東京だぜ、おっかさん

ボーイング707の車輪が、硬い滑走路にバウンドした。足をロープで縛られて馬に引きずり回される映画の場面 がふとよぎる。シートベルトが小刻みに震え、重力がきしみを上げてオレを地上へ引き下ろす。乗客から軽い拍手がおこり、無言の微笑みがかわされる。着地はいつも、ちょっぴり淋しい。

妹からの国際電話が鳴ったとき、マドリッド闘牛場の近くにあるオレの部屋はパーティーの真っ最中だった。スペイン人の中でもさらに陽気なアーティスト仲間は、頭に筆とペインティングナイフをつけ、赤いバスタオルで闘牛ごっこをしている。女の子たちはフラメンコのリズムで手拍子を打ちながら、「オーレ、オレ!」とはやし立てている。1リットル80ペセタ(120円)の安ワインとタンジール産の極上ハッシッシで、乱痴気騒ぎは最高潮に達していた。
「ババチョフ(母親のあだ名)が、胃ガンで入院したの。来週手術よ」

空港バスの窓からなつかしい街並みが近づいてくる。巨大な荒川を越え、美しい隅田川をわたり、緑あふれる皇居をまわりこむ。無数に立ち並ぶオフィスの窓の中で、この国の人々は人生の大半をすごす。
久々に東京の土を、いやアスファルトをふんだ。足もとから伝わってくる大地の鼓動は、工事現場の削岩ドリルだ。西新宿のビルの谷間から見上げた10月の空は、除菌クリーナーで磨き上げたようにどこまでも青く輝いていた。
5年ほど前にニューヨークから帰り、半年ほど日本ですごしたことがある。あのときはヨーロッパへの移住を決めていたし、日本のカルチャーシーンなんて頭っからバカにしてた。嵐のようなイーストヴィレッジのアートシーンでデビューし、ウォーホルやグッケンハイムから奨学金を受けていたオレは、うぬ ぼれの頂点にあった。
バブル絶頂の時期、個展で稼いだ金で、中国、パキスタン、イラン、トルコと陸路でヨーロッパに渡り、ギリシャ、イタリア、スペインに移り住んだ。もう、オレの放浪生活も10年になる。80年代の日本をオレはほとんど知らなかった。

母親の手術は成功したが、いつ転移するかわからない。しばらく腰を落ちつけて、作品を発表していこう。オレは軽い気持ちで、日本に“移住”することにした。
宇都宮で色々なイヴェントを手がけるプロデューサーが、宇都宮西武デパートでやっている絵画教室の講師の口を紹介してくれた。そこの偉い先生はオレの作品を見て言った。
「暗いなあ、君はアート界の主流を知らないね」
先生に連れて行かれたのはポスター売場で、「人に夢を与える絵を描かなくちゃね」と見せられたのがヒロ・ヤマガタとクリスチャン・ラッセンだった。
オレは“人に夢を与える”のをあきらめ、安定した就職口をていねいに断った。

電話帳のマヨネーズあえ

親友マサが石神井の家に居候させてくれるという。この家は両親が近くのマンションに引っ越したために、マサがひとりで住んでいた。古い木造の2階建てで、一階に6畳8畳キッチン風呂トイレ、2階に4畳半8畳広いベランダがある。ここをただで住まわしてもらえるなんてぜいたくな話だ。オレたちはこのボロ屋敷をスペイン風に“カーサ(家)石神井”と名づけた。
やがて吉祥寺でしゃぶしゃぶ屋の店長をしていたイケちゃんもころがりこんでくる。マサもイケちゃんも、マドリッドで知り合った放浪族だ。
マサはこの家で生まれ育ち、高校のときには“ミスター石神井”に選ばれた人気者である。クリクリお目々にがっしりボディー、おまけにトップクラスの成績とサッカー部のキャプテンとくりゃあモテないわけがない。しかしマサのオッチョコチョイは、それらの長所を全部たしてもかなわないほどスバラシかった。
生まれてはじめてのデートで「なんとしても腕を組まなくてはいけない!」と悩みに悩んだ末、気がついたら逆に腕を組んでしまっていた。つまりマサの腕の方が、後ろから女の子の腕にまわっていたのである。女の子がそれに気づいて腕を振りほどいたんで、マサはあわてて肩を組む作戦にした。石神井公園の腐りかけたベンチで、尺とり虫のように肩に手をまわしたマサは、なんとか相手をほめようとしてこう言ってしまった。
「君の肩って、とっても広いね」
女の子は手に持っていた『ぴあ』を丸めると、マサをはりとばして行ってしまった。
早稲田大学のサッカー部に入りエリートコースまっしぐらだったマサは、「世界を知りたい」と一年間休学する。そこで運悪くオレに出会ってしまうんだ。
モロッコの絨毯売りに有り金全部巻き上げられたマサは、帰りの旅費を稼ぐため一文無しでマドリッドにやってきた。オレが働いていたジャパニーズレストランでウエイターをはじめたマサは、完全にオレのマインドコントロールを受けてしまう。
「大学なんてやめちまえ!学校はこの地球だ。教科書はこの世界なんだ!」
ガテマラから、もうひとりの男が流れてきた。恐怖のハイテンション男、行け行けイケちゃんである。
小学校では新学期にもらった教科書をその場でビリビリに引き裂いてしまい、セロテープで貼り付けさせられた教科書は広辞苑のようにぶ厚くなってしまったという。スチール机の横についているフックでクラス中の鉛筆を折り、給食のゆで卵を窓から全部投げ捨ててしまう。算数のテストを白紙で出すのが悪いと思って、たった一言「わかんない」と書いた。つもりが、それもまちがっていて「はかんない」になっていた。通 信簿はいつもオール2のアヒルのマークが行進していたという。
しかしイケちゃんはアインシュタインがそうであったように、異常に高い知能指数と豊かなイマジネーションを持っていた。中央大学理工科を出たイケちゃんは、「宇宙には何か法則があるはずだ!」と口癖のように言っていた。ロスアンジェルスで寿司職人をしていたときも、アラバマで黒人たちと自動車修理工をしていたときも、ガテマラでカワイコちゃんを口説いてたときも、イケちゃんはいつも哲学してた。そして“宇宙の法則”に合わないものは片っ端から放り投げる。
「いや〜オーナーがあんまりごうつくばりなんで、フライパン投げつけてやめてきましたよ。何か仕事ないですか?」
きりりと太い眉を眉間に寄せ、鋭い眼光、への字に結んだ口が強い意志を物語っている。頭の中は宇宙の法則でいっぱいなのに、サイフの中は空っぽだった。
オレはイランでなぐり書きした処女小説『COTTON100%』を、イケちゃんに清書してもらうことにした。別 にイケちゃんが達筆だったわけじゃないが、オレの文字はエジプトの象形文字やシュメールの楔形文字よりも難解なのよ。もう、オレだって読めないんだから。これを解読できるのは哲学者をおいて他にいないだろう。
料金は1ページにつき100ペセタ(160円)。夜になるとイケちゃんはうれしそうな顔で、オレのいるキッチンへやってくる。
「いやー今日は10ページもがんばっちゃいましたよ」
なんて、ページ数分の金とオレがオーナーにないしょで作っておいた特大おにぎりをもらって帰っていく。全部で175ページだったから、17500ペセタ(27000円)で、哲学者は極貧の一ヶ月を生きのびたわけだ。

話を東京にもどそう。
しゃぶしゃぶ屋の店長となったイケちゃんは、ここぞとばかり自分の店でオレとマサをただ食いさせたり、あまった肉をくすねてきたりした。おかげで石神井一貧しいオレたちの冷蔵庫は肉であふれかえったこともある。オレは昔ロンドンで知り合った由美ちゃんのヒモになりながら、イケちゃんが読めるようにしてくれた『COTTON100%』をマックに打ちこんでもらった。
たま〜にオレの絵が売れると大宴会になるが、ほとんどが赤貧洗うがごとし。近くの畑からキャベツや大根を盗んだり、何も食うものがなくなったときはタンポポの葉っぱを天ぷらにした。とくにお湯でふやかした電話帳にマヨネーズをかけて食った話は有名である。
それでもオレたちはこりずに「日本のアートシーンをいかに変革するか!世界をいかにひっくり返すか!」などと、夢を食って生きていたんだ。

恐怖のGET AWAY光線

「どちら様のご紹介ですか?」と、受付の女性はていねいに聞いてきた。
オレは銀座に立ち並ぶギャラリーのひとつに入ってみた。
「い、いえ誰の紹介でもありません。作品のポートフォーリオ(写 真資料)を見ていただきたいと思って」
オレは絵の具でベタベタになったMA−1に、ひざのすり切れた501をはいている。
「見ることはできますが、うちは中堅以上の作家でないと扱えないんです」
中年以上の女性は、フレームレスのメガネに若草色のスーツを着ていた。ていねいな口調とは裏腹に、「ここはてめえなんかのくるところじゃねえんだよ!」というGET AWAY光線を浴びせかける。オレはインドの野良犬みたいに、すごすごと退散した。
まず驚いたのは銀座のギャラリーのほとんどが貸し画廊ということだ。だいたいアーティストなんてものは金をすべて作品につぎこんでしまうので、一週間50万とか100万のレンタル料なんて払えっこない。
それに日本でアートのアの字も知らなかったオレは、美術学校も偉い先生も知らない。いくらニューヨークアデミーや世界に3人しか教える人のいないバロックの技法をフローレンスで学んできましたなんて言っても、コネがなけりゃだめなんだ。
イーストヴィレッジに50軒もあったギャラリーは、貸し画廊などひとつもない。オーナーは毎日大量 にもちこまれるポートフォーリオの中から、才能のある新人を血眼になって探しまわる。これだ!と思ったアーティストのアトリエに直接足を運び、新人を集めてグループ展を開かせる。その中で人気のあった者には個展をさせるんだ。作品が売れたら50%はギャラリーに入る。ダイレクトメールも搬入の費用もすべてギャラリーがもってくれるから、アーティストはいい作品を作ることだけに集中できるってわけだ。
しかしここは日本だ。ないものねだりを言っているヒマはない。自分ではじめなきゃ、誰もはじめちゃくれないんだ。

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