第二の故郷ニューヨークagain

往年のガールフレンド「江戸っ子芸者一代記」の中村喜春ちゃん(80歳)と再会。 あいかわらずチャキチャキで、チャーミングで、色っぽかった。ピザが好きで、曲がったことが嫌いな、人生の偉大なるおっ師匠さんだ。
喜春ちゃんのホームページは
http://www.mmjp.or.jp/bookshelf/kiharu.html


ニュニュニュニュニューヨークが死んじゃった!

ニューヨーカーやニューヨークファンから「テメーいーかげんなこと言ってんじゃねー!」って怒られそーだけど、いっちゃんつらいのはオレだぜ。たしかにオレはこの島国で生まれたけど、オレにアートっておもちゃと人の道を踏み外す生涯(障害)教育を与えたもうたのはアバズレビッチな育ての親ニューヨークだ。
20歳の誕生日をエンパイアステートビルの列びにあるYMCAでひとり祝って以来、ヨーロッパ、インドと住みかを探すんだけど、とうとう三年後ニューヨークに住み着いちゃう。「6ヶ月の観光ヴィザが切れたら帰って来るっす」って出ていったのはいいが、パスポートまで切れたまんま5年間の不法滞在。
80年代初頭のイーストヴィレッジは売れないアーティスト、ミュージシャン、アクター、ダンサー、詩人などのたまり場でキース・ヘイリングやバスキア、マドンナ、シンディー・ローパー、プリンスまで同じ街をうろついてた。
美術学校はおろか、アートのアの字も知らなかったオレまでその気になっちゃって、工事現場からはがしてきた板に絵を描き、TV、ドア、窓、石、トイレットシート、果 てはレストランのゴキブリまで作品にして、気がつきゃアーティストになっちまってた。
ソーホーにはメリー・ブーン、トニー・シャフラズィー、アニナ・ノセイなどの大ギャラリーがはばをきかせていたが、イーストヴィレッジには自主経営のギャラリーが数年の間に200軒以上もオープンする。それを代表する画廊主グレイシー・マンションは、初め自宅のバスルームで友人アーティストたちの展覧会を開いていた。みるみるうちに輪が広がり、ほんと小さなギャラリーをアヴェニューBにオープンする。ソーホーのギャラリーのような資本も大きなスペースもないが、独自の選択眼と若い才能を発掘しようとする情熱で一時代を築いちまう。 
フリークアウト五号のインタヴューで言ったように、金もコネもいらない完全実力社会。これぞ天下のニューヨークってんで、いつでも戻れるもんだと思ってた。
ととととととととところがだ、八年ぶりの里帰りでオレの見たものはギャラリーの一軒もないイーストヴィレッジだった。200が0だぜ!オレが驚くのも無理ねーだろ?いやいや、きっとどこかに移動したんだろうと聞いてはみたが、ただ単純に無くなっちまったんだとさ。
ソーホーのギャラリーさえ23丁目の10アヴェニューあたりに移動しつつあり、メリー・ブーンも57丁目への移転を考えているという。新人の発掘どころか、高い家賃を払うことさえままならない、ヒジョーにキビシー経済状況。
アンディー爺さんに奨学金もらって通ってたニューヨークアカデミーも廃校。バスキアと列んで買ってたヘロイン売場もどこへやら。フューチュラ2000と落書きした地下鉄もピッカピカ。アヴェニューアルファベットもハーレムもブルックリンもやけにクリーンになりやがって、都市の犯罪順位 もマイアミ、デトロイト、ワシントンDCなどに抜かれ10位に落ちただと?ちったあくやしかねーのかい!(なんのこっちゃ)オレはなあ、たしかに悪い子ちゃんだった。売人も泥棒も乞食もしたし(心から反省)何度もあんたに悪態ついた(キリリと小指を噛む)でもな、でもな(すすり泣き)愛していたんだぜ(むせび泣き)「ラヴァさ〜ん、カムバァ〜ク!」(一同もらい泣き)

アート王国ニューヨークは本当に死んじゃったのか?いや、オレはやつの恐ろしさを十分知っている。眠れる獅子の反撃に備えてオレたち東京アンダーグラウンドも、もっともっと熱いアートシーンを作っていかなぁいかんぜよ。
ニッティングファクトリーでジョン・ゾーンと共演した10円あなきのこのライヴはスゲかった。全曲日本語にもかかわらず、オッパイ丸だしで飛び回るセーコに観客は狂喜していた。ルインズ、メルツバウ、メルトバナナたちとのオムニバスCDが世界発売されるが
、灰野敬二、少年ナイフ、ボアダムス以来、日本のバンドが世界で注目されているのは当然の事実だ。ソニーとか何億もかけて世界に通 用しないバンド売り出すより、明らかに新時代の音楽を創りつつある日本のアンダーグラウンドシーンになぜ目を向けないんだろう?こりゃぁ不思議を通 り越して情けなくなってくる。
アーティスト側がいくら質の高い作品を作っても、中間に入るマスコミやレコード会社やギャラリーの意識が低いために、受け手に届く作品は「なで肩よい子」のみになっちまう。
今やこの国は最も高いアンダーグラウンドシーンと最も低いオーヴァーグラウンドシーンが共存する革命前夜となりつつある。
はっきし言って、オレたちは明らかに退屈してる。
もうTVもヘアヌードもテレクラもJリーグもパチンコタワーもダウンタウンもハリウッドムーヴィーもグルメもパッケージツアーもヴィトンもエルメスもグッチもヴィンテージ古着もBMWも携帯電話もポケベルもアイドルも渋谷系もテクノもエクスタシーも誰もオレたちを助けてはくれない。行き場を失くした集団無意識がオームなんて現象をつくっちまう。
マスメディアって飼い主はそりゃあもう親切そのもので、いろんなメニューの缶 詰からキャットニップまでつけてくれる。もちろんこの居心地のいいワンルームマンションで、情報に太った体をもてあましながら一生を終えるのもいいだろう。でもな、オレたちはたとえ飢え死にしようとも自分のエサは自分で探したいんだ。路地裏のゴミ袋をひっかきだし、魚の骨シャブりながらも、自分のおもちゃを見つけだしたいんだ。窓からながめてた風景は一枚の絵なんかじゃない。ほら、今こそ脱走の時だ。その窓の隙間から抜け出し、隣の屋根に飛び移れ!
おーげさに言うとさ、歴史も文明も退屈によって創られる。より早く退屈の飽和点に達した連中が「誰も面 白いもん創ってくんねーから、自分でやるわ」って次の時代を創ってゆくんだ。
50年代のアメリカを見てみろよ、今の日本とそっくりだぜ。あこがれのTV、電気掃除機、ホットシャワー、キャディラック、チューイングガム、缶 スープ、物はあふれかえってはいるもののイギリス人からはネクタイの結び方も知らない成金と罵られ、フランス人からはシャンパンをよいがぶ飲みする田舎者と蔑まれ、当時の経済大国アメリカは文化コンプレックスに悩んでいた。
その頃いちはやく路地裏へ逃げ出した野良猫どもがビートさ。やつらが60年代への橋渡しをすることによってヒッピームーヴメント、ドラッグカルチャー、ポップアートなど、アメリカが初めてヨーロッパから、1000年以上も続いた文化の中心をもぎ取る。
フランクにおおザッパな分け方をすると、15世紀のイタリア、16世紀のポルトガル、17世紀のスペイン、18世紀のフランス、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカと歴史のスポットライトはたえず移動してきた。21世紀のゆくへは?

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