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東京に育ち、母を亡くした10歳のレラは、祖母と父の住む北海道に引き取られる。人間の大地アイヌ・モシリで命本来の輝きをとりもどしていくレラ。しかし想像を絶する試練が彼女を待ちうけていた。
北海道の大自然を舞台に、彼岸までも内包した巨大な生と死の讃歌。作者入魂の一冊。

我々日本人の体の中にはアイヌの血が4分の1も流れているのに、僕たちは自分たちのルーツ、
アイヌのことを何も知らない。

感想集
メールで感想をお寄せください。
敬称は省略させていただきます。
ミクシ
誓司
「風の子レラ」拝読させていただきました。
読み始めの場面展開や、レラがイジめられている描写の展開が急な感じがして初めは少し戸惑ったものの、読み進めるうちにそのような事が全然、問題にならなくなりました。

 というより、物語の舞台になる背景が多岐、多彩であるゆえ、それだけ凝集しなければならなかった「執筆の苦しさ」が伝わってきます。
大変なエネルギーを用いないと、とてもまとめ切れるものではないと、そう思わされました。

葬儀で母・喜奈が焼かれる場面にレラを立ち合わせた場面から
強烈に引き込まれました。
喜奈が焼かれる様子の描写は、書き手であるAKIRAさんが現実の焼却現場に立ち会わなければ書けないものだと思われます。(きっと取材された事と存じます。)

そして物語の中でレラに、焼かれていく母のその様子を直に見つめさせた事に感嘆としました。
レラに身近な人間の「死」を、しかも肉体として焼かれ行くそれを見つめさせた「書き手の潔さ」を強く感じました。

現代人がともすれば忘れがちな「死の本質」をレラに見据えさせた意味の重要さは、レラがカンナやシシャモと一緒に狩で鹿を射止めた場面や、小学校中に咲かせたヒマワリをレラ自らが引き抜かなければならなかった場面すべてに
テーマとして通低していて、レラの眼前に突きつけられた「死」そのものを
読み手もレラと一緒になって見つめることになります。

しかしだからといって「死」を決して否定しているのではなく、
神降りの場面での喜奈とレラとの会話がまるで漫談の如く絶妙で、
「死」の世界はとっても身近に親しく、すぐそばにある事も教えてくれています。

「死」を肯定することで、「生」そのものを慈しむ、というAKIRAさんの視座がそこにあると思わされました。

レラとシシャモを連れ立っての狩の場面での、カンナのその荒々しさと不器用さに同居する「繊細な俊敏さ」の描写にも引き込まれました。

荒々しい事は何も「野蛮」を意味せず、命をくれた鹿の神様に祈るカンナのその在り方は、ウレシパモシリの大地の循環の中に生きる人間(=アイヌ)としての謙虚さそのもので、本来、人間はこれほどまでに美しかったはずだった事を指し示してくれていて、それをレラとシシャモに伝えるカンナの存在が偉大に感じられま した。
本来の人間のあり様は、カンナのようなそれで良かったはずだった、と思わずにおれません。
人間も、ウレシパモシリの中の1つの細胞のように、循環の中に生きていることを描写を通して具現化されている事に気付かされます。

全体として、チュプの存在が余りに大きいために、レラ自身の存在感が
少し薄れてしまっているようにも感じられたのですが、これはもう仕方がないと思えます。
なんだかレラとチュプと、どちらが主人公なのか分からない感じさえします……(笑)

現実においても物語の中でも、ダムはできてしまいました。
老人ホームに入ったチュプを奪還(?)して
獣のように吼えるレラの場面で物語りは終わりますが、
正直、苦しい終わり方だと思いました。
というより、そういう終わり方をするしかなかったところに
現代の苦しい状況がそのまま焼き付けられている事を無視できません。

「ボケ老人のたわ言を、(アイヌは)神さまのもとへ帰るために神さまの言葉を練習している」。

そういう解釈で充分に人間は豊かであれたのではなかったかと思えてなりません。
りん
「みかん山で秘密基地を造ろう!」から抜粋させてもらいました。

アイヌ人の父を持つ少女レラ。
突然の母の死で、祖母につれられ、北海道、アイヌの町へやってきます。
そこでのアイヌの生活を通して、命の意味、生きる意味、何が大切なのか
そんな事を語りかけてくれる内容です。
アイヌ
言葉は知っていますが、驚くほど学校でもアイヌの歴史について、語られる事はありません。
あたし達の血の四分の一はアイヌの血が流れているというのに...。
アイヌ人は長い事差別され、迫害されてきました。
そんなアイヌの歴史、アイヌの世界感をこの小説を通して、感じる事ができます。
先日紹介した「命の食べかた」
でも差別問題が出てきました。
人は皆、誰かを差別したがります。
あたしは差別などしない、と言う人もいるかもしれないけど、
そんな人の心の中にもしっかり差別する心があったりします。
あたしの心の中にもしっかりと差別する心が同居しています。
自分が蔑まされる事が怖いのです。
だから”自分よりも下の人間”を必要とするのです。
「あたしはあの人よりは上だから大丈夫」
と、安心したいのです。
そんな自分をしっかり見つめるきっかけをこの本は与えてくれました。
そして生きる上で大事な事ってなんだろう?
もしかして今生きているこの社会はとんでもなく歪んでしまっているのではないだろうか?
そんな疑問で心がいっぱいになりながらも、
これからどう生きていったらいいのか、そのヒントを与えてもらったような、そんな気持ちがします。
M・S
 私の父は山師をしていたこともあり、いつも「山にはさんがおるんや」と小さい私たち姉妹に恥かしげもなく言い、自分の周りにいる全ての人に惜しげも無く「愛している」と伝えるそんな人でした。
 そんな父の教えを幼い私はごく当然のように心身に吸収していきました。
 でも、中学になった私が見たのは、「変人」だと白い目で見られる父の姿でした。
 そして私は自分を守る防衛策として、父や祖父母からの教えを胸の奥にしまいこんだのです。
 あんなこと口に出さなければ、馬鹿にはされないしのけ者にもならないんだ、と。
 「私はあなたがこんなにも愛しい」と言ってしまう事、「生きとし生きるもの全てが神である」と言ってしまう事、そういうことを口に出す事が 「恥かしいことである」と胸の奥深くにしまっていました。
 そして23歳の2月17日まで頑なに防衛策を張り続けていました。いえ、もうそういう気持ちさえも忘れていたんだと思います。
 それが、一人の人との出会いによって奥底に眠らせていた私のルーツがわなわなと溢れ出したのです。そう、「何かが私の中に戻ってきた」感触を得ました。
 とてつもなく感動的な出来事でした。
 それからは白い目で見られようが、新興宗教か!と笑われようが私は誰の目も気にする事なく自分の声に素直に感じるままに生きてきた…つもりでした。
 一ヶ月ほど前から、私の生活の中に あるキーワードとなるものが妙にシンクロし始めました。
 キーワードは「アイヌ」です。
 アイヌ民族とはどこか外国の民族だと本気で思っていた私には、衝撃の連続でした。
 何故、今私には「アイヌ」なのだろう・・・それが知りたくて色んなHPを読み漁り、書籍を探しまくりました。
 その中にAKIRAさんのHPがありました。「この人は何者?アイヌとどう関係があるのだ?」とHPを物色していると、『風の子レラ』の表紙絵がドーンと画面に映し出され、それを見た時私は不思議な感覚を覚えました。デジャヴ????と・・・。
 多分、この本が発行された時に店頭で見た記憶が残っていたのでしょう。記憶に残るくらい衝撃的だったのにその時は読まずにいた…。そして今、この本と再会した…。
 これはなんとしてでも読まなければ!すぐに本屋へ走りましたが取り寄せに3日はかかるとのこと。
 そして今日、私の元にこの子がやってきたのです。
 最初から最後まで、途切れる事なく私の目からは涙が流れつづけました。感動の涙とはどこか違う、とてつもなく苦しい苦しい、涙でした。
 AKIRAさん、私にもっと伝える術があればいいのに。
 電磁波の力を借りなければ私は貴方にありがとうも言えない。
 ありがとう。心から。
 うまくは言えないけれど、私はレラによってチュプによってカンナや玲子や村長、この本に出てくる全ての人によって自分の心の内にある両面性に気付かされました。私の中の「アイヌ」の面、そして「和人」の面、その両面です。
 気付いた・・・のではないですね。見ようとしなかった(後ろめたさから)自分の中に確固としてある両面性を、レラやチュプによって頭をはがいじめにされて「しっかり見ろ!そして考えろ!」と言われたのです。
 全てのものに命はあり、神であると疑いも無く信じているのに、紙を使いまくり(私は絵を書いています)、大量の洗剤で皿を洗い、植木鉢に水をやるのを忘れてしまう・・・
 自分の生活に一杯一杯になった時、ふと大事な事を忘れてしまう。
 今、私は何かを得る時なのだと思います。
 アイヌというキーワードが、私の学びのお手伝いをしてくれる。ありがたいです。
 なにを言いたいのだ君は!と言いたくなるようなメールですね。
 ただ、伝えなきゃ、と思いました。だからあえて読み返しはしないで送ることをお許しください。
 伝えたい、ありがとうと。
 AKIRAさんに出会えたこと、レラに会えたこと、本当に幸せです。
 まだまだ続くであろうアイヌの旅、目をそらさず楽しみます。
 長い長いお話を読んでくださってありがとうございました。
 本当に本当にありがとう!!!!!!!!!!!
 私の大事な人たちに、この本を贈りたいと思います。

狗飼卯女子
 レラはアイヌの少女。レラの喜びと悲しみに、私自身がシャモ(アイヌ語で和人のこと)であることを考えさせられます。
 正直なところ、文中自分たちが「シャモ」と呼ばれていることだけで、穏やかならざる気持ちになりました。
 日本語のできるアメリカ人が私たちを「ジャパニーズ」と呼んでもこんな気持ちにはならないのに、なぜ?
 レラはもの心ついてから母親と死に別れるまで、自分をアイヌとは知らずに東京で育ち、母の死によって父の住むアイヌの村に迎え入れられます。だからアイヌを知らない読者がアイヌの暮らしに対して、レラと驚きを共にしながら読むことができます。
 かの大長編『新十津川物語』も児童書でしたが、ほんとに、児童文学侮るなかれ。
私は《週刊読書人》の書評で「風の子レラ」のことを知ったのだけれど、かつてこれほど書評子を恨んだことはなかったです。
書評がなければ手にとることもなかったろう児童文学、この邂逅を与えてくれた書評なのに、それでも、私は恨みます。
 ストーリーを知らずに風の子レラを読みたかった。レラと一緒にレラの運命にぶつかり、驚いたり戦いたりしたかった。レラの父の起こした事件のことだけでも知らずに読みたかったと恨みます。そうできなかったのが残念で残念で、残念です。
 著者は日本人みんながアイヌのことを考えてくれるよう、その糸口となるよう平易な物語の形を選んだといいます。(実際この本は、図書館によっては普通の小説の棚にあり、書店によっては児童書コーナーに置いていたりするでしょう)
 著者の狙いは大成功でした。「風の子レラ」を読んで以来、私は図書館にあるアイヌ関係の本を読みまくっています。「アイヌ歳時記」「アイヌの碑」「金田一京助とアイヌ語」「アイヌばあちゃんの・・・」・・・。
 読まずには、考えずにはいられないのです。ハンセン病患者を隔離し続けた国の民であり、旧土人保護法によってアイヌ民族からアイヌの暮らしを奪っている国の民である私。
 レラを窮地に立たせたのは私たち。私たちは今も、レラから何かを奪い続けている?

trust-you_love
 私は福島県に住んでいる校生です。学校の図書室で「風の子レラ」を借りて読みました。
 私は以前からアイヌに興味を持っていました。そしてこの本を読んでもっとアイヌについて知りたいと思いました。
 それから、私は感動しても泣くことはなかったのですが、初めて泣きました。
 レラは強い子です。私もレラのように生きていきたいと思いました。
 こんなにいい本を出版してくださってありがとうございました。

h.sueoka
 初めまして。私は18歳の高3年生です。
 実はパソコンでメールを打つのは初めてなのでシドロモドロしながら打っています。。。。。(^^;)←いつもは携帯電話なので。。
 他の友達はいま、受験勉強に勤しんでいる中、AO入試で1足早く合格が決まった私は今まで勉強のせいで出来なかった読書(←とは言っても、いつもそんなに本を読む方ではないのだが) をしようと思い、冬休み前に図書室で3冊本を借りました。
 その中の1冊に「風の子レラ」がありました。
 昨日の夜から読み始め、ちょうど、ついさっき読み終えたところです。
 なんて言うか。。。気持ちの言語化はあまり得意じゃないのですが、読み終わった後私は、ちょっとした焦 燥感といいますか、情操感といいますか、なんともいえない気持ちに駆られました。
 最後の、レラがチュプを養護施設から連れ出す場面には涙しました。
 私がAKIRAさんのホームページを閲覧することになったきっかけの1つに、こんな話を書けて、しかも尚、こんなにもアイヌの文化に詳しい人って一体どんな人何だろう、と疑問に思ったということがあげられます。
 ホームページ上の、あなたの写真には思わず瞠目してしまいました。そこには生まれて初めて目にする世界が広がっていました。
 こんな世界を日々、目にすることのできるAKIRAさんを、羨ましく、そして、ちょっぴり嫉ましくもあります。
 将来、私も、異文化、異風景、異世界に出会う機会があると思います。
 その時、自身が何を思うかは分かりませんが、たまにはレラのことを思い出し、異世界と接する心立てになるのではないかな〜っと思います。
 レラは、私の中の永遠のヒーローです。

三代目春駒
 さて、今、「風の子レラ」読み終えたところです。
 昨年の夏、2人乗りのーカヤックで那覇〜座間味の60キロを2泊3日で横断しましたが、その旅の間、7回のスコール、7回の虹を体験しました。「レラ」のエンディングで、「神鳴りのこども」がやってきて「目え覚ませ」と呼び掛け、「乱層雲が分解」し、「天が裂け」、「光の剣が何本も大地に突き刺さ」り、「空から巨大な7色の蛇が降って」きたのを、東シナ海の無人島で僕も見たのです。
 あの、出し抜けにやってきた嵐…轟音で耳が一瞬「ツーン」と聞こえなくなるほどの近距離での落雷、そしてテントを叩き潰すほどの雨、暴風。コアジサシしか棲まない標高数メートルほどのちっぽけな無人島では逃げ込む場所もなく、僕はテントに覆いかぶさったまま震えることしかできなかった。そして、1時間か2時間か、来た時と同じように突然に嵐は去り、分厚い雲を割って7色のドラゴンは、それも2匹も降ってきた!
 その恐ろしくも美しい、神の神殿に迷い込んだかのような体験で僕の中の古いなにかが抜け落ち、入れ変わるようにピュアでスピリチアルな感覚が覚醒したのをハッキリ感じましたが、小説のエンディングでその時の衝撃が再現されているみたいで、不覚にも涙がピュルルと溢れ出てしまいました(笑)。
 僕は沖縄琉球人とアイヌの人との血の接点、共通点をなんとなく感じているんですが、いつかアイヌの祭にも参加してみたいものです。AKIRAさん、「風の子レラ」素敵な本です。今度、僕のFM番組の本を紹介するコーナー「読んでブックリ」で紹介させていただきます。AKIRAさんの著作を取り上げるのは「コットン100%」「アジアに落ちる」「アヤワスカ」に続いての4作目、おっと、こりゃ全部じゃないですか(笑)。
植木 偉友
 ついに「風の子レラ」読みました。
 AKIRAさんの説を読むのは初めてなんですが、AKIRAさんの本を読んでいつも感じることは、地球に60億人生きていれば、60億の生き方があっていいってことです。そしてその生き方を他人と比べるのは全く意味がない。
 ただ、どういう生き方をしてもいいんだけれど、自分に甘えてはいけないなと、今回は痛切に感じました。励まされたというよりも、いい意味で叱られました。
AKIRAさん、ありがとうございました。
P.S.
本のタイトル、変かんすると「風のコレラ」になってしまうんですよね(笑)。
AKIRA(同名)
今日1日で読みました 生まれてこの方 本を1日で読んだことが無い僕にとっては思議な現象だ それに 小説は読んだことがほとんど無かった 最近AKIRAさんの本を読み 自分の存在が改めて再確認された 
風の子レラ は小説だが まるで映画で映像を見ているような そんな感覚になりました
本は 自分に溶けていく 魂を感じる
どの本を読んでも 映像が浮ぶ その魂が伝わる 体が熱くなる 
ちょうど写真展をやっている時 霊感と言うか 僕が生まれてから死ぬまで見えている
そんな人と話した後に 頭が真っ白になった 何も考えられなくなった そんな状態です
学びたい 自分から始めて物事を学びたいと思った 
良くわからないけれど 体が疼く最近です 
ありがとうございます

K・A

 りがとう、と云いたい。
 私は障害者です。
 左腕の機能マヒで不自由で、ほぼ使いものになりませんが、見た目にはなんら健常者と変わりないし、自分自身生まれついてからのものなのであまり不自由に感じていないのです。
 仕事は能力を認めて雇ってもらえる会社に出逢えたし、たくさんの素敵な友人にも恵まれ、ひとりの人間として見てくれる彼氏もいる。
 私のようにラッキーな障害者もなかなかいないんじゃないかと思います。
 でも私にとっての問題は、それを罪悪に感じておかしくなってしまった母と、それを理由に甘える自分です。
 母はいつも「ごめんなさい」と云う。
 「障害があったからこそ素敵な人に出逢えいい経験がたくさんできたんだ」と
母に云ってきたのに、今でも「ごめんなさい」と云う。
 思いつめるあまり、別の因子もからんで、数年前分裂症になってしまいました。
 何年も精神病院に入院し、何年も母と向き合えず、見たくない現実から目をそらし、母を傷つけた。
 おかしくなった母が私から逃げまどい、妙なことを口走り、暴れまわり警察に保護されゆく姿は何年経っても目からこびりついて離れません。
 思いつめる母を人間として見れず、自殺しようとした母に追い討ちをかけることを云ったのは紛れもなく私でした。
 ずっと心の痛みを表に出せなかった私は、そんな母を見て心をこじ開けられるのを拒んだのかもしれません。
 小さい頃は、よくいじめにあいました。
 普通に接していたと思っていたクラスの友人が突然「手無し人間」と罵ったり、
うまく絞れない雑巾を持ってきて私の机の上で絞って水浸しにされたり。
 これは障害とは直接関係ないけれど、あるひとりの友人とケンカをして次の日からクラス全員から無視されたりと。
 そんな、普通に接していたと思っていた友人たちのある日突然の様変わりが怖くて、ずっと人とは表面的にしか接してきませんでした。
 何年も経って社会に出たとき、どこからも雇ってもらえない状況になってはじめて受け入れたくない「自分が障害者であること」を受け入れざるを得なくなりました。
 でもそのときにわかったのは、職業に就くための努力を何もしていなかっただけのこと。
 ずっと向き合えなかった自分に向き合い、母の痛みにも気づき、健常者にだって痛みがあることにも気づき、どれだけ自分が一番不幸と思っていたかを思い知らされました。
 いじめにあったのも、障害があるからと甘やかされて育った私の我が儘ぶりが目についたのだろうと思いました。
 でも今でも、100%人を信用できなくて、自分でも気づかないうちに、自分の障害のことで悩んでる自分に気づきます。そうやって悩んでは人と距離を置いて、勝手に孤立して、人の信頼を平気で裏切ったりしてるところがあると思います。
どこかで自分が一番頑張ってて苦労してると思ってます。
 誰よりも頑張っていないし、好き勝手にやってるだけなのに。
 そんな甘えにカツを入れてくれるようなチュプばあちゃんの言葉。
「いいかいハカス、垢のつまった耳をかっぽじってよくお聞き。
生きるってことは障害物競走さ。他人との競争じゃない、自分自身が課したハードルとの戦いなんだよ。
この世に生まれてくるときには、誰もが前世より少し困難なハードルを自分で決めるんだ。何度も何度も生まれ変わって魂のレベルがあがるたびに、
ハードルをまえより高くしていく。
健康で、ハンサムで、金持ちで、何不自由なく育てられたなんていう人は、まだまだ幼稚園レベルさ。
卒業論文を書く大学生レベルになると、自分にもっとも困難なハードルを課して生まれてくる。
気高い魂と強靭な勇気をもった最高レベルの人間、それが障害者なんだよ」
 仕事に対する疑問や仕事や自分自身の未熟さ、いろんなものを見たい、いろんな人に逢いたい、いろんなこと経験したいと、仕事と勉強の両立を始めて、1年。
 自分で課したハードルを前に力尽きて、やること全てにになんの意味があるんだとつぶれていく一方でした。
 チュプばあちゃんの言葉に、心揺さぶられ、力湧くようでした。
 結局私も障害があることに甘えてる。
 自分に一番問題があるのだと思い知らされました。
 いつだって人の親切に甘え、それを理由に自分の気持ちに嘘をついてごまかしてる自分がいることに。
 AKIRAさんの本は、「アジアに落ちる」、「COTTON100%」、「アジアントランス出神」と読ませてもらってました。
 何度か二風谷を訪れていた友人からアイヌの話を聞いていて、アイヌのことを詳しく知りたいと思いながら、なかなかアイヌのことがわかる本には巡りあえないでいたら、AKIRAさんの二風谷に関する本を本屋で見かけてこれはとばかりに読み始めました。
 アイヌや二風谷のことは友人から話に聞く程度のことしか知りませんが、アイヌの文化や言葉の美しさ、苦い歴史など、自然と人間の在り方を通じて伝わってきました。
 アイヌだけに固執しない、全ての人に向けられたメッセージのように思えました。
 AKIRAさんの本にはいつも魂が揺さぶられるようで、今回もしかり、です。
 溢れる感情にとまどいながら、綺麗なものも汚いものも全て受け入れるような文章に、全てを肯定されたような気持ちになります。
 あくまで自分の心に正直に生きていたいと思わされます。
「無数の命に支えられて、あなたは、今、ここに、在る。
命をかけて教えてあげなさい。
『誰も、ひとりぼっちじゃない』と」
 ありがとう。
 「気高い魂と強靭な勇気をもった最高レベルの人間」と云ってくれて。
 あなたのような波乱な生き方は私にはできませんが、廻りに振り回されないように、私は私の生き方をしていきたいと思います。

森山

 akiraさんの本はいつでもそうだけど、読んでいる間に側でいろんなことがありました。
 まず最初は、レラがうらやましかった。
 なぜなら美しいから。
 私も子供のころは、自分の性格や家庭の事情などの原因でいじめられていました。
 だけど、私はレラのように「自分自身」の味方ではありませんでした。
 私が一番一緒にいてあげなくてはいけなかったのに、周りと一緒になって、いや実は周り中の誰より一番私が私をいじめていました。
 本当はしたくないことも、強い子たちがするなら、いじめられたくないからする。
 でも結局本当にしたいことではないからうまく出来なくて、余計嫌われてまたいじめられる。
 その繰り返しでした。
 だから、甘えでしかないのですが、
「お前なんか死んじゃえ。お前のせいでこんな目にあうんだ」
 っていつも自分で自分を罵ったり、ドアに足や手をはさんだり、煙草の火を押し付けたりしていじめていました。
 そして何よりひどいことに私は、そんな毎日のストレスを優しくしてくれる友達にぶつけてしまっていたのです。
 その子は今でも友達で、というよりもはやお互い家族も同然に付き合っているのですが、そのころは本当に辛かっただろうと思います。
 そんな風に何から何まで弱く汚かった私とは、レラは全く正反対で、本当にうらやましかった。
 勿論どんなに汚くともまぎれもない私自身ですから受け入れてはいるのですが、
それでも、胸が痛かったです。
 それからアイヌの人達がされたことを思うと、とても辛かったです。
 地球に私たちがしていることを思っても、とても辛かったです。
 本当に辛くて、どうしたらいいの?!って、苦しくてたまらなかった。
 でもそのとき、昔もらった和尚ラジニーシの本にあった。
 「生がみちびくほうに行きなさい。
 なんであれ生が求めることをするのだ。
 時にそれは道を過たせるだろう。
 しかしそれでいいのだ。
 思いっきり誤り、その愚かさを知りなさい。
 そうして知ったその後に
 あなたを邪道にみちびいたその同じ力が
 あなたを連れ戻してくれるだろう。」
 という言葉を思い出しました。
 ってことは、色んな命を苦しめたのが人間なら、助けるのも人間だってことだよね、と思いました。
 勿論、その和尚の言葉が本当かどうかはわかりませんが、
 「風の子レラ」にはそれが書いてあるような気がしました。
 勿論人間だけが助けてあげるんだ!とかいうようなものでなく、
 もっと大きな命の力っていうのかな?
 そういうものが本当にあって、人間もその一部で、
 だから信じてもいいんだよって声が聞こえるような気が……ってうまく書けません。ごめんなさい。
 でもなんというか、すごい辛いことばっかりあるけど、
 「それでも許せるよ」って言ってる大きな何かが本の中にいたのです。
 いたのですってのも変ですけど。
 そして読み終わったあと、
 私もアイヌ(人間)で、
 東京もアイヌモシリなのよねって思ったら、
 世界が違って見えたのです。

GANDHE

 いま「風の子レラ」読み終えました。
 AKIRAさんの本はいつも日で読み終えてしまう、途中で本を閉じることができない。
 AKIRAさんの本はオレの目を覚ましてくれる、Real Loveのこもった平手打ちのようにも感じる。オレは親にもこんな事されたことないし、教わらなかった。
 AKIRAさんの作品に出会えてよかった。
 心から思います。
 「風の子レラ」を読みながら、個性的な登場人物と自分をだぶらせたりすることが多かった。
 オレも片親で父の祖母のもとで育てられ、自分でも気付かぬうちに現実を見なくなり、心は閉ざしてしまいました。
 いまもまだ正常じゃないですけど、自分自身あまえてるなって思うところもたくさんあるし。
 とにかく色んなことを気付かされます。
 スピリチュアルなところも学ぶことが多いけど、そういう面での気付きもあって AKIRAさんの作品には癒しを感じます。癒し系ってやつですね。
 だからこれからは常に自分に「シクマッカ!」と言っていこうと思いました。
 これからは強くオープンになります!
 イヤイライケレ。続き楽しみにしてます。

美智子

 レラの感想もいつかお伝えしたいけど、再度読み返すのがくて。
絶対大泣きで、翌日顔がパンパンに腫れてしまうからです。
でも必ずお伝えします。

Cresson

 そうそう、で思い出した。レラを読んで、まず思い浮かんだのが
アルューシャン黙示録 「母なる大地父なる空」を思い浮かべました。

和恵

 はじめまして!
 北海道在住の作家の(のつもり)です。
 AKIRAさんとの出会いはつい1ヵ月くらい前、偶然ふらりと本屋にはいり、風の子レラを手にとったときからです。
 表紙をみたとき、これは私が読むべき本ってわかるタイプの人なのですが、もう、即買い状態でした。
 一気に読んで、大感激です。
 私アイヌの文化が大好きです!
 むかしどこかでインディアンだったかもって思っているし(笑)
 平取は大好きな土地のひとつです。
 風の子レラを見たとき、私が書きたい本を既に出している方がいるって思ってしまいました(笑)
 わたしも虹になりたいひとりです。

野上暁(こども文化評論家)

 作者は北海道の二風谷に足しげく通う中から、行き詰まった現代文明の彼方に、アイヌ文化の来的な可能性を予感して、それを物語というカンバスに荒々しく力強い筆さばきで見事に描き出した。子どもから大人まで、激しく心を揺さぶられる骨太な物語である。
 「週間読書人」(九月二十八日付け)より抜粋。

山岸 大高

 僕は、10才でもと登校です。
 読書感想文、書かないとと思ってなやんでしまって返事おくれました。
国語、苦手なんです。
 僕のお母さんは、北海道の有珠山の近くから東京にきたので、アイヌ人知ってます。
 でも、アイヌ人はすごくいじめられていて嫌だったそうです。それで東京に来たんだって。お母さんの祖先は岩手、仙台、高知の移民です。
 東京の人のほうが、アイヌ人を大切に思っているみたいに思うって。
 お母さん、北海道なのに物質主義の世界から家出みたいなんだ。
 だから、僕、北海道、行ったことないんだよね。
 もう11年帰ってなくて、おじいさんが老化なのでそろそろ帰ってみようといってたけど。
 でも、みんなアイヌ人なんだけどね。

文月 達(Amazon.co.jp)

主人公レラは、10歳で、突然に先立たれてしまう。唯一の味方の死に打ちのめされるレラを、離れ離れに暮らしていた父のカンナと祖母のチュプが引き取りにきて、人間の大地アイヌモシリに連れていく。
カンナやチュプは、アイヌ民族だ。彼らはアイヌであることに誇りを持って生きている。東京育ちのレラには、見るもの聞くものすべてが、戸惑いと驚きの連続だったが、父祖の大地で暮らすうちに、都会生活で失われた生命本来の輝きを、ゆっくりと取り戻していく。しかし、アイヌを取り巻く現実は厳しい。ダム建設をめぐって、村人たちは2つに分かれていた。やがてこの対立が、あまりにも残酷な試練をレラに課すことになる。
このストーリーを、単なる「スピリチュアル系」と分類してしまったら、本書の魅力が失せる。レラたちが交わす、快活で真情あふれる会話が読み手をほほえませ、アイヌたちの持つ叡智(えいち)を巧みに書き込むことで、アイヌの世界を教えてくれる。
著者のAKIRAは、アンディー・ウォーホルの奨学金で、世界中を放浪し続ける画家だが、実は書道家、写真家、小説家、ミュージシャンなど多彩な顔を持っている。その視野の広さ、経験の豊富さが、この物語を安易でハッピーな話にさせていないのだろう。
AKIRAは、「日本人の体の中にはアイヌの血が4分の1も流れている」という。けれども、我々はアイヌのことをどれだけ知っているのだろうか。この本が、自分たちのルーツを見つめなおすきっかけになるかもしれない。

織人

 ュタイナーを連想する。こんな根源的な発言がいたるところに見出される。
 「多様性」。
 「文化の画一性を超える」。
 レラのアイデンティティは、ほとんど破壊されていた。両眉がつながった顔、奔放な自己表現をする少女レラは、母の死後、目の前に現れた父(「あんたのパパは、網棚に忘れてきちゃったの!」)の顔を見て、びっくりする。私と同じ!
 レラの劣等感の元。その元、アイヌ、の暮らしの中で、レラは、自分の生命の根っこにたどりつき、自分を発見して行く。

EKO

 誰かが仰ったように、民レベルまで降りて来てくれたので、スンナリと一気に読めました。
 感動したさァ〜。と同時に、私は祖国の歴史を何一つ知らない事を恥ずかしく思いました。
 先の靖国参拝、教科書問題にしても、自国と諸国の歴史的関係の不勉強さが身にしみました。
 私達は色々な人、物の犠牲の上に有り、自然の中に生かされている。自然は祖先から受け継いだ物でなく、子孫からの預かり物。と言う言葉を思い出しました。

内藤(陶芸家)

 今日(10月10日)覇の本屋へ行ったらアキラさんの「風の子レラ」が平積みになってたよ。

m-bay(デザイナー)

 風の子レラを読みました。れた私の気持ちの中に心地良く染みてくれます。職場で見てしまった醜い、汚い、瀬古い、大人の企みや見たくなかった事を洗濯してくれました。ありがとう。

伊藤竜太(コラムニスト)

 「風の子レラ」の感想です。
 読んでて無性に動したのが、「自分のためには絶対泣かなかったレラが、ひまわりのために泣いた。」(P.158)前後のくだりです。人間にとってほんとうに大切なものっていったい何なのか、ってことを気付かせてくれます。

西沢

 AKIRAさんが今までで書いた本のなかで高傑作だと思います。あくまでわたし個人としては。比喩、擬音語、風景描写、セリフと、1行、1行から目が離せない。こんなに凝縮されているのに、軽快なテンポで読ませてしまうのは、魔術のようです。
 もう最初のレラの百面相で引き込まれ、病院や学校のシーンから泣きはじめてしまいました。マルボロさんが実にいい味を出していて、重みがある。あとはやっぱりカンナです。最後のほうでカンナも孤児だったのを知らされたときには、胸がぎゅうーっとなりました。
 AKIRAさんの本は最新のケチャップまで全部読みましたが、すべて自分の予想を裏切られ、すべて満足させられました。活字中毒の私ですが、村上龍などをはじめ当たり外れの多い日本作家の中で、10割バッターは今のところAKIRAさんだけです。ケチャップの3号を楽しみにしています。

ゼルダ

 あの、私レラが好きになれませんでした。無邪気で鈍感で生意気なレラが大いです。シシャモの言葉そのままです。その後彼がレラを受け入れた過程をすっかり見逃して、置いてきぼりをくってしまいました。私はそうとう、屈折しています。
 「強くて優しくて暖かいキナコになりたかった。」ないものねだりの叫びです。弱虫で自分勝手な私には逆立ちしても届かない。キナコは、何故レラを産んだの?なんの疑いも持たず、当たり前のように子供を産むってどういうことなんだろう?神様は私に母性をインプットするのを忘れている。
 私のレラは、この世界に来なかった。神様にお返ししてしまったから・・・。殺人が法律で認められている21週間の執行猶予内に、契約書にサインをして手数料を支払えば消えてなくなる。カンタンなことだった。「恐怖や不安のひまわりは、花が咲く前にひっこぬかなきゃ・・。」蘇我先生になっている自分を発見!読み進むうちどんどん、自己嫌悪に陥る。
 「ほらね。やっぱりね。神様に返してしまって正解だったね。蘇我先生にならずにすんだもの。」誰かが耳元でささやいている。
 私のレラは、今年10月で11歳になるはずでしたの。
 キナコにはなれず、カンナにも愛されず、レラを受け取れなかった私を、神様は怒っておいでだろうか?
 「風の子レラ」は私にとって、心が痛くなる本でした・・・。

君野倫子

 日本人の先や血にふと思いをはせたり、「そうだよね。子ども を産み育てるってことほど、自分の内面の深さや自分と自然の関係に気づける チャンスはないんだよねぇ」などと、あれこれ自分に置き換えて考えたりしたこと自体が、この本の深さを物語っていると思います。
 私に響いたのは、レラがひまわりを摘むところ。 人が死んでいくシーンみたいに涙が溢れました。
 救われたのは、死んだ人と会話しているところ。
 そして、死んだ人があっちの世界で幸せに暮らしているところ。
 子どもが親や家族の「死」に直面したとき、きっと暗く重い得体の知れないモノに囚われ苦しむ(それはそれで必要なことだけれど)と思います。
 そんなとき、「死」=終わりではないと、子どもにもわかる言葉で、
「death education」みたいな本を作りたいとずっと思っています。この本もそういう役割を果たしてくれる本だと思います。小学生に読んで欲しいです。

高橋五月

 先日、『レラ』を読み終わりました。
 わたしは小学生の頃も本がすごくきだったんですけれど、レラを読んで、その頃どういう気持ちで本を読んでいたのかということを思い出しました。
 純粋に「知らない世界に触れる面白さ」というのは最近すっかり忘れていて、
 アキラさん、こういうのも書けるのかーと、すごくびっくりしました。

太田泰弘(青山出版社)


 神保町にある、信画堂さんという老舗はご存知ですか?
 そこの年配の旦那さんが、『レラ』の表紙に使われた画を、とっても
誉めていらっしゃいましたよ。 ばらしい作品だ!!と。
 この作家さんは、将来有望だよ!と。
 その旦那さんは、地元でも、目利きとして知られている方です。
 私は思わず、額装までお願いしてしまいました。(笑)
 と同時に、ずうずうしく、この画を、あきらさんからいただくことに
しましたので。 もう、返しませんよ。(笑)
 出版者生活わずか13年間ではありましたが、必死に闘ってきたつもりです。
 そして、心血を注いだ最期の作品が、『風の子レラ』でした。
 13年間の思い出として、『レラ』の原画は、なによりの宝物です。
 ほんとうに、どうもありがとうございました。
一生、大切にさせていただきますね。

まゆ

 「風の子レラ」よみました。
 随分前に購入してたんですが、読みたいと思ったのが今日の夕方でさっき読み終えました。ーッとのめりこんで今はボーっとしてます。チュプがハスカに「生きることは障害物競走さ。〜」のくだり心に落ちました。。。
 なんかまだ気持ちがグルグルしててうまく言えない・・・かな。
 マスターにちょっと懺悔。あのね、その、風の子レラって発売されるずっと前から日記でちょこちょこ出てたでしょ その時からなぜか私は「風のコレラ」と思い込んでた「コレラ」です。伝染病のコレラ・・・ごめんなさい。それも結構長いこと。アキラさんたっらいったいどんな物語?なに?体験記?とか思っちゃったりして。。
 思い込みってこわい。。。。

23才の野郎より


 いやいや、こちらこそヤイライケレ!
 未来にむかって笑いながら走ってコケて泣いて強く生きていきます。
ちなみに僕の場合は勝手に絵をやってるのですが、もっともっと世界をつくりだそーと思います。
 PS 狂人の旅もハンパじゃなくよかったっす! 風の子レラもそーですが、表現する言葉が素敵です。何個かイメージして絵にさせてもらいました。これからもよろしくです!

 

香代子

 レラの物語は、々な音が聞えてきました。風の音はもちろん、水の音、火の音、森のざわめき、動物の息づかい、誰かのため息まで・・・。
 人間って生きているんじゃなくって、生かされているんだね! 偶然がかさなってできた、地球っていう名の宇宙をただよう大きな生命船に。
 それでは、続編が出ることを期待して。(3冊も買ったよー)

素樹文生

 nアキラさん、オレは「レラ」より「チャップ」のほうが好きだなあ。

倫子


 「風の子レラ」途中(1/3あたり)ですが、かなりいています。AKIRAさん、すごいかも。
 もっと硬めなイメージだったんですが、あとがき
にあったように、小説という形にされて絶対
よかったと思います。ものすごく身近です。
自然の描写もきれいで、イメージが膨らみます。
庶民レベルにかなり下りてきてくれた気がします?(笑)。

美貴

 「風の子レラ」はあきらさんがイヌ祭に行ってる間に読みましたよ。今の私にとって必要なタイミングで心に響きました。
来年アイヌ祭に行きたいです。岐阜の行きつけの大きな書店で発売すぐに私がリク エストしたせいか、今も入り口に積んであるの!次回の本もこの作戦で行きますからネ!ガンガン新しいの書いてネ!

仁美

 「風の子レラ」。
 この本は読めば読むほど、おに訴えて来るな、と思いました。
 頭や心に訴える本は多いけれど、お腹に訴えて来る本は数少ない。お腹の中が熱くなります。

Ren

 「風の子レラ」でいちばん印象に残ったのは、レラがブロックの
上に乗っかって喜奈がかれる火の中を覗く場面です。
 もう、びっくりしてしまって…。
 でも、思い出してみたらバリ島でも皆が見ている前で死者は焼かれていくし、インドではお茶飲んだり洗濯してる場所の近くで焼かれてるんだった。
 でも、「日本で見ている」ことに私は驚いたんだと思います。
 この場面からも私は充分な意味を受け取りました。
Michelle

 ずいぶん前に「風の子レラ」は読み終えていたんだけど、ここで感想をちょっと。
 私は最初の原稿を読んでいるので本になった時点の文章と比べて格段にもしろかった。
 これ以上削るところがないくらい削りこまれていたし、それで風景描写とかは増えたように思う。さらに擬音かな。
 当初、擬音はほとんど入ってなかったように思う。
 その音のおもしろさとさらにアイヌ語であると聞いてビックリ。
 「驚かせてやるぜ。」みたいな気負いがなくてこっちも自然に読めたわ。登場人物も嫌みなくらいにクセがあったのに自然になってた。
 やっぱりカンナ父ちゃんが死んじゃうところなんかちょっと急ぎすぎかな〜とも思うけど内容的には必要だし、読後感もさわやかでした。
 あと挿入の絵が気になるかな?もうちょっと読者の想像力に任せてもいいかなと思う。

ミユキ

 渋谷のPARCOPart3ブックセンターに行ったら、正面の新刊コーナーに『風の子レラ』が積みになってました!
 さらに他の「現代作家」、「旅行記」、と計3コーナーで平積み! という力の入れよう!嬉しくなって勝手に「↓オススメ!!」って札付けて来ちゃおうかと思いましたが今一つ勇気が足りなくできませんでした(笑)

佐保子

 「風の子レラ」は、池袋の旭屋書店では江健三郎の横に平積み。
 同じく池袋のリブロでは今月の新刊コーナーの、ど真ん中、ビートたけしの隣にドドーンと置いてあります。
 本屋に行くと、まずはレラチェック。
 平積みは、すごいことです。
 私の友人は20冊も本を出しているのに平積みされたことがないと泣いています。

ヤハタヒロシ

 『風の子レラ』読みました。
 なんだかしくなって奥歯を噛み締めてしまったり、声を出して笑ったり、じわっと泣けてきたり。AKIRAさんの文章は音の表現がとても豊かで、すごく情景が浮かんできました。こんなに五感を使って読んだ本は久々です。読み終えた後は心地よい疲労感がありました。
 タヌキがドーナツの穴からハカスを見つめる場面が、なぜか印象に残っています。ぜひ、成長したレラに会えることを楽しみにしています。

増渕俊之(paperback)

 風の子レラ、マスブチ心のチャート、ナンバーンです。
 モトギさんのエッセイ集と日記が猛チャージをかけてますが、
 しばらくレラの記録は破られないでしょう。
 次は「ケチャップ」単行本で、チャートのナンバーワンを目指しましょう!

Ren

 「風の子レラ」がどんな物語なのか想像もつかなかったのに、読み始めると「ああ、そうそうこんなんだった」と和感が全くなかったです。
 出てくるアイヌ民謡、全部ふしを覚えていて歌えたのが嬉しかったし、
チュプばあちゃんの知恵の数々…、ハカスに目を覚ませ!とハッパを
かけるところ、驚くべき出産の技術。
 人間ははだかで生まれてはだかで死んでいくんだな、ってあたりまえのことにあらためて気づきました。
 そして自分の中にも生きる力が、いまよりもっと強い力があるはずだなって思い始めたのです。
 「体験も財産です」とAKIRAさんが言ってくれたように、
 私も体験を伝えたいし表現していきたいと思います。

仁美

 「風の子レラ」をやっと読ませてもらいました!! 
 AKIRAさんが時間を費やしただけあって、く、面白かったです。AKIRAさんの書く本(文章)はいつも勉強をさせられます。そこから、私の価値観が広がるというか、ドンドン色々な事を吸収させられるというか・・・。だから、色んな事に興味を持ちすぎて、頭がパニックになります。けど、それが楽しくて仕方がなくなってきて嬉しくなってきます。

上野明雄 (小学館)

 『風の子レラ』、読み始めたらやめられず、気に読まされました。
 子どもを主人公に、アイヌの世界に、あれだけ嵌り込んで書かれた作品は始めてだ と思います。
 アイヌの暮らしや世界観が、生き生きと伝わって来ます。
キャラクターのそれぞれが、なかなか個性的で、沖縄出身の死んだ母親も含め、一人一人の隠された物語(個人史)が、キャラクターに深みを感じさせるようです。
大胆に誇張された文体や構成が、素朴でエネルギッシュで無骨な物語世界の陰影を際だたせて効果的です。
 車椅子で疾走する障害者のカップルも、爽やか。
 父親の爆死など、終盤の展開にははらはらさせられて、
 結末を急ぎすぎた感もなきにしもあらずですが、
 とにかく、感激しました。ありがとうございました。

フーゲツのJUN(電脳風月堂)

 ランカラプテ!『風の子レラ』読了! いやぁ、読んでる間、二風谷の風景、康子さんとこの子供達の姿が浮かんで来て、もうほとんど現実の進行とイメージがだぶってもう、フィクションとしては、読めなかったよ。チュプばぁちゃんの203ページのイラストは、アシリ・レラ=康子さんそのものだしね。述べたい感想はたくさんあるが、シサムとして8年前に活動していたアイヌに学び、アイヌを支援するグループだった「ウレシパモシリ」を再び、組織し直したくなったよ。なんか、アイヌとの出会いによって魂を揺すぶられたあの初心を思い出させてくれた!

矢口明子

 「風の子レラ」近所の小さな本屋さんを色したけどどこにもな〜〜い。当然?だよな。それじゃと思いなおして電車で急行停車駅(どこの田舎じゃ)の本屋さんに行くとあ・あ・ありました。なんと10冊も山積みになっているではありませんか。AKIRAさんの本が山積みになっているのを見るなんて!(ぐす)。感激してしばし本の山の前に佇んだ私でありました。以上購入秘話でした。

小夜子

 風の子レラ、読み終えました。
 自分の中に溜まっていた「のオリ」のような物が溶けていったような気がします。
 自然との共存を続ける人間本来の姿。
 今、アイヌモシリの大地に立っているような清々しい気分です。
 生きる力に溢れた壮大な物語でした。
 いつか二風谷に行ってみようと思います。

かこ

 「風の子レラ」
 北の片田舎に産まれた私には、同じような体験が出てきて懐かしく、辛い話でした。薬草摘みや怪しげな呪術師(歯痛、腹痛が嘘のように治る)竈の神様に便所の神様。神様がたくさんたくさんいました。
 神様に守られて育ったその土地も、山が削られ、ダムに沈み、田んぼは農道という広い道路になっています。年寄りは老人ホームに集められ、青年は都会に行き、集落に残っているのは、初老の大人だけです。
 「レラ」になる勇気のない私には、未来の子供達に何をして行けば良いのか・・・。

桂樹

 「風の子レラ」読みました。読ませていただきました。
 心のなかにがふきました。この風をいつも心に。
 そしていつか二風谷に持っていこうとおもいます。
 「これ以上のモノは書けない」なんておっしゃらず、
 これからもがんばってください。

なむ

 『風の子レラ』、読みました。って泣いて泣いて。でもとても気持ちのいい涙でした。何かしら大きな(ある種重い)テーマを扱っている小説って、読んでいるうちにだんだんしんどくなってくるものが多いのですが、『風の子レラ』はとてもすがすがしい。友人にも勧めました。
 娘(10才)に「中学生になったら必ず読め。それまでにあたしが死んだら遺言だと思って読め」といってあります。「次」が出ることを心より 期待しています。

かな

 さて、今話題の「風の子レラ」ですが・・・
 最高にかったですっっっ!!!
 感動して泣いちゃいましたよ。
 みんなにも読んでほしくて、とりあえずバイト先の社員に薦めました。
出来ることなら学校の図書室に置いてほしいと思い、どのようにしたら推薦図書になるのか、方法を考えています。
 地域の図書館にも置いてほしいと密かに考えてる次第です。
とにかくAKIRAさんにサインまでしてもらったこの本は、あまり回りのみんなにも貸したくないというのが本音なほど大切にしています。

pero

 それにしても受付で「風の子レラ」を取り扱っていて気がついたのですが、普段は活字は読まないけど、この本はんでみたいという人が多かったんです。
 これってすごい事だと思う。
 私もこれからじっくり時間をかけて読ませてもらいます。

nori

 風の子レラ読みました。
 体中がくなった。
 どうも有難う。

トモキ

 アイヌモシリで本にサインして頂いたノーボーダーです。
 『風の子レラ』よかったです!
 アイヌモシリに後ろ髪を引かれながら波乗りの為エリモ岬、そしてニセコへ帰ったのですが、旅の途中に読み出したら止まらない。
翌日はレラの日となりました。
 破壊された小さな穴に水が染み、やがて決壊するのでは!?
 『風の子レラ』の存在と重なります。
 ありがとう

雨宮処凛

 風の子レラ、東京に帰ってきた日に読み終えました。
 一万年祭をはさんで読んだ為、いろいろそのシーンの光景が具体的に目に浮かんでキドキしながら読みました。感想は、一言ではとても言えない・・・。
 昨日何気なく自分の手帳を見ていたら、すごく汚い子供の字で「おかあさんいつもいっしょにねよう」って書いてあったんです。
 それはレラさんとのとこに預けられてる子供が私の手帳を奪っていたずら書きをしてる時に書いたもので、昨日初めて発見したんです。
 あそこの子供たちっていつもすごく元気なのにって思ってなんか泣きそうになって、で、風の子レラを読んでる時にも何度もそんな気分になりました。
たくさん泣きました。

みつる

 「風の子レラ」は本を読むのが遅い俺でも時間で読み終わりました。
 マコあんちゃんを思いだし、あそこのみんなを思い出しながら
 読書で初めて泣きました(恥ずかしいのでカナにはナイショ)。

ミユキ

 以前AKIRAさんにメールで、
 「『人間の作ったものから脱する』という問いをあらゆる事象に
当てはめて考えると、色んな事を発見したりこだわりを捨てられる」
というような事を提案した事があったんです。
 でも、『風の子レラ』で、既にAKIRAさんはその答えを出していました。
「人間の作ったものにもカムイが宿っている。」
 私は、人間の作ったものは、自然に反するものだから、
 捨てなければ幸せになれないと思っていたのです。
 でも、人間は、人間が作ったものではない。カムイが作ったもの。
 だから、人間が作ったものも、カムイが作ったもの。それを捨てるのではなく、必要なのはそれらが、全て「お互い、育み合い、共存していく」事。
・・・それが、答えだったのですね。
 人間は、決して地球上に不必要なものではないのですね。
 障害者、老人、は、神に近いものとして、尊敬されてる、と
 AKIRAさんは「アジアに落ちる」にも、ここの日記にも書いてましたが
 チュプばあさんがハカスに言った言葉にも、同じようなのがありました。
「生きていく事は障害物競走。」
 昨日会った友達に、その場面の一節を抜粋して朗読して聞かせました。
 私は、たとえ不幸だと感じる事があっても、このまま、生きていけばいいんだ。と自分に言い聞かせるように・・・。
 般若心経の「色即是空 空即是色 」と共に、
 私の二つ目の座右の銘となりました。「救い」の呪文です。
 小学校の夏休みの宿題では何一つ提出しなかった私ですが、四百字詰め原稿用紙で10枚くらい感想文を提出したいくらい感動してます。
 ・・・イヤイライケレ!!

永谷園

 「風の子レラ」もう回目です。読み返すたびに泣く場所がふえて困っています。

購入方法

※web上での注文はいろんなのがあるけど、アマゾンコムは国内送料無料です。
カードでも代金引き換えでもOKです。


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