| 第三章 ガンビア
ガンビアは川沿いに村が点在する小さな国だ。 両側をフランス領だったセネガルにはさまれている。もとイギリス領だったから英語を話す。 野良ワニを見た。 少し大きな村のはずれに沼があって、ワニがたくさん浮かんでいた。市場でさばいたあとの牛の臓物や売れ残った魚なんかをもってくるんで、ワニたちも安住している。でも柵なんかないし、プールじゃないから、ときどきえさの奪い合いに負けたやつが、のそのそ村まではい出してくる。ワニも心得たもので、台所の裏口などで昼寝しながら待ってる。不思議なことに、一度も人間が襲われたことはないという。 しかしなかには悪いワニもいる。 なんとも不思議なワニ男の話をしよう。 川をさかのぼった小さな村はお祭り騒ぎだった。一ヶ月ほど前からそこの川に人喰いワニがあらわれた。はじめの日は嵐でカヌーがひっくり返りそうになったときに川に落ちた赤ん坊が食われた。おそらくそれで味を覚えたんだろう。つぎからワニは太い尻尾をふりあげてカヌーを倒すようになった。ふたり目は、小さな女の子だ。村人は川を渡るのを恐がった。しかし川沿いに村がならぶガンビアでは舟に乗らなければ、食べ物も、薬も、服だって手に入らない。 ある日、若者が不思議な光景を目撃した。岸にあがったワニが物置小屋に入っていく。ふたたびドアがあいて出てきたのはマトゥンバという漁師だった。 マトゥンバはひどい人間嫌いで村の一番はずれに住んでいた。結婚でもすれば変わるかもしれないと、村長のはからいできれいな妻をめとった。その妻にほのかな恋心を抱いていた若者は、ときどき彼女をながめに村はずれまで行くんだ。 漁師がいなくなるのを待って、若者は小屋にかけよった。しかし中には大きな黒い瓶がひとつあるきりで、ワニの影も形もない。 若者はマトゥンバの妻にそれを知らせた。はじめは取り合わなかった妻も村長に説得される。妻と若者と村長でワニの帰りを待った。その日は結婚を控えていた若い娘が食われた。腹をふくらませたワニが鼻先でドアを開けた。壁はヤシの葉で編まれていたので、三人は指を突っこんでのぞき穴をつくった。ワニは黒い瓶のなかに入って水浴びをした。しかし瓶のなかから立ちあがったのは…… マトゥンバだったのだ! 妻は泣き出しそうな声で村長に語った。そういえばマトゥンバは、ときどき腹がいっぱいだと言って二日もご飯を食べないことがあるという。 つぎの日マトゥンバのあとを追いかけて、また小屋をのぞいた。マトゥンバが瓶にはいり、ワニが出てきた。まちがいない、人喰いワニの正体はマトゥンバだったんだ。ワニが川にはいったのを見届けると、村長が黒い瓶を割った。飛び散った水が村長の足にかかった。 村長の号令で村人が集められた。牛を屠殺するときの棍棒やシャベルを持ってみんなは薮にひそんだ。 日も傾きはじめる頃、ワニがもどってきた。 小屋の中からおぞましいうめき声が上がる。 踏みこんでいった村人たちが恐ろしい風景を目撃してしまった。 割れたかめの底にわずかに残った水に体をすりつけ、もがいていたのは、 上半身が人間、下半身がワニのままの化け物だった! 村人たちがいっせいに襲いかかって殴り殺し、川に捨ててしまったんだ。 「す、捨てちゃったんですか?」僕は村長に訊いた。 「あたりまえじゃ、あんなもんとっといたら、祟られるぞ」 「生け捕りとか剥製にすれば、モーターボートが百台くらい買えたのに」 村長は僕の言っている意味さえわかっていない。 「だいいち、作り話じゃないんですか?」 「どうして旅行者は、そう疑り深いんじゃ。うそだと思うんなら村人全員に訊くがいい。ほれ、これが証拠じゃ」 村長は茶色い蛇の模様が描かれた民族衣装のすそをまくりあげた。足首のあたりが赤く腫れあがり、皮膚が灰色に固まりかけてる。あの水がかかったところだ。 僕は一日おくれでこの村に着いたことが、幸運なのか、不運なのか、わからなくなった」 書 拝啓、マダム呪々様。 暑さもやはらみ一雨ごとに秋めひてまひりましたが、尊師ますます御健勝のことと御慶び申し上げます。 つきましては長年にわたる怨情あふれる御指導のもと、拙者も数々の呪々を身につけ、三十一年にわたる長い夏を終了いたしました。 今後これらの闇の力を使い、美女を猿に変え、蛇に翼をつけ、空を焦がし、海を枯らし、一意専心、二度ともらい乳はすまいと肝に銘じております。 時節柄、いっそう御自慰の程お祈り申し上げます。 八月十九日 敬愚 幸 ほんもりと ただほんもりと こうして宙に浮かんでる 地を歩くには靴がなく 空を飛ぶには翼がない ときどき鼻毛を抜いては涙ぐんだり 将来の不安に笑ってみたりする だからカモメよお願いだ 少女が手放した風船は 見えなくなるまで突っつかないで ゆんむりと ただゆんむりと こうして海につかってる 魚になるにはヒレがなく 船に乗るには金がない ときどきサメに恐喝されたり クジラのお腹に住むゼペットじいさんを訪ねたりする だからロビンソンクルーソーよお願いだ 浜辺に打ち上げられた空き瓶を もう一度海に放っておくれ お茶漬けも コタツも 明るい家庭設計もないが 音楽と ヤシ酒と マンゴがあって かわいいライオンも横にいる ときどき首筋のモスキートをつぶしながら トカゲの腕立て伏せを数えていたりする 時がそよ風のように通りすぎてゆくので 自分が少年だったか 老人だったか わからなくなってしまう 幸福は 硬い硬いココナッツのなかで眠っている 花 道ばたに見つけた一輪の花 摘みとろうと引き返せば 場所もわからず ひとり立ち迷う夕暮れ 遠い記憶の一本道を 通りすぎていく様々な影たち 臭いたつ肌 ギラつく目玉 からみつく髪 それらはいまだに ほこりを立て 汗を流し 行きつもどりつ消えてゆく 燃え上がった怒りも 煮え立った涙も はやとうに静まり 引き潮に打ち上げられた 貝殻だけが残った それは誰ひとり拾いあげるものもなく ひっそりと、ただひっそりと 日々に洗われつづける いつか眠りの訪れるまで 愛しさよ 脳髄の内壁に描かれた狩猟の図 厳かな婚礼 それらは幾千年の雨風にさらされ 指先だけが遠い過去をまさぐる 消えゆけばなお 鮮やかさをます色彩 天空にそびえ立つ巨大な墓標 白い大理石に刻まれた戦死者たちの群 送り出した笑顔 差し伸べた握手 すれちがう視線 一瞬の出会いとともに 無数の兵士が消え去ってゆく いつか眠りの訪れるまで 天命よ 深紅の絨毯は神殿へとつづく 道ばたに手を伸ばす乞食 うごめく病人 すきをうかがう盗人 こびを売る娼婦 尻をめくる少年 数々の祝福に見送られながら オレは舟をすすめる 血液の大河はゆっくりとうねり オレを海へ 遠い昔オレが生まれ落ちたあの海へと 連れもどしてゆく いつか眠りの訪れるとき 見上げれば空一面降り注ぐ花、花、花! 夏 さらさらと洗いたてのシーツに身をくるみ 夜風にざわめくヤシの葉をながめている シャワーあがりの髪からこぼれ落ちる滴を 潮風がそっとふりほどく もうなにも憶えてはいない もうなにも思い出すことはない 季節が二度とくり返さないことは 子どものころから知っている 夏は今ゆったりと柩に横たわり 浜辺に積まれた薪にぼくはそっと火をつける 疲れ切った、それでいて満足そうな人々の顔を照らし出す炎は 思い出が散らばる夜空を焼き焦がす ふりかえれば足あとは波に洗われ 見上げればまたひとつ星が消えていく 時がひと刻みごとに生まれ死んでいくことは あの蟻の葬列に訊ねればよい |