28日

 0600(マルロクマルマル)。午前六時、総員おこし。
 こんな朝っぱらから半田教官の電話があった。
「本日、湯西川において雪上野営訓練を実施する。装備を整え直ちに出頭せよ」
 受話器をもちながら窓を開けると、白いフォードの2ドアセダンが到着していた。
「半田教官、お言葉ですが、そのような話は聞いておりません」
「貴様がヒマジン・オール・ザ・ピープルなのは十分承知のうえだ。同じくヒマ人、もとい、自由人の加納訓練補もきておる。覚悟を決めてすみやかに出頭せよ」
 半田教官が断固たる口調で命令した。
「はっ、AKIRA二等兵、出頭準備よろしい。ただちにまいります」
「ばかもん、自分のことを名前で呼ぶな! 名字で名乗れ」
「AKIRA二等兵、もとい。杉山二等兵、直ちに出頭いたします」

 湯西川とは栃木県北部の山岳地帯にある小さな村である。温泉保養地であるとともに、平家の落人伝説が残っている。「アヤワスカ!」にも書いたとおり、松屋旅館の注文で「平家物語」の絵を描かせてもらったことがある。
 1600(イチロクマルマル)。午後四時、諸事情による遅滞。
 白いフォードは本通りからはずれ、沢沿いの道を奥へと疾走していく。凍結した路面にはうっすらと雪がつもっているのにノーマルタイヤとは、先が思いやられる。半田教官は後輪を氷にとられながらも、スピードをゆるめない。
「杉山二等兵、我々がむかっているのはキャンプ場だ」
 たしかにそこはキャンプ場だった。無人のロッジが一軒建ち、人影のない設営場の芝は雪に埋もれている。
「半田教官、冬期のキャンプ場は閉鎖されているではありませんか」
「安心しろ。我々が野営訓練を実施するのはその先だ」
 重い装備を背負ってキャンプ場を横切る。雪のなかに四十センチもめりこんだ加納訓練補の足跡に合わせて歩む。加納訓練補は振り向きもせずに穏やかな口調で語りかけてくる。
「半田教官はな、杉山二等兵に冬期キャンプの楽しさを教えようと何カ月も前から計画されていたのだ」
 我々は何度も足をすべらせながら、枯れ木の立ち並ぶ斜面を下る。急ごしらえゆえ、長靴など頭に浮かばなかったわたしは、あさい安全靴が雪まみれになり、靴下やズボンのすそが凍りつく。
「加納訓練補、わたくしにも心の準備というものが」
 三メートル幅ほどの小川のほとりに荷物をおろした。
「杉山二等兵にあれこれ思い悩ませないよいう熟慮の結果だ。半田教官はあのように武骨な性格ゆえ、誤解されることが多い。同期の同僚たちは一等陸曹や部内幹候に昇進しているのに、若者たちに教えたいという一心で今の地位にとどまっておられるのだ。言葉にならぬ温情をくみ取るのも隊員の務めというもんだ」
 誰よりも重い荷物を背負った半田教官がおりてきた。
「今晩我々はここに野営する」
「お言葉ですが、こんな川っぷちの雪のうえで寝たら、風邪をひくか、凍死してしまうのでは」
「今日の天気からして、マイナス五度よりは下がるまい。南極越冬隊はここより十倍も寒いところでくらしながらも、風邪ひとつひかん」
「お言葉ですが、南極は寒すぎて風邪のウイルスが存在しません」
「不服とあらば、歩いて帰れ」
 そんなあ、ここから日光に歩いたら三日はかかる。
「命令、わたしと加納訓練補がテントを設営する。杉山二等兵はたき火のための熊笹を刈り、枯れ枝を収集せよ」
 なにが「温情」だ。ぶつぶつ言いながらも、一刻も早く火にあたりたい一心で命令に従う。

 1730(イチナナサンマル)。夕方五時半、設営。
 キャンプ場に打ち捨てられた錆だらけのブリキ缶に炭をしき、熊笹をつめ、細い枝から積んでいく。着火剤や新聞紙を忘れたので、ガソリンをぶっかけ手っ取り早く火をつける。たき火がおきたとたん、寒々とした風景が一変する。とんでもねえところに連れてこられちまった思っていたが、なかなか美しい場所じゃないか。小川のせせらぎが通底音となって耳を洗い、雪肌が青く陰っていく。見上げれば、複雑にからみあう枯れ枝から、暮れかかる空に早くも星が瞬きはじめている。
「杉山二等兵、火おこしの任務ご苦労であった。乾杯の儀を執り行う」
 半田教官は「Beer Taste(ビール味)」というアメリカ製で一本八十八円の発泡酒をみんなにまわした。雪のなかに埋めてあったので、刺さるほどの清涼感がのどをすべり落ちていく。激しい作業で汗をかいたため、格別の美味だ。たしかに冬期訓練でしか味わえないものだ。
「現地を視察するため、温泉へ出動する」

 1800(イチハチマルマル)。夜六時、現地温泉事情視察。
 しかし現地の温泉事情はきびしかった。「判久」などの大きなホテルは日帰り入浴者を受け入れてはくれない。シーズンオフのため、露天風呂がある「清盛」も電気が消えていた。半田教官が以前はいったという村外れのペンション「ハミングバード」にいったが誰も出てこない。あきらめて帰ろうとしたところに、別の車がやってきた。二人のおじさんは、同じ敷地内にある普通の家のブザーを押し、オーナーを呼びだす。彼らのあとについて三百円を払い、露天風呂にはいることができた。
 天国のような岩風呂につかっていると、ほろ酔い気分のおっちゃんが話しかけてきた。福島県から出稼ぎに来ているおっちゃんは、キャンプ場の上流にあるダムで土木作業員をやっているという。
「あんたら、こんな平日に温泉来て、なんの仕事してんの?」
 訊ねられた加納訓練補が言葉につまった。Web会社で働く半田教官はともかく、ヨガ教室などのお布施で暮らす加納訓練補、しがない印税で食いつなぐ杉山二等兵の職業を説明するのがはばかれた。わたしが助け船を出す。
「わたしも鉄筋屋で働いていたんですが、不況でたいへんでしょう」
「おれは高校出てからもう二十五年もダムでやってっから、ほかの現場で働けって言われてもなあんもわがんね。だけっと、ダムの仕事はどんどんなぐなるし、会社もいつ辞めてもいいからって言うんだあ。おれも来月から失業保険もらって福島へ帰んだわ」
 おっちゃんのあとについっていったわたしたちは、土木作業員にまちがわれたという。このペンションの日帰り入浴は六百円だが、地元料金の三百円しか払ってない。
「あんたら、どこさ泊まってんの」
「河原です」

 1930(イチキュウサンマル)。夜七時三十分、夕食。
 我々は設営地にもどり、夕食をつくりはじめた。料理長である加納訓練補が言う。
「杉山二等兵、白菜とニラ、エノキと焼き豆腐の切断をたのむ。わたしは鳥団子の製作を担当する」
 加納訓練補がポケットからとりだしたものに驚いた。
 100円ショップで買われたプラスチック製の「おろし金」であった。このような雪原においてもチュ−ブにはいった防腐剤入りのショウガを拒む、徹底した健康指向だ。加納訓練補はかじこまる指先に何度も白い息を噴きかけながらショウガをすりつづけた。
 キムチ風味の鳥団子鍋は絶品だった。
 すいとんやきりたんぽまではいってる。半田教官のランタンをたよりに闇鍋を貪る。
「杉山二等兵、もし夏にランタンをかこんで食事をしたらどうなるかわかるな」
「はっ、源流マタギの会のタケ隊長は蛾が口にはいったそうです。蛾の鱗粉の味は油菜に似ていたそうであります」
 半田教官は口のはじから糸コンをたらして微笑んだ。
「雪上野営訓練のすばらしさはそこだ。蚊に刺されることも蛾が食べ物に飛び込むこともない。このへんでは熊や蛇がよくでるが、今は冬眠中だ。私の同僚たちが派兵されるアフガンの子どもたちには、鳥団子鍋もテントや寝袋もないのだぞ」
 支給されたインスタントカイロをつま先と背中に貼り、ビールを飲む。とっくの〇度をすぎているので、ビールの泡がシャーベット状になり、指でもちあげられる。
 加納訓練補はわたしがアマゾンで買ってきたハンモックにウレタンマットをしいて寝そべった。極彩色に染め上げられたハンモックが純白の雪を背景に揺れるのはかなり異様な光景であった。

 2200(ニイニイマルマル)。夜九時、宴会。
 八十八円のアメリカ製発泡酒を飲み干した我々は、八百九十八円の泡盛の封を開けた。半田教官はおもむろにカップで雪をすくうと、そこへ泡盛をそそぐ。フローズン・マルゲリータやフローズン・ダイキリのすばらしさは知っていたわたしだが、「フローズン・アワモリ」は絶品である。氷の粒子がのどをすべり落ちる快感、その一粒一粒が食道や胃壁で溶けていく喜びは筆舌に尽くしがたい。

12月13日(木)
マヤ暦6月1日


 0100(マルイチマルマル)。真夜中一時、発病。
 わたしのホームページの改造計画やakiramaniaCDロムの計画に熱中しているとき、加納訓練補の咳が満天の星空をふるわせた。
 つい忘れていたが、加納訓練補はハンモックで寝袋も使わず眠ってしまったのだ。加納訓練補は数日前から隊長がすぐれなかった。それでもわたしや半田教官を気づかい、無理を押して訓練に参加してくださったのだ。
 半田教官は加納訓練補をひとり用のテントに寝かしつけ、三重の寝袋でくるんでくださった。マイナス二十度まで耐えられる御自分の寝袋をわたしに貸してくださるという。半田教官には、アメリカ軍の払い下げである戦死者をくるむ寝袋しかない。しかも私が眠るテントの屋外で眠ると言って聞かない。わたしがいくら説得しても、雪上に置かれた簡易ベッドに死者の寝袋を広げてお休みになられるというのだ。仕方なくわたしはテントにはいり、深い眠りに落ちた。

 0900(マルキュウマルマル)。朝九時、起床。
 さわやかな朝に目覚めて、テントを出ると、半田教官と加納訓練補がいない!
 わたしは取り残された淋しさを噛みしめながら火をおこした。
 遠くから話し声が近づいてくる。
 加納訓練補はマスクをして咳き込み、半田教官と丘をおりてくる。
「車のヒーターで体を暖めていたんだよ」
 わたしはふたりが生きていることに涙ぐみそうになった。

 0930(マルキュウサンマル)。朝九時半、朝食。
 加納訓練補は咳き込みながらも、鳥団子鍋の残りで雑炊をつくってくれた。昨晩の野営で高熱が出ているというのに。
 半田教官は寝袋のホックを自分でとめられなかったという。なぜなら寝袋は死体用なので必ず他人から止めてもらうようにできている。わたしを呼んだが、起きなかったらしい。つまり、半田教官はわたしのせいで、半開きの寝袋で寝たのだ。加納訓練補のように咳き込んではいないが、ウグイス色に乾燥した鼻水をすすっている。

 1230(イチニイサンマル)。午後十二時半、温泉。
 凍える体で女夫渕(めおとぶち)という秘湯の現地調査にいった。二十年前は電気もとおっていないところだったが、大きなホテルが一軒だけできていた。これ以上道路はない。十五もある露天風呂は対岸の森を望み、わたしたちのほかに客はいない。我々はリンガ(男根石)のある洞窟(温泉セックスのためにつくられたものだろう)の調査にあたった。

 1700(イチナナマルマル)。夕方五時、最終調査。
 我々は栃木のラーメンベスト3にあげられた「ゼンジー南京」の現地調査にむかったが、開店は十八時のため、日光にある本格中華料理屋「翡翠」が出すチャーシュー麺の調査にあたった。

 1730(イチナナサンマル)。夕方五時半、食餌。
「では、かかれ!」
「かかります」
 我々はいっせいに文明食にかぶりつく。中国に何度も遠征しているわたしをはじめ、拉麺研究家の半田教官やアジア料理批評家の加納訓練補もうならせるチャーシューであった。

 1800(イチハチマルマル)。夜六時、帰宅。
 日光警察署まえにあるわたしの自宅に荷物をもどした。風邪をこじらせた加納訓練補が咳き込む。わたしのために死体用の寝袋でねてくだすった半田教官はうしろに手を組んで厳かに言った。
「雪上野営訓練、御苦労であった。我々は困難な事態に直面して、はじめてさまざまなことを学んだと思う」
 泡の凍ったビール、雪をすくってつくった「フローズン・アワモリ」、失業手当をもらう土木作業員、病を押してまで加納訓練補がごちそうしてくれた「鳥団子鍋」、なによりも死体寝袋で野宿してまでサバイバルの基本を教えようとした半田教官の情熱。
「半田教官、加納訓練補、本当にありがとうございました!」
 決して弱みを見せない半田教官が、うしろをむいて涙をぬぐった。

 2000(ニイマルマルマル)。夜八時、解散。
 誰もが、明日から仕事だ。
「ただいまをもって、本部隊を解散する!」
 半田教官は誇らしく胸を反らせて、白いフォードのアクセルを踏んだ。

12月14日(金)
マヤ暦6月2日

 オレが日光の実家にもどって四年になる。二年前までは家賃が五千円だった(笑)。大家がこれじゃ固定資産税も払えないというので一万円にあがったけどね。
 七十年以上まえに建てられたオンボロ木造家屋は、六軒の家族が暮らす長屋のようなものだった。しょう油や味噌の貸し借りから、出産や葬式の手伝いまで、隣組は助け合って暮らしてきた。
 家のまえをとおるとき言う「お借りしま〜す」という声を耳がおぼえている。今では残っているのはうちだけで、ほかの家は無人のままだ。
 家ってなんだろう?
 樹上からおりたオレたちの祖先は、洞窟という「家」を手に入れた。
 「外敵や寒さや雨風から自分の守ってくれる環境」とでも定義しよう。
 取った獲物を安心して食べることができ、
 毒物や薬草、衣服や道具づくりの情報を交換することができ、
 夢や神話を語り合うことができる場所だ。
 家に守られて人間は社会性を発達させていった。

 うちはすきま風がはいるので、灯油ストーブでも一酸化炭素中毒になることはない。ボロ家は風通しがいいのだ。密閉すればエネルギー効率は高まるかもしれないが、空気がよどむ。
 家は細胞膜のようなものだ。
 自分を包む環境と有機的な情報をやりとりできなければ、住人も孤立してしまう。
 長屋の復活を思わせる「コ・ハウジング」(co-housing)というムーブメントが欧米で広がっている。
 「co」はコ−ポレイト(協力)、コミニケーション(つながり)、コミュニティー(共同体)からとられたものだろう。
 一九六〇年代後半に、デンマークで Jan Gudmand-Hoyer らが共同体の復活を提唱し、八〇年代にアメリカ、カナダに広まっていった「住空間」の革命だ。
 洞窟に住む祖先が手に入れた「外敵や寒さや雨風から自分の守ってくれる環境」というのは、現代でさえも変わらない。
 通り魔やサイコ、農薬やダイオキシンなどの外敵から守ってくれ、子孫が安心して暮らせる「持続可能な社会」システムをつくる環境を実現する。大きなヴィジョンにもとづいたコミュニティー(共同体)の再構築である。
 ひと言で言えば「いかに住みやすくするか」。それにつきる。
 地域通貨で紹介したニューヨーク州のイサカは、コ・ハウジングでも世界をリードしてる。イサカは「オレたちの未来かもしれない」と希望を寄せつつ、貿易センターでテロを受けた従弟に「イサカにいって現地レポートをしてくれ」とたのんだ。近いうち報告できるだろう。
 ここではイサカの概要を、しっかりとした未来のヴィジョンをもつ「SAKAMOTO HOME PAGE」から引用させてもらう。

ニューヨーク州イサカ(Ithaca)市において試みられている、コ・ハウジングから成るエコ・ヴィレッジを構築するプロジェクトを紹介する。規模は、住民500人、広さ約700000m2。
近隣
* 個人のプライバシーを守りつつ、近隣や村全体の共同体意識を高める。
* 住民同士の交流関係を支援する。
* 住民と、動植物がふれ合う場を設ける。
* 歩行や自転車での交通を奨励し、車の住宅街への乗り入れを禁止する。
* 自由空間を最大限確保する。
ヴィレッジ・センター街(Village Center Complex)
ヴィジターズ・センター(Visitor's Center)
エコ・ヴィレッジ教育・研究センター
農業
* 食料や果物を豊富に栽培する。
* オーガニック栽培など、持続可能な技術や手法を開発し実践する。
* 食料を供給することで、住民の生活に余裕を与える。
* 共同体の活動を通して、また、土地との繋がりを通して共同体を活性化させる。
輸送と流通
* 歩行と自転車を奨励する。
自然資源
* 湿地や森なども含む自然地域の保護、修復、創造に努める。
* 動植物を育てる。
* 歩行者が自然資源と充分にふれ合うことのできる小道を設ける。
* 野生動物保護区域を侵さない。
* 植林によって森を再生する。
* 住宅街の近くに遊ぶための広場を設ける。
* 住民のプライバシーを損なわない程度に、他地域を受け入れられるよう設計する。
* 自然地域の情報を収集し整理する。
水と汚水
* 用途ごとに適切な種類の水を供給する。
* 可能な限りリサイクルできるシステムを構築する。
* 水の使用量を減らすための活動を実践する。
固形ゴミ
* ゴミの減量に努める。
* 再利用、リサイクル、コンポストを推進する。
エネルギー
* 持続可能なエネルギーを使用するにあたり、分かりやすい手段を示す。
* 効率的な輸送システムを採用し、エネルギー消費を減らす。
* エネルギー消費を最小限に抑えるための活動を実践する。
* 最も環境にやさしい資源、特に太陽光、風、バイオマスを使用する。
* 再生可能なエネルギー資源にスムーズに移行する。
* 快適で便利のよい環境を維持する。
建築資材
* コストの許す範囲で、環境によい資材を選択する。
社会性
* 地域の多様性を反映した住居と就職先のある共同体を作る。
* 文化を維持、創造できるグループを含める。

12月15日(土)
マヤ暦6月3日


 日光に初雪が降った
 あまりのうれしさに外へ飛びだす
 ばかみたいに口を開けて、空の破片をほおばる
 
 めげるどころか大はしゃぎで壁打ちテニスに出かける
 黒いダウンジャケットを着て黄色いボールを追う
 縫い目から飛びだした羽毛が白い仲間たちと舞う

 汗が毛穴温泉から沸きだしてくる
 服は国境だ
 外側はチベット
 内側はアマゾン

 ダウンを脱ぎ
 フリースを脱ぎ
 トレーナーを脱ぎ
 豪雪のなかをTシャツ一枚になって走りまわる

 電車の窓からオレを見た人々が笑う

 オレも自分を笑ったら
 まつ毛につもった雪が
 どさっと落ちた

 今日は何人の子どもたちが凍死しただろう

 と
 あったかいチャーシューめんが食べたくなった
 金がないので

 ばかみたいに口を開けて、空の破片をほおばる

12月16日(日)
マヤ暦6月4日

 ビンラディンのビデオが公開されたことにより、アメリカ中が怒りに湧いている。
 京都議定書をけっとばし、対弾道弾ミサイル 条約(ABM条約)から一方的に撤退した。アメリカや金融マフィアが推し進める「グローバル化」は、五百年前の植民地主義となんら変わりない。金に目のくらんだ人間にとって、「野蛮人」は、「他人」は、「モノ」でしかない。
 「アヤワスカ!」では約百ページほどを削った。あまりに凄惨な内容を出だしにもってくることをためらったからだ。
 ペルーの首都リマにある 「ラ・インキシオン宮殿」、別名……「拷問博物館」のことを書き記しておく。

 コロニアル様式の太い円柱のあいだに、十人ほどの人々が並んでいた。家族連れや、恋人たち、若者四人のグループはお化け屋敷さながらにはしゃぎまわっている。なんと入場料は無料なのにガイドまでつく。無愛想に歴史の恥部に触れてくる女性ガイドは、懺悔室で被虐的な告白にふるえる尼僧を思わせた。
「ご存じのとおり冒険家コロンブスは、一四九二年に新大陸を発見しました。西回りの航路でインドを目指していた彼は、三回も中南米を探検しましたが、死ぬまでここをインドだと思いこんでいたのです。アメリカ大陸の先住民がインディアン、インディオ、インディヘナと呼ばれるのも、五百年前の誤解からです。西インド諸島を軍事基地として、ピサロは一五三三年にここペルーにあったインカ帝国を征服したのです」
 アクリルケースのなかには、錆びついた鉄具が展示されていた。キリストの手の平に打ちこまれたよりも長い三十センチもの釘、ほとんど石化した足輪、鎖は血の浸食作用でできたとさえ思える赤錆さびだ。
「軍隊のつぎに送りこまれてきたのが宣教師集団です。当時の征服者にとって、キリスト教は絶対でした。表向きインディオは全員キリスト教に改宗しましたが、彼らの生活自体が宗教と深く結びついていた以上習慣は急に変えられません。征服者は密告者に褒賞金を与え、無数ともいえるインディオを拷問にかけていったのです」
 尼僧、いやガイドは僕たちを地下に導いた。乾いた岩盤に直径五十センチ、奥行き二メートルほどの穴がくり貫かれている。
「異教徒はこの穴に閉じこめられて死を待ったのです。もちろん改宗を誓って穴を出された人たちもいます。ただし一度異教徒の烙印を押された者たちは、さらに残酷な試験をくぐらなければならなかったのです」
 ふたたび、明るい館内に出た。しかしそこに見たものは、あまりに生々しい地獄だった。後ろ手に手首を縛られた男が宙空高く吊るされ、「ガロット」と呼ばれる首締め椅子に縛りつけられた男は恐怖に目を剥むきだしている。木製の台に張り付けにされた男の枕もとにはスペイン人の裁判官が立ち、豊富なメニューを楽しげに思案する。雄牛の陰茎でつくった鞭、「九尾の猫鞭」、臑すねの骨をネジで締め潰す「スペイン靴」、百キロもの責め石、斧おのと木槌きづちによる手足の切断、鋸のこぎり引き、真っ赤に焼けただれた鉄の槍を肛門から口へと刺し貫く、などなど。黒い頭巾をかぶった執行者が、水責めをおこなっている。鼻をつまんで口を開かせ、のどに真鍮の漏斗じょうごを突っこむ。「小尋問」では十リットル、「大尋問」では二十リットル。つぎにパンパンに張った腹を棍棒でどやしつけると、口と鼻から血の混じった噴水が上り、受刑者は呼吸困難におちいる。もしくはわざと吐かせず、排尿できないように陰茎を濡れた革ひもで縛りあげたという。これらが精巧な蝋人形で再現されている。
 恐るべき負の想像力! インディオたちにとって西洋の絶対神とは恐怖以外の何者でもなかったのか。宗教とは人を救うものではなく、人を脅すものだったのか?!
 寝たきり老人となったアイヌの長老、葛野辰次郎さんの言葉が蘇ってくる。

「あの世に地獄なんかない。人間がこの世に地獄をつくりだすんじゃ」

 能天気なニューエージは「宇宙人がやって来て人類を進化させてくれる」などと浮かれているし、「正義」に酔っぱらった平和運動ではなにも変えられないと思う。
 人間のもつ「不の可能性」を直視しなければならない。イジメも犯罪も、相手が「モノ」であるから、できる。
 オレたちもちょっとしたきっかけで、同じことをするんだ。
 そして、同じことをされるんだ。
 痛みを自分自身に引き寄せ、
 体で考えていかないと、
「明るい未来」は永遠にやって来ない。

12月17日(月)
マヤ暦6月5日


 宮内兄貴のサイトで活躍する十歳の小学生、山岸高大君から教えられて、夜十一時からTBS「筑紫哲也NEWS23」を見た。
 坂本龍一さんが監修した「非戦」の出版をひかえめに語り、「地雷〇」のテーマを生演奏する。
 「もっと宣伝しろ」とか、「アメリカの愚かさを暴け!」とか思う人もいるだろうが、坂本さんは飛行機で往復三十時間もかけながら、放映時間一分にも満たない曲を心をこめて演奏する。
 ものを創る人間は、愚鈍だ。
 白髪頭の男が触れる鍵盤の静かなメロディーが心に染み入ってくる。
 多くを語るより、たったワンタッチの鍵盤を懸命にたたくほうがたくさんの人の心に届くことを知っている本物のアーティストだ。
 人間だけでなく大地や空までも抱き込む演奏に、ほほを濡らしていた。
 「戦わないことの勇気」
 それは並大抵の勇気じゃない。

12月18日(火)
マヤ暦6月6日

 タケちゃんの家で「Holy night」(聖夜)を録音した。
  Lynchというライブハウスがクリスマスに出すオムニバスCD用にだ。
 イントロにアイヌの祈りの言葉をいれることになり、コハナ・フチというおばあさんの残したイノンノ・イタック(祈りの言葉。「ウレシパモシリへの道」新泉社より)を練習した。
 はじめ、カタカナで棒読みしていたし、録音のため義務的にやっていた。するとタケちゃんのミキサーがおかしくなり、ノイズのみで声が録音できなってしまった。不思議な現象にタケちゃんも首をひねり、おれは何度も復唱させられる羽目になった。
 突然、襟足になにかが触れ、背中に侵入してくる感覚に襲われた。
 オレは霊能力なんかないし、心霊現象を体験したこともほとんどない。
 急に森の情景が浮かび、涙があふれた。
 背中から侵入してきたモノが老婆だという確信が沸いた。老婆がオレの口を借りて話すように、声の抑揚まで変わった。
 録音のためじゃなく、人々や動物や植物、この世に存在するすべてのために祈っているような気持ちになる。

 イノンノ・イタック
 (祈りの言葉)日本語訳 野上ふさ子

 イ・レ フチ
 (育ての火のお祖母さん)
 モシ コ カム
 (大地を守るお祖母さんは)
 タ シ・パセ カム
 (真に重い神様で)
 ネ ルウエ・ネ クス
 (あられますから)
 リク モシ ワ
 (天方の世界から)
 カム トゥラ・ノ
 (さまざまな神様たちとともに)
 タ アイヌ モシ
 (この人間の世界)
 ウ・レパ モシ
 (万物がお互いをはぐくんで育ちあう大地)
 モシ セ
 (大地の背後を)
 チ・コ・プキネ
 (お守りください)
 ネ・タ パ・ノ
 (いつまでも)
  モシ エピッタ)
 (大地のいたるところ)
 ウ・レパ ク・カ
 (万物があい育ちますように)
 カム・オ・イ クニ
 (神様がお見守りくださるよう)
 ク・エ・イノノ・イタ
 (わたしは心から祈り)
 キ ハウエ・ネ ナ
 (申し上げます)


 「Holy Night」(Music & Lyrics:AKIRA)

 We dance in the holy night and sing in the holy night
 (オレたちは踊る 聖なる夜に オレたちは歌う 聖なる夜に)
 We fly to the holy sky and swim into the holy lake
 (聖なる空を舞い 聖なる湖を泳ぐ)
 Put fires on let s burn down those stars
 (さあ 火をもやせ 星々を焼きおとすんだ)
 Everything in brightness and everything in darkness
 (すべては輝きの中に すべては闇の中に)

 We dance in the holy night and sing in the holy night
 (オレたちは踊る 聖なる夜に オレたちは歌う 聖なる夜に)
 we drink up the holy wine and smoke out the holy grass
 (聖なる酒をあおり 聖なる草を吸う)
 Take a shower of blood eat the meat a viegen
 (さあ 血の雨をあびろ 処女の肉を食らえ)
 Everything in mindness and everything in madness
 (すべては正気の中に すべては狂気の中に)

 We dance in the holy night and sing in the holy night
 (オレたちは踊る 聖なる夜に オレたちは歌う 聖なる夜に)
 We talk with the holy spirit and play with the holy ghost
 (聖なる魂と語り 聖なる霊と遊ぶ)
 Listen to the story from an old man get the knowledge from a crazy man
 (さあ 老人の物語を聞け 狂人の知恵をつかめ)
 Everthing in discipliness everything in chaosness
 (すべては秩序の中に すべては渾純の中に)

 We dance in the holy night and sing in the holy night
 (オレたちは踊る 聖なる夜に オレたちは歌う 聖なる夜に)
 We sleep in the holy grave and dream with the holy babe
 (聖なる墓地に眠り 聖なる赤ん坊と夢を見る)
 Let s forget it all and remenber it all
 (さあ すべてを忘れ去れ すべてを思い出せ)
 Everythin is beginningless and everything is endless
 (すべてははじまりもなく すべては終わりもない )

※同じクリスマスソングでも「きっと君は来ない〜」とかと、全然ちがうなあ(笑)。

12月19日(水)
マヤ暦6月7日

 山川健一兄貴、編集長による文学メルマの短編、格闘中により、
 本日休業。(ほんとは毎日格闘中)
 きたきたきた、今までぜんぜんこなかったアレがやっときた。
 シャーマン系作家(自分の才能なんかぜんぜんないのに、いつもむこうの世界から助けがくる人)は不安定で困る。いつもあちらまかせだからね。
 1月から連載する文学メルマの短編がぜんぜん書けなかったのに、今日突然ふってきた。山川さんのリクエストするオレの甥、凛太郎との物語だ。
 急にあふれてきた言葉のため日記を書くひまはない。

12月20日(木)
マヤ暦6月8日


 今、帰ってきたところ。
 おお、もう夜中の十二時じゃねえか!
 二十六日の忘年会に間に合わせるため、タケちゃんちでレコーディングしていた。
 「Holy night」「ええじゃないか21」「Reincarnation」の三曲入りCDが完成した。忘年会では三百〜四百円の原価(にもならないか)で販売予定。ジャケットや歌詞カードは間に合わなそう。
 だってこれから朝まで凛太郎との物語に没入する。
 健一兄貴、もうちょっと待って。二十五日までには第一校を送りますから。ところで忘年会に来られそうでしたら、ぜひ歌ってくれませんか?(ああ、これはメールじゃなかった)
 明日も午前十一時からライブの曲を練習するので、二日つづけて日記は休業。

12月21日(金)
マヤ暦6月9日


 明日は週刊朝日の高橋さんがわざわざ日光までインタビューにきてくれる。おまけに講談社の綾木さんもいっしょに付き添ってくるという。仕事のあとは、当然温泉だ。今日みたく雪が降ったら露天風呂には最高なのにな。
 25日は田口ランディーさんと小説現代の対談がある。オレは日帰りで日光に帰って、翌朝8時に凛太郎をつれて信濃町の慶応病院にいく。3時頃別れて4時頃には忘年会のセッティングだ。東京に住んでいないランディーもわざわざ参加してくれる。本当にありがたいことだ。
 貧乏人はみなさんの愛情に支えられて、今日も楽しく生きている。

12月22日(土)
マヤ暦6月10日

 週刊朝日の高橋さんとカメラマンのペーさん、講談社の綾木さんもやってきた。
 高橋さんの「アヤワスカ!」には、蛍光ペンと赤ペンでラインや書き込みがびっしりあった。まるで受験生の参考書だ。こんなに一生懸命読み込んでくれるなんて感激だ。おまけにペルーにも行ったことあるという。
 やっぱりアヤちゃん(アヤワスカの精霊)がこういう出会いを用意してくれるんだな。もちろん講談社のアヤちゃん(綾木さん)のおかげでもあるが。
 インタビューと撮影を終えたあと、野郎四人で素っ裸になって露天風呂に飛び込んだ。チンポ丸出しで、植え込みのまえに降り積もった雪の上をころがっては、また風呂へ。
 やっぱり男も女も「裸のつきあい」がいちばんだね。

12月23日(日)
マヤ暦6月11日


 TUTAYAから会員カード書き換えのための五百円割引券が送られてきたので、出かけた。どれにしようかなと選んでいると、あんまり見たい作品がないのに気づいた。
 二十歳のころは一カ月に五十本という記録を達成したほど映画狂だったし、アメリカやヨーロッパに住んでいたころは毎週映画館に行くのが楽しみだった。日本に帰ってきて映画料金の高さに愕然とし、ほとんど見なくなってしまった。
 今年見たのも「千と千尋の神隠し」と「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だけだ。
 最近は書くほうが忙しくて、あんま本も読まないし、ビデオも見てない。昨日の夜、文学メルマの第一稿を送った解放感に、とりあえず三本のビデオを借りることにした。
 「トレインスポッティング」
 「カルネ」
 「美女90人エクスタシーデラックス」

 「トレインスポッティング」は半分くらいで飽きてしまった。
 原作者のほうがずっとおもしろい。原作者アーヴィン・ウェルシュも売人役で出ていたが、映画は手抜きそのものだった。ユアン・マクレガー扮するレントンの腕は注射ダコひとつないツルツルの静脈をしてるしね。
 paperbackの編集長すぶやんに「日本のアーヴィン・ウェルシュになってください」とおだてられて書きはじめた「ケチャップ」だが、同じ麻薬の世界を描いていても「トレインスポッティング」と「ケチャップ」は、こんなにちがくなっちゃうの! という好例だと思う。

 「カルネ」の監督ギャスパー・ノエには、アマゾンのシャーマン画家、パブロ・アマリンゴさんの家で出会った。
 おたがいドン・パブロのファンとしてシャーマン話で盛りあがった。さんざん意気投合した末に「なにをやってんですか?」という質問をされて、「COTTON100%」についている美術作品を見せたら、食い入るように見ている。オレが同じ質問をしたら、映画監督だという。若々しいギャスパーの外見から「ずいぶん知的なバックパッカーだな」と思っていたオレは、「日本でもカルネという作品が上映されてますよ」というのに驚いた。
 そのまま二年も忘れていたが、ミーハー作品しかおいていないTUTAYAにも「カルネ」があるではないか。
 いきなり馬の屠殺シーンからはじまる。掻き切られるのど元、あふれ出す血、皮をはがれた頭部、数日後ステーキになる肉、もろの出産シーン、成長した娘の体を洗う父親、娘を犯したとまちがわれて肉切り包丁を口から差し込まれる男……。
 すさまじい作品だった。
 あの「知的なバックパッカー」風のギャスパーからは想像もできないほどすばらしい傑作だった。

 「美女90人エクスタシーデラックス」は、ふつうひとりの女優で一本だから、九十倍お得なはずだ。
 ところがどっこい。
 ひとつひとつの映像が「エクスタシー」の瞬間だけに限られている。「美女90人」が同じ表情をしているのにびっくらこいた。
 「アジアントランス 出神」でもふれたが、どうして男女はエクスタシーの瞬間、目を閉じてしまうのだろう? せっかく苦労して選んだ美女を、ハンサムを、見ないのだ。
 オレの従妹が両親のセックス現場を目撃して、「お父さんお願いだから、お母さんをいじめないで!」と言った話を聞いたが、「快感」と「苦痛」を顔面神経は同じ表情で表現する。
 「イク」ときの顔ばかり九十人見せられても、なんだかなあ。
 いちおう三本ともダビングしたが、「美女90人エクスタシーデラックス」は「利己的遺伝子」とタイトルを変えた。

12月24日(月)
マヤ暦6月12日


 ジャック・マイヨール(七十四歳)が首つり自殺した。
 酸素ボンベを使わない素潜りで水深百五メートルの記録を出し、映画「グラン・ブルー」のモデルにもなったので知っている人も多いだろう。
 イタリア北西部にあるエルバ島の自宅で死んでいるのが見つかったという。

 Jacques Mayolは一九二七年四月一日、建築技師の息子として上海のフランス租界に生まれた。マイヨール一家は、いつも夏休みを九州の唐津で過ごした。
 唐津の子どもたちから水中メガネを借りて素潜りを楽しんでいるうち、イルカの群れと出会う。一頭のイルカが近づいてきて幼いジャックと泳いでくれた。言葉なんか使わなくても泳ぐことによって、海の賢者はジャックの一生を決定づけるメッセージを託したのだ。
 しかし潜在意識に植え付けられたメッセージが具現化していくには、もうひとつ運命的な出会いを経ねばならない。
 一九五七年、三十歳になったジャックはマイアミの水族館でクラウンというメスのイルカと「恋に落ちる」。
 水族館にはメスのイルカだけが五、六頭いた。ジャックが潜ると、クラウンがよってきて、当時は短く刈っていた髪を引っぱる。先輩のトレーナーも「そんなこと今まで見たことがない。そうとうクラウンはあなたを気に入ったみたいですね」と言う。それでクラウンが引っぱりやすいように髪を伸ばしたというエピソードが笑える。
 毎日クラウンとともに泳ぎながらジャックは「呼吸」の奥義を伝授される。大きく息を吸い込まなくても息を長持ちさせる方法や、水と一体になることを学んでいく。三分半も息を止めたまま足びれで百五十メートルも泳いでしまうまでになる。
 ジャックはグランド・バハマのケイコス諸島で素潜りによるロブスター漁をしていた。ジャックの超人的な潜水術を知った水中カメラマンに、閉息潜水によるフリーダイビング競技を勧められる。
 いきなり水深五十メートルという記録を打ち立て、毎年のように記録を伸していった。ヨーガの呼吸法、禅の哲学などを学び、一九七六年、四十九歳のジャックは素潜りで水深百メートルを超える奇跡をおこす。人体では不可能とされていた限界を破ったジャックに、スポーツ界のみならず科学者からも称賛を浴びる。
 ジャックにあこがれ、自分でもフリーダイビングをやっていた映画監督リュック・ベンソンが「グラン・ブルー」を大ヒットさせたのは周知のことだ。
 明日ビデオ借りにいこうかな、でも「グラン・ブルー」は映画館の一番前の席で見るのがベスト。
 海を競争の場としてとらえることに疑問をもったジャックは、フリーダイビング界を引退し、イルカたちと暮らしていた。
 地球規模の共生を訴えつづけ、「ブルー・ドリーム」という夢を実現するために世界中を飛び回っていた。
 そのプランとは、サウス・ケイコス島とソルトキイ島のあいだの海峡に、クジラを観測するための十二メートルのヤグラを建てることだ。このヤグラは、九州で発見された古代遺跡からヒントを得たものだという。
 もうひとつは、サウス・ケイコス島のラグーンに、世界中のマリンランドなどで働いていた年老いたイルカたちを集め、彼らの憩いの場所となるようなリタイアメント・ホーム(老人ならぬ老魚ホーム)をつくりたいというものだった。
 彼はインタビューでこんなことを言っている。
「若い頃、私は島のように大きな鯨の夢をよく見ました。鯨の上に私が乗っている夢です。でもその夢は現実として、今でもあります。世界で一番大きなクジラとダイビングすることです。それをするまでは死にたくないですね」
 海の賢者と陸の支配者をつなぐ偉大なふたりのシャーマン、ジョン・C・リリー、ジャック・マイヨールがともに死んだ。
 誰よりも呼吸の奥義を極めたジャックが首つり自殺という「窒息死」を選んだのは偶然ではないかもしれない。
 まるで人類の未来を象徴するような悲惨な結末だ。ジャックという先達によって希望を見いだしたオレたちは「やっぱりだめなんだ」という絶望に突き落とされる。
 それでも、それでも、まだ一条の光は残っている。
 陽気なエロじじいが、わざわざ窒息死というギャグを選んでまで伝えたかったメッセージとはなにか?
「おまえらの出番だ」
 独断と偏見、ほとんどこじつけかもしれないが、オレにはジャックがこう言ってるように思えてならない。長嶋が原に監督をゆずったように、「カリスマの時代」は終わった。ひとりひとりがジャックの意志を継ぎ、自分自身を変えていかないと、集団自殺は目の前に迫っている。
 オレたちは地球の海から進化し、子宮の海から生まれてきた。
「一刻も早く母親の首を締めるのをやめないと、こうなるぜ」
 とジャックは自分の名声を台なしにしてまで一世一代のギャグをぶちかましてくれた。
 そんな気がする。

12月25日(火)
マヤ暦6月13日


 午前十一時。
 JR日光駅前のディスペンサーは、非情にもここ連日つづく「残高50円」を打ちだした。
 絶望に打ちひしがれながらも、オレは一世一代の賭けにでた。
 財布に残っている最後の千円札で宇都宮行き七百二十円の切符を買ったのだ。三百八十円のおつりでは、帰りの切符は買えない。
 「アヤワスカ!」の印税は先週振り込まれるはずだった。しかしオレが口座番号をまちがえたために、トラブった。そこへこの三連休が追い討ちをかける。連休明けの今日こそ悲願の印税七十万円が振り込まれるはずだ。
 担当編集者の綾木さんはちゃんと経理に念を押してくれたはずだ。「一刻も早くこの作家に振り込まないと生死にかかわると」。しかし経理がコロッと忘れたり、急に産気づいたりという非常事態もありうる。
 困るのは、明日の忘年会に行く電車賃がない。現時点ではタケちゃんの車がだせるかどうかもわからない。主催者がいない忘年会は崩壊するだろう。
 オレにだって夢はある。
 栃木のベストラーメンというホームページで物議をかもしだした宇都宮の「どる屋」で「焼き豚ラーメン三枚入り」を食べることだ。あっ、これがメインじゃなかった。
 キャッシングなどでたまった二十五万円の借金を、セゾンカードのカウンターにいる美女のほほを札束で張り飛ばし、椅子に片ひざをのせ、「びた一文残さず、払ってやるぜ」と万札を宙に撒く。つんととりすましていた美女たちが四つんばいで尻を振りながら札を集めるのだ。
 そして午後一時。
 アヤワスカの精霊アヤちゃんは、粋なクリスマスプレゼントをしてくれた。
 宇都宮東武デパート一階にあるキャッシュディスペンサーで照会すると、残高50円が、700000円になっていたではないかいの!
 「ジンゴーベー、ジンゴーベー」と思わず歌いながらドアをでた。つぎのおばちゃんも、「ジンゴーベー、ジンゴーベー」、列に並ぶ女子高生も、「ジンゴーベー、ジンゴーベー」、スキップで遠ざかっていくオレの後ろ姿をいぶかしげに見送っている。
 東武デパートの四階でオランダ製巻きたばこ「ドラム」を五個まとめて買った。昨日の昼からなにも食べていないオレにとって、鳥取県境港産の鯛でダシをとったどる屋の「焼き豚ラーメン三枚入り」は天国の味だった。西武のセゾンカウンターで札束を張るはずだったが、「引き落としの口座に入れておいてください」と涙を呑んだ。
 貧乏人は大金を手にすると、すべて使ってしまいたくなる。このままJTBのオフィスに飛び込んでメキシコ行きのチケットを買ってしまおうとも思ったが、こらえた。つぎの本がでるまで年収七十万で暮らさなければならない。

 ところで、不審船が自爆した。
 北朝鮮でもイスラム原理主義でもカミカゼでも、信じるもののために死ねることはすごい。「お金」以外の神が世界中にはいっぱいいるのだ。
 伊藤竜太さんのメールを転載する。

 昨日は雨宮処凛主催の、よど号3人娘トークイベントに行ってきました。
 彼女たちが生身で体験してきた北朝鮮は、彼女の姿と言葉から感じる限りでは、マスコミが日ごろ伝えているような非人間的な酷い国家ではなく、国家政策の誤りは多々あるにせよ民衆レベルでは愛があり、思いやりがあり、人と人とが助け合って生きる平和の国であるように思われました。
 つまり、国家としては「危険思想」を持った独善的な組織であるとしても、そこに住む民衆はあくまで「人間」であり、貧しくとも隣人を忘れずに精一杯生きているのではないでしょうか。
 アフガニスタンも同様でしょう。もちろん悪い人もいるだろうし、不当な逮捕・拷問などは挙げればキリがないでしょうが、それよりももっと日本の警察・公安のやっていることのほうが汚く、人間として恥ずべきものであるということが、今回のイベントを通じて感じられました。
 北朝鮮人=悪い奴 とか 北朝鮮の民衆=可哀相 という短絡的発想は傲慢でしかない。
 いちばん目から鱗だったのは、「日本ではお金がないと生きて行けない。日本に来て、嗚呼こういうことなのかって初めて分かりました」という言葉だった。
 北朝鮮ではお金のために働くという感覚はあまりないようで、何かのために尽くして生き甲斐を感じることが労働の目的だそうです。貧しくて物資はなくても、生きるための最低限のものは保証されているそうです。
 なんと健全なのでしょう!
  日本人はお金の奴隷で、人間のためにお金があるはずなのに、お金のために人間がすべてを犠牲にして働いている。宗教のために人を殺す狂った信仰と同じです。
 正しいもの、を取り戻したいと想います。

12月26日(水)
マヤ暦6月14日


 はじめてakiranamaniaが主宰する合同オフ忘年会は、大成功に終わった。
 椅子やテーブルを屋上にあげ、ひとりでも多くの人が入れるようにしたが、超満員のスタンディングで、Boxing Lee's Cafeはじまって以来の記録だそうだ。
 オレたちは夕方四時に到着し、セッティングをはじめる。
 おけいこ掲示板でおなじみのかこちゃんが登場。額入りのヌードや「ギョウザ」「足の裏」「眠るお父さん」などの爆笑絵画がコメントつきで展示される。ついで織田裕二似のヤハタヒロシ君が「Tokyo theater」という連作写真をとなりの壁にはる。
 夜六時に開場し、続々と人がやってくる。みんなウェブじょうでやりとりしてはいても、顔を合わせるのははじめてだ。「えー、こんな人だったんだ」とうれしくなってしまう。とくに十歳の天才少年山岸ひろぴーがお母さんといっしょにやってきてくれたのには驚いた。ちっちゃくて、シャイで、聡明な瞳をキラキラさせている。いっしょにいるだけで幸せになるような「風の子ひろぴー」だった。
 七時半、AKIRA + TAKEの演奏でライブの幕は開ける。
 いきなり二十分にもおよぶ「おまえの舌苔を陽にさらせ」、スウィートな「Rhapsody in Blue」、般若心経いりの「南無邪華法蛇花夢」、新しいCDにもはいっている「Holy night」を歌った。
 スペシャルゲスト山川健一兄貴がふたりの美人編集者(文学メルマ)をともなってあらわれる。茶色い皮パンに白髪交じりの長髪、不良少年がそのまま大人になったようにルーディーだ。ストーンズやクラプトンがカバーした「リトル・レッド・ルースター」をはじめ、しぶいデルタブルースを熱唱してくれた。とくに挑発的にスウィングするブルースハープは、山川さんの本業である小説のグルーブ感そのものだった。
 人気ホームページ電脳風月堂を主宰するビート詩人江守純史さんが「チベタン・レッスン」という詩を、boxingleeマスターのバッキングで、リーディングした。ヒマラヤの峰々が浮かび上がるような壮大な詩だった。言葉によって目に見えない風景をたちあげられる詩人はそういるものではない。
 つぎはオレのお目当てのプラズマ11だ。九十年代日本のアンダーグラウンドシーンを圧巻した女性パンクバンド「10円あなきのこ」とは長いつきあいだ。九十五年にニューヨークのニッティングファクトリーでジョン・ゾーンと共演したライブも見に行っている。全米ツアーで成功をおさめた10円あなきのこは、アメリカに残った聖子率いるゼラチンと日本に帰っただっちゃん率いるプラズマ11に分裂する。六年ぶりに再会しただっちゃんは、ニューアルバム「天気雨」のなかから三曲と往年のヒット曲「ロケット」をやってくれた。
 奇想天外な作品を発表するアーティストMichelleは「おっぱいプリン」のプロモーションビデオを上映するはずが、まちがえて編集前のメイキングバージョンをもってきてしまった。どこまでも大ボケである。
 加納秀一さんはひさびさのステージで少々緊張していたが、かつて「ショーコーマーチ」を歌った美しいヴォーカルは健在だ。「仏教ポップ」と呼ばれるオリジナル曲「輪廻」はオレがピアノを弾き、「変容」「発願」「菩提心」をギターで伴奏した。
 飛び入り出演した詩人梅野いずみさんのリーディングは観客を引きつけてはなさない魅力にあふれていた。アフリカン・ドラムで伴奏を務めた佐々木 薫さんは、グレイトフルデッドのドラマー・ミッキー・ハートの名著「ドラム・マジック」の翻訳者だというすごいコンビだ。
 原田眞人監督「突入せよ!あさま山荘事件」に役所広司、宇崎竜童、などとともに出演するジーコ内山さんのウルトラマンギャグは最高だった。
「たいへんです隊長、エレキングが出現しました!」
「おまえ、なんではじめて現れた怪獣の名前知ってんだ?」
 スキンヘッドに坊主の袈裟を着て熱唱する「となりはイスラム」もバカ受けしていた。
 コラムニスト伊藤竜太さんが作曲し、奥さんの厚子ちゃんが歌う不思議曲「サーカス」も傑作だった。近々CDが発売される。
 マスターのboxingleeとフリージャズギターJINGさんのインプロビゼーションは四十分にもわたる熱演を見せてくれた。
 ニューアルバムも発売されたテーゼ高橋さんは、真にオリジナリティーを備えたミュージシャンだ。「ニッポン人はがんばれよ!」と弦の切れたギターでシャウトする姿はド迫力ものだった。
 作家の友人素樹文生や野中柊ちゃん、「風の子レラ」の編集者平井拓ボン、エッセイストの上野さんも別の忘年会があるのにかけつけてくれた。アマゾンコムで「アヤワスカ」の書評を書いてくれた文月さんが来てくれたのはうれしい。
来月「暴力恋愛」と「自殺のコスト」を出版する雨宮処凛ちゃんと「新しい神様」の映画監督土屋さんもひさびさの再会だ。田口ランディーさんとの対談は一月十四日に延期になったが、小説現代の編集者高橋さん(早稲田の冒険部出身)が終わりぎわに来てくれたので、三曲ほど歌うことにする。
 「ポツリ」、「Take me to the war」、「Reincarnation」を歌い終わるころには深夜二時になっていた。

12月27日(木)
マヤ暦6月15日

 近くの白木屋にうつした二次会にもたくさんの人が来た。
 わざわざサンフランシスコからやってきたナオちゃんはバークレーで平和運動にたずさわっている。日米の先端で起こっているさまざまな情報を交換した。
 朝の五時まで宴会はつづき、Boxingleeのマスターから三次会のカラオケに誘われたが、さすがに体力の限界。
 タケちゃんの眠る駐車場にもどり、一時間ほど仮眠をとったあと、日光へむかった。
 いつ居眠り運転で死んでもおかしくないのに、「温泉へ行こう」ということになり、日光をとおりこして足尾の「かじか荘」で露天風呂につかった。何度も湯船で眠りこけ、ずるっと水中に落ちて溺死しそうになる。
 日光にこもっているオレには、一年分の出会いを一日でしたようなもんだ。
 荻窪の繁華街から大自然の露天風呂、目一杯人を楽しませてから自分自身を思いっきり解放させてやる。
 人生は振り幅が大きければ大きいほど、楽しい。

12月28日(金)
マヤ暦6月16日


 おとといのオフ会では色々な人たちと話した。
 こんなにたくさんの人たちと話すのは、四年前に渋谷EDGEでやった「COTTON 100% 」出版記念パーティー「血のサイン会」以来だ。
 十歳の小学生、山岸高大君(ひろぴー)と話しているときだった。
 小柄で恥ずかしがり屋の高大君をハグ(Huging=抱く)した瞬間、うしろに連なる祖先たちがトランプのカードのように少しづつずれながら見えた気がした。
 目の錯覚か、思い過ごしかもしれないけど、そう思えた瞬間を大切にしたい。
 ひろぴーだけじゃない。あの夜、片言でも言葉を交した人のうしろに祖先たちの存在を感じた。
 それって今までにない感覚だ。
 オレもかなり疲れていたし、みんなとどんな会話をしたか憶えてない。でも不思議な感覚だけは実感として残っている。
 オレは目の前にいる人と会話してるのに、その奥にある「魂」に語りかけてる感じ。実際会話してる本人同士じゃなくて、オレと君っていう、とりあえず今生きているマリオネット(操り人形)を使って祖先同士が楽しんでる感じだ。
 アイヌのカムノミ(神様への祈り)は基本的に男だけでおこない、イチャルパ(先祖供養)は女だけでおこなう。男はアイヌ(人間)だから神にいのり、女はカムイ(神)に近い存在なので人間の祖先に祈る。
 七百万年もの昔、森の中で、洞窟の中で、浜辺で、愛しあった祖先たち。連綿と受け継がれてきた愛の営みによってオレたちは今ここにいる。
 すべての出会いは「奇跡」だ。
 どんなにささやかな会話でも、その人のうしろにいる祖先たちに語りかけるように、大切にしようと思う。 

12月29日(土)
マヤ暦6月17日


 アメリカというガキ大将のしり馬に乗って、イスラエルという影の番長まで好き放題やっている。
 食料にもこと欠き、暖房の石油も自動車のガソリンもない難民キャンプを、イスラエル軍はアメリカ製の武器ー戦闘用ヘリコプター、戦車、ロケット砲ーを総動員して攻撃している。
 石を投げる子どもはマシンガンで射殺され、五人の子どもが不発弾をなにげなくけっとばして爆死する。
 「自治区」とは名ばかりで、難民キャンプを見下ろす丘の頂には、イスラエル軍の銃口が二十四時間、パレスチナ人を狙っているという。

 人口百万人のガザ地区には1万人以上の聴覚障害者がいる。ただでさえきびしい閉鎖状況で、障害を持つ子どもたちが通える学校などなかった。
 アメリカ生まれの女性ジェリー・シャワさんは、一九九二年に「アトファルナろう学校」を設立した。「アトファルナ」とは、アラビア語で「私たちの子どもたち」という意味だ。
 当時は三歳から十一歳までの二十七人の子どもたちと九人のスタッフではじまった。九十七年には、生徒数は百二十人、日本人ボランティアをふくむスタッフは二十六人になった。
 「社会のお荷物」として扱われていた子どもたちが、手話や文字や絵を使って自分を表現する。 現在では職業訓練としての木工・調理のクラスも軌道に乗り、六百人以上の子どもたちがアトファルナへの入学を待っているという。

 十一月二十一日の空爆にさらされた子どもたちが、翌朝手話で語ったこと。

サリーム・エル・ズク(九歳)
「僕は夜が大嫌いです。だってイスラエル兵が家にやってきて、僕たちみんなを撃ち殺してしまうかもしれないし、僕には兵士が入ってくるのすら聞こえないのですから。それを考えると眠れません。昨日の夜、停電になった時はとても恐かったです。空には火が見えましたし、その後、僕の身体を揺さぶるような大きな衝撃をを感じたのです 」

ホロウド・エル・マスリ(十歳)
恐い夢を見るのはしょちゅうです。昨日の夜は眠ってしまわないように頑張りました。だって、ロケット弾が私たちの家に撃ち込まれたら走って逃げようと思っていたからです。イスラエル軍は、パレスチナ人の子どもが嫌いみたいです。だって、私たちを撃つんですもの。私はいつも泣きそうになってしまいます」

 山岸ひろぴーが「海亀広場」に書き込んだ日本人ボランティアのレポートを転載します。(ひろぴーが活躍する宮内勝典さんの「海亀広場」は、みんな毎日チェックするように)

 12月3日4日とパレスチナのガザ地区はイスラエル軍の空爆をうけました。
 4日の爆撃では死者2名負傷者は数百人に上まわると言われています。
 空爆は住宅地でおこり学校下校中の子供を巻き添えにし亡くなったのは子供たちです。1回目の空爆で負傷者を救助するために救急車や人々が集まったところに2回目の爆弾が落ちたということです。
 私たちが運営しているアトファルナろう学校にもミサイルの破片が飛び込んできました。幸い生徒たちはみな校舎にいたので無事でしたが学校の窓ガラスにはひびがはいり子供たちは校舎の地下に避難しました。
 停電もし真っ暗な地下室で聴覚障害の子供たちはパニックになって泣きだしました。また私たちの一人も爆撃現場にいあわせ爆風で飛ばされましたが幸いに怪我はありませんでした。
 一昨年からガザ上空はF15、16戦闘機やヘリコプターが旋回し人々は不安の中で暮らしています。そして夜には停電が続き人々の不安感を掻き立てます。百万人以上が住むガザは一年以上にわたって封鎖され閉塞的な状況で人々はどこにも逃げることはできません。
 また東京二三区程度の面積のガザでは自治が始まったとはいえ土地の45%以上がイスラエルの入植地や軍事施設として占領されたままです。
 入植地には数千人のイスラエル人が住んでいますが例えばこれらの入植者が使用する水の量は百万人以上のパレスチナ人全体の水の使用量と同じというような大きな差別が存在し、入植地周辺では近隣のパレスチナ人の家屋や農地が無残に破壊され数千人が家を失っています。
 こうした人権状況のなかで行なわれる空爆は平和を望み地道な生活を築こうとしている多くの市民の努力を無にしガザの人々に絶望感、無力感をもたらしています。その結果生きていても死んでいても同じというような希望のない状況が自爆テロなどを生む土壌になっています。
 ガザの子供たちはこういっています。
「父が仕事をつぎつぎと変えなければいけないことやガザ地区はイスラエルに占領されていることを日本のみなさんが知ってくれるといい」ムハンマド君。
「パレスチナに多くのパレスチナ人が今も暮らしていることを忘れないでほしい」ハマーさん。
「日本の子供たちは幸せでうらやましい」マリヤムさん。
 先生は「みんなの声は必ず日本に届きパレスチナの子供たちも日本の子供と同じくらい幸せになれる日が必ずくるんだよ」と子供たちに話しました。

               ※

 明るいニュースも届けておこう。

 エルサレムで28日、イスラエルとパレスチナの双方の団体が参加した平和行進があり、1万人が参加した。エルサレム中心部から旧市街のヤファア門までの行進では「占領終結」「平和共存を」と書いたヘブライ語とアラビア語の横断幕、看板が交じって掲げられていた。
 女性団体の主催で、参加13団体の中には、パレスチナ人を抑圧する軍隊には参加しないと9月に兵役拒否を宣言した10代のグループも初めて公式に名を連ねた。メンバーの一人、ハガイ・マタル君(18)は「軍隊は国民の義務という意識はまだ強いけれども、私たちがノーと言ったことで、平和や軍隊について考え始めている若者は増えている」と語った。(朝日コム)

 くわしくはこのサイトを見てください。子どもたちの描いた絵は胸を打ちます。
アトファルナからのメッセージ


12月30日(日)
マヤ暦6月18日

 イスラエルの別名シオンの地にユダヤ人国家を建設しようという運動をシオニズムという。オーストリアのユダヤ系ジャーナリスト、セオドール・ヘルツルが提唱し、一九四七年に国連の保護のもと、パレスチナ分割がおこなわれた。翌一九四八年五月十四日、イスラエルは一方的に独立宣言した。
 イスラエルの建国の日をパレスチナ難民は「破局の日」と呼んでいる。当時のユダヤ人はわずか七パーセントの土地しか所有していなかった。
 シオニストたちは圧倒的な軍事力でパレスチナ人の土地を略奪していった。イスラエル建国以前には四百七十五あったパレスチナ人の村が徹底的に破壊され、残ったのはたった九十の村のみだった。
 パイパー機から小麦畑に枯葉剤を撒かれ、農民たちは土地を捨てて難民化する。家屋や墓石までブルドーザーでつぶされ、そこに入植するユダヤ人は、「ここははじめから砂漠だった」と聞かされるという。少しでも反対する者は残酷な拷問にかけられ、発狂もしくは廃人となった。
 ヒットラーのファシズムから逃れてきたユダヤ人が、パレスチナ人に対して同じことをしてしまう。「ファッシズム」の語源はイタリア語の「ファッシオ」からきていて、「束」という意味である。ヒットラーもシオニストも歴史上くり返されてきたすべての悲劇の根源はここにある。自分と同じ痛みを感じる人間を「束」として「群れ」として見てしまうことだ。
 だからユダヤ人全員が悪いのではないということだけは忘れてはならない。ユダヤ人もパレスチナ人もすべての貧困者も「犠牲者」である。
 広瀬隆が書いた「赤い盾」(集英社文庫)という本がある。この本のおかげで彼は危険人物と見なされ、官憲の監視下におかれている。海外で働く駐在員には必読の書とされ、ベストセラーになった。
 内容はいかに世界中の資本がロスチャイルド一族に独占されたいたかということを膨大な家系図から検証する暴露本である。
 ロスチャイルド家は十九世紀から現在までヨーロッパの金融界を国際的に支配しているユダヤ系財閥である。
 ロスチャイルド家の起源は、ドイツのヴィルヘルム九世の宮廷銀行家であり両替商アムシェル・マイヤーの家紋「赤い盾」に由来する。
 ナポレオンの時代に、長男アムシェルがドイツ、次男ザロモンがオーストリア、三男ネーサンがイギリス、四男カールがイタリア、五男ジェイムスがフランスへと分家した。
 一族は政略結婚によってヨーロッパの有力者を手中に収め、政治と金融を支配する巨大シンジケートをつくりあげる。
 日露戦争では日本がイギリスのロスチャイルド家から、ロシアがフランスのロスチャイルド家から、軍資金の援助をえていた。スエズ運河の購入資金を融資し、イスラエルを建国し、最近では日本の長銀をつぶした。アメリカ同時多発テロで大儲けした金融界のドン、ゴールドスミスもこの家系だ。
 政治と金融だけでなく、軍事産業、石油資本、原発、マスコミ、世界の主要機関はこの家系によって掌握されている。
 この話を知ると、みんな鬼の首でもとったのように「すべてはユダヤの陰謀だ」と吹聴してまわる。そして「なにをやっても無駄なんだ」と悲観する。
 オレは世界を完全肯定する。
 今あるのもはオレたちが欲したから存在する。いわば一族が世界を支配するシステムをつくりあげたのはオレたち自身だ。そして必要のないものを消せるのもオレたち自身だ。
 彼らだって同じ人間だ。ひたすら金を抱え込んだり、戦争を操って儲けるのにあきる日が来る。時代の価値基準が変われば、「カッコ悪い」ことに気づくだろう。
 甘いとか青いとか言われても、オレは人間を信じる。
 オレだって変わったんだから、やつらだって変わるさ。


※イスラエルのペレス外相は十一月十五日、国連総会で演説し、「イスラエル政府の公式の立場にはまだなっていないが、パレスチナの独立、パレスチナ国家(の創設)に対する支持が、イスラエル人の間にある」と述べ、パレスチナ国家の創設を認める可能性を国連の場で初めて示した。イスラエルの中で穏健派の外相は演説後、記者団に対し「私個人の見解を述べたが、多くのイスラエル人の気持ちでもある。これ以外に問題の解決策はない」と語った。

※イスラエルのシャロン首相は、八〇年代の初めにレバノンのシャティーラでパレスチナ難民の大虐殺をおこなった国防相だ。彼を国連の場で裁判にかけようという動きもはじまっている。(http://www.petitiononline.com/warcrime/署名はアルファベットで名前とメールアドレスをいれるだけ)

12月31日(月)
マヤ暦6月19日

 激動の一年だった。
 オレの10大ニュース。
 1  二月、iBookや周辺機器一式を太田さんからプレゼントされ、ホームページづくりをはじめる。
 2  四月、akiramania完成。「天の邪鬼主義」日記を書きはじめる。
 3  四月、paperbackに「ケチャップ」連載開始。
 4  五月、日本山妙法寺成田道場の仏舎利塔落成記念ライブ。尼僧ジュンさんから黒人死刑囚ムミアの話を聞く。
 5  七月、電脳風月堂主宰ポエトリーリーディングライブ。
 6  七月、新潟県奥只見の源流で原始生活。
 7  七月、革命導火線前夜ライブ。
 8  七月、ホゼ・アグエイアスと再会。
 9  七月、素樹ファミリーと中禅寺湖畔にてキャンプ。
 10 八月、「風の子レラ」発売。
 あれ、10じゃおさまりきれないや。
 11 八月、アイヌモシリ一万年祭に参加。チュプばあちゃんこと康子さんガンから生還。
 12 九月、ハワイの先住民たちやきくちゆみさんと森田玄さんと出会う。
 13 九月、NY貿易センターで従弟が被爆。
 14 十月、ADSL開通。
 15 十月、マレーシアのサワラク先住民と出会う。
 16 十一月、中村哲医師講演会。
 17 十一月、ハワイの先住民「フラカヒコ」公演。ピースウォークの小林一朗さんたちと出会う。
 18 十二月、「アヤワスカ」発売。
 19 十二月、雪中野営訓練。
 20 十二月、akiramania初のオフ会。山川健一さんはじめ、たくさんの友と出会う。

 20大ニュースとは、えらいてんこ盛りだなあ。それだけ充実した一年だったということだ。
 世間でも、アメリカ同時多発テロ、アフガン戦争、パレスチナ攻撃、炭素菌事件、自衛隊派遣、狂牛病、大阪児童殺傷事件、バスジャック事件……。
 二十一世紀の明るい未来は裏切られ、ますます世界は崩壊にむかって疾走する。
 そこで落ち込む君、君、ちょいと顔をあげてごらん。
 戦争の悪いところばかり見がちだったけど、オレはこんなに考えた一年はなかったぞ。しんどくてしんどくて何度も放りだそうと思った。それでも、世界の輪郭をつかみたくて、わずかに残された希望をみんなに伝えたくて、毎日毎日この日記を書きつづけてきた。
 この日記はオレ一人が書いたものじゃない。みんながオレという天の邪鬼ロボットを操って書かせてくれたものだ。
 そっそっ、その操縦桿もっと強く握って。
 今年は心からイアイライケレ(ありがとう)。
 来年も夜路死久(よろしく)。


4月5月 6月 7月8月9月10月11月1月

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