スカトロART、恐怖の制作過程

スカトロアート大全展のための巨大作品を制作するのに、宇都宮市郊外にある閉鎖された工場を見に行った。
オーナーである福田氏は、いたずらっ子のように目を輝かせてオレを案内する。田んぼの中にポツンとたたずむ建物の外見は、当時強制捜査が入った上九一色村のサティアンそっくりだ。平屋だが20mX10mほどのスペースは十分ある。
福田氏はいきなり床板をはずしはじめた。
2本のほうきと凧糸をもって、ついて来いとオレを呼ぶ。くさりかけた鉄の階段を、懐中電灯の明かりをたよりに降りていく。ここは最近まで大谷石の採石場で、地下に3階建てのビルほどの空洞が開いていた。地下水の中に没した階段にゴムボートがつないである。福田氏は凧糸を手すりに結びつけながら言った。「中が迷路になっていて、こうしないと永遠に帰れなくなるから」
暗闇の中をボートは進んでいった。
オールの代わりにしたほうきがたてる水音のほかには何も聞こえない。かなり広いスペースに来たところでボートを止め、懐中電灯を消す。完全なる闇、完全なる無音、そこには恐怖を通 り越した安らぎがあった。
なぜかオレは地下に縁がある。イーストヴィレッジやブルックリンやマドリッドでも住んでいたのは地下室だ。地下室は夏涼しくて冬暖かい。地上の世界と遮断されてるせいか、作品に集中できる。ある意味でアンダーグラウンドは創作の子宮なのかも知れない。

つぎの週からさっそく制作を開始した。
電気もガスも水道も止まっているので、水をつめた18リットルのポリタンク2つ、カセットガスコンロ、ろうそくと懐中電灯、夏用の寝袋、カップラーメン、安ワインなどを運びこんだ。
オレはロールになった6mX2mのキャンヴァスを床に広げた。
東急ハンズ渋谷店(新宿店はジャンキーが多いために、針の先が直角に切り下ろしてあるのしか売ってない)で買いこんだ25ccのセメダイン用注射器で、自分の血を抜きはじめる。4本(10cc)ほど抜いたところでキャンヴァスに描きはじめた。
ダメだ!10ccなんてあっと言う間に終わってしまう。6mX2mのほかに6mX6mの大作が待っている。2つの作品を完成するには少なくても1リットルの血液が必要だ。こんなおもちゃみたいな注射器でオレは400回も自分の血管を破らなくちゃならないのかと思うと気が遠くなった。
注射器を打ち込む左手の親指にブレを感じた。網膜にはピストンのゴム底とシリンダーの間に2mmほどの空間が押しつぶされるのが写 っていた。脳よりも早く体が危険を察知したときには手遅れだった。小さな空気の固まりが静脈を押し広げ、血管の中におどり込んでくる。
しまった、空気が入った!」
体中をわずか2mmほどの気泡がかけめぐり、心臓がアンビュランスの救急車のようにけたたましい悲鳴を上げる。
灰色の折りたたみイスに背中をもたせ、両腕がダランとたれさがった。ひじの内側に突き刺さった注射器ははじかれたバネのように揺れ、ほこりのつもった床にコトリと落ちる。
人はこんなにつまんなく、死んでいくんだなぁ・・・
開け放った窓から緑の水田が夕闇に沈んでいく。蛙たちの合唱は鎮魂歌どころか、SPKのノイズミュージックそのものだ。
ガタッ。アルミサッシが鳴った。しめた!きっと福田さんが来てくれたんだ。オレを助けに来てくれたんだ。彼は真っ先に救急車を呼んでくれるだろう。まんざら神も捨てたもんじゃない!
うす暗闇の中に黒い影が動いた。人間の大きさじゃない。影はキャンヴァスの方へ近づいていき、うずくまる。
ぴしゃ、ぴしゃ、
何かをなめる音がする。
一匹の野良猫が窓から忍び入り、まだ生暖かいオレの血をなめていた。

まばゆい朝日にオレは目覚めた。強烈なかゆみが全身を襲う。不快なはずの蚊の刺し傷が、これほどうれしいことはない。そう、オレは“生きていたんだ!”
折りたたみイスで12時間も眠ったせいか首筋と腰が痛かったが、そんなことはどうでもいい。たしかにキャンヴァスの血は一部なめられたあとがあって、麻の編み目にドドメ色の血がすりこまれていた。
昨日見たホラー映画ばりの風景も、今日オレが生きていることも夢ではなかった。オレは体制を整え直すために、1時間に1本のローカルバスに乗り、宇都宮駅から東京に帰った。
吉祥寺駅前の献血勧誘員に聞いてみる。
「抜いた血を自分でもらうことはできませんか?」
20才そこそこの美少女は、オレをドラキュラか変態だと思って“完全無視”した。イエローページをめくりながら近くの病院にも電話してみた。
「1リットルほど血を抜いてもらうのに、いくらくらいかかりますか?」
受付嬢は丁寧な口調で「そういうご相談なら、こちらの方へ」と武蔵野市にある精神科の電話番号を教えてくれた。
オレは友人に片っ端から電話して、「看護婦の友だちいない?」と聞きまくった。友人の間でもオレが発狂したとのうわさが広まったらしい。
コロンビアから芸大に留学してる女性アーティスト・オギから電話があった。オギの友だちの日本人看護婦アキコが協力してくれると言う。おまけにオギがヴィデオをとり、ジャパンタイムスにつとめてる彼氏のイギリス人パトリックが写 真を撮ってくれると言う。

翌週の工場跡には白衣姿のアキコが立っていた。
オギがヴィデオでその姿を追い、パトリックがシャッターを切った。オレはビールケースを並べた簡易ベッドに横たわり右腕を看護婦に突き出す。看護婦は慣れた手つきで、アルコール消毒液をしみこませた脱脂綿でオレの静脈をぬ ぐう。看護婦はチューブにうす緑色のバタフライ(固定羽)のついた針を正確に刺しこみ、ゆっくりと何もなかったように血を抜いていく。オレは簡易ベッドに横たわったまま、先週の失敗談を話した。
「空気が入っちゃったんだ。1ccくらいだろうけど。それでオレパニックになっちゃったわけ」
看護婦は慎重にピストンを引きつつ、事務的に答えた。
「アウシュビッツの空気注射は100ccはいるわ。1ccの気泡ぐらい肺から自然にぬ けていくのよ。あなたの陥ったパニックは完全に精神的なものよ」
オレは誤った知識からひとりで滑稽な芝居を演じてた自分に赤くなった。
たったひとつの針穴から800ccの血液が抜き終わった。献血は200〜400ccだし、出血致死量 は2000ccだから1リットルくらい抜いたってどうってことない。

オレは5mX6mのキャンヴァスの上に大の字に寝て、これから描く絵のイメージをメディテーションした。
血液がかわかないうちに描きあげなくちゃなんない。
10万円もするキャンヴァスだ、失敗は許されない。オレは全身の神経をハリネズミのようにとがらせて、描きはじめる。注射器から血を噴出させ、左手でたたくように線を引く。注射器が詰まってきた。ヤバイ!もう固まりはじめたんだ。休むことなく2時間ぶっ続けで描きあげた。
最後にサインを入れた瞬間、いきなりめまいが襲ってきた。オレは真っ赤な手のひらを上に向けて、床に倒れた。800ccも抜いたあと、こんな激しい集中と運動をしたら誰だってこうなるわな。この途方もなくキチガイじみた作品を完成した今は、心から死んでもいいと思った。ア〜ァ・・・

数日後、シット・ペインティング(ウンコ絵画)にとりかかった。
スプラッタ・ペインティングほどの危険はないけど、制作状況はかなりきびしい。おとといから赤ワインを飲み、体内で天然絵の具(ウンコ)に色をつけておく。もちろんイカ墨スパゲッティーも試みたが、真っ黒になりすぎてリアル感がでない。その点赤ワインはえんじがかった焦げ茶色になり、気品のある天然絵の具ができる。昨日の2回分と今朝の一回分をポリバケツで混ぜ合わせた。老人介護用の消臭剤を混ぜると緑色になってしまうので、「やっぱナチュラルが一番」と混ぜものをやめた。
はっきり言ってオレはスカトロマニアではない。友人にはAVに出てる本物もいるが、オレは自分のウンコもアイドルのウンコも食いたいなんて思えない。
鼻の穴に脱脂綿をつめ、マスクの上にタオルをまいてもまだ臭い。「こんなにまでして、オレはいったい何をやっているんだ?」という疑問を振り払うように、便器用ブラシで描きはじめた。
便器用ブラシのタッチがイマイチなんで、手のひらで塗ったくった。
こうなったら“ヤケクソ”だぁー! 天然絵の具をむんずとつかみ、投げつけるように描いていく。もう鼻も常識も麻痺しちゃってるから、赤ちゃんかアルツハイマー老人のようにはしゃぎまわる。いい年こいた男がたったひとりで『コックさん』を大声で歌い、「ウヒョヒョー!」とか「ギャハハー!」とか笑いながらウンコまみれで絵を描く姿は、今思い出してもゾッとする。精神治療には役立つかも知れないが、このときのヴィデオ記録がないことは幸いだ。

そういえば後日談がある。コックさんを描きあげた翌日、福田氏かと思ってドアを開けると、おまわりさんが立っていた。
「すいません。近隣から通報があったもんで。ちょっと中を見せてもらっていいですか?」
栃木弁丸だしの中年のおまわりさんで、メガネの奥にしょぼしょぼした目がまたたいている。しかし気のいい村の駐在さんが目にしたものは、この世のものとは思えない壮絶な風景だった。
血まみれの注射器やティッシュがそこら中にころがり、明らかに腐乱死体から発せられる異臭が充満していた。
うっ!」
おまわりさんはしわくちゃになったハンカチで鼻を押さえ、嘔吐をこらえた。
実際に絵があったから
身の潔白を証明できたようなものだ。
どうやら通報の内容は「逃亡中の麻原彰晃に似た人物が、サティアンに似た無人の建物に出入りしてる」というものだった。

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